序章
序章
終電を降りると、少女が住んでいるその町は静まり返っていた。
明らかに元々の長さから短かくしたであろうスカート、緩めたネクタイの制服姿に、髪の毛を金に近い茶に染めた少女は、大きなあくびをすると濃い化粧と付け睫毛を気にしながら、目をこすった。
学校の校則ではもちろん、どれも禁止されているが、学校の教師の言うことなんて、気にもしていなかったし、ムキになって怒る教師を見ると、その滑稽さに可笑しくなってしまう。
どこかで犬が鳴く声がした。
少女は自分の町の、この静けさと田舎臭さが嫌で、いつも大きな繁華街に遊びに出ては帰らない日もよくあった。
少女の両親も初めは心配もしたし、少女を叱りもしたのだが、良くも悪くも慣れるもので、もはや少女が帰らなくても気にかけなくなっていた。少女はそれを都合が良いと思う反面、なんて無責任な親なのだろうなどと、両親に軽蔑に近い自分勝手な感情を抱いていた。
勉強ができないことも、やりたいと思えることが見つからないのも、うまくいかないすべてのことを、自分以外の何かにせいにしては、考えたくないことは先送りして、毎日が面白おかしく過ぎていくのを、そのままにしていた。
少女の友人も同じような子ばかりだったし、その中では自分はまだマシだと、少女自身は思っていたのだ。
ついこの間も、道を尋ねてきた男に、親切丁寧に道を教えてやり、まだ迷っている様子の男を、わざわざ目的地の近くまで連れて行ってやった。そんな自分を、優しいじゃん、などと思っていた。
ただ、その男がなかなかいい男で、少女の好みだったからという理由もあるのだが。そうでなければ、おそらく声を掛けられても、知らないふりをしていただろう。
家へと向かう線路脇の道を歩いていた少女は、ふと立ち止まった。
直線の道の五十メートルほど先に、人が立っているシルエットが見えたからだ。コートのフードを被ったシルエットは背が高く、男のようだった。
道の右手側、線路の方を向いて立っているその人影は、まったく動く気配がなく、薄気味悪いと少女は思ったが、この道以外を通ろうとすると、家まではだいぶ遠回りになってしまう。
少女は眉を顰めると、道の左側の端を歩いて、その男の後ろを通り過ぎようとした。
しかし、少女がまさに男の後ろを通りすぎようとしたとき、突然、バッと身を翻し、男が少女を振り返った。フードの中の顔は暗くて見えないが、フードの奥から自分をじっと見る視線を感じる。
少女が驚いていると、男は少女に振り返ったときとは逆に、やたらとゆっくりした動きで近づいてきた。
少女は足が竦んでいた。全身に寒さのせいではない鳥肌が立つ。
少女は男が何かを、繰り返しつぶやいているのに気がついた。
そして、男は少女に向かって右手を差し伸べてきた。まるで、この手を取れというように。
「いや!」
男の手が目の前まで迫ったとき、ようやく少女は叫び声を上げると、その手を払い、来た道を戻るようにして駆け出した。
慌てて駆け出したせいで足がもつれ、数メートルほど行ったところで派手に転ぶ。アスファルトが膝を削り、痛みに顔をしかめた。膝から血がにじみ出てくる。
少女は両手で地面から体を起こすと、おそるおそる振り返った。
男は目の前にいた。
地面に座り込んだまま、恐怖で目を見開く少女に、人影はまた手を差し伸べてきた。
「……」
いやいやをするように、無言で首を振る少女。
手を取らない少女に、男は少女の傍にしゃがみこむ。
少女の耳に男がつぶやいている言葉が聞えてきた。
「大丈夫。僕は君のことを分かっているよ」
そして男の手は少女の口を塞いだ。