ざまぁ白雪姫 -整形で“母の顔”になった私は、あの人を鏡の前に立たせて全てを奪う-
#ざまぁ白雪姫 -整形で“母の顔”になった私は、あの人を鏡の前に立たせて全てを奪う-
鏡の前に立つと、母が寄ってくる。
必ず――隣に並んで。
「ねぇ、鏡花。口角、もうちょっと上げて。
……ね?笑ってる方が、可愛いわよ」
まだ中学生だった頃だ。
制服のリボンを直されながら、口元だけを引き上げて、作った笑顔を浮かべた。
隣の母は、その笑顔を満足そうに鏡越しに見つめていた。
「やっぱり似てきたわね」って。
「ママの若い頃と、そっくり」って。
“女の子は、可愛くなきゃダメよ”
“褒められるうちが華だから”
“ママみたいに綺麗にならなきゃね”
刷り込むみたいに、母は言葉を繰り返した。
褒められるのは、いつだって“顔”のことだけ。
テストでいい点を取っても、「すごいね」のあとに続くのは、きまって――
「でも……笑うとちょっと、目元が崩れるかもね?」
だった。
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初めて「整形」の話を聞いたのは、高校に上がる前。
母の友人が目を二重にしたらしい――
嬉しそうに話す母の横顔が、どこか怖かった。
「ほんとにちょっと切っただけなのよ?
自然に綺麗になれて、いいわよねぇ」
そう言ったあと、母は私の顔を見て、ふと微笑んだ。
「鏡花も、いつかやってみたらどう?
ほら……目元だけは、パパに似ちゃったから」
その夜、泣いた。
理由はうまく言えなかったけど、
何か、心の奥をグッと指で押されて、そのまま動けなくなったようだった。
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最初の施術は、高校一年の夏。
二重の埋没法。
“バレにくいし、痛くない”と母が予約してくれた。
「今のうちにやっておけば、自然になるから」
そう言って、クリニックへの地図をLINEで送ってきた。
手術のあと、腫れたまぶたに保冷剤をあてていると、
母がのぞきこんで笑った。
「可愛くなって、よかったじゃない。
これで、ママにもっと似てきたわね」
それは、ずっと欲しかった“愛されてる証拠”のようで――
けれど同時に、
心のどこかがずるりと剥がれ落ちていく音がした。
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鏡を見るたびに、
“もっと綺麗になれば、もっと愛される”気がした。
でもそれは、
“今の私は、まだ愛される顔じゃない”と、
毎朝、鏡の中の自分が告げてくるようでもあった。
母は、いつも隣に立った。
髪を整え、口紅を引き、私と同じ角度で首を傾ける。
まるで――“二人で一つの肖像画”。
私はそこに、“自分だけの顔”がなかった。
ただの模写だった。
“ママに似てるわね”と褒められるたびに、
私は、私じゃなくなっていく気がした。
それでも母は笑って、言うのだ。
「やっぱり、女の子は“顔”が命よね」
私は、笑えなかった。
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目元が変わった私を、母は本当に嬉しそうに眺めていた。
スマホのカメラを向けては、写真を撮って、
「ね? ママに似てきたでしょ」
そう言って、誰にともなく見せびらかした。
そのたびに、私は笑顔をつくった。
表情が動かないせいで、作り笑いをしなくて済むのが、少しだけ救いだった。
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最初の“違和感”が消えないまま、
次は、鼻。
「横顔を整えたらもっと綺麗になる」
母はそう言って、クリニックのクーポンを渡してきた。
「一緒に行ってあげるから、大丈夫よ」
“あげる”――その言葉に、少しだけ躊躇いが生まれた。
鏡の中の自分はもう、“途中の顔”をしていた。
綺麗でもなく、でも“昔の私”でもなく、
誰かの理想の下書きだけが浮かんだような顔。
整っているわけでもない。
でも、前の顔にも戻れない。
「……行くよ」
その言葉に、二つ返事で応じたのは、
“拒絶”が許される空気がなかったからだ。
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気づけば、
頬骨を削って、顎をシャープにして、歯列も矯正していた。
カラコンを入れ、まつげを植え、輪郭注射を打つ。
母は逐一チェックして、アドバイスをくれた。
「もう少しだけここが細ければ、完璧なんだけどね」
終わらない、もう少し。
それはもう、呪文みたいに。
自分の顔が、
“誰かにとって完璧であること”にしか、意味を持たなくなった。
気に入っていたはずの唇も、
「ちょっと薄い」と言われた翌週には、ヒアルロン酸を注入していた。
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「ママの若い頃もね、今の鏡花みたいに、皆から“綺麗”って言われてたの」
母は、写真を見せてきた。
ドレッサーの前でポーズを取る、若い日の母。
確かに綺麗で、どこか自信に満ちていて――
……そして、その写真に写る顔は、いま私が持っている顔だった。
血のつながりなんて曖昧なものじゃない。
私は、“母の顔”を再現するように、削られ、形作られてきた。
その顔が、私の意志のないまま出来上がっていくのが、何より怖かった。
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ある日、何気なくスマホの自撮りを開いたとき、
ふと、違和感が走った。
私が笑ってる。
でもそれは、母の笑い方だった。
首の傾け方も、目元の力の抜き方も、母そのもの。
……吐き気がした。
画面を閉じて、鏡を見た。
そこにいたのは、“誰かにとって理想的な、私じゃない女”だった。
それでも、母は喜んだ。
「本当に、ママにそっくりになったわね」
そう言って、
まるで自分の“若さ”を取り戻したみたいに、嬉しそうに微笑んだ。
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もう、自分の顔がわからなかった。
“可愛くなったね”って褒められても、
それは、私じゃなくて、
“母の顔をした誰か”への賛辞に思えてならなかった。
笑えば笑うほど、
母の顔が、私の中に入り込んでくる気がした。
その夜、ドレッサーの鏡を黒い布で覆った。
“今の私”を、どうしても見たくなかった。
翌朝、何も言わずに布を剥がした母は、鏡の前に私を座らせるように立ちふさがり、こう言った。
「綺麗なのに隠しちゃダメよ。
……ねぇ鏡花、自分の顔をちゃんと愛しなさい」
自分の顔を愛する、って、なんだろう。
あなたの顔なのに。
そう返したかったけど、
唇は、動こうとして、動かなかった。
もう、"私の"唇では、なくなっていた。
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《久しぶりに、会えない?》
そうメッセージを送ったのは、数年ぶりだった。
“整形が全部終わったら会いたい”
そう言い続けてきた母は、嬉々として返信を寄越した。
《もちろん!鏡花の完成お披露目ね♡》
その顔文字さえ、
もう自分の意志では打てない指で綴られているような気がした。
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待ち合わせたのは、ホテルのパウダールーム。
静かなラウンジの奥、客室利用者しか入れない鏡張りの空間。
両側にライトが埋め込まれた、大きな三面鏡。
私はその中央に、ひとりで立っていた。
ヒールの音を鳴らして母が入ってくる。
ドレスに宝飾、きらきらと飾ったネイル。
かつての“美”を再現しようとする装いが、どこか痛々しかった。
でも、母は堂々と鏡花の隣に立つ。
「鏡花……ほんと、綺麗になったわね」
「やっぱりママの若い頃にそっくり」
「もう親子ってより、双子みたいじゃない?」
次々に言葉が溢れる。
褒めているようで、どれも“私”を見ていない。
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私は言葉を返さず、静かに手を伸ばす。
母の腕を、そっと取る。
そして――鏡の中央に、彼女を立たせる。
ぴたりと、二人の顔が並んだ。
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「……あら」
最初にそう呟いたのは、母の方だった。
彼女は鏡を見つめたまま、微かに息を呑んだ。
真正面からライトに照らされた顔には、皺、たるみ、くすみ、影。
ずっと目を逸らしていたものが、全部映っていた。
隣に立つ私は、
かつての母にそっくりな顔をして、ただ微笑む。
母は笑おうとした。
けれど、唇が微かに震えていた。
「……ねえ、照明、ちょっと強すぎない?」
「こういうのって、もうちょっと優しい光が――」
口紅を直そうとバッグに手を伸ばす仕草に、
わずかな焦りがにじむ。
“自分の美が崩れかけている”ことに、
ようやく、気づいたのだろう。
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私は、鏡越しにその顔を見つめたまま、耳元で囁く。
「ねぇ、ママ。
私の顔の方が……“素敵”、でしょ。」
母が目を見開く。
震える手が、頬に伸びる。
何かを確かめるように。
……あるいは、守るように。
けれど――もう、言葉は出てこない。
鏡の中に並んだ“ふたつの顔”。
母は“若さ”という仮面を失いかけたまま、
私は“かつての母の顔”で、静かに笑っていた。
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ホテルを出たあと、母からのメッセージは来なかった。
既読はついていた。
けれど、それだけだった。
今頃、鏡を見ているのだろうか。
ライトの強さを気にしながら、
崩れたメイクの上に、何度も何度も塗り重ねて――
“かつての自分”を探しているのかもしれない。
……でももう、そこに“彼女の若さ”はない。
鏡の中を探しても、
あの人の"世界で一番美しいもの"は……
――私に渡された仮面として、いま、ここにある。
---
部屋に戻って、
私はドレッサーの前に立つ。
黒い布は、もう被せていなかった。
鏡の中の顔。
整っていて、目も鼻も顎も整形済みのそれは、
誰が見ても“美人”だと言うだろう。
でも私は、その顔を見ながら――
ほんの少しだけ、眉間にしわを寄せて、首を傾げてみる。
「……悪くないじゃん、鏡花」
はじめて、自分の名前を呼ぶ声が、他人のものじゃなかった。
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携帯が鳴る。
画面には、母の名前。
でも、私は取らなかった。
鳴り止んだあと、通知がひとつ。
《今日はありがとう。
ちょっと落ち込んじゃったけど……
鏡花は、ほんとに綺麗になったね。
ママもがんばらなきゃ。》
その文面に、顔文字はなかった。
むしろ、そのほうが素顔の彼女に見えた。
「……そういうとこ、嫌いじゃなかったんだけどな」
そう呟いて、通知を削除した。
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部屋の窓を開けると、
街の光が、ガラスに反射して揺れていた。
鏡とは違う、もっと不確かな光。
私は、鏡台の前にもう一度戻って、
鏡越しに、自分と視線を合わせた。
「もう、これは、“私の顔”。」
誰かのためじゃなく、私のために使ってやる。
そう思えば、悪い武器ではなかった。
声に出すと、喉の奥が熱くなった。
泣きたいわけじゃない。
ただ、ようやく言えたことが、誇らしかった。
---
母の名前は、人生から消えない。
でももう、それに怯えたりはしない。
あの鏡の前で、私は確かに微笑んだ。
「ここからは、私の物語だ。」
美しさに支配されていた少女は、
いま、ようやく――
“自分の顔”で、世界に立ち向かう。
※本作「ざまぁシンデレラ」に続き、
母親に心のゴミ箱にされ続けた女性の話、
『ざまぁシンデレラ』を公開中です。
ご興味がある方は、ぜひ彼女の"結婚式場"にて、
お待ちしています。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
別作品ではありますが、
この読み切り以上に丁寧な心理描写を心がけている連載作品があります。
→『俺たちは、壊れた世界の余白を埋めている。』
https://ncode.syosetu.com/n0544kt/
「毒親」「依存」「拗らせバディ」「壊れた倫理観」
そんな言葉にピンと来た方には、
もしかすると刺さるかもしれません。
ご興味があれば、ぜひ覗いてみてください。