第5話 雷に選ばれし者
嵐の夜が過ぎ去り、朝の光が村を照らし始めていた。昨夜の雷の爪痕は、至る所に残っている。焼け焦げた地面、裂けた木の幹、砕かれた岩盤――それらを見つめる村人たちの間には、言い知れぬ不安が広がっていた。
「まさか賢者様の弟子がな……」
「あんな力を持っていたなんて……」
「...あれは普通の雷じゃない。……まるで、神話に出てくる“魔法”のような――」
ささやき合う声には、驚きと恐怖が混じっている。
賢者様とその弟子が村から遠く離れた森の奥深くで暮らしている、という話は以前から噂されていた。たびたび村へとやってくる賢者様とは違い、弟子という少年が村人たちに姿を見せたことは1度もない。だというのに、昨日突如村の祝祭へと現れ、少女に連れ回されていたかと思えば、儀式の最中、響く轟音。
誰もが馴染み深い魔術とはまるで異なる、触れることすら憚られる異質な存在――それこそが「魔法」。
エズレンの存在が、彼らにとって別次元のものに思えたのは無理もなかった。
「あの雷がもし村に落ちていたら……」
「俺たち全員巻き込まれてたかもしれねえ!」
言い争いが激しくなりかけたそのとき、村の方から走ってきた青年が勢いよく叫んだ。
「リサが目を覚ましたぞ!」
◆
広場に現れた少女は誰かを探しているように、周囲を見回す。
少女――リサは、まだ顔色こそ悪かったが、意外なほどしっかりとした足取りで村人たちの前に立った。
「リサ、大丈夫なのか?」
誰かが恐る恐る声をかけると、リサはこくんと頷いた。
「うん、平気! もう全然痛くないよ!」
まるで何事もなかったかのように笑う彼女に、村人たちは息を呑む。
「……本当に、大丈夫なのか?」
誰かがぽつりと呟くと、リサは大きく頷いた。
「そうだよ!」
幼い声が、はっきりと広場に響く。
「だって、エズレンが私を助けてくれたの!」
村人たちは目を見合わせる。昨日見たあの凄まじい雷の光景と、少女の言葉はどうしても結びつかなかった。
「いや、でも、あの雷は……」
「...エズレンはどこ?」
リサは小さな拳をぎゅっと握りしめ、言葉を重ねた。
「あのね、私怖くなかったの! エズレンが来てくれて、眩しくって、でもふわぁって暖かくなって…」
その記憶を思い出すように、瞳を輝かせる。
「それから...気づいたら、ぜーんぶ痛くなくなってたの!」
子供の無邪気な言葉に、大人たちは息を呑む。
リサが怪我を負ったあの丘は常に足場が悪く、夕暮れ時になると村の大人たちもあまり近寄らない。もし足を滑らせると、剥き出しとなった岩壁に打ち付けられながら落ちていき、重傷を負うことになる。それこそ、大人でも治癒術で完治するまでに5日は要するような――
「そんな……魔術じゃ、ありえない……」
「……まさか、本当に魔法、だったのか……?」
ぽつりと漏れた声に、広場の空気が変わった。魔法――ごく限られた者しか使えない奇跡。
村人たちは、あの静かな少年が驚くべき力を秘めていたことに気が付き――自らの過ちに気づき始める。
「…もし、彼がいなかったら、リサは…」
老人の呟きに、誰も否定できなかった。
「でも、あの力が暴走したら…?」
「…あの少年が助けてくれたんだぞ!」
村人たちの間に、恐れと感謝が複雑に交錯する。
リサは言い合う村人たちの様子をどこか遠くに感じながら、エズレンがすでにこの村から去ったことを察する。
「お礼、言いたかったのにな...」
少女の小さな手に包まれた2粒の星爆果に、大きな亀裂が入っていた。
◆
エズレンはゼスの書斎で、膝を抱えるように壁に背を預け座っていた。
自分が望んで使った力が、村人たちを怯えさせたことが、どうしても頭から離れない。
「……僕は、何を間違えたんだ...」
あの瞬間、確かに感じた――体の奥から湧き上がる雷の奔流。けれど、それは激しさだけではなく、リサを包んだ光は温かく、優しかった。
(…あれが、本当に僕の力?)
呟くようなエズレンの問いかけに、この書斎の主――ゼスは沈黙したままであった。やがて、彼はゆっくりとエズレンの隣に腰を下ろす。
「間違いではないさ。お前は確かにあの少女を救った。それが事実だ」
その言葉に、エズレンは目を伏せる。
「でも……もし、僕の力が暴走していたら、村ごと消し飛ばしていたかもしれない」
初めてゼス以外の人と話した。
あの事故のなかで、初めて魔法を成功させることが出来た。だが、何度も失敗を繰り返し、ようやく成功させた。
失敗の痕跡を見た村人たちが、僕は村を脅かす存在であると、彼らに追われるようにここまで逃げてきた。もう村へ訪れることは出来ない。
「ならばこそ、学ぶべきだろう」
ゼスの声が、いつになく厳粛な響きを帯びる。
「己の力を恐れるな、エズレン。理解できぬものに怯え、目を背けていては前に進めない」
エズレンは唇を噛む。
「……どうして、あの時、魔法を使えたんでしょうか」
ゼスはそっと震えるエズレンの肩に手を置いた。
「本当は、お前にこんな力を背負わせたくはなかった……」
低く呟くゼスの声には、先程までの厳粛さはなかった。
「それでも……お前は、運命から目を背けるような子ではないからな」
「……もし、この先誰かを傷つけてしまったら?」
エズレンは拳を握りしめ、目を伏せる。
力の暴走を抑えきれず、周囲に迷惑をかけてしまうのなら、いっそこの森から出ないほうが、誰も傷つけないのでは――そう思ってしまう。
ゼスがエズレンの肩をそっと押し出すように、微笑む。
「エズレン、お前は雷に選ばれた子なのだ」
唐突な言葉に、エズレンは驚いたように顔を上げる。
「雷に……選ばれた?」
「ああ。お前には特別な血が流れている。雷神に連なる血――その力が、身体の成長と共に目覚めつつあるようだ」
(雷神...?)
ゼスの言葉はまるで核心を避けるかのようだったが、その眼差しには揺るぎない確信が宿っていた。
「僕は……」
エズレンはそっと胸に手を当てる。昨夜、リサを助けたいと願ったとき、確かに感じた何か――それは今までとは明らかに違う、温かな雷の力。
あの時はただリサを助けたい――ただその一心だった。だからこそ、あのときだけは自身の魔力を怖がらなかったのかもしれない。
このままではいけないのかもしれない。外の世界を知らず、一生この森の中で暮らすだけでは――この力の正体を知りたい。恐れず、向き合いたい。
エズレンは静かに立ち上がった。
「……旅に、出ようと思います。僕は、この力とちゃんと向き合いたい」
その決意に、ゼスはまた穏やかな顔で頷いた。
「よく言った、エズレン。ならば行くがいい。お前が知るべきものは、この森の外にこそある」
外に出ると、雨雲はすっかり晴れ、朝陽がまぶしく輝いていた。
その光に導かれるように、エズレンは新たな一歩を踏み出した。
◆
「雷に選ばれた子……その力は祝福か、あるいは――」
書斎に残る静寂の中、ゼスは一冊の古書を手に取った。
そこには、かつて世界を揺るがした“雷の御子”の伝承が記されていた。