第42話 喧騒の中へ
エズレンたち四人は、ピオの店がある細い路地を抜け、再び大通りへと戻っていた。
この後の旅路に備え、それぞれ市場で不足した物資を補給するためだ。
アウレクは食料品を見て回りたいらしく、「干し肉の質は港町で決まるんだぜ!」と謎のこだわりを語ったあと、一人で市場の奥へ消えていった。
ピオの店の中は、まるで時間そのものが緩やかに溶けているようだった。
気づけば太陽は高く昇り、石畳へ落ちる光も白さを増している。
傭兵国家として名高いグラディス公国だけあって、市場へ戻るまでの道中には武具屋や鍛冶屋が数多く並んでいた。
吊るされた剣が陽光を反射し、鎚を打つ音が絶え間なく街路へ響いている。
店先を覗く者たちもまた、ほとんどが武装していた。
年齢も装備もばらばらだが、どこか似た空気を纏っている。
豪放で、荒っぽく、それでいて妙に活気に満ちているのだ。
「お前なぁ! 魔術士だって、武器が使えねぇと“いざ”って時があんだろうが!」
すれ違いざまに飛び込んできた声に、エズレンはふと視線を向けた。
仲間同士の軽口なのだろう。
笑い声と共に流れていく、よくあるやり取り。
だが、その言葉だけが妙に耳に残った。
(……いざという時、か)
脳裏に、船上での出来事が過る。
アクアリスに捕らえられ、身動きひとつ取れなかった感覚。
雷霊を呼ぶ暇もなかった。
しばらく歩いたあと、エズレンは考え込むように口を開いた。
「僕も、何か武器を使えるようになった方がいいのかな……」
隣を歩いていたイグナシウスが、呆れたように片眉を上げる。
「今さらそんなこと気にしてんのか」
その隣では、リウィアンがくすりと笑った。
「まあ、僕たちがエズレンと初めて会った時も、ちょっと危ない状況だったしね」
森の中、凶暴化したフェルヴィス。
鋭い牙と爪、濃い瘴気。
そして、自分を庇うように前へ出た二人の背中。
「二人に出会えていなかったら、どうなっていたか……。あの時もだけど、いつも僕を助けてくれてありがとう」
エズレンは立ち止まり、二人へ向き直って静かに頭を下げた。
真っ直ぐな感謝の言葉に、イグナシウスは居心地悪そうに眉を寄せる。
「……んな改まって言うなっての」
ぽん、と軽く肩を叩かれる。
「お前は明らかに魔法特化だ。そのうえ契約精霊までいる。だが、戦闘経験が浅いうちは、精霊を再召喚する間もなく狩られる可能性もある」
低くなった声に、エズレンは小さく頷いた。
リウィアンも穏やかな表情のまま続ける。
「前にレオネル様も言ってたけど、将来本気で聖騎士や神官戦士を目指すなら、いずれ近接戦闘は必要になると思うよ」
二人の言葉は正しい。
距離と時間さえ確保できれば、雷霊たちを再召喚することで、大抵の事態には対応できるだろう。
だが、敵が常にその猶予を与えてくれるとは限らない。
実際、船の上では何も出来なかった。
エズレンはふと、隣を歩く二人へ視線を向けた。
イグナシウスもリウィアンも、魔法や魔術を用いて戦う印象が強い。
武器を構えている姿を、まだ見たことがなかった。
「二人は得意な武器があるのか? 近接武器を使っているところ、見たことないけど」
するとイグナシウスが、どこか自慢げに口角を上げた。
「ある。だが最近は、それを使う必要があるほど追い詰められてねぇだけだ」
「僕もイグと同じ感じかな」
リウィアンが肩を竦める。
「自衛の手段はいくらあっても困らないけど、多分、円環の儀式には必要ないんじゃないかな?」
「……? “多分”って、二人は円環の儀式の内容を覚えていないのか?」
エズレンの問いに、リウィアンは少し困ったように笑った。
「僕はちょっと事情があってね。実は儀式を受けてないんだ」
「俺は受けたが、内容は覚えてねぇな」
あまりにもあっさりした返答に、エズレンは目を瞬かせた。
「そうか。二人に色々教えてもらおうと思ってたんだけどな……」
するとリウィアンが、ぱん、と軽く手を叩く。
「ま、そういうことだから。アルヴェーアに着いたら、まずは情報収集だね。信仰神によって試練内容が変わる可能性もあるし」
止まっていた足が再び動き出す。
石畳を踏む音が、人々の喧騒へ溶けていった。
円環の儀式。
将来なりたいもの。
考えなければならないことは多い。
(……そうだ。今度ゼスに手紙を出す時、聞いてみよう)
そんなことを考えていた、その時だった。
「——いたぞ!!」
切羽詰まった声が背後から飛び、三人は同時に振り返る。
人混みを掻き分けるように駆け寄ってきたのは、入国時に門で見かけた審査官の男だった。
その隣には、見慣れない女性。
胸元には、剣と盾を組み合わせた紋章――冒険者組合の徽章が輝いている。
「よ、良かった……! まだ、国内に、いらっしゃった……!」
女性は肩で息をしながら、イグナシウスとリウィアンを交互に見た。
周囲を歩いていた武装者たちも、何事かと視線を向ける。
「何だ?」
「組合の職員じゃねぇか」
ざわざわと囁きが広がる中、イグナシウスは露骨に面倒そうな顔をした。
「……俺らに何か用か?」
女性職員は勢いよく頷く。
「はい! お二人にぜひ!お話したい依頼が……っ」
そこまで言ってから、彼女ははっとしたように周囲を見回し、慌てて声を潜めた。
「できれば、組合支部までご同行いただけませんか」
「僕たちに?」
リウィアンが柔らかく首を傾げる。
その仕草に、女性職員の頬がわずかに赤くなり、声が上ずる。
「え、ええ!高ランク帯指定の案件です。ですが現在、支部内に対応可能な冒険者がおらず……」
その瞬間、近くを通った男が目を見開く。
「高ランク帯だと……?」
「まさか、あいつらプラチナ以上か……?」
ざわり、と空気が揺れた。
――プラチナ。
入国審査の際、審査官やアウレクが驚いていた理由を、エズレンは薄らと理解しかけていた。
周囲の反応だけで分かる。
それは、冒険者たちの間で特別な意味を持つ言葉なのだろう。
職員は注目を集めてしまったことに気づき、さらに深く頭を下げた。
「お忙しいところ大変恐縮なのですが、どうか……!」
「……あーもう、分かった分かった。そんな必死な顔すんな」
イグナシウスが片手を振る。
リウィアンも穏やかに微笑んだ。
「話だけなら聞くよ」
「ありがとうございます!!」
女性職員の表情が、ぱっと花開く。
その隣で、審査官の男が心底安堵したように息を吐いた。
「間に合って良かった……。“この国は通過するだけ”と仰っていたので、もう出立されたかと……」
「ああ、覚えてたのか」
「それが仕事ですので」
審査官は苦笑する。
リウィアンはそのやり取りを聞きながら、ふとエズレンへ視線を向けた。
「どうする? エズレン。せっかくだし、一緒に来てみる?」
「冒険者組合……」
エズレンは小さくその名を繰り返した。
ゼスの蔵書で存在だけは知っている。
依頼を受け、国を越えて活動する者たちの巨大な互助組織。
だが、実際に足を踏み入れたことは一度もない。
どんな場所なのだろう。
純粋な好奇心が、胸の奥をくすぐった。
「邪魔にならないなら、行ってみたい」
「決まりだね」
リウィアンが微笑む。
「アウレクはどうする?」
「後で合流すりゃいいだろ。あいつなら今頃、飯買い漁ってんじゃねぇの」
イグナシウスが肩を竦めた。
そのまま三人は職員たちに案内され、市場の中心部から少し離れた通りへ向かう。
進むにつれ、武装した者たちの姿はさらに増えていった。
剣を背負う者。
槍を担ぐ者。
巨大な斧を片手で抱える者。
誰もが獣のような鋭さを纏い、道の空気そのものを張り詰めさせている。
やがて視界の先に、巨大な石造建築が現れた。
正面には大きな紋章旗。
分厚い両開きの扉は絶えず開閉し、その隙間から怒鳴り声や笑い声、酒杯のぶつかる音が洪水のように溢れ出している。
荒々しく、熱を帯びた空気。
「ここが……冒険者組合」
エズレンは思わず呟いた。
すると入口付近にいた男たちが、案内役の職員を見て声を上げる。
「おい、見つかったのか!?」
「マジで連れて来たのかよ!」
「プラチナ……どいつだ?」
視線が、一斉に三人へ突き刺さる。
値踏みする目。
期待する目。
そして、救いを見るような目。
その空気の中で、エズレンは静かに瞬きをした。
(二人は……いつも、こんな風に見られているのか)
旅の道中では軽口を叩き合い、時には子どものように騒ぐこともある。
けれど今、周囲の反応がはっきりと示していた。
イグナシウスとリウィアンは、この場所では“特別”なのだと。
「立ち話も何ですので、こちらへ!」
職員に促され、三人は冒険者組合グラディス支部の中へと足を踏み入れた。




