第41話 星巡りの魔石商
グラディス公国は、朝から活気に満ちていた。
往来する人々の多くが武装していることに変わりはない。
だが剣帯のままパンを頬張る青年や、槍を背負って子を抱き上げる母親の姿がある。
武装はこの国の日常であり、脅威ではない。
駆け回る子どもたちの笑い声。
焼き菓子の甘い匂い。
屋台の主人たちの朗らかな呼び声。
この国にも、確かに“生活”が息づいている。
エズレンたち四人は、リウィアンの先導により、宿屋のある通りを東へ抜け、中央広場を横切り、さらに細い通りへと入っていた。
「確か、こっちのあたりに……」
小さく呟きながら何かを探すリウィアン。
「オイどこ向かってんだよ。物資補給ならさっきの広場で良いだろうが」
気怠げなイグナシウスに、リウィアンは意味ありげに微笑む。
「着いてからの、お楽しみ」
やがて四人は、人気のない入り組んだ路地裏へと足を踏み入れる。
人とすれ違うことすら難しいほど狭い通路。
そこでリウィアンは足を止めた。
「ここだ」
その先にあったのは――一枚の“扉の絵”。
子どもの悪戯のように拙い線。
だが、大人が余裕で通れるほどの大きさを持つ。
「なんだこれ、落書きかぁ??」
アウレクが触れようとした手を、リウィアンが軽く制した。
「この店はね、入り方があるんだよ」
言いながら、懐から魔石を一つ取り出す。
「魔力が空でなければどの石でもいい。ドアノブを三回、続けて小窓を二回叩くと――」
――カチャリ
壁の絵から、小さな金属音が返る。
すると、壁に描かれていたはずの取っ手が、いつの間にか立体となっていた。
同じく絵であったはずの小窓が、パカリと開く。
そこから覗いたのは――口元。
「いらっしゃいませ〜」
少し間延びした声。
なめらかで落ち着いた、耳心地よい響き。
平面だった扉が音もなく開き、奥には真っ暗な闇が広がる。
扉の奥から響いた声が、静かな路地に余韻を残す。
リウィアンは静かに中を指し示した。
「さあ、エズレン。御所望の魔石商だよ」
誘われるように、エズレンは一歩を踏み入れる。
足裏が沈む感覚。
「……すごい、どうなっているんだ?」
闇がほどけた、その先。
そこに広がっていたのは――夜空だった。
天井も壁も、境界はどこにも見えない。
ただ、深く澄んだ群青がどこまでも続き、その中を無数の光の粒がゆるやかに漂っている。
星々が、落ちずに浮いているような空間。
足音は吸い込まれ、衣擦れの音さえ遠い。
ひんやりとした空気が、静かに頬を撫でた。
エズレンは思わず息を呑む。
薄暗いが、不思議と恐ろしさはない。
むしろ、胸の奥が静かに澄んでいくようだった。
淡い光の中に、一人の人物が佇んでいる。
夜空を思わせる藍色のベール。
目元は覆われ、覗くのは愉快げに弧を描く口元だけ。
薄藤色の長い髪が右肩で三つ編みに結われ、指先には白い手袋。
机に肘をつき、静かに四人を眺めていた。
見られている――はずだが、誰を見ているのかは分からない。
星々の粒子が、その周囲だけ少し濃く舞っている。
それが偶然なのか、彼に引き寄せられているのかは判別できない。
やがてその人はゆっくりと立ち上がる。
椅子の軋みも、衣擦れも、不思議なほど小さい。
エズレン達の前へ歩み寄る。
何の気負いもなく、旧知の仲であるかの様に。
「皆様ようこそおいでくださいました。“星巡りの夜露”へ。僕は店主のピオと申します」
役者のように優雅な一礼。
舞台の幕が上がる前の挨拶にも似ている。
(((う、胡散臭い……)))
エズレン、アウレク、イグナシウスは同時に同じ感想を抱いた。
ピオはゆっくりと姿勢を戻す。
その口元の弧は、わずかに深まった気がした。
そして何も言わぬまま、リウィアンへと歩み寄る。
「お久しぶりですねぇ、“時に縛られた”御方。迷わず入って来られる御客様は珍しいと思えば、貴方が案内人でしたか」
「やぁ、ピオ。前と場所が変わってなくて良かったよ」
リウィアンは肩をすくめ、慣れた様子で店内を見渡している。
「ふふ。全ては僕の気分次第ですよ」
ピオの口元がわずかに弧を描く。
「それにしても、貴方が誰かを連れて来るのは初めて御座いますね」
ベール越しの視線が、エズレンたち三人へゆっくり滑った。
「いつもは一人で現れて、すぐにどこかへ行ってしまうでしょう?」
わずかな間。
「――貴方を縛る鎖は、なかなかに重そうですね」
リウィアンは小さく苦笑した。
「どうかな、僕はまだ旅の途中だからね」
「そうでしたか」
ピオはそれ以上追及せず、くすりと笑う。
「それで、本日のお客様は――」
星の粒がひとつ、ふわりと弧を描く。
「こちらの“静謐な神鳴”の御方でしょうか」
次の瞬間、エズレンの肩に軽く手が置かれた。
さらり、と髪を撫でる指先。
――パチッ
微かな放電。
揺れたのは光か、それとも空気か。
エズレンの周囲を舞う星の粒が、わずかに跳ねた。
「……ふふ。貴方からは不思議な香りがしますね。さて、本日はどのような宝石をお探しでいらっしゃる?」
エズレンは半歩だけ距離を取る。
先ほど触れられた感触が、まだ皮膚の奥に残っている気がした。
胸の奥で鼓動がひとつ、強く鳴る。
それは高揚ではなく、明確な警戒の拍動だった。
それを押し戻すように、静かに言葉を返す。
「……宝石? ここには魔石を探しに来たんだ」
「いいえ? 機能美、稀少性、実用性――それらを備えた石は、総じて宝と呼ぶに相応しい」
ピオの口元が、さらに弧を深める。
からかうでもなく、ただ楽しんでいるように。
「ここには、民間で広く流通する風晶石から、秘匿された民族にのみ伝わる静蒼石まで、あらゆる魔石を御用意しておりますよ」
一瞬、空気がひりついた。
「魔石つってんじゃねぇか」
イグナシウスの声が落ちる。
軽口のようでいて、わずかに棘を含んでいる。
「……!」
その傍らで、エズレンは息を呑んだ。
――風晶石。
店前に辿り着いた時から、今まで口にしていないはずだ。
思考を見透かされたような感覚に陥り、ピオへと視線を向ける。
しかしベールの奥に隠された表情は見えない。
だが、愉快げな気配だけは確かにこちらを掠めていた。
「そうでしたか? ふむ。“甘い夜に渇く牙”の御方は、細かいことをお気になされるのですね」
「は?」
短く、低い声。
意味の分からない呼び名と、噛み合わない会話。
イグナシウスの声色に、苛立ちが混じっていた。
一方、アウレクは静かに目を細めていた。
――静蒼石。
それは本来、外部に流れるはずのない存在。
(もしかして、一族の誰かを…?)
アウレクの周囲を舞う星の粒子が、大きく震えていた。
「ふふ。“青海の奏者”の御方」
ピオはわずかに首を傾げる。
「僕は善良な商人です。そのような鋭い視線で見つめられると、萎縮してしまいますね」
「……さっきからその呼び方、何なんだ?」
何気ない声音。
アウレクはさり気なく外套の襟元を正し、首元の鱗を隠す。
だが、視線は逸らさない。
「そうですねぇ…あえて言うなら、魂の輝き、とでも言えましょうか」
「魂の輝き?」
「生きとし生けるものは皆、魂に光や色、匂いを纏っています。僕はそれを人よりも感じ取りやすいのですよ」
ベール越しに、目元を指先で示す。
「この通り、星明かりの下で視界を覆っていなければ、日常生活もままならない体質でして」
「ハッ、まるで詐欺師みてぇな能力だな」
棚にもたれたイグナシウスが鼻で笑う。
ピオは、ゆるりとその方へ向き直った。
「ふふ、ピジョンブラッドを宿す御方」
見えないはずの視線が、確かにイグナシウスを射抜く。
「誘うように甘く、危うい月夜の香り。けれど貴方の纏う光は鋭く、獰猛な赤」
声が、囁きへと沈む。
「隠しておられる牙を、いずれ渇きを満たさねばならないことを、本能が告げているのでしょう?」
空気が、わずかに重く沈んだ。
イグナシウスの気配が変わる。
「黙れ」
低く、凍てつくような声。
「その喉引き裂くぞ」
イグナシウスの周囲を舞う星の粒が、ぴたりと静止する。
だがピオは肩を竦めるだけだった。
「おや恐ろしい。僕はただ、瞳に映るものを述べただけなのに…」
「こっちから聞いといてなんだけど、空気悪くね?」
アウレクの苦笑が、張り詰めた糸をわずかに緩める。
「ふふ、勇敢な御方」
逃げるように、しかし狙いを定めるように。
ピオはアウレクの前へにじり寄る。
「貴方の光は、アクアマリンのように澄んだ青」
声が、わずかに柔らぐ。
「初夏の潮の香りがしますね。清く、真っ直ぐで、迷いがない」
視線が腰元へ落ちる。
「その縦笛から紡がれる音も、きっと同じ色をしているのでしょう。いつか拝聴してみたいものです」
言いながら、遠慮なく髪へ、縦笛へと触れる。
「ちょ、やめ――やめろって!俺は男に撫でられる趣味なんかねぇ!」
エズレンが一歩踏み出す。
迷いなく、静かにピオの腕を掴んだ。
「アウレクが嫌がっている。放してくれ」
その声色はとても冷静なもので。
空気がすっと冷えた。
ピオはゆっくりと振り返る。
今度はエズレンの両手を包み込んだ。
手袋越しでも伝わる、冷たい体温。
「……ふふ。貴方はタンザナイトの色をその瞳に持ちながら――」
声が、わずかに低くなる。
「纏う本質は、エメラルドの慈愛」
星がひとつ、強く瞬く。
「若芽のように柔らかい光ではありますが――随分と尊い御方のようだ」
胸の奥が、かすかにざわめく。
理由の分からない、微かな揺れ。
やがて三人は、それぞれ距離を取った。
「な、なんか怖い」
エズレンが率直に言う。
「ああ、ひでぇ目にあった……」
髪を整えながらアウレクがぼやく。
「色々とヤベェ奴だな」
イグナシウスが低く呟く。
ピオはくすりと笑う。
「心外です。僕はただ、皆様を観察していただけですよ」
星の粒が、彼の周囲で戯れるように巡っている。
――ぱん。
入口で見守っていたリウィアンが、空気を変えるように手を叩いた。
「ピオ、そろそろ本題に入ってもいいかな」
リウィアンの柔らかい言葉で、その場の空気も和らぐ。
「お察しの通り、今日はこの子が風晶石を買いに来たんだよ」
背後からそっとエズレンの肩に両手を添える。
「ふむ、いいでしょう!」
ピオがぱちん、と指を鳴らす。
瞬間、棚に並ぶ無数の魔石が淡く瞬いた。
「ここにあるのは、ただ魔力を凝縮した人工魔石ではありません。周囲の環境――音、熱、光といったあらゆる“世界の断片”をその身に刻み、魔素が結晶化した天然の魔石なのです!」
棚の間をゆっくりと歩きながら、途端に早口で語り始めるピオ。
「例えばお求めの風晶石。天然物は高高度の気流域――魔素濃度が安定し、かつ圧差の激しい層で形成されることが多く、内部は層状構造。微細な魔素流路が幾重にも重なり、そこに極小の風脈が生まれます」
指先で一つの石を取り上げる。
星明かりしかない空に向かって透かせば、それは淡い風色を帯びていた。
「この風脈が圧の変化を“記憶”します。そのため人工の“風属性の魔力を閉じ込めた石”とは異なり、天然物は“風の軌跡を覚え辿る石”となるのです」
戯れるように、くるくると指先で回している。
「流通の八割を占める人工物は規格は揃いますが、利便性が天然物とは全く異なります。人工物は刻まれた属性の魔術にのみ反応を示し、数度使えば魔力は空となりいずれ砕けます」
慈しむように棚に石を戻すと、並んだ石を酷く丁寧に撫でている。
口調が更に加速していく。
「しかし!天然魔石は世界の記憶そのもの。使い手次第では御座いますが、どんな魔術も自由自在。それこそ魔法のような事象を叶えることすら――」
「長い」
「うーん、火がついちゃったか」
「ずっと早口で訳分かんねぇ…」
イグナシウス、リウィアン、アウレクの反応をよそに、ピオの説明は止まらない。
その間。
エズレンは静かに棚へと歩み寄っていた。
無数の光の海の中でひとつだけ、微かに揺れた気がした。
エズレンの視線が止まる。
ほとんど透明で、内部に銀の糸のような太い筋が一本だけ走っている。
手を伸ばし、指先が石に触れた瞬間――
微かな風に包まれた。
「おや」
いつの間にか背後に立っていたピオの声が、わずかに低くなる。
「貴方は石の方から選ばれたようですね、“静謐な神鳴”の御方」
エズレンは石に触れた指先を放し、ピオへと向き直る。
「別の大陸に対してでも風魔術“飛信”が使えるような石が欲しいんだ」
「賢明ですね。情報の伝達は正確であるべきです」
ピオはエズレンの手元を覗き込んだまま続ける。
「その個体は上物ですよ。銀の筋は強い風脈の痕跡。貴方の叶えたいことが、実現可能な物です」
「…値段は?」
エズレンは覚悟を決めて問う。
ピオは本日一番の笑顔で、両手を広げて応える。
「金貨八枚になります」
「詐欺だろ」
「適正ですよ。正確かつ迅速な情報伝達は、時に戦争をも動かすのですから」
横から口を挟んだイグナシウスだったが、ピオにさらりと言い含められ舌打ちをしている。
エズレンはそのやり取りを聞きながら、迷わず懐から金貨を取り出した。
「…買います」
「ふふ。思った通り、決断力のある御方ですね」
ピオは石を丁寧に薄布で包み、エズレンへと差し出す。
「選ばれておきながら目移りしたり、値切るような御方でなくて安心しました。価値が分からぬようなら、二度と店に入れぬようにしようかと思いましたよ」
一瞬、空気が静まる。
ピオの口元が、ゆるく弧を描いた。
「麗しい皆様、今後ともご贔屓に。それでは御来店ありがとうございました」
役者のように恭しい一礼。
その姿が視界に残ったまま――
ふっと、光が反転した。
星屑の光も、棚の石も、澄んだ空気も。
すべてが薄くほどけるように遠ざかり、気づけば四人は、最初に立っていた路地裏に戻っていた。
昼の光が、やけに眩しい。
つい先ほどまで星明かりの中にいたせいか、建物の影の中ですら目を細めてしまう。
エズレンは掌を開く。
薄布に包まれた魔石の、確かな重み。
「色々と強烈だったな……」
小さく呟く。
目的の品を手に入れた達成感か。
それとも、奇妙な店主との出会いの余韻か。
自分でも分からないまま、エズレンの口元はほんの少しだけ緩んでいた。
「面白い所だったでしょ?」
リウィアンが微笑みながら、壁をさらりと撫でる。
そこにあったはずの扉絵は、もう跡形もない。
まるで最初から存在しなかったかのようだった。
その様子を見たイグナシウスとアウレクが同時に顔をしかめる。
「「疲れた」」
声までぴったり重なる。
リウィアンは肩をすくめた。
「ひとまず、エズレンの目的は達成したわけだし。大通りに戻って物資補給にいこうか」
四人は路地を抜け、大通りへ歩き出す。
街の喧騒が、すぐに耳へ戻ってきた。
その中で。
エズレンはもう一度だけ、掌の包みを握り直す。
布越しに、石が微かに震えた気がした。
――まるで遠い空を渡る風が、静かに道を示しているかのように。




