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雷の子は、空を識る  作者: かつお武士
第1章 旅立ち
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第39話 名の届かぬ青

甲板に、朝の風が渡っていた。

波を裂く船底の音と、帆が軋む低いきしみ。

規則正しいそれらの中で、ひとりだけ異質な、乾いた音が混じる。


「……」


アウレクは無言のまま、手のひらほどの袋から木の実を取り出し、歯で噛み砕いた。

硬い殻が割れる、短く鈍い音。

それはこの船の朝には、あまりにも質素だった。


「それだけで足りるのか?」


エズレンが、わずかに首を傾げる。

責めるでもなく、純粋な疑問として。


「船上ならこれが普通だぜ?」


アウレクは肩をすくめ、もうひとつ木の実を放り込む。


「保存が利く!嵩張らない!以上!!」


言い切る声は軽い。

空腹を紛らわせるように、彼は続けて木の実を噛み、甲板の向こうへ視線を投げる。


エズレンはその様子をしばし眺めてから、何も言わずに視線を横へ移した。

隣ではリウィアンが、手のひらサイズに折り畳まれた金属製の魔導具を取り出していた。


「まあ、言いたいことは分かるけどね〜」


軽い調子で言いながら、甲板にそれを置く。

指先で留め具を外すと、板状だった金属が、関節の噛み合う音を立てながら箱型へと展開していった。

食材を入れ、蓋を閉じた瞬間、内部でかすかな振動が走る。

目立つ光はない。

ただ、金属の縁をなぞるように、一定の速度で淡い光が巡っている。

内部は三層構造で、それぞれで異なる熱の巡り方が制御されていた。

一層目ではスープ、二層目にパン、三層目では分厚いベーコン。

三人の今朝の献立であり、食材を提供したのはエズレンだ。


「リウィアンが持ってるこの魔導具、本当に便利だよな」


稼働を見守りながら、エズレンが感心したように言う。


「多層加熱構造で、食材ごとに熱伝導率を調整する高度な火魔術制御。これを外部魔素を吸引することで成立させ、更に折り畳んで持ち運べるなんて、本当に意味が分からない……」


熱を帯びた言葉が、一息に溢れ出る。


「こいつ、色々便利だよな」


横から、イグナシウスが雑に頷いた。


「…イグ? 今のは、この魔導具のこと言っているんだよね?」


リウィアンは苦笑しつつも、視線は装置から離さない。


「何にせよ、冷たい朝食ってテンション下がるよね。あ、できた」


蓋を開けた瞬間、湯気が立ち上り、芳ばしい香りが甲板に広がった。

潮の匂いに混じる、温かな匂い。


「……アンタら、やりたい放題かよ」


エズレンの専門的な解説にすっかり圧されていたアウレクが、呆れたように呟く。


「…で? お前の昨日のあれ、結局なんなんだよ。魔法か?魔術か?」


イグナシウスは退屈そうに、欄干へだらりと背中を預けたまま言った。


「ゴホッ、ケホッ……!そんな世間話のノリで突っ込むか、普通!?」


不意を突かれたアウレクは、齧っていた木の実を喉に詰まらせ、激しく咳き込む。


「今のはイグが意地悪だったね」


リウィアンが、肘で軽くイグナシウスを小突いた。


「あ? お前らだって気になってんだろうが」


イグナシウスはそう言って、リウィアンとエズレンを順に指す。

実際、エズレンも迷っていた。


(確かに魔術陣を使用せず、祈りのような詞と旋律であれは…)


エズレンの思考が、本格的な展開に至る直前。

背後から、掠れた声が割り込んだ。


「フヒッ!おい、そこの鱗の坊や。――儂と取引をせんかね?」


甲板の中央に腰を下ろしていたアウレクの正面へ、脂ぎった顔の中年男が踏み込むように立った。


金糸を過剰なほど縫い込んだ豪奢な外套。

太い指には不釣り合いな宝石が嵌められ、動くたびに、品のない光をばら撒く。

隣には、無理やり引き連れてきたのだろう護衛が二人。

居心地の悪そうな視線を交わしながら、控えるように立っている。


商人のぎらついた目は、アウレクの首元から覗く鱗に吸い寄せられたまま離れない。

値踏みするような、獲物を見る目。


「聞いたぞ? お前、アクシェラという珍種なんだってなぁ? その鱗は、“精霊の鱗”なんだろう? 一枚持つだけで、フヒヒッ、海の精霊を意のままに操れるそうじゃないか!」


唾を飛ばし、声を弾ませる。


「いやぁ、儂は運がいい!まさかこんな逸品に出会えるとはなぁ!どうだ、今すぐ取引してやる。悪いようにはせんぞ? 鱗一枚につき、銀貨七……いや、十枚だそう!すぐにでも剥――」

「失せろ」


低く、冷え切った声だった。

怒気はない。

ただ、最初から価値のないものとして切り捨てる調子。

その無関心が、商人の虚栄心を鋭くえぐった。


「な、なっ…! なんだその態度は!?儂を誰だと思っておる!!」


顔を真っ赤にし、怒鳴り散らす商人。

アウレクはわずかに目を細め、深く息を吐いた。

言葉にせずとも伝わる、静かな諦観。

それが、かえって火に油を注ぐ。


「こ、こ、この無礼者がッ!!おい、護衛共! こやつを捕らえろ!!」


呼ばれて、二人の男が前へ出た。

一人は長身痩躯、もう一人は恰幅の良い大柄な男。


「……本気でやる気か?」


アウレクは低く問いかける。

喧嘩を売る声音ではなく、相手の意思を確かめるだけに。


「悪ィが、雇い主の命令だ」

「金のためだ。大人しくしてくれや」


返された二つの短く、割り切った答え。

そのやり取りを見て、エズレンは自然に距離を詰めていた。

何かあれば、即座に踏み込める位置へ。


(…僕のせいで、アウレクが狙われている)


覚悟を決め、アウレクの隣に立つ。


「黙って見ているわけには、いかない」


少し離れた場所で、イグナシウスとリウィアンが視線を交わす。


「(危なくなったら加勢、いいな?)」

「(うん。でも、多分……)」


二人は、あえて動かなかった。


「ガキ相手じゃ、気分が乗らねぇな!」


大柄な護衛が、苛立ちをそのまま拳に乗せて振り下ろした。

装着されたグローブの文様が脈打ち、空気が鳴る。

低い破裂音。

避けたはずの一撃が、遅れてアウレクの腕を叩いた。

甲板が沈み、骨に直接衝撃が届く。


「……っ!」


(飛ばしてる…?)


エズレンは息を呑む。

拳そのものではない。空気圧だ。


「チョロい仕事だ!」


追撃。

文様が安定し、圧が一点に収束する——その瞬間。

エズレンが、反射的に割り込んだ。


ほんの刹那、グローブとの接触。

ただ、それだけで——甲高い音が鳴り響いた。

文様が内側から弾け、力が霧散する。


「……なんだ?」


拳を振り抜いたまま、大柄な男が目を見開く。


「チッ……!こんな時に誤作動かよ!」


距離を取り、グローブを投げ捨てる。


「おい!そのガキを先に潰せ!」


今度は、長身の護衛が動いた。

剣の縁に走る淡い光。

空気が裂け、見えない斬撃がアウレクの横を掠める。

一拍遅れて、背後の木箱が割れた。


「……厄介だな」


アウレクが低く呟く。

距離を測る、その一瞬——


「動くなァ!」


投げ放たれた拘束具が、甲板に触れ、エズレンを囲うように術式が展開する。


(これは…認識妨害の術式か!)


——エズレンの足が、止まった。


(間に合わない…!)


思考では答えに辿り着くも、体が反応する前に体外魔素の操作を封じられる。


「楽勝だな」


大柄な男の、勝ちを確信した声。

しかし、その場に続いたのは――

拘束の輪が軋み、ひび割れ、砕け散る音。


「「……は??」」


二人の護衛が、同時に言葉を失う。

——その隙を、アウレクが見逃すはずがなかった。


「やっぱりエズレンは規格外だ!」

「しまった!」


長身の男が振り返った、その瞬間。

数メートル先――欄干の上に、いつの間にかアウレクが立っていた。


片手には、古びた縦笛。

もう一方の手には、淡く光を宿す二枚の鱗。

アウレクは、深く息を吸い――吐いた。


魔力を練ることはしない。

術陣も、詠唱もない。

ただ、鱗を握り込み、海へ返すように、砕いた。


指の隙間から零れ落ちる欠片が、雲間の光を受け、菫青石にも似た色を瞬かせながら、潮風へと溶けていく。


次いで、縦笛に唇を触れさせる。

奏でられたのは、一節。

旋律というには短く、合図と呼ぶには、あまりにも静かな音。


——だが、海は、応えた。

潮の香りが、濃くなる。

風向きが、わずかに変わる。


「二枚分だ。……手加減しろよ」


そう呟くように告げ、名だけを呼ぶ。


「――下級水霊(アクアリス)


《……ウフフ♪》


応えは、声と呼ぶには曖昧で、水泡が弾けるような、笑いとも囁きともつかぬ響き。


その瞬間、船全体が——軋んだ。

甲板が微かに震え、帆綱が鳴る。


それは“現れた”のではない。

もとから在ったものが、形を選んだだけだった。


アウレクの傍らで波が持ち上がり、一本の柱となって立ち上がる。

飛沫の中から、人の拳ほどの大きさの水の核が姿を現す。

輪郭は定まらず、光を屈折させながら、彼の肩口で、ふわりと漂っていた。


《ナニ、スルノ?》


水の底から響くような声。


「まず、あいつの剣を無力化。それから――あの三人を拘束する」


指し示された先で、護衛と商人が息を呑む。


《……ワカッタ♪》


水の核が、静かに脈打った。

呆然としていた護衛たちは、敵意が向けられたことで我に返る。

長身の男が歯噛みし、再び剣を構えた。


「舐めんじゃねぇ! テメェ自身は丸腰のままだろうが!」

「アンタも変わんねぇよ。それで戦う気か?」


アウレクが示したのは、男の握る剣。

薄く纏っていた魔素が、霧のように剥がれ落ち――刃が、急速に錆びていった。


「は……? な、なんだ……」

「おい前!!前見ろ!!!」


エズレンと対峙していた大柄な男の叫びも、間に合わない。

鞭のようにしなる水の蔦が、長身の男の全身を絡め取り、甲板へと縫い止めた。


「クソォォッ!!」


武器を失い、仲間を拘束された大柄な男が、

やけになってアウレクへ突進する。

――結果は、同じだった。

数歩も進まぬうちに、水の蔦が彼を捕らえ、引き倒す。


「ヒィッ……!」


振り向けば、箱の陰に隠れていた商人も、すでに蔦に絡め取られ、甲板に転がされている。

三人は必死にもがいた。

だが、力を込めるほど、蔦は応えるように締め付けを強める。

やがて、誰からともなく項垂れた。


「よーし!アクアリス、助かったぜ!」

《アト、コレモ》


その声が、唐突に――冷たく変わる。

同時に、水の蔦が、エズレンへと伸びた。


「は――」


アウレクが反応する間もなく、足元から絡め取られる。

事態が収束したと油断していたエズレンは、抵抗する間もなく宙吊りになっていた。


「え、僕?」


戸惑ったまま、アウレクを見る。


「ちょ、待て待て! タイム!そいつは仲間だ!」

《コレ、キケン》

「だとしてもだ! エズレンは俺の仲間だから!早く降ろしてくれ!」

《……ワカッタ》


水の核が、かすかに震えた。

すると、エズレンに絡んでいた蔦だけが、ぱしゃりと音を立てて崩れ落ちる。

想定していたよりも乱暴な解放で、エズレンは甲板に落下する。


「いてて……」

「大丈夫か!?どっか怪我とかしてねぇ!?」


アウレクは慌てて駆け寄り、身体を支える。


「大丈夫だ。…でも、どうして僕まで?」

「海の精霊だからでしょ。エズレンの気質に反発したんじゃない?」


気づけば、リウィアンがすぐ傍に立っていた。


「流石にこの距離じゃ静蒼石も意味なしか。厄介だな」


木箱に腰を下ろしたイグナシウスが、アウレクを見下ろしながら静かに呟く。


アウレクは一瞬だけ眉をひそめ――すぐに、エズレンの方に向き直る。

何かに耐えるような、真剣な表情で。


「……エズレン、悪かった。怖ぇ思いしたよな」


彼は肩口を漂う水の核を、指で弾く。

弾かれた核は、静かにきゅ、と縮こまる。


《……》


肩を支えるアウレクの腕が、わずかに強張る。


「怒ってるか?」


エズレンは一瞬戸惑い、すぐに首を振った。


「いや、少し驚いただけだ。わざとじゃないんだろ? 僕は気にしてないから」

「……よし、ならこの件はこれで終いだな!」


ぽん、と軽く手を叩く。

そのままアウレクは体の向きを変え、今度はイグナシウスとリウィアンを見る。

さっきまでの緊張など、波に流したかのように。


「さて、それで俺は合格か?」

「精霊を使役出来るのはいいけどねぇ…イグ?」

「海上限定なら微妙」

「異議あり!上級は海上限定だが、水辺ならどこでも下級を呼べる!」

「…及第点」

「っしゃあ!!」

「……何の話?」


突然目の前で行われた三人の会話に、置いていかれたエズレンが思わず口を挟む。


「俺が足手まといにならないかどうか、ずっと観察してただろ? そこのおふたりさん」


少し不満げに、アウレクは言う。


「ごめんね。悪気はないんだ」


リウィアンが、困ったように笑う。


「物資や力目当てで僕たちに近づく人、たまにいるからさ」


それを聞いて、エズレンの表情が曇る。


(今まで分けてもらってたもの……返した方がいいんだろうか)


黙り込んだエズレンの肩を、イグナシウスが軽く小突く。


「お前は気にすんな。俺らがついてってるだけだろ」


エズレンは安堵の表情を浮かべ、息をついた。



「……あ、あのー……」


背後から、か細い声。

拘束されたままの商人と護衛たちだった。

すっかり意気消沈した様子である。


「あ」


欄干に凭れたまま、イグナシウスが間の抜けた声を出す。


「あれ、どうする? 海にでも捨てとく?」


軽い調子で、リウィアンが続けた。


「やめろよ。女神様も、こんなの捧げられて困るだろ」


即座に、アウレクが突っ込む。


「次の港まで、まだ半日くらいあるみたいだけど…」


リウィアンが視線を海へ向け、航程を思い返すように言う。


「もう抵抗できねぇだろ。到着まで放置でいい」


イグナシウスが、面倒くさそうに結論を出した。


「「「賛成」」」


結局、甲板での騒ぎは他の乗船客の目にも留まっており、船員への説明も含め、後始末はあっさりと済んだ。


甲板の片隅で、アウレクは連行されていく商人たちから視線を外し、潮風に髪を揺らしていた。


「ああいうの、別に珍しくねぇからさ」


投げやりでも、虚勢でもない。

ただ事実を述べるだけの、軽い声。


「自分の利益のために、平気で他を傷つける奴ってのは、どこにでもいるもんだ」


それ以上、何かを語ることもなく、彼は肩をすくめる。

だがエズレンは、そこでようやく理解してしまった。

その言葉が、経験から出たものだということを。

そして――

それを当たり前として受け止められるほど、彼がそれに慣れているということを。


海は何事もなかったかのように穏やかで、

その静けさだけが、胸の奥に小さな棘を残した。

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