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雷の子は、空を識る  作者: かつお武士
第1章 旅立ち
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第35話 航路の在り方

「おっし!それじゃ、そろそろ宿を取りに行くか!」

快活な声を上げたのは、案内役を買って出たアウレクだった。


港町の大通りは、潮風にさらされて色あせた木造家屋が立ち並び、窓枠や看板に塩がこびりついている。

石畳の路地には魚市場が広がり、獲れたばかりの魚介が銀の鱗を光らせて山と積まれていた。どこからともなく潮と煙草の混じった匂いが漂い、道端の露店では貝殻や磨かれた小石を編み込んだ首飾りが陽光を弾いている。


歩くそばから、アウレクは町の人々に気さくに声を掛けられていた。

船大工らしき男に肩を叩かれ、子どもたちにからかわれ、笑いながら軽口を返す。

その様子に、エズレンはずっと胸に引っかかっていた疑問を口にする。

「……アウレクは、この町の出身じゃないんだよな?」


問いかけに、アウレクは目を丸くし、それから破顔した。

「お? よく分かったな!」


横で腕を組んでいたイグナシウスが、半眼のまま口を挟む。

「つーか、その格好はどう見てもよそ者だろ」

目深にかぶった外套のフードを指し示し、吐き捨てるように言う。


「ははっ、隠してるつもりだったんだけどなぁ。今は故郷を離れて、各地を転々としてるんだ!」

肩をすくめたアウレクの瞳には、妙な自信が宿っていた。


リウィアンが一歩近づき、柔らかな声音で問いかける。

「どうして故郷を出ることにしたの?」


待ってましたと言わんばかりに、アウレクは胸を張った。

「よくぞ聞いてくれました!! 俺には、叶えたい夢があるのさ!」


「「叶えたい夢?」」

エズレンとリウィアンの声が重なる。


「そう!」

アウレクは白い歯を見せ、拳を握りしめる。

「俺は五大海を巡り、伝説の航海士になりたいのさ!」


「伝説…??」

リウィアンが目を丸くする。


(五大海……)

エズレンの脳裏に、ゼスの書斎で見た世界地図がよぎる。


――北に広がる聖域『光暁海(こうぎょうかい)』。東の濃霧に包まれた『雲晶海(うんしょうかい)』。西の風穏やかな『翠風海(すいふうかい)』。南の灼熱に荒ぶる『血砂海(けっさかい)』。そして、外縁を取り巻く深淵の『虚影海(きょえいかい)』――。


(世界の大陸を抱く、五つの海……)

記憶をたぐるエズレンの隣で、アウレクが真剣に語る。

「ああ。この世にあるすべての海は、女神リヴァスティア様の感情の欠片から生まれたんだ。海は女神様と繋がる場所。存在を軽んじ、敬わぬ者は皆沈む。だから俺は、五大海すべてを巡り、女神様に認められた航海士になるのさ!」


そう言い切ると、彼は遠くの水平線に目を細めた。彼の瞳は真っ直ぐに海を映している。


その熱のこもった眼差しに、エズレンたちは言葉を失った。

彼はただ、夢を語るだけではない――海に生きること、それ自体にどこか切実な思いを込めているように思えた。





日が傾き始めた頃、三人はアウレクが滞在しているという宿へと足を運んだ。

石造の二階建ては古びてはいるが堅牢で、潮風にさらされた外壁には幾重もの修繕跡が刻まれている。運よく大部屋が空いており、今夜一晩だけならと宿泊を許された。


帳簿に名を記している間にも、背後を船乗りや商人たちが慌ただしく通り過ぎていく。

濡れた縄を抱えた者、笑い声をあげる者、階段を軋ませて部屋に引き上げる者。

港町の暮らしの匂いが、宿全体に染みついていた。


やがて夕餉の時間。

木の食卓には魚介たっぷりの煮込み料理が並び、蒸気がほのかに塩の香りを運んでいた。

厨房から料理を運び終えた宿の女主人が、興味深げに三人を眺める。

「へぇ!ここらじゃ珍しい雰囲気だと思っちゃいたが、あんたら主都から来たのかい!」


「ここに来る前はね。僕ら三人とも出身地は違うけど」

リウィアンがいつもの柔らかな笑みを浮かべて答える。


すると女主人は「あらやだ、良い男だねぇ!」と言いながら顔を赤らめ、厨房へ引っ込んでいった。

その様子を受付から見ていた宿の主人が、リウィアンを警戒するように鋭く睨む。


エズレンはリウィアンの肩越しにその様子が見えていたため、話を逸らすようにパンをちぎりつつ、隣に座るアウレクに視線をやる。

「そういえば、アウレクの故郷はどこなんだ?」


アウレクはわざとらしく肩をすくめ答える。

「名も知られちゃいない、小さな島さ」


「なんだそりゃ、答えになってねーよ」

イグナシウスが鼻を鳴らし、頬杖をつく。

軽快にはぐらかされるばかりで、アウレクの素性は一向に掴めない。エズレンはその飄々とした態度の奥に、なぜか影のような気配を感じ取っていた。


外の空が暗く曇り始めたのは、その時だった。つい先ほどまで群青の空を渡っていた星明りが、重い雲に呑み込まれる。

やがて屋根を叩く雨粒が音を増し、突風が窓を鳴らす。


イグナシウスとリウィアンは互いに目を合わせ、低く呟いた。

「「まさか……」」


その直後、宿の扉が乱暴に開かれ、ずぶ濡れの男が駆け込んできた。


「お、おい……沖に!大渦と……竜巻が出てる!!!」


ざわめきが一気に広がる。

椅子を引く音、祈りを唱える声、誰かの怯えた叫び声。人々の顔に恐怖が走り抜ける。

「…ま、まさか、アクシェラの祟りじゃ……」

呻くような一言に、三人の耳が鋭く反応した。


「おい、今のどういう意味だ」

イグナシウスが声を発した男に歩み寄る。


「ひっ……!お、大昔にこの辺りに住んでた一族のことだ。海の精霊と交わり、海を操る力を持ったっていう……」

怯えながら男が答えると、リウィアンがすかさず問いを重ねる。


「その一族がどうして、“祟り”なんて話題に上がるの?」


男が口ごもった瞬間、その隙間を埋めるように別の声が響いた。


「それは、人間達がアクシェラの力を欲し、乱獲と迫害を繰り返していたからだ」


声の主はアウレクだった。

普段の快活さは影もなく、外套の隙間から覗く表情は深海のように冷たく感じる。


「でも……これは祟りなんかじゃ、ない」

低く呟いた声は、誰に向けたものでもなかった。だが確かに、エズレンたちの耳には届いていた。


次の瞬間、彼は弾けたように立ち上がり、雨の帳を切り裂くように港へ駆け出していった。


「ハァ?!この状況でどこ行くつもりだ!」

イグナシウスがすかさず後を追う。


「僕たちも行こう、エズレン!」

リウィアンが外套を羽織りながら促す。エズレンもすぐさま後を追った。




追いついたエズレンたちが目にしたのは、混乱する群衆のなかで懸命に声を張るアウレクの姿だった。


だが彼の言葉は恐慌に駆られた叫びに掻き消され、港は制御のきかない奔流のようになっていく。

漁具を投げ出して走り出す者、互いに押し合って罵声を浴びせる者。祈りを口にする老人の肩を揺さぶりながら泣き叫ぶ若者。


目に見えぬ恐怖が町全体を覆い尽くそうとした、その時――。


「落ち着けェーーーーッ!!」


鋭い声が雨音を切り裂き、港のざわめきが一瞬で凍りつく。

外套を翻し、人々の前に立ったアウレクの瞳には、陽気さの影は微塵もなく、ただ強い信念だけが宿っていた。


「海を畏れるのは当然だ!だが恐怖に呑まれて、考えるのをやめるな!今お前たちがやるべきことは、ここで立ち尽くすことじゃない!」


彼はさらに船乗りたちへと声を張る。


「網を引き上げろ、船は岸に縛り付けるんだ! 動けるやつは子どもと年寄りを森側の建物に避難させろ!――いいか、今すぐだ!!」


その声は怒号ではなく、確信に満ちた叫びだった。

港にいた人々は顔を見合わせ、やがて一人、また一人と動き始める。

混乱に呑まれていた群衆に、わずかずつ秩序が戻っていった。


「海は気まぐれで、時に牙を剥く。けどな、本気で向き合う者を見捨てたりしねぇ。俺たちの祈りも、汗も、全部潮に溶けて還っていくんだ」


低く落ちるその言葉に、人々のざわめきが次第に鎮まっていく。

残されたのは、荒れ狂う潮騒だけ。


エズレンは、不思議な錯覚に囚われていた。

――まるで海そのものが、アウレクを通して語りかけているような。


(“流れに逆らわず、それでいて決して流されぬ者”か……)


彼の背中を見つめていると、かつての神官の言葉が浮ぶ。


海が与える試練から目を逸らさず向き合う。

それを体現した生き方はきっと、こうした在り方なのだろう。


言葉にならない敬意が、エズレンの胸に深く刻まれていった。

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