表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷の子は、空を識る  作者: かつお武士
第1章 旅立ち
35/42

第33話 風歌に呼応して

森の獣道を抜けると、ひらけた小さな泉に行き当たった。

澄んだ水面は風にさざめき、木漏れ日が散りばめられたようにきらめいている。鳥の声も遠く、ここだけが静寂に守られているようだった。


「ここで一息入れようか」

リウィアンが言い、三人は泉の縁に腰を下ろす。

イグナシウスは長い足を投げ出して水面を覗き込み、リウィアンは枝葉のざわめきを聞きながら穏やかな顔をしていた。

エズレンは言葉を持たず、ただその光景を静かに見つめている。


ふと、泉のほとりに目をとめた。

一輪だけ咲く、萌葱色の花。それは木々の合間から降り注ぐ陽光を受け、花弁が発光しているように見えた。


なぜだか心を惹かれ、エズレンは自然に手を伸ばす。


――触れた瞬間、空気が震えた。

泉の水面から逆巻くように光が立ちのぼり、現実の色彩を塗り替えていく。


森は確かに森のまま、泉も変わらずそこにある――はずなのに、すべてが一枚の薄膜を隔てたかのようにずれて見えた。

木々の輪郭は揺らぎ、葉の緑は常よりも深く、濃く、鮮やかに発光しているかのよう。

水面のきらめきは宝石の欠片のように細かく砕け、宙に舞って散っていく。

光と影の境界は曖昧に溶け、目を凝らせば凝らすほど、どこが現でどこが幻か分からなくなる。


「な、なんだ……これ……」

エズレンの声はかすかに震えていた。

「……揺れてる、か? いや、違うな」

イグナシウスは水面を見つめながら、隣のリウィアンに目をやる。

その視線を受けて、リウィアンは静かに頷いた。

「ああ――彼らに招かれたみたいだね」


世界が息を潜めた、その静寂の中で――

ざわ、ざわ、と葉擦れの音がした。

風が梢を揺らしたのかと思った瞬間、そのざわめきは意味を帯び、囁きのように耳の奥へ流れ込んでくる。


《…か、り……》

《…、ね……》


声だった。確かに、言葉だった。


次の瞬間、舞い散る光の粒が形を結ぶ。

泉のほとりに、小さな影がいくつもいくつも生まれていった。


《ひかりのたね!》

《また、きた!また!》

《あったかい!やさしいにおい!》


舌足らずに言葉を繰り返す声もあれば、鮮やかに跳ねる声もある。

淡緑の光に包まれた癒霊たちは、風に舞う花びらのように揺れ、笑い、群れをなしてエズレンのもとへと寄り集まっていった。


小さな手足を伸ばし、顔や手にまとわりついては、くすぐるように笑った。


――しかし、その輪の外にいたイグナシウスへ目を向けた瞬間。


《きらーい!》

《よるのにおい、やだ!》


囁きが重なり、小さな光たちは揃って顔をしかめる。ひとつ、またひとつとイグナシウスから遠ざかっていく。


「…はっ、言われなくても分かってんだよ」

拒絶されたことをまるで気にしていない様子のイグナシウス。


その横で、ふわりと漂うひときわ明るい光がリウィアンへと視線を向けた。

花弁のような髪を揺らし、丸い瞳を瞬かせ、首を小さくかしげる。


《んー……にんげん?? へんなのー》


ただの好奇心をそのまま口にしたような、悪意の欠片もない言葉。

しかしリウィアンはただ穏やかに答える。


「君たちの大好きな人間と共に旅をしているんだ。ここには迷い込んだだけだよ」


精霊は《ふーん》と小さく頷き、リウィアンの周囲を一巡してから、再びエズレンの方へ舞い戻っていった。


《ひかりのたね、きづいてくれた!うれしい!》


笑顔を浮かべ、両手を広げるように飛びつくその姿は、間違いなくかつて夢の中で出会った下級癒霊(エファリア)だった。


「やあ、また会えたな」

エズレンは静かに声をかけた。


「……僕は、ずっと君たちにお礼を言いたかったんだ。あの時、君たちがいなければ……僕は今、ここにいない。僕を癒してくれて、本当にありがとう」


ひと呼吸の間、泉のほとりに静寂が満ちた。

次いで、精霊たちが一斉に歓声をあげる。

《すごい!》《よかった!》《ありがとうって!》

小さな光の群れがぱっと弾けるように舞い、エズレンの周囲を楽しげに飛び回る。


エファリアはふわっと宙を舞い、恥ずかしそうに笑った。まるで頬を染めたように、髪が薄桃色に変化している。


《えへへ……またあいにきてね!つぎはね、しるゔぇりあ、よんでくるね!》


そう言い残し、群れは淡い霧のようにほどけて消えた。

気がつくと、泉のほとりは最初の静けさを取り戻している。


「……やっっべぇもん見たな〜」

ぽかんと口を開けていたイグナシウスが呟く。


「最後の聞いた? 次は中級癒霊(シルヴェリア)だって。…夢かな?」

リウィアンは驚きを通り越し、もはや呆れた様子で笑っている。


「…いってぇ! オイ何で今俺をつねる必要があった」

「確認しただけだよ。やっぱり僕たち、貴重な体験をしたみたいだ」

「だったら尚更、自分ので確かめろよ」


言い合いをする二人の様子を見て――


エズレンは、無意識に小さな声をもらした。

「……ふはっ」

自分でも驚いたように、わずかな笑みがこぼれる。


二人がぎょっと振り返る。

「……お前、今笑った?」

「こっちも珍しいものを見たね」

エズレン自身も、少し驚いたように口元を押さえていた。


泉のさざめきに溶けるその笑みは儚く、しかし確かに、今までよりも柔らかかった。

その余韻が三人の間に静かに広がっていく。


――と。


「……!お探ししましたよ、皆様。まさか、こんな所で休んでおられるとは思いませんでした…」

木立の影から現れた御者は、肩で息をつきながら額の汗をぬぐった。


「泉の辺りに行かれたと思ったら、忽然と姿が見えなくなって……三十分は駆け回ったのです。御客人を見失うなど、領主様に顔向けできませんから…」

言葉には努めて落ち着きを装う響きがあったが、その声音には明らかな安堵と焦りが滲んでいた。


――現実が追いついてきた。

三人の胸に、冷たい感覚が一筋走る。


互いに視線を交わす。

幻のような出来事と、現実の境目。

その曖昧さを胸に抱いたまま、三人の旅路は続いていく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ