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雷の子は、空を識る  作者: かつお武士
第1章 旅立ち
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第31話 白亜の祈り

――翌朝。


カールドレア教会の白亜の門をくぐると、見覚えのある神官が出迎えた。春の光を受けた聖堂の尖塔が背後で眩しくきらめき、鐘楼に宿る小鳥たちが高らかにさえずっている。


「お久しぶりですね、皆様。お元気そうで何よりです。……そろそろご出発でございますか? 宿の手続きについては私共が済ませておきますので、どうぞご安心を」

「ありがとう。助かるよ」


リウィアンが柔らかな笑みで礼を言うと、神官は少し言葉をためらった。


「……実は、大司教様より皆様がお見えの際は必ずお通しするように、と仰せつかっております。差し支えなければ、すぐにでも面会のご用意をさせていただきますが──」


三人は互いの目を見交わす。ほんの一瞬の沈黙。

イグナシウスが「断る選択肢はなさそうだな」と肩をすくめ、リウィアンは穏やかに頷いた。

そして代表して、エズレンが応える。


「ぜひ、お願いします」


言葉にした途端、胸の奥に小さな緊張が走る。これから何を告げられるのか──その思いを抱きながら、彼らは神官の後に続いた。



---


静謐な回廊を抜ける。

高窓から差し込む光は白い石床に反射し、揺らぐような輝きを放っていた。歩みを進めるごとに、足音が吸い込まれていくようで、時の流れさえ遠ざかる。


白大理石の扉を開けると、その奥に大司教は座していた。

「来たか」

低く響く声に、穏やかさと威厳が同居している。


エズレンは一歩進み出て、深く頭を垂れた。

「突然の訪問、失礼します。まもなくアルヴェーアへと発ちますので、ご挨拶に伺いました」


大司教はしばし目を伏せ、静かに告げた。

「……しばらく待っていなさい」


静まり返った空間に、わずかな緊張が満ちる。

リウィアンはエズレンの横顔をそっと見やり、イグナシウスは腕を組んで落ち着かぬ様子で視線を泳がせる。

扉の外からは鐘楼の音も街のざわめきも届かず、ただ心臓の鼓動だけがやけに大きく響いていた。



---


やがて再び姿を見せたとき、その手には一冊の本が抱えられていた。革表紙には絡まる蔦で閉ざされた扉の絵。『エラリスの年代記』だった。


「それは……!」

エズレンの胸がどくりと跳ねた。


大司教はゆるやかに歩み寄り、本を差し出す。

「君にしか読めないのならば、禁書として封じる理由はない。我らが保管するよりも、君の手にあるべきだ。旅の餞別として、持っていきなさい」


その言葉に、リウィアンもイグナシウスも小さく息を呑んだ。

エズレンは一瞬、息を止める。伸ばしかけた指先が、震えて止まる。

けれど次の瞬間、母を想う温もりが背を押した。彼は意を決し、その本を受け取る。


「……ありがとう、ございます」


指に伝わる革の質感が、まるで母の手のぬくもりのようで、胸の奥が熱を帯びた。


(僕に、母との記憶は無いけれど……)


旅の始まりから自身を支え、導いてきた存在へ思いを馳せながら、そのぬくもりを探すようにそっと本を抱きしめた。


大司教はその光景を静かに受け止め、やがて声を改めた。

「……エズレン。中央神殿で円環の儀式を受けるには、推薦状が有効な手段であることを知っておるか」


小さく首を振るエズレン。


「実のところ、最初に会った時、私はその話を君にしなかった。……君が“エラリスの息子だから”という理由だけで進む道を決めてしまうことを、私は望まなかった。

大賢者ゼスもまた同じだろう。もし彼が道を定めることを望んでいたなら、とうにその手を取らせていたはずだ。だから私は、君自身の選択を見届けたかった」


大司教は懐から一通の文書を取り出した。厚手の羊皮紙に金の封蝋が押され、荘厳な紋章が光る。


「これは推薦状だ。今はまだ旅の始まりに過ぎぬ。君が何者か──その答えを見つけるまでは、決める必要はない。だがこれは、選ぶ自由を持つことの証だ。君の好きにしなさい」


エズレンは深く息を吸い込み、震える心を抑えながら、両手でそれを受け取った。

(僕が何者か、か……)


懐に収めた瞬間、胸の内で何かが音を立てて動き出す。


「……必ず答えを見つけます。母がきっとそうであったように、僕自身の道を」


リウィアンは誇らしげに彼を見つめ、イグナシウスは「もう迷うな」とでも言うように拳を握った。


大司教は三人の決意を見届け、静かに立ち上がる。

そして白き聖堂に厳かに響く声で、祈りを告げた。


「――旅立つ者よ。母なる神の御名において、汝らの未来に祝福を。」


三人は自然に頭を垂れる。背筋に光が差し込むような感覚が胸を打った。



---


教会を出ると、春の陽光が眩しく視界を満たした。鐘楼の影は伸び、遠くに見える街路はきらめきに溶けていく。

名残惜しさを抱きながらも、三人ははっきりと前を向いた。


その胸にもう、ひとつの言葉が脈打っていた。


――旅立ち。


そして、世界は確かに動き出していた。

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