表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雷の子は、空を識る  作者: かつお武士
第1章 旅立ち
26/42

第24話 浄雷

戦場は、まさに混沌の渦だった。


空には鉛色の雲が渦巻き、時折閃く雷光が地を裂く。地面は既に踏み荒らされ、泥と血と瘴気が入り混じったぬかるみと化している。


足を取られた騎士の一人が呻き声と共に倒れ、その隙を突くように牙を剥いた魔獣が襲いかかる――が、間一髪、別の騎士が槍を突き出し、その顎を貫いた。


しかし、倒しても終わらない。


絶命したはずの魔獣が、ずるりと音を立てて蠢き、再び立ち上がる。死の痛みなどものともせず、燃えるような赤い眼で騎士たちに再び牙を向ける。


討伐経験のある猛者たちでさえ、その異常なまでの再生力と不死性に徐々に疲弊し、焦燥の色を滲ませている。


しかしその中で、雷霊たちの戦いぶりは異彩を放っていた。


テンペスタが空を裂いて咆哮すると、その音が魔獣たちの鼓膜を貫き、脳を揺らす。一瞬にして動きが止まった魔獣の群れに、フルミナとフルミオが連携し、雷槌を振り下ろす。


雷光が地を這い、裂けた大地ごと敵を貫いた。轟音とともに魔獣たちは吹き飛び、黒煙を上げて地に伏す。再び立ち上がるかと思われたが、まるで操り糸が途切れたかのように、その身体は微動だにしなかった。


皆が警戒を滲ませながら注視していると、魔獣の頭部から何かがゆっくりと立ち上る。それは単なる黒煙ではない。禍々しい靄――まるで負の感情が物質化したかのような瘴気であり、視る者の精神を蝕むかのような不快感を伴っている。


その靄は、ゆらゆらと揺れながら一カ所に集まり始める。何かを構築するかのように、空気が歪む。雷霊たちが警戒の咆哮を上げ、フルミナの槌が防御の構えを取る。


――だが、それは間に合わなかった。


靄の塊が、まるで産声を上げるように呻き声を発し、瘴気を震わせて“それ”が現れた。


それかつて精霊だった者の、見る影もない成れの果て。全身を纏う瘴気は肉体の輪郭すら曖昧にし、触れるだけで命を腐らせるような、死の気配を放っている。無数の眼のようなものが身体のあちこちで蠢き、口らしき裂け目からは低い呻きと、耳鳴りにも似た音が漏れ出す。


それは、ただ“そこに在る”だけで、世界の理に亀裂を走らせるような異物だった。


黒煙を纏い、歪んだ形で地を穿つように佇むその影。精霊とは本来、自然の調和と祝福を象徴する存在のはずだ。だが、今エズレンの目の前に立つそれは——まるで崩壊そのものの化身。


「……これが、堕ちた精霊……」


口をついて出た声は、かすれ、震えていた。喉が焼けるように乾いている。

足元がふらつき、膝がわずかに震えた。息をするのも苦しい。


あの存在に、正面から抗えるのか。自分の力で、本当に——。


(無理だ…僕だけじゃ、敵うわけがない…)


脳裏に過ったのは、圧倒的な無力感。

身体の芯を冷たいものが這い、せっかく練り上げた魔力が、霧のように指の隙間から零れ落ちていく。


闇が、思考を蝕んでいく。

不安、恐怖、そして諦めの声が、内側から囁きかける。


その時。


「——呑まれるな、エズレン!!!」


鋭く、しかしどこまでもまっすぐな声が、背後から突き刺さった。


刹那、風を裂く音。


エズレンの死角から迫っていた魔の矢が、剣閃によって叩き落とされた。


「……っ!」


声の主が誰か、確認するよりも早く、身体が反応して振り返る。


そこに立っていたのは、剣を携えた一人の男——髪を乱しながら、鋭い眼光で戦場を睨みつける領主だった。


「恐れも迷いもあって当然だ。それでも、君の中には確かに“進もう”とする声があるはずだ!」


彼の声は、怒号でも説教でもない。ただまっすぐ、エズレンの胸を撃ち抜く“信頼”の声だった。


(……そうだ…)


ほんの一瞬、目を奪われた。

風を巻く銀刃、返り血に染まった外套。傷を負いながらも、背中で道を切り拓くその姿は、まるで武神のごとき凛々しさだった。


(僕は今、1人じゃない…)


視線を前に戻す。


その瞬間、視界が広がった。各地で傷つきながらも戦い続ける仲間たちの姿。

炎に包まれながらも退かぬ盾。治癒の魔術に祈りを込め続ける者。血を流しながら、それでも誰かを守ろうと立ち上がる姿があった。


皆、エズレンにこの一手を託している。


(僕に、この“瞬間”を託してくれた)


息を整える。膨れ上がる魔力が、再び掌に戻る。


「……僕が、やるんだ」


決意を固め、詠唱を始める。


「汝が光を忘れし刻、天は剣を掲げる——雷光よ導け、その御魂を還すため――」


悪夢のような存在の目が、エズレンを捉える。怒号を上げて、堕ちた精霊は牙を剥き、迫り来る。


雷霊たちの雷光がそれを切り裂こうとするが、堕ちた精霊はそれに無反応。雷霊を無視し、無数の触手のような瘴気を放ちながら前進してきた。


だが、エズレンは恐怖に立ち尽くすことはなかった。 否、胸を掴むような恐怖は確かにあった。けれど、それ以上に——


(僕が、終わらせる)


その想いが、彼の足を前へと押し出した。


「――断て。“雷葬の剣(ドネル・レクイエム)”」


その瞬間、天が裂けた。


掌に集った魔素が打ち上がり、青白い閃光が空を貫く。 雷鳴が一拍遅れて轟くと、彼の手に“それ”が宿った。 空の怒りを象ったかのような、稲妻の刃。


選んだのは、知識の中で最も高火力とされる雷属性の魔術。堕ちた精霊を倒すために。これ以上、犠牲を出さないために。


「終わってくれ……これで……!!」


放たれた刃が大地を裂き、精霊の身体を真っ向から貫いた。火花が舞い、激しい衝撃波が吹き荒れる。誰もが、これで終わると思った。


だが。


黒い瘴気が、霧のように立ち込める。精霊は、なおもその身を維持していた。


雷は届いた。けれど、それだけだった。


(なぜ……消えない……?)


精霊は、自然そのものから生まれた存在。

魔術とは、自然界の魔素を収束し、形にする力。

つまり、魔術とは自然の一部を使う技。だが、精霊はその“本質”——魔素そのものだ。魔術で干渉できる相手ではない。


(どうすれば…何か、他に手立ては…)


エズレンの脳内が再び焦燥に支配されかけたその時、脳裏に過去の記憶が駆け巡る。

カールドレアで見た、壮大な浄化の大儀式。大司教と神官達が集い、聖杖と祈祷陣を使い悪魔の影響を受けた人々の穢れを祓っていた。


(道具も、正式な詞もない。でも……)


彼は、自らの胸元に触れる。

そこにあるのは、母の形見。かつて偉大なる聖女と讃えられた、エラリスの遺したペンダント。


(……今回も、力を貸してくれ。母さん)


祈りの姿勢をとり、静かに目を閉じた。

戦場の喧騒が遠のき、世界が一瞬だけ静止したかのように感じられた。


「祈りの詞は——」


彼の唇がかすかに動く。そして、思い出したままに、エズレンは最初の言葉を口にした。


「……神の名において、この地に巣くう穢れを祓わん――」


その瞬間、背後からリウィアンとイグナシウスの叫びが轟く。


「エズレン?! 無茶だ!」

「おいやめろ!! お前一人で出来る儀式じゃねぇ!」


けれど、エズレンの耳には届かない。

彼の視線はただ、堕ちた精霊をまっすぐに見据えていた。


「天より来たりし雷光よ、迷いと穢れを裂き断て――」


詞が、空気を震わせ始める。

空がざわめき、風が騒ぎ、大地が軋む。


(……まだ、魔力は残ってる)


「汝を暴くは正義の光、導くは偽りなき姿――」


大気が凍りついた。雷と風が怒涛のように渦を巻き、空が赤く染まり始める。


「偽りを砕きし雷よ、真実を運ぶ風と共に吹き荒べ――」


祈りの詞と共に、彼の身体から微かな光が立ち昇り始める。風が彼の周囲で巻き上がり、その中心に立つエズレンの姿が、まるで別の“何か”に重なって見えた。彼の中で、何かが目覚めるような気配。今だけの、一瞬の奇跡のような感覚。


その時だった。


ふと、エズレンの瞳に金色の光が揺らめいた。

それは炎のように儚く、けれど目を離せないほどに美しい輝きだった。彼の視線は、なおも精霊を見据えたまま微動だにしない。

だが、その目に宿る光が、見る者の胸に確かな畏れを刻んだ。崇高とも、神聖とも違う、説明のつかない“何か”がそこにあった。


まるで、それ自体が祈りの完成を告げる合図であるかのように——


彼の声に、精霊の身体が反応している。まるで、その詞に導かれるように、身を震わせ、悲鳴のような呻き声をあげている。


エズレンは恐怖と不安を抑えるように、ペンダントを強く握りこむ。


(……信じろ、大丈夫だ。…ここにいるのは僕だけじゃない)


雷光が迫る中、彼は胸の奥にある微かな温もりに気づく。

それはまるで、遠い昔に聞いた、誰かの優しい声のようだった。


「――穢れの影に囚われし者、己の真に在る姿を知れ!!」


祈りの詞が終わり空に溶けた瞬間、空の雷光が、まるで応えるかのようにエズレンの周囲へと奔った。


雷霊たちの光が彼の背に集い、空と地を繋ぐ螺旋を描く。その渦は堕ちた精霊の身体を包み込み、黒い瘴気を焼き尽くすように溶かしていく。


渦中から聞こえたのは、風に溶けた一つの声。


《——ありがとう、雷を宿す少年――》


刹那、すべての気配が、凪のように収束した。


風が止み、赤く染まった空が静かにその色を戻していく。雷霊たちの姿も、音もなく霧のように消えていった。


静寂の中、エズレンは一歩、足を踏み出す。

そして——


「……は、っ……」


全身から力が抜けた。

張り詰めていた意識が、ぷつんと糸を切られたように途切れ、エズレンの身体がその場に崩れ落ちた。


「エズレン!!」


駆け寄る仲間の声が、まだ遠くで反響しているように聞こえた。


(もう、大丈夫だ…)


少年の意識はすでに、静かな安らぎの中にあった――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ