第15話 雷槌か、光か
空を裂く雷鳴が、天地を揺るがした。
刹那、視界を焼き尽くす白光。
戦場に顕現した雷霊たちがその威を示す。
巨大な光輪が虚空にきらめき、無数の雷紋が空間を走るたび、淡く青白い残光が夜気に溶ける。
彼らの姿はまさに自然現象そのものであり、抗いようのない天の摂理だった。
幾度となく降り落ちる、雷に轟音。
雷霊たちは狙いすましたように雷撃を放つ。
紫電が空を裂き、地を這い、暴徒たちを次々と弾き飛ばしていく。
雷光に包まれた者たちは断末魔すら上げられず、そのまま地に伏した。
だが——死者はいない。
「……っ」
呻き声が広がる。
「ここは……?」
「何を……していたんだ……?」
雷の衝撃を受けた者たちが、意識を取り戻し始めていた。
彼らの目に宿るのは、混濁した怯え——だが、そこに先ほどまでの狂乱はない。
(……正気に、戻ったのか?)
エズレンは、雷霊たちを見上げた。
テンペスタが静かに告げる。
《主よ。禍つものの支配は、我らの雷で振り払われた》
(なら——)
エズレンが安堵しかけた、そのとき。
「……化け物だ……!」
一人の男が、恐怖に満ちた目でエズレンを指差していた。
それを皮切りに、あちこちで呻き声が悲鳴へと変わる。
「雷を操る悪魔……!」
「こいつが、こいつが俺たちを……!」
先ほどまで暴徒と化していた者たちが、今度は"恐怖"によって再び一つになっていく。
——そして、それはエズレンの心を深く抉った。
(……また、だ)
拒絶の声。敵意に満ちた視線。
エズレンの頭の奥で、記憶が疼く。
思い出す——あの日のことを。
祝祭の日、あの村で。
慣れない魔法で、怪我を負った少女を助けようとした。ただ、それだけだったのに——
けれど、村人たちが見たのは、雷に破壊された痕跡、気を失った幼い少女、そして雷の残滓を纏う自身。
——違う……僕は、助けたかったんだ――
それなのに、村人たちは怒りに燃える目でエズレンを囲み、責め立てた。
『あの子を傷つけたのはお前だろう!』
『何と酷い、よくもリサを……!』
身に覚えのない糾弾が、彼を押しつぶす。
叫びたかった。
誤解だと。違うのだと。
——けれど、その言葉は喉の奥に凍りついたまま、外へ出ることは無かった。
エズレンは目の前の群衆を見返す。
かつての村人たちと同じ目。理解されない恐怖。拒絶。
——ああ、嫌だ。
瞬間、雷鳴が轟く。
空気が震え、青白い光が迸る。雷霊たちが、一斉に群衆へと視線を向けた。
《主よ》
猛き雷獣の声が、咆哮の如きそれが、強く響く。
《我らが見定めた"悪"を、雷が穿つぞ》
雷光が収束し、空気が張り詰める。
―― 待て、違う。
僕は、そんなことを望んでいない。
そのはず、なのに——
心の奥底に、燻るものがあった。
あの視線を、言葉を、敵意を。
僕は、痛いほど知っている。
雷霊たちは、僕の"感情"を理として受け取った。
拒絶された痛み。憤り。恐怖。
それらが、雷霊の『裁き』を肯定してしまいそうになる。
——それが、間違いだとわかっていても。
(……僕、は)
その時——柔らかな風が吹いた。
「エズレン、駄目だよ」
リウィアンの冷たい手が、僕の頬を温かく包む。その指先は、雪解けのように優しく、けれど確かに僕を縫い止める。
彼の瞳が、まっすぐに僕を捉えた。白銅と金春の境を揺らめく光。けれど、その奥にあるものは決して変わらない。
深淵に差し込む一筋の光のように、どこまでも静かで、どこまでも冷たい。
「君が迷えば、彼らは動く」
甘さを含んだ柔らかな声色で、しかしその視線は揺るぎない。
まるで、すべてを知りながら、それでも"今"に寄り添う者の眼差しのように。
《何故止めるのか》
雷霊たちの瞳には、純粋な疑問しかなかった。
リウィアンが静かに告げる。
「裁きは、人の心で決めるものじゃない」
リウィアンの言葉が落ちると同時に、世界が冷えた気がした。雷霊たちは沈黙している。
「主の意思が揺らげば、お前たちはどうする?」
リウィアンの問いかけに、テンペスタがわずかに尾を震わせた。
《主が迷うならば、その心を我らが示す》
「それは本当に、エズレンの望みなの?」
リウィアンの声は静かだが、確かな強さを帯びていた。
「お前たちは、主の刃となって雷槌を振るう存在だろう。ならばエズレン自身が、何を望んでいるかを問うべきだ」
雷霊たちは微かにざわめく。
《…主よ》
視線が集まる。
僕は、自分の手を見つめた。
雷霊たちは、僕の感情を映し、雷を振るう。
ならば——この裁きを肯定しようとしていたのは、僕自身だ。
(……僕が、怖がったから)
人々の拒絶が。
また傷つくことが。
理解されないことが。
だから——雷霊たちは、それを僕の意思として受け取った。
(……違う、違うんだよ)
目を閉じ、そしてゆっくりと開く。
僕は、雷霊たちをまっすぐに見つめた。
「……確かに、僕は恐れた。人々の視線に怯えた。拒絶が怖かった」
正直に言葉を紡ぐ。
雷霊たちは沈黙したまま、僕を見つめていた。
「でも、それでも……僕は、誰かを裁くために雷を振るうつもりはない。お前たちは、僕の感情を理として示そうとした。けれど、それは僕の意思じゃない」
雷霊たちの間で、微かなざわめきが生じる。
テンペスタが問う。
《ならば、主はどう裁く》
「裁かない」
迷いなく答えた。
雷霊たちは息を呑んだように静まる。
「雷は、裁きの象徴だけじゃない。雲を割り、大地を潤す雨を呼び、暗闇を照らす光にもなる。僕は雷槌を振るう者として、破壊や罰ではなく、導き手でありたい。
だから、お前たちが決める裁きじゃなく、"僕が示す道"に従ってほしい。それが——僕の望みだ」
雷霊たちはしばし沈黙した。
やがて、テンペスタが静かに息を吐く。
《主の望み、理解した》
《ならば我らもこれ以上、此方へ留まる理由は無し》
フルミナとフルミオが羽を震わせ、雷光が次第に薄れていく。
雷霊たちは風のように散り、静寂が戻った。
エズレンはふっと息を吐く。
「やったね」
リウィアンが微笑む。
僕は、彼を見た。
「エズレンが、自分の意思で決めたからだ」
僕は、リウィアンの言葉を噛みしめた。
(自分の心を律すること、意志を伝えること)
それは、思っていたよりも遥かに難しいことだった。
でも——
「ありがとう、リウィアン」
「……お礼を言うのは、まだ早いよ」
リウィアンは少し肩をすくめる。
「ほら」
リウィアンが顎で指し示した先。
怯える人々——僕を恐れ、睨む者たち。
(……そうだ)
雷霊たちは去った。
けれど、これで終わりではない。
今度こそ、僕自身の言葉で、彼らと向き合わなければならない。
エズレンは、まっすぐに群衆へと向き直った。




