第13話 静寂と狂騒
エズレンの背中が教会の奥へと消えていくのを見届けながら、イグナシウスは僅かに眉をひそめた。
「……やっぱ、落ち着かねぇな」
隣を歩いていたリウィアンが、小さく笑う。
「そりゃそうだろうね。君にとっては余所の神の領域だ。異教徒扱いされても文句は言えないよ?」
「異教徒っつーか……俺は俺の神を信じてるだけだしな」
イグナシウスは肩をすくめながら、ちらりとリウィアンを見る。
「つか、そういうお前もだろ?」
「僕?」
リウィアンはほんの少しだけ目を見開いたあと、ふっと笑った。
「まぁ、確かにね。でも僕は授ける側だから」
「……はぁ?」
「なんでもないよ」
気の抜けた返事をするリウィアンを、イグナシウスはじっと見た。
何か言いたげだったが、すぐに「ま、いいけどな」と流す。お互い深入りしないのが、いつの間にか暗黙の了解となっていた。
回廊を抜け、大図書館の一般公開エリアへと足を踏み入れる。天井まで届くほどの巨大な書架がびっしりと並び、静かな空気が満ちている。
「……で、お前はこの膨大な本に興味あったりするのか?」
並ぶ本の背表紙を一瞥しながら、イグナシウスが尋ねる。
「全然?」
「同感だ」
2人は息を揃えて本棚を振り返り、そして同時に踵を返した。元々ここへやって来たのも、エズレンに同行するための言い訳に過ぎない。
「……よし、行くか」
「うん、どこへ?」
「外」
「そうだね」
まったく本を手に取ることなく、大図書館から退出。そのまま広場へと向かいながら、イグナシウスがふと呟く。
「エズレンがいたら『せっかくの機会だから』とか言って読書始めてたんだろうな」
「間違いないね」
そんな他愛もない会話をしながら、広場へ向かった2人だったが――そこで違和感を覚えることになる。
石畳の上、静かに祈りを捧げるローブ姿の集団。その額には奇妙な印を刻まれた――聖印の使徒。
昼間にも見かけたが、その異様な雰囲気に思わず足を止める。
(……やっぱり、何かおかしい)
リウィアンは視線を巡らせた。
以前、別の街で見た彼らは、独自の教義を信じ、神の言葉を騙る者たち、程度の認識だった。
しかし、今夜の彼らの動きには違和感がある。
祈りの声は震え、焦点の合わない瞳が宙を彷徨う。まるで、"何か"に操られているかのように——
不穏な空気を察し、リウィアンの胸に微かな警戒が生まれる。
「……妙だね」
その言葉と同時に、異変が起きた。
使徒の一人が突然、頭を抱えてうめく。次の瞬間、近くにいた通行人へと襲いかかった。
悲鳴が広場に響き渡る。
次々と立ち上がる使徒たち。ぎこちない動作で周囲に手を伸ばし、まるで意思を持たぬ人形のように、人々を無差別に捕らえようとする。
——理性のない暴力。
イグナシウスは舌打ちした。
「おいおい、勘弁してくれ……」
無意識に拳を握りかけ——すぐに力を抜く。
ここで派手に動けば、余計な注目を集めるだけだ。
(……さて、どうする)
リウィアンと視線を交わす。
このまま見過ごすか、それとも手を貸すか——選択を迫られる状況だった。
リウィアンは静かに息を吐く。
この街には、この街の人々が作り上げてきた秩序がある。それを、外からの力で安易に変えてしまうのは——
リウィアンは思考を巡らせ――そして気づく。
(…これは、単なる暴動じゃない)
この奇妙な動き。使徒たちの様子。そして、広場に満ちる"不自然な気配"。
何かが、この場を"意図的に"乱している。
それに気づいた瞬間、リウィアンの目がわずかに鋭くなる。
「イグ」
短く名前を呼ぶ。
イグナシウスはすでに"やるしかねぇか"という顔をしていた。
「しゃーねぇ、派手にやらなきゃいいんだろ?」
リウィアンはちらりと辺りを見回し、低く呟いた。
「ここで魔法は使えない。魔術だけで何とかするしかないよ」
「……だよな」
イグナシウスは指を鳴らし、周囲に漂う魔素を操る。リウィアンもまた、静かに手を翳した。
2人は、目立たず、そして迅速に、暴徒を鎮圧するために動き出す──
◆
時は少し遡り、禁書区画──静寂の書架にて。
音のない世界。
外の喧騒とは無縁の、重厚な静寂。天井までそびえ立つ書架が、柔らかな灯火に照らされ、静かに影を落としている。
エズレンは一冊、一冊と背表紙を指でなぞりながら、慎重に書を選んでいた。
雷神の血脈に関する記録を探し歩くも、ここは癒しの神ヴェラティアを信奉する教会。
――やはり、都合よく求めるものは見つからない。
けれど、せっかく足を踏み入れた禁書区画。機会を無駄にするつもりもなく、エズレンは慎重に書架を巡った。
幾つかの書物には封が施されていた。
特定の資格を持つ者だけが閲覧を許される、神の言葉に関わる禁書。
指先で封の文様をなぞる。
だが、触れた瞬間に微かな抵抗を感じた。
(……神官でもない僕は、開く資格すらない、か)
エズレンは小さく息を吐くと、封のない書物へと視線を移す。
──その中の一冊が、彼の目を引いた。
[ The Fallen Guardians (堕ちた守護者) ]
表紙に記されたその題名に、エズレンの指が僅かに動く。
彼はページをめくり、その内容に目を通した。
「かつて神々に仕えし者、秩序より離反せし者たち――彼らは悪魔に非ず、されど天使にも非ず――人の自由意志を重んじ、神の庇護を拒絶せし者たち――」
……神々の支配を離れた存在。
森で出会った時、イグナシウスとリウィアンが口にした言葉――『堕ちた精霊』
それが何を意味するのか、エズレンにはまだ分からない。
しかし、この書に記された『堕ちた守護者』という存在が、何かしらの関係を持っているのではないか――そんな予感がした。
ふと、視界の端に別の本が映る。
[ Elaris' Chronicle (エラリスの年代記) ]
母の名を冠したその本のタイトルに、彼は無意識に手を伸ばす――
「……?」
その瞬間。
本へと伸ばした指先が、わずかに震えた。
——見られている。
(書架の影に誰かがいる?)
しかし、目を凝らしても、書架の隙間には誰の姿もない。ただ、微かに燭台の火が揺らいでいた。
(……気のせいか?)
違和感を拭えぬまま、エズレンはもう一度、本へと手を伸ばした。
――その時。
「失礼します」
低く抑えられた声とともに、書架の向こうから神官が姿を現す。
エズレンは手を止め、静かに神官へと目を向けた。
「大司教様がお呼びです」
神官はそう言い、慎重に言葉を選ぶように続ける。
「……広場で騒ぎが起きております。旅の同行者の方々が巻き込まれているようでして…」
「…! 案内をお願いします」
低く告げ、彼は静かに立ち上がる。
開きかけた本を閉じ、書架に戻す。
エズレンは、そのまま静かに禁書区画を後にした――




