第12話 記されぬ真実
神官の話を聞き終え、すっかり暗くなった教会の回廊を歩く三人。
「いやぁ、実に素晴らしかったね!」
リウィアンは上機嫌で腕を組みながら言った。
「地方教会の神官にしては、理解度が高くて、非常に優れた説明だったよ!」
神官は一瞬、リウィアンを見つめ、それから丁寧に頭を下げる。
「……そのように言っていただけるとは、光栄でございます」
「…いや、なっっげぇよ…!」
イグナシウスは神官をちらりと見てぼやくが、神官の表情は変わらない。
「新しい信者でも勧誘したいのかと思えば、ただ話したいだけでリウの同類かって気もするし……いや、妙に敬虔なとこもあるし…はぁ」
イグナシウスはぐったりとした様子で、こめかみを揉む。
そんな二人に対し、エズレンは静かに頷く。
「すごく、勉強になった」
イグナシウスは一瞬、訝しげにエズレンを見たが、すぐに肩を竦める。
「……まぁ、お前はそういうの真面目に聞くタイプか」
「だよねだよね〜!」
リウィアンが嬉しそうに前のめりになる。
「神々に対する解釈は人それぞれだから、同じ話でも新しい発見があるし、聞いてて飽きないんだよ〜」
リウィアンが興味を持ったように続ける。
「そういえば神官殿、神々のことをとても詳しく語られていたけれど、どこかで正式に学ばれたのですか?」
神官は少し懐かしむような表情を浮かべる。
「ええ、私はかつてアルヴェーアの神聖学院で学び、その後中央神殿で修行を積みました。今はヴェラティア様への信仰を深めるため、こちらで務めております」
リウィアンの目が輝く。
「へぇ! 神聖学院出身なんだね! なるほど、どうりで知識が深いわけだ!」
イグナシウスが軽く口を挟む。
「ってことは、お偉いさんコースじゃねぇか。何でまたこんな地方で?」
神官はふっと柔らかく笑う。
「学び舎や格式ある場も素晴らしいですが、私は人々の近くで仕えたかったのです」
そんな会話が続く中、エズレンは静かに考え込んでいた。
(神々がかつてこの世界に実在していたのなら、その血を引く者や、系譜の者が世界のどこかに存在しているのでは?)
エズレンは思考を巡らせる。
もし、いたのなら――彼らはどのように生き、何を知り、何を遺したのか。
その記録が残されているのなら、知りたい。
エズレンは歩みを止め、神官に向き直る。
「神官殿。雷神に連なる血についての記述がある書物を探したいのですが、閲覧は可能でしょうか?」
神官は一瞬目を見開き、それから困ったように眉を寄せる。
「……雷神に関する書物は、一般公開されているものもございます。しかし、血脈に関する記録となると、禁書区画に収められているはずですが…それらの閲覧は、特別な許可がなければ認められません」
やはり簡単にはいかないか――
エズレンは小さく息を吐き、無意識に拳を握る。その拍子に、ゼスから贈られた指輪が視界に入った。
すると、神官が息をのんだ。
「……その指輪は……」
神官の表情が固まる。
まるで信じられないものを見たかのように、わずかに後ずさる。視線は指輪の表面に刻まれた紋様に釘付けになり、その瞳には驚愕と畏れの色が浮かんでいた。
神官は、そっと喉を鳴らす。
「まさか、それは……」
言葉の続きを飲み込むように、口をつぐむ。
しかし、その反応だけで、この指輪が何を意味するものかを知っていることは明らかだった。
「……こちらで少々お待ちください」
神官はそう言い残すと、足早に奥へと消えていった。
やがて、神官は一人の初老の男を伴って戻ってきた。
その男の存在感は、一目でただ者ではないと分かるものだった。
教会の象徴たる花緑青の法衣に、金糸で縁取られた黒の外套を羽織っている。その胸元には、十柱の主神の紋章が刻まれた聖印。
カールドレア教会において、ただの神官では持ちえぬ威厳を漂わせていた。
男の正体は、神官の次の言葉によって明かされる。
「…大司教様、こちらの少年でございます」
イグナシウスが思わず口笛を吹く。
「……また随分と上の人間が出てきたな」
大司教と呼ばれた男は静かに歩み寄ると、エズレンの指に嵌められた指輪をじっと見つめ、低く響く声で問いかけた。
「その指輪…どこで手に入れた?」
エズレンは迷うことなく答える。
「養父から貰ったものです」
その瞬間、大司教の眼光がわずかに鋭さを増した。しかし、それだけではなかった。
ふと、彼の視線がエズレンの顔へと移る。
そして、微かに息を呑む気配があった。
(……この雰囲気、まさか……)
雷雲を思わせる灰銀の髪。だが、それは荒々しさを纏うものではなく、むしろ柔らかに光を帯びている。わずかに混じる金の糸が、揺れるたびに暖かな輝きを滲ませる。
そして青灰色の瞳。その奥に、雲間からこぼれる陽だまりのような、穏やかな金の光。
この気配を、知っている。
この光を、かつて見たことがある。
「……君、は……」
咄嗟にとある名を呼びかけそうになり、しかし言葉を呑み込む。
ありえない。だが、この雰囲気は――
「…いや、まさか…」
彼は一瞬、エズレンの顔と指輪を見比べるように視線を行き来させた。
やがて、ゆっくりと息を吐き、静かに告げる。
「……ついてきなさい」
イグナシウスとリウィアンも動こうとするが、大司教は振り向きもせずに言い放つ。
「禁書区画への立ち入りを許可するのは、この少年だけだ」
その声には、絶対的な威厳と、どこか僅かな動揺が滲んでいた。
◆
長い回廊を歩く二人。
白と青の石壁に囲まれた廊下は冷たい静けさを湛え、足音すらも吸い込むかのようだった。
大司教の足取りは迷いなく、それでいて重々しい。エズレンもまた、歩調を乱さぬよう静かに後に続いた。
ふと、大司教が足を止める。
「……昔、一人の聖女に会ったことがある」
唐突な言葉に、エズレンは瞬きをした。
「特別な力に頼ることはなかった。ただ、ひたすらに人を癒し、救うことを願う者だった」
回廊の高窓から差し込む光が、彼の横顔を照らす。
「私がまだ神官だった頃の話だ。あるとき、大きな過ちを犯した男が教会に逃げ込んできた。彼は自らの罪に怯え、許しを請うてもなお、救いを信じられずにいた」
語りながら、大司教は静かにエズレンを振り返る。
「彼女はその男にこう言った。『人が神に赦しを請うのではない。神が人に赦しを与えるのでもない。人は、ただ赦しの中に生きるだけだ』と」
エズレンは目を伏せる。
「その言葉がどういう意味なのか、当時の私は理解できなかった。ただ、彼女の前では、信仰も罪も、生死さえも些細なものに思えた」
大司教は短く息をつく。
「……不思議なものだな。今日、君を見て、ふとあの時のことを思い出した」
そう言い残し、大司教は再び歩き出した。
エズレンはその背を見つめる。
彼が語った"聖女"が誰なのか、エズレンには分からない。
だが、"癒しを与え、赦しを説いた聖女"の面影を、自分が映しているのだとしたら――
扉が見えてきた。
厚い魔法障壁が施された黒鉄の門。
古の知識を封じた書庫への、禁断の入り口 。
大司教は扉に手をかざし、静かに言った。
「ついてこい。お前の求めるものが、この先にあるかは分からんが――探す権利はある」
扉が、ゆっくりと開かれた。
その向こうには、千年以上の時を刻む、沈黙の書架が待っていた。




