第9話 雷霊招来
乾いた風が荒野を吹き抜ける。日が沈んで久しい空には、薄雲の隙間から星が瞬いていた。
焚き火の赤い火が揺れ、焦げた木の香りが鼻をくすぐる。辺りは静まり返り、聞こえるのは焚き火の爆ぜる音と、遠くで鳴く夜鳥の声だけだった。
「……お前、体調は大丈夫か?」
イグナシウスの低い声が焚き火の静けさを破った。
エズレンは、不思議そうに彼を見つめる。
「どうしてそんなに気遣ってくれるんだ?」
「は?」
エズレンの問いに、イグナシウスは怪訝そうに目を細める。
「さっきからずっと下級雷霊をくっつけてるだろ。魔力を垂れ流してるようなもんだ、いつ倒れてもおかしくねえよ」
「魔力を……垂れ流してる?」
エズレンが首をかしげると、すかさずリウィアンが口を挟んだ。
「へえ...イグが他人を心配するなんて、珍しいね?」
「茶化すな、リウ。…エズレン、知らねえのか? 召喚されていない精霊は、自分好みの魔力を吸って人間界に存在を保つ。こいつらがこれだけ群がってるってことは、そんだけお前の魔力が吸われてるってことだ」
イグナシウスの指摘に、エズレンは初めて自分の身体を意識した。旅の始めは微かな倦怠感を覚えることが多かったが、今は驚くほどに楽だ。雷霊たちが纏わりつくようになってから、むしろ体調が安定している。
「そうか……僕の魔力を彼らが吸ってくれているから、楽なのか」
静かに呟いた彼の言葉に、リウィアンは興味深そうに首を傾げた。
「なるほどね。つまり、魔力が多すぎて制御に困ってる君には、精霊が都合よく余分な魔力を消費してくれるってわけだ。それなら精霊と契約すれば、より安定するかもしれないね」
「精霊と契約……」
エズレンは呟きながら、ふと遠い日の記憶を思い出した。
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『エズレン、魔力は川みたいなものなんだ』
木漏れ日の降り注ぐ庭で、ゼスはいつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
『普通は流れが穏やかで、必要な分だけ汲み上げればいい。でもお前は――そうだな、大河というより、果てなく流れ落ちる滝に近い』
エズレンは眉をひそめ、ゼスを見上げる。
『たき……?』
『そう。力の奔流が止まらないから、どれだけ意識しても完全には制御できない』
ゼスは僕の髪をそっと撫でながら、ゆっくりと言葉を続けた。
『精霊と契約すれば、確かに楽にはなるだろう。でもね、エズレン――それは本当に"お前自身の力"を理解したことにはならない』
ゼスの声は、珍しく真剣な響きを帯びていた。
『精霊は魔力を受け取る代わりに、お前の在り方に影響を与える。精霊と深く繋がりすぎると、お前自身に危険が及ぶかもしれない』
『きけん…』
『力の均衡が崩れるんだ。精霊が意図せずお前の本質を引き出しすぎたら――お前は、自分の力に飲み込まれてしまうかもしれない』
『きんこう…??』
ゼスはふっと視線を遠くに向け、微かに苦笑した。
『だから、今はまだ早い。お前が"力を使う意味"を見つけるまでは、頼るべきじゃないと思ってる』
『うーん…むずかしい』
その声には、どこまでも深い慈しみがあった。
『いつかわかる時が来るさ。大丈夫』
温かく、揺るぎない信頼。
ゼスは決して、僕の未来を縛ろうとはしなかった。
彼が精霊契約を教えなかったのは「力に呑まれるのではなく、己を律する強さ」を持ってほしかったから――もし最初から精霊に頼っていたら、きっと今こうして旅に出ることはなかっただろう。
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「……契約したら、どうなるかな」
ぼそりと呟くと、リウィアンが興味津々とばかりに目を輝かせる。
「契約した精霊とは常に繋がるから、余った魔力を流せるようになるはずだよ。まあ、彼らは誇り高いから簡単には応じないけど……それだけ雷霊が懐いてるなら、いけるんじゃない?」
「やってみる価値はある、か……」
そう呟くと、エズレンは草地に膝をつき、地面に魔術陣を描き始めた。
しばらくその光景を眺めていたイグナシウスとリウィアンは、エズレンの手元を見て絶句した。
「……おい、エズレン。なんで古代語を使ってんだ?」
「え?」
顔を上げると、イグナシウスは明らかに訝しげな表情を浮かべている。
「いや、それ……現代の召喚術は魔力効率のいい簡略式が主流だろ? 精霊召喚なんてただでさえ魔力消費とんでもねえのに、わざわざ古代語、しかも属性指定の術式とか...お前正気か?」
エズレンは少し考えた後、淡々と答えた。
「これしか覚えてないんだけど……駄目かな?」
ゼスの家にあった魔術書は一通り読んだが、精霊召喚術の書物のなかで記憶にあるのが、この陣と詞だった。
逆にイグナシウスの言う簡略式を知らないので、彼に教えて貰おうとしたが、曰く「使う必要のねぇモンなんざ覚えてるわけねぇだろ」とのこと。エズレンはどうしたものかと肩を落とす。
しかしどこか期待するような声色で、リウィアンがエズレンにそっと歩み寄り、囁く。
「駄目ってことはないんだけど、普通使わないんだよ。魔力コストが高すぎて、召喚者が先に力尽きるから。でも、エズレンには関係ないんじゃない?」
またなんか煽ってんな、とイグナシウスは呆れ、しかしふと浮かんだ疑問を口にする。
「つーかお前、属性指定の召喚陣まで描けるくせに、なんで今まで契約してなかったんだ?」
エズレンは手を動かしつつ、小さく息を吐く。
「…必要なかったから、だと思う」
その声音には、自分でもまだ気づけていない感情が含まれているようだった。
「......よし」
完成した魔術陣の前に立ち、エズレンは静かに目を閉じる。円環を描く陣が光を帯び始め、静かに脈動を始めた。刻まれた紋様は青白く輝き、周囲の空気がひりつくように張り詰めた。
(応じてくれるだろうか――)
雷霆を統べる精霊は気まぐれで、力なき者には決して姿を見せない、とゼスは言っていた。だが、エズレンに恐れはなかった。
右手をゆっくりと掲げ、魔術陣の中心にかざす。彼の意識に呼応するように、魔力の脈動が高まり、陣が雷鳴にも似た音を響かせる。唇が静かに動き、召喚の詞を始める。
「《――空に轟く雷よ、万象を裁く力の化身よ。 我は汝を求め、汝を識らんとす。古き誓約に従い、呼びかけに応じるならば、此方に其の姿を示せ――!》」
詠唱を終えた瞬間、夜の静寂がねじれるように歪んだ。焚き火の揺らめきが消え、まるで世界が息を潜めたかのように風が止む。
天を裂く一閃が闇夜を白く染め、エズレンの足元に刻まれた魔術陣が眩い雷光を放つ――まるで嵐の中心に立っているような錯覚を呼び起こした。
エズレンは下級雷霊を呼ぶつもりでいた――が、そこから溢れ出したのは、この世に属さぬ圧倒的な存在感であった。
「……え?」
最初に現れた巨大な雷獣――上級精霊テンペルクスは、全身を覆う金紫の雷光、まるで嵐そのものを形にしたかのようだった。その瞳には二つの稲妻が宿り、見る者の魂を震わせるような威厳を放っている。雷の尾が宙を滑るたび、星明かりさえ掻き消されるほどの光が瞬いた。
「……上級雷霊...?」
口にした瞬間、雷獣は空気を震わすほどの咆哮をあげる。
次いで、稲妻が地を穿つ轟音と共に、二つの影が姿を現した。空間を裂く紫電を纏い、金色に輝く瞳を持つ精霊たちは双子のように姿形が似通っている――中級精霊ヴォルトゥス。
「お前たちは……中級雷霊?」
二体の雷霊は、雷を宿した翼を広げながら舞い降りる。その体躯はしなやかで、四肢には紫電を帯びた鎖のような模様が絡みついていた。
片手には雷を凝縮した槌を握り、今にも天罰を下す裁定者のような威圧感を放つ。
雷光の中から現れた三体の精霊は、静寂を切り裂くように舞い降りた。
彼らはエズレンを見下ろし、まるで審判を下す神々のごとく、その瞳には揺るぎない誇りと威圧が宿っている。
《雷を宿す者よ――我らを呼び出す覚悟はあるか?》
三体の声が重なり、空気を震わせた。挑む者を試す響きに、エズレンは臆することなく口を開く。
「……ああ。でもお前たちを縛るつもりはない。ただ、僕の力を受け止めてほしい。」
彼の言葉に、精霊たちは一瞬だけ動きを止める。軽々しく服従しない矜持と、召喚者の真意を見極めようとする沈黙――。
次の瞬間、空を裂くような雷鳴が響き渡った。上級雷霊が前へ進み出る。
《雷を宿す者、我らを此方へと結ぶ者――名を与え、存在を定めるがいい。さもなくば、この絆は成らぬ。》
雷嵐を纏う巨大な精霊を見つめ、エズレンは確信とともに名を告げる。
「お前は――テンペスタ」
その瞬間、雷光が天を駆け、精霊の姿を包み込んだ。
嵐を象徴する名を与えられた上級雷霊は、満足げに目を細めると、雷鳴にも似た低い声で応えた。
《良い名だ、雷を纏う者よ――》
エズレンはさらに、両脇に控える二体の中級雷霊へ視線を向ける。
「お前たちは――フルミナとフルミオだ」
与えられた名に呼応するように、二筋の雷が轟き、精霊たちは揃って膝をつく。まるで忠誠を誓う騎士のように、深く頭を垂れながら。
《――名を与えし者よ。我ら、この絆を受け入れ、雷霆を汝の刃としよう――》
その誓いの言葉と共に、エズレンの手の甲には鮮烈な雷の紋様が刻まれる。
テンペスタはひときわ大きく頷くと、再び雷光となり消え去った。フルミナ、フルミオも光の粒子へと姿を変え、彼の魔力に溶け込んでいく――
その場に残された三人が契約の終了を感じた瞬間、周囲の空気が変わった。
先ほどまで荒々しく渦巻いていた魔力の奔流が静まり、代わりに雷の気配が肌を刺すように広がる。
遠くで鳴り響く雷鳴が、エズレンに呼応するかのように低く唸った。まるで、この世界に彼の存在が刻まれた証のように――。
エズレンは、手の甲に残る雷の紋様を見つめながら、微かに呟く。
「……これで、少しは上手く制御できるかもしれない」
けれど、手の奥に残る熱と痺れが告げていた。
この力はまだ、完全には彼に馴染んでいない。精霊たちは応えた――だが、真にこの力を己のものとするには、なお先があるのだと。
それでも、彼は歩みを止めない。
雷を従える者として――未知なる領域へと、その歩を進めていく。




