[1] 父の人形 .2
「こっちです、こっち。たしか」
緑のマントに風を集めて、金色の光の粉を振り撒きながら、くらげは木々の間をふわふわと漂っていく。
森はどんどん深くなっていき、比例して周囲もだんだんと暗くなってきた。顔にべとりと何かが張り付き、僕は慌てて両腕で顔を拭った。
「うわ! 蜘蛛の巣だ! ……おいくらげ、お前ほんとにこっちであってるんだろうな?」
「たぶんこっちです。ほら、こういう木に見覚えがあります」
「見分けついてるのか」
「ううん、つかない」
「お前」
軽く取っ組み合いをして、僕はそこらの木の根に腰かけた。膝の下で蟻が何やら一生懸命に運搬している。
木登りをしていたくらげがゆらゆらと降りてきて僕に両手を差し出した。小ぶりな赤い実がたくさん握られている。
「みてみて、上の方にたくさんありました。謎の果実」
「謎の果実!? ……ってなんだ、その辺によくあるよくわからない果物じゃないか」
「すっぱいけどかなりウマい」
「謎の果実だったら高く売れるぞ。……まあどうせ誰も金持ってないけど」
「ああ! 食べたらなくなっちゃった! もっと食いてえ!」
「よし、この辺で適当に時間潰して戻ろう」
「……え!? 泣いてた子どもは!?」
「ほっとけ」
「えー!?」
くらげは僕の正面にやって来て、両腕を掴んでぶんぶんと首を振った。明るい茶色の髪が顔にばさばさ当たる。
「子どもが泣いてるんですよお!」
「泣くのが仕事だろ。この髪うっとおしいな」
「かわいそうですよ!」
「誰でも子どもの時はかわいそうだったんだよ」
「やだー!」
地面に降りたくらげは地団太を踏み始めた。村で見たのと同じような光景。くらげはかなり小柄なので、村より幾分マシではある。
「ヤダとか言っても、お前どうせ場所分かってないんだろ」
「探しましょう」
「何時間かかると思ってるんだよ。ほら、そろそろ大人たちも落ち着いただろうから帰るぞ。ガトーが心配だ」
「コンパス貸してくださいよ!」
ポケットから取り出した円形の金属を見せつけながら、くらげは凄んだ。周囲で羽を休めていた鳥たちがギャアギャアと声を立てて一斉に飛び立つ。背は低いが、吹き荒ぶ風が髪を搔き混ぜ、マントがバタバタとものすごい音を立てており、相当な迫力がある。
僕の鼻先に突き付けられたただのコンパスの針はカタカタと震えながらもしっかりと北を指している。
「……コンパスって、あの、あれか、千里眼の。」
「『千里眼のコンパス』! その針は持ち主の探し物をピタリと指し示すという! それならすーぐに見つけられますから! さあ! コンパス!」
「あ、ああ」
決して怯えたわけではないが、僕はいつも身に着けている袋の中から真っ黒な立方体を取り出し、しっかりとした手つきでくらげに手渡した。立方体はくらげの手の中で淡く輝き、その内側で色とりどりの光が生まれ始めた。
千里眼のコンパスは『古代の秘宝』と呼ばれる道具の一つ。古代の秘宝は基本的に世界にそれぞれ一つしかない非常に貴重なものなのだが、僕は少し事情があってこういうものをいくつか保有している。
古代の秘宝には便利なものも不便なものもあるが、その中でも千里眼のコンパスは特に性能が低い。価値のあるものを捧げないと、効果を発揮しないのだ。
「えーと、何にしようかな。いいもの。このマントとか」
「お前! そのマントはものすごくいいものだぞ!」
「子どもの命には代えられませんよ……」
「そんないいものじゃなくても動くから! お前そのマント気に入ってたろ!」
「今! あの子は、泣いてるんです!」
「靴とかでやってみろよ……お前どうせ歩かないんだし……」
言いながら、しかし僕はもう諦めていた。くらげというのはこういう女なのだ。バカでアホで、考えなしで自分勝手で、自分の大切なものを投げ捨てたって、誰かのためになろうとするヤツ……。
ふわりと被せたマントが、金色の粒子に分解されてゆく。金の光を吸い込んで、黒い立方体はどんどんと輝きを増していった。
大切なマントが消えていく光景を、僕とくらげはじっと見ていた。
「アサさんにもらったマント、こんなふうに失くしちゃってごめんなさい」
「……お前ってさ、イイやつだよな」
「……へへ。」
「このマント、かなり上位の古代の秘宝だけどな」
「……」
「『矢避けのマント』な」
「……ヤベェ……」
逆さまになって浮かぶくらげの頭をそっと撫でようとすると、くらげは嫌がってくるくると回った。
「後でもう一枚やるよ。心配するな」
「え、古代の秘宝って世界に一つしかないんでしょ?」
「まあ細かいことは気にすんな」
「……またアサさんのズルか」
千里眼のコンパスがひときわ強く輝き、黄金の立方体に姿を変えた。宙に金色の針が出現し、何かを探すように回転する。
「くらげ」
「よっしゃ! さあ! コンパス! わたしの探し物を見つけて!」
両手を組んだくらげの祈りに反応して、針の動きはどんどん速くなっていく。千里眼のコンパスはその力をもって世界中を検索し、術者が心の中で願うものを必ず見つける。それがこの世界である限り、どこにあろうと、必ず。
「お願い! どうしても、もう一度、見つけなきゃいけないの!」
目まぐるしく動いていた黄金の針がピタリと止まり、一点を指し示した。
探し物は、見つかったのだ。
くらげは風を纏い、ふわりと上昇した。【金の風】。くらげの固有魔法は、この優しくてちょっとアホな少女を風に変え、どんなところにでも運んでくれる。
ぐんぐんと速度を増し、遥か高くまで飛び上がったくらげは、枝と葉に隠されてもう僕からは見えない。あいつはどこまで行ったのだろう。コンパスに導かれて、泣いている子どもの隣に行けただろうか。
遥か空の上まで。
「……なんで針が上を指してるんだ?」
数分待っていると、アホが降りてきた。両手いっぱいに赤い実を握っている。
「上の方にまだいっぱいあったー。すっぱいけどウマいです」
「お前ってすごいアホだよな」
「マントがあればもっといっぱい持ってこれたのにー。袋みたいにして」
「上で食えばいいだろ。僕はもう戻るからな」
アホはとてもうまそうに木の実を食べた。