1話 気づいたら森にいた件
1話 気づいたら森にいた件
深夜、池袋で飲んでいた先輩に「終電なくなったから迎えに来い」、そう言われて逆らえなかった俺は愛車のNBOXに乗り込んだ。
まだまだ夏真っ盛りの外の気温は深夜でももわっと熱く日本特有の湿気のせいで気温以上に熱く感じる今日この頃、社内温度を一刻も早く下げるために18度強風に設定し直ししばし待つ。
どんなに急いでいると言ったってこう熱いと向かいに行く気も失せてしまうというものだ。
2分ほどまでば社内の温度はいい感じに落ち着く。
汗が完全に引いたことを額をぬぐった掌の濡れ具合で確認し、ハンドルとシフトバーを握り車を出す。
俺の家は目白の住宅街にあり、実家が金持ちだったおかげで良い生活を送れている。
この家も俺が社会人になったときに父親がくれた。
4SLDK+車庫+庭つきの一戸建てだ。
もともと家族で住んでいたこともあってかなり広いうえに、親父達が引っ越すときに家財を置いてってくれたおかげで買いなおす必要もなく本当にありがたかった。
さて、家のことを紹介している間にもうそろそろ池袋駅東口に到着といったところだ。
先輩は面倒見がよく、身なりもかなりしっかりしている人なのだ。
かくいう俺もかなり世話になっている。
そんな先輩だが一つだけ悪癖がある。
それが酒癖の悪さだ。
先輩自身もそれを理解しているために基本的に飲み会を断っているのだが、どうしても断れない飲み会なんて社会人をやっていれば2~3個ある為そのたびに俺が呼ばれているというわけだ。
時間は終電が無くなり駅にシャッターが降りて不良者が寝静まる時間帯、東口のタクシーロータリー付近に車を止めて外に出ればもわっとした熱気が全身にぶち当たる。
瞬間噴出した汗を拭きながら耳を澄ます。
きょろきょろなんてしない、聴力に集中すれば先輩のほうからこっちを見つけて騒いでいるはずなのだから。
視界の情報を遮断するために目をつぶり聴力に集中するとすぐ先輩の声が聞こえてきた。
いつも思うが先輩の酔った時の話声はかなり大きい。
マイクでも使っているのかと思うほどだ。
東口にある路上喫煙スペースから先輩の声が聞こえてきたのでそちらに顔を向ければかなり出来上がっている様子の先輩と数人の同じような知らない酔っ払いが歩いてきた。
「おぉぉやっと来たかぁ!おぉいドライバーここだー!!」
先輩は真っ赤っかの顔に人好きのする笑顔を張り付けてこちらに手を振る。
お付きの?酔っ払いたちも様々な方向に手を振っているが俺のほうを見ているのは先輩のみだ。
(やっぱり誰も見たことないなぁ)
一瞬面識会ったかなぁ、そう思ったが案の定向こうも誰が先輩のドライバーなのかわかっていないようだった。
俺は先輩に向かって大きく手を振る。
向こうもこっちの位置を知っているのであれば迎えに行く必要はないだろうと車の中に戻り扉を開けておく。
車の中で改めて強風モードにして待機していると先輩の声がすぐ近くで聞こえてきた。
「だぁからぁ、ヒロがOKって言ったらだってばぁ!」
先輩の声がすぐそばで聞こえているのだが中々車に乗ってこないので訝しんでいるとなにやら口論をしているようだ。
しばらく聞いていると連れの人たちも乗せて欲しいそうだ。
どっちでもいいから早く帰りたいと思っている俺からしたら「全員乗れ!」と思うのだが、先輩は何故か断ろうとしているらしい。
俺はちらりと先輩たちの人数を確認し車窓を開けた。
「先輩早く乗ってくださいよ、お付きの人たちもうウチまでで良ければ乗せますから。今日は先輩共々泊まってから帰ってください。」
俺の申し入れに先輩は「いいのか?」と尋ねてくる、お付きの人たちは「やっほぉい」と喜んでいる。
「いいんですよ、明日は仕事もないし、どうせ数時間後には先輩も買えるでしょう?」
先輩はコクっとうなずき返し助手席に乗り込んでくる。
お付きの人たちは3人だがNBOKは後ろがかなり広くできているので乗れないなんてことはないだろう。
(法律的に大丈夫かが心配だが、まぁバレなきゃ大丈夫だろう)
俺はこの時の判断を後々後悔するのだが、その時はすでに時遅しというやつだった。
ちょっと寄りたいところがあったので六つ又の交差点から池袋大橋を通り西口経由で帰る事にした。
先輩から迎えの要請が来た時にとある店にとあるものを頼んでいたのだ。
車を走らせ六つ又の交差点を左折、池袋大橋の方向に進んでいると先輩は俺の寄り道に気づいたようだ。
「JUNに寄るのか?」
「ええ、先輩も食べるでしょう?」
「あぁ…」
暑い日に迎えに行くときは西口のアイスやJUN、寒い日は東口の中華料理屋パッパグへ肉まんを買いに行くのが俺の中で先輩を迎えに行くときのルーティンとなっている。
この二つは深夜遅くまでやっているので重宝しているのだ。
それにとても美味しいときたもんだ。
池袋大橋を登り始めて車の速度がズンッと落ちたのが分かった。
この道は深夜だとかなり交通量が落ちるのでスピードを上げるのだが、ギアを2番に変えたほうがいいか?と思ってしまうくらいには速度が落ちたのだ。
なんでだ?
そう思いふとルームミラーをみて気づいた。
お連れの3人はかなりの重量級だったのだ。
(あぁこいつらのせいか)
俺は内心で溜息を吐く。
あんまりエンジンをふかしての走行は好きではないのだがしょうがないと諦めグヲォォンと音がなるほどにエンジンを踏み込んだ。
それに比例するように速度計はみるみる右に振れていった。
そのタイミングだった。
何を思ってか3人のデブが笑いながら左右に揺れだしたのだ。
確かに子供のころならやった覚えがある、山道下るときなんかは楽しかった。
でもそれは小さくて軽かったからだろ?
お前ら自分の体重理解しているのか?
そう思わざるを得ないが初対面の、それも先輩の知り合いにそんなこと言えるはずもなく、車体はかなり揺れ始める。
それは橋を登り切り、下りに差し掛かるときも同じだった。
ここで俺もミスった。
アクセルはベタ踏み状態、車体はデブ3人が揺らしている、そして目の前にはカーブ。
車は曲がり切れずに横転。
俺はその時点のまでの記憶しかなかったが、気づいたら草の生い茂る地面で横たわっていた。
肌に触れる地面の感触、映画でしか聞いたことのない鳥の鳴き声、若干肌寒い気温。
総じて不快な感覚に、寝転がったままでの現実逃避は得策じゃないと考え改めて起き上がる。
改めて周囲を見渡す。
車から投げ出されて公園とかに放り出されたのかと思ったがそうではなかった。
もっと悪かった。
あたり一面には見通せないほどに乱立する樹木。
どこまでも、どこまでも生えている。
(ここはどこだ?森なんて池袋にはさすがに無いよな…)
池袋で仕事をしていた俺は仕事柄池袋の町をよく歩いていた。
そこで知ったのだが池袋には意外と林なんかがあるのだ。
目白のほうに行けばもっと顕著だ。
それでも西池袋の駅前に森がないことは記憶していたはずなのだ。
それなのに俺がいるのはもう森といっても過言ではないような木々が乱立している場所なのだ。
俺は周囲の観察もそこそこに獣道っぽいのがある比較的歩きやすそうな方向に歩き出すことにした。
普通…かどうかは遭難したこともないしそれ関連の書籍なんてもちろん読んだことはないので不明だが、太陽の位置から方角を決めたり水の確保なんかを目的として行動するのだろうがあいにくと上を見上げても木が邪魔で太陽がそもそも見えないし水がどこにあるのかもわからないのだ。
適当に歩き始める他にない。
もともと選択肢はないに等しいのだ。
下り道側と登り道側の2方向あったが当然下り道側を選択。
歩き始めて10分ほど経過しただろうか…
歩くスピードは慣れない山道+辺りを観察だったのでそこまで早くない。
いろんなことに気づけた。
その中で一番の衝撃は「ここはおそらく日本ではない」ということだった。
俺だって人生28年生きてきたんだ、いくらそれ関連の書籍を読んだことはないといっても幾何かの知識はある。
蛍光色をした掌よりちょっと大きいグロテスクな形をした芋虫っぽいのが茂みを横切り、某グルメ漫画に出てくる食べてみたら美食だけど見た目はただの化け物な鳥類が木々の間を飛び回り、悪魔の実と言われても信じてしまいそうな見た目の推定フルーツが実る木々が所々に生えている。
こんな訳の分からない生態系は絶対日本にはない。
あってたまるか!
そう思う反面少しワクワクしている自分もいる。
少年の心を持っているなぁ俺、そう思いつつ歩き続ける。
そうして時間を忘れるほどに歩き続けた。
驚くほどの生態系にドキドキとワクワクが止まらなかったが周囲が暗くなってきてふと冷静になった。
もともと太陽の光も遮るほどに鬱蒼とした森だったので暗さ自体にはあんまり気にならなかったのだが、徐々に「暗い」ではなく「黒い」になっていってることに気づいた。
冷静になった思考で改めて今の自分の状況を分析する。
(これ……やばくない?)
遭難した時の必要そうなのは水と食料と寝床だろうと思うのだが、どれも手元にはない。
特に今現状で一番必要なものは寝床だ。
水や食料なんかは正直腹も減ってないし、喉も乾いていないので後回しでもいいと思っている。
それよりも重要なのは寝床なのだ。
ここまで歩いてきたことを思い出して俺はそれを強く認識している。
なぜなら、あんなでかい芋虫や得体のしれない生態系をしている怪鳥擬きなんかが生息している森なんだ。
寝ている間に何をされるかわかったもんではない。
最悪食われるかもしれないと考えたところで、思考より行動が今必要なことだと思い至り足を動かす。
未だ森、川もない、空も見えない。
周囲はどんどん黒くなる。
視界が悪くなり、あたりの状況確認も疎かになっていく。
とにかく浅い知識でその辺に生えている木の枝をへし折ろうとするが相当硬いらしくどんなに力を入れてもビクともしない。
数分もすれば辺りは完全に真っ黒になり、夜となった。
どこかで何かが羽ばたく音が聞こえた。
ガサガサと何かが茂みをかき分ける音が聞こえる。
聞いたこともない生物の叫び声が聞こえる。
俺の心は恐怖一色で埋め尽くされた。
半ば聴力がいいのが裏目にでた。
視界が黒に埋め尽くされてことによって、様々な音が聞こえてしまう。
本当に今日を感じたとき人は足が竦むのではなく、走り回るのだと知った。
そして自分の居場所を見失い、俺は足を踏み外した。
ゴロゴロと転げ落ちていく。
痛みは勿論だが、得体のしれない世界だということも相まって痛みを上回るほどの恐怖で何も考えられなくなってくる。
どれくらいだろうか…
かなり落ちたと思う。
体中が痛い。
とにかく生きている。
起き上がったらまた寝床を探さないと行けない。
そう思ったところで俺の頭は考えることを放棄したようだ。
気を失ったともいう。
ズルズルッ
何かの引きずられるような音で目が覚めた。
(グッ…体が痛すぎる。ここはどこだ?)
目を開こうとして瞼の裏にかなりの光量を感じて断念した。
「眩しい」そう言おうとしたのに口から出たのはゴポッとした血だった。
血の味がしたといったほうが正確か。
ズルズルッ
近くでまた何かが引きずられる音がした。
起き上がろうとするが何かの箱に入れられているのか体をうまく動かすことができない。
ズザッ
引きずる音が止まった。
かなり近かったように思えるが誰かいるのか?
体が起こせないながらも目をどうにか開いて音のする方向に目をやる。
そこにいたのは熊だった。
「ヒィィィ?!」
俺はとっさに上げた声を飲み込もうと必死だった。
車から投げ出されて起きたら日本じゃないどこかの森の中、崖から落ちたら目の前には熊。
最悪以外の何物でもない。
慌てて体を起こそうとするがどうやっても体が動かせない。
(なんなんだ!この箱みたいなのは!)
俺がそうやって身じろぎしていると熊はドシドシと凄まじい音を鳴らしながら近づいてくる。
熊が俺に触れそうなほど近づいてきて俺は気付いた。
熊が熊ではなかったということに。
それは熊の毛皮を被った大男だった。
フードのように熊の毛皮を被り、昨日見た蛍光色の芋虫を口に咥えてこちらを凝視する大男。
顔全体は見えないがえらく鼻が高いので俺の第一声は決まった。
「ハ、ハロー?」
大男は俺の問いに首を傾げた。
もしや言葉が通じていないのだろうか。
世界の共用語としてふさわしい言語を使ってみたのだがこれじゃなかったようだ。
熊のフードを脱ぎ、顔を完全にさらした男の顔は明らかに日本人顔ではなかった。
(このなりで英語通じないのかよ…)
男は俺の脇に両手を差し込むと赤ちゃんでも持ち上げるかのように軽々と持ちあげた。
「kfhglkdg;anhglkbnjhafbjgh;otgkjn;」
「はぁ?」
男の言語が全く理解できず俺は思わず聞き返した。
「jhglnhbaodhag;oytioeruoejfnvhdsiloe」
少し考えるように顎に手を当てて俺の反応をうかがっていた大男だったが再び何か言うと熊のフードを被り直し、俺を箱っぽいもの(ちらっと見たら棺桶みたいな形をしていた)に詰めなおしてまた歩き出した。
ズルズルッと聞こえていたの俺が入っている棺桶を引っ張る音だったようだ。
それからしばらく時間が経ち、意識が覚醒してから大男とのやり取りですっかり忘れていた痛みを思い出し始め、ズキズキと痛み出す体に悶絶していると棺桶が引っ張られる感覚が消えた。
痛みをこらえながら大男がこちらによって来るのを見守っているとまた同じように持ち上げられ、今度はそのまま歩き出した。
途中で大男と相対する向きから進行方向を向くように持ち替えられてた。
大男が向かっているのはログハウスだった。
コストコで見たことあるような、それよりもはるかにでかい平屋造りの建物だった。
3段ほどのステップを登りギギィと音を立てる扉を開いて中に入ると中央にあった丸テーブルの上に俺を座らせた。
なぜここに?
そう思ったがどうやら彼とは意思の疎通が難しいようなので声に出す事は無く彼の動向を見張る。
彼は俺を机の上に座らせた後、なんかの資料で見たことある水瓶と呼ばれるツボから水を柄杓のようなもので汲むと俺に差し出してきた。
おそらく飲めということなのだろうと考えしばらくぶりの水分補給をすることができた。
柄杓はかなり大きかったのだが一息で飲むことができた。
大男に柄杓を渡し、通じないとは思うが日本語で「ありがとう」と言った。
柄杓を渡された大男はもう一杯水を汲み俺に渡してきた。
先ほどの水がかなり多かったこともありお腹はぽちゃぽちゃなのだがと思い動かずにいると、大男が手をお椀の形にして顔にバシャバシャと当てるジェスチャーをしていた。
成程、そう思い俺は大男のジェスチャー通りに顔を洗うことにした。
その後も大男は身振り手振りのジェスチャーにて色々話してくれた。
話すといっても「汚れてるから洗え」と風呂場を示されたり、服の替えを渡されたり、怪我にあてる軟膏をくれたり、このログハウスの設備の使い方なんかを一通りジェスチャーで教えてくれた程度だ。
もちろん身振り手振りで全てが理解できるはずもないし、そもそも見たことない設備ばかりだ。
触りしかわからなかった。
そして一通りの説明を終えると大男は「じゃ!」とでも言う様に手を挙げてくるりと踵を返してログハウスを出て行った。
その切り返しの速さに少し呆然としてしまったが慌てて男を追いかける。
「ちょっ、まって!」
軟膏を塗ってから不思議と痛みが薄れていたがそれでもまだ痛む体に鞭打って扉を開けて外に出るとすでに大男はいなかった。
俺が入っていた棺桶とついでに引いていたのだろう幾つかの箱が残っていたくらいだ。
大男にちゃんとしたお礼を言っていないことに心残りがあるが大男が残していった箱に興味が行き箱に手をかける。
中にはおそらく食糧だと思われる見たことない植物や動物の死体が入っていた。
「こいつは塩…かなぁ」
色こそピンク色をしていて見たことはないが話では聞いたことあるどっかの山でとれる岩塩がピンク色をしていると聞いたことがある。
おそらくそれだろうと当たりをつけてペロリと一舐めしてみれば思い通りのしょっぱさでこれが塩なのだということに確信を持てた。
俺は一度箱から手をどけて大男がどっちに歩いて行ったか分からないが、箱を引きずった跡が残っている森の中のほうに礼をした。
結局誰で何をしたかったのか分からなかったがあの大男のおかげで俺は今も生き延びているのだ。
感謝は欠いちゃいけないだろう。
部屋に戻ってきた。
昨日今日でかなりいろいろあり精神的に疲れているようだ。
このログハウスには設備がいろいろある。
水洗い場と呼ぶほうが正しいだろう盥ほどの大きさの木桶がある部屋、ピザ窯あるレストランの厨房みたいなキッチン、草が敷かれたベッドっぽいもの。
あの大男が使用していたのかと思ったが、大男サイズではないので誰のだろうか?
(まぁいいや、さすがにくそ眠い)
俺はそろそろ頭が働かなくなってきた体を動かしてモタモタとした動きでベッドに向かい寝転ぶとすぐに寝てしまった。