壱 俺時々案内人
今は20XX年。異常気象が続き、毎日40度越えの日々。熱中症で死者が一日一万人なんてザラじゃない。廣瀬は、車の運転中に飛び出してきた猫を避けて短い生涯を終えた。1人の店主と、数えきれない魚を巻き込んで。
気がつくと知らない場所にいた。辺りを見渡すが、見覚えのあるものはない。
「あれ、ここはどこだ……」
心地よくて浮いているような感覚がある。体を起こそうとすると急に目の前が暗くなった。
「やっと起きた? お寝坊さん」
目に入ってきたのは白い髪と特徴的な青の瞳。
「しらが……」
「白髪じゃない! はくはつって言って!」
頬を赤くし、丸く膨らませているこの子は15歳くらいだろうか。肩からは羽が生えていて、耳はエルフのような形をしている。いくら鈍感な廣瀬にも人間でないことだけはわかった。
「ーー俺は死んだのか?」
一番気になっていたことを聞くと
「そうだとしたら? 懇願する? 自殺なんてしなければよかった、元の世界に返してくださいって」
とニヤニヤ泣き真似をしながら言う。唇を尖らせ鼻を啜るその演技は多少鼻についたが、そんなことで怒るほど落ちぶれてはいない。そこで冷静に事実を説明しようとした時だった。
「ばぁかもん! それはお前じゃろうが!」
性悪白髪の頭に拳骨が落ちた。同い年くらいの、ちょっと風貌の違う同種族らしき子が白髪に詰め寄る。
「意地悪しちゃあかんて、なんべん言ったらわかる? 聞かれたことは教えて、相手の話を聞く! これ基本!」
廣瀬はその剣幕に圧倒されたが、当の本人は目に涙を溜めながらも不満そうな顔をしていた。
「ごめんな、あんた。まだこいつは未熟モンでね。知りたいことはおらに聞いとくれ」
白髪の首根っこを掴みその子は言った。
廣瀬は、自分がここに来ることになった経緯を伝え、沢山のことを教えてもらった。ここは、自ら命を立った者、なにかのかわりに犠牲になったものが集まる天界であること。2人は天使ではなく、天界に来た人たちを送る案内人であること。そして廣瀬には天国に行くか、転生するか二つの選択肢があること。ただ、その先の未来については選んでからのお楽しみだと教えてくれることはなかった。
一通り大事な質問を終え、思い出した魚屋について問う。すると案内人は答える。
「大丈夫よ! 店主も魚も天界にきとるさ。彼らにもあんたと同じ選択肢が与えられとる」
廣瀬は自分のせいで他人の未来を絶ってしまったことを悔やみ頭を抱えた。すると白髪が口を開く。
「あんただって、猫を助けるために人生棒に振ったんでしょ。気にしなくていいと思うよ。このお人好し」
最後の一言は気にせず、その言葉を受け取る。割り切れないながらも、幾分か心が軽くなった。命を救うための犠牲に罪はなく、責任を取りたくても取ることができない。自分が助けた命、終わらせてしまった命を忘れずに進むことが償いだと白髪は言った。
「んで、どうする? 天国か転生か。自分で決めなはれ。後悔せんようにな」
何度か深呼吸して廣瀬は言った。
「俺はーー転生しようと思います。天国はきっといいところだと思うけど、あの世界でもう一度生きてみたい」
案内人は頷き、
「じゃあ、おらたちはここで。次目覚めた時には、なるようになっとるから」
そう言い残し、光のように消えた。
話したのは3時間くらいだろうか。誰もいなくなると、どっと疲れがやってくる。目覚めたらどうなっているのだろうというワクワクと少しの不安を胸に抱え、廣瀬は夢に落ちた。
眩しい、煩い。ピヨピヨと上から音がする。廣瀬は目を開け、体をゆっくりと起こした。最初に視界に映ったのは大きな木。ぼーっとしながらも頭が冴えていく。起きたここは、きっと転生先の世界。大きく伸びをすると廣瀬の目に見覚えのある風景が広がる。ただ、目線と視野の違和感が拭えない。そして古い。建物も街並みも。服には流行りのはの字もない。廣瀬の考えはある種の可能性にたどり着いた。
「ミャ、ミャア」
嫌な予感がしてか、廣瀬は顔を曇らせる。とりあえず、色々なことを確かめるため廣瀬は移動することにした。
歩く感覚はある。ただ足音が多く感じるのは気のせいだろうか。進んでいる感覚も微かなものだった。30分ほど歩いても、目的の場所には程遠い。その後1時間ほどかけてようやく見えてきた場所は廣瀬の家だった。木造の平家。もとの廣瀬の家は鉄筋の二階建てのはず。
家の前について初めて、中に入れないことに気づいた廣瀬は勝手口に周り、空いている隙間から体をねじ込んだ。そして、鏡を目標に風呂場まで走る。いくつかの段差を乗り越え、たどり着いた鏡を前にして廣瀬は言葉を失った。予感はしていたことだったが、あり得ない事実があったのだ。
「ミャア」
廣瀬は少し昔へ転生していた。それも、紛れもなく廣瀬が車で轢きかけた白猫へと。