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蠱毒の姫は孤独だなんてつまらない洒落

 ゆっくりと後ろを振り向くルーム、死角に入られている今は急に動くことによって蠱毒姫蜂を刺激することは得策ではないとの判断ゆえである。ゆっくりとそして確実に声の方向へと顔を向ける、そして目に移った蠱毒姫蜂の姿は予想を大きく裏切るものだった。


「進化とかそういうレベルじゃないよこれは」

「あ、分かった。あなた達はこうやって話すのね」


 人型の虫というよりも更に先に蠱毒姫蜂は至っていた、つまりは完全な人型。亜人種として認められるレベルでの変化を成し遂げていた。金と黒の混ざった髪は体の局部を隠すようにしながら地面に付くほどであるが身体自体はそこまで大きくはない。歳で言うならば5~8歳くらいであろう。控えめな触角くらいしか他に蜂らしき部位は見て取れない。顔は完全に人のそれであり、非常に整った顔立ちである。


「なんで、話せるの?」


 恐る恐る話しかける、姿かたちは人であるがその精神構造は虫のそれである。今すぐに食いつかれても何もおかしくないのだ。何が気に障るかなど分かったものではない、なにより、ここまでの変化をした蠱毒姫蜂の力がどうなっているのかルームには判断がつかない。とりあえず何か話そうと思い絞り出した末の発言であった。身体は強張り冷や汗が垂れ始めている。


「そんなに怖がらないで、えっとなんていったらいいのかしら、これを何と言ったらいいの」


 蠱毒姫蜂は自分を指さす、質問の意図を計りかねたルームはただ聞き返すしかなかった。


「これ?」

「そう、この身体は何?」

「何って、僕には意味が」

「待って、それよ。今なんて言ったの」

「意味が分からないって」

「違うわ、今言った‘ぼく’っていうのは何?」

「僕っていうのは自分のことを言うときの言葉だけど」

「そう、それはなんて言ったらいいの?」

「君が?」

「きみ? これはきみなの?」

「えっと、君は僕が言うときの呼び方で、自分で言うときは多分私だと思う」

「わたし? これは私なのね?」


 自分の身体をペタペタと触りながら確認する蠱毒姫蜂、借り物の身体の調整をしているようなそんな動作だ。


「私が、この穴を使って音が出せるのは、あなたの音を聞いたから。あの殻に入っていた時のことはよく覚えていないけどね」

「つまり君がこうなったのは僕のせい……?」


 とんでもないことをしてしまったと思いルームの顔が引きつる、人型の蠱毒姫蜂などどうしたら良いのかまったく見当がつかないのである。誰かに相談することもできなければ、放っておくわけにもいかないという完全なる袋小路状態だった。


「だから、そんなに怖がらないで。私はあなたを壊さないわ」

「え?」

「だって……、あれ? 僕というのは自分で言うときよね、私が僕を呼ぶときはどうしたら良いの?」

「僕はルーム、だけどあなたでも君でも大丈夫だよ」

「だい? じょうぶ? よく分からないけど私はルーと呼ぶわ。ルーは私の手足だけど、特別に私と呼んで良いわ」

「えっとね、私っていうのの他に名前っていうものがあるんだけど、呼ばれたい名前とかある?」


 ルームは意図的に手足だけどという部分を無視した、引っかかると確実に面倒なことになると感じ取ったのである。


「なまえ? それに意味があるの?」

「私だと呼びにくいから呼べないかもしれない」

「うーん、面倒ね。じゃあルーが呼びたい名前をつけなさい」

「え? 良いの」

「良いと言ったわ、私は同じことを何度も言うのは嫌い」


 名づける、というのは非常に強い意味を持つ。魔術的にも呪術的にも名づけ親は名づけた側を支配することになるからだ。蠱毒姫蜂という強大無比な相手を支配できるというのはそれこそ軍隊を味方につけるに等しいことである。


「やっぱり駄目だ。自分で決めて、これは譲れない」

「ルー、手足が頭に逆らうかしら」

「これは君のためなんだ、それとも君は僕の手足になりたい?」


 ルームはわざと手足という表現を使った、これならば蠱毒姫蜂が意味を理解すると思ったからである。そしてその効果は抜群だった。


「カチカチカチ」


 蠱毒姫蜂の口から堅いものをぶつけ合わせる音が聞こえる、これは蜂が行う威嚇、臨戦態勢に入ったことを意味していた。


「カチ、いいなおす、カチ、なら、カチ、今だけ、カチ、壊れたいの? カチ」


 音の合間に言葉が無理やり紡がれているために非常に聞きにくいが最終警告である、現在蠱毒姫蜂の背は裂け羽が出現し、どうやって格納していたか分からないがギチギチという音を立てながら蜂に近い形へと身体が変形しつつあった。


「君は、君なんだ、僕が決めていいことじゃない。君は君の意思で名前をつけなきゃいけない。自分の運命を他人に委ねるのは駄目だ。僕は僕以外の運命を決めたりしない」


 言っていることの意味は蠱毒姫蜂には理解できない、だが、最終警告が受け入れられなかったことだけは伝わっていた。


「……そう、手足の反逆を飲み込むのも役割のうちかしら。それができなくて私の巣は私に壊されたのだしね」


 驚くべきことに、蠱毒姫蜂はその矛を収めた。それはいずれ女王になる姫の矜持かそれともただの気まぐれか。確かなことは一つだけ、ルームが命を拾ったということである。


「それで? ルーのような人間はどんな名前が最高の名前なのかしら。私につけるのだもの、どこまでも上でなくちゃ」

「どこまでもって、あれよりも?」


 上空に輝く星を指さす、母なる光とも呼ばれる昼の源であった。


「そうね、あれよりもっと上」


 蠱毒姫蜂が星を見上げる、普通は直視などできぬ光であるがおかまいなしである。


「えっ、これって」


 光を見つめるうちに蠱毒姫蜂に何かの記憶が呼び起こされる、それは自らが破壊した巣での記憶、女王が自らを呼んでいた音の連続。


「スィン、私はスィン。そうだった、私はそう呼ばれていた」

「良い名前だね、意味はあるの?」

「分からない、けど、悪い意味じゃなさそう」


 実際には言葉ではないただの音であったが少なくともその音には愛情に分類される何かが込められていた。そして、正式な記録には残らないがこれが世界で初めて生まれた名前付きの蠱毒姫蜂である。


「名前も決まったことだし、早く番を探しに行くわよ」

「え?」







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