苗床亭の朝
朝日が差し込んでから少し経つとヒュープが離れることによってルームが目を覚ます。
「ふわぁ、よく寝た」
昨夜の惨劇のことなどつゆ知らずルームは朝の支度を始める。たまに普通の人間が泊まる際使う部屋の掃除である。人外が集まりやすい苗床亭ではあるが、別に秘境にあるわけではないので奇特な人間が泊まることがある。
「よし、と」
掃除をするためにエプロンをして頭に三角巾を巻く、この日課はまともに眠れるようになってから始まったものであるが今となっては手馴れたものでテキパキと掃除をしていく。
「そろそろかな?」
掃除が一段落する頃に、苗床亭の扉を叩く音がする。これもまたいつものことである、生活リズムの一部となっているためにある程度タイミングが測れるほどだ。
「はーい」
ルームが扉を開けるとそこには大きめの瓶と野菜を持った壮年の男性がいた。彼はアーグリオという農家であり農場に出た魔物を退治してからの付き合いである。
「今日の分の牛乳とおまけの野菜だ。それにしてもちゃんと食べてるか? 全然大きくならないな坊主」
「ありがとうございます、小さいのは気にしてるので言わないでください」
「がっはっはっは!! そいつは悪かった、俺んとこの牛乳飲んでれば嫌でも大きくなるさ」
頬を膨らませながら言うルームの頭を撫でながら大笑いするアーグリオ。心配6割、揶揄い4割ほどである。実際ルームの身体の成長は非常に緩やかになっている、ルーム自身は気づいていないが少しでも長く餌として機能するために毎日少しずつ肉体改造を施されているのである。現状でも殺されない限りでは長命種の半分ほどである500年は生きることができる状態にある。
「それとも俺と一緒にトレーニングでもするか? 少し筋肉をつければ身体も大きくなるだろうさ」
「はは、遠慮しておきます。ちょっと貧血気味なのとここの管理を怠ることはできないので」
「むぅ、そうか。気が変わったらいつでも言えよ」
「はい、ありがとうございましたアーグリオおじさん」
「おじさんじゃねえ、お兄さんと言え。俺はまだ30だ」
「そうでしたね、アーグリオお兄さんありがとうございました」
「それで良し、明日もまた来るぞ」
「よろしくお願いします」
依頼の報酬として牛乳1年分が届けられることになっているのである。アーグリオとしてはあまり客の入らない宿屋を切り盛りする少年がまともに暮らせているのか疑問であるので、見守りの意味も多分にあった。
「次は卵かな」
苗床亭から少し歩くと養鶏を生業とするトリトスという男の家がある、家の前には不機嫌そうな男が立っていた。神経質そうな顔をしているこの男がトリトスである。トリトスはルームを一瞥すると少しだけ口元を緩めた。
「ふん、来たか。お前の取り分はこれだ。早く持っていけ」
「今日もありがとうございます」
「何を言う、これはお前の正当な対価だ。礼を言う必要はない」
トリトスの所の養鶏場にて突然変異により鶏ではなく、石魔鶏が生まれるという事件が起こったことがある。石魔鶏は迂闊に近づくと石化させられるうえ、周囲の普通の鶏を孕ませることで数を増やせるという厄介な魔物である。養鶏場ごと焼き払うかというところで石魔鶏を討伐したのがルームであった。その時にいた鶏が産んだ分の3分の1の卵をもらうという契約を結んだのだ。
「でも本当に良いんですか? こんなにもらってしまって」
「市に卸せない大きさのものも含んでいるから問題ない、できるだけ早めに食うことだけは気をつけろ」
「はい、気をつけます」
卵を籠に詰め終わったあたりで家の奥のほうからトリトスが紙につつまれた塊を持ってきた。
「今朝しめた鶏肉だ、これも持っていけ」
「良いんですか、これは契約には……」
「その貧相な身体で遠慮などするな、もう少し肉をつけろ」
「うう……僕はそんなに貧相ですか?」
「今にも倒れそうだ、見てるこちらが気が気ではない」
「ありがとうございます……」
肩を落としながら肉を受け取るとそのままとぼとぼと苗床亭へと戻る。その後はまた別の容器を持って食料その他もろもろを貰う契約を結んだ場所へ行く。これが苗床亭の朝の日課であった、現金収入という点では入手手段の乏しいルームは周囲の農家等を助けることで糧を得ている。
「あれ? 依頼が来てるかな?」
伝書鳩が軒先にいるのを発見すると、足に結ばれた依頼を確認する。苗床亭は正式なギルドには属していないためギルド経由で依頼が届くということはない。どこかから評判を聞きつけた者が伝書鳩やら伝書猫やら伝書犬やらを使うこともあれば、直接訪ねてくることもある。受けるかどうかはルーム次第であるが、今まで断ったことはあまりない。
「えっと……」
紙を広げて内容を確認する。
「果樹園の虫の駆除かぁ、これならすぐ終わるから良いね」
こうしてルームの今日の予定が決定する。




