苗床亭の住人2
「もぐもぐ」
ルームが黙々と夕食を取る、日々を生きるためという意味以上の理由がルームの食事にはある。現在苗床亭の住人は全てルームの身体を通して糧を得ている、つまりはルームは全員の大事な食糧でもあるのだ。こう言うとルームが一方的に搾取されているようであるが実際にはルームに返ってくる恩恵も相当なものであるので五分五分どころかルームの方が得をしている部分も多分にある。
つまるところ、ルームが発現させた禁忌のスキル【寄生】によって極上の餌と化している身体の管理もまた苗床亭の主人としての仕事の一つなのだ。
「けふっ、これくらいかなあ」
ぽこっと膨らんだお腹を撫でながらルームが呟いた。どう見ても食べ過ぎであるがこれはルームが大食漢であると言うことではない。これくらい食べなければ身体が保たないということなのである。少食であったルームが客が増えるにつれて大食いをできるように努力した結果なのである。
「身体重いや」
とはいえ流石に食事の直後は動きが鈍る、このまま横になるのもなかなかに苦しいのでルームは地下室に向かった。
「何か読もうっと」
苗床亭の地下には不釣り合いな図書館が存在している。アンケとは別の大魔導師と呼ばれる存在が苗床亭に訪れた際に作った空間である。大魔導師は既に肉体を捨て去った精神存在のようなものであり、その糧は知識だという。その大魔導師がいきなりふらりと苗床亭を訪れこう言った。
「熟成が足りないな、もっと本読みたまえよ。貴公が真に賢者たりえた時その知を味わいたい」
その言葉とともに苗床亭の地下には空間が拡張されてできた図書館が生まれたのである。そこにある本は普通の本などではなく、いわゆる魔術書であったり教典の原典にあたるものであったりと奇書にして稀書であるものばかり。これもまた暴君薔薇の花と同じように市場に出たら大問題を引き起こすものであるが、デタラメなことを書いてある暇つぶしの本程度にしか認識していないために価値に気付いていない。
「えっと、今日はこれかな」
手に取った本は奇妙な手触りの本。おそらく革であることには間違いはないが、ルームが今まで見たどの革とも違うものだった。強いて言えば豚の皮に近いものであったが、同じではなかった。
「えっと、タイトルは。あっちゃあ、文字がうねる本か。でもこの前読めるようになったんだ、あーる、あじーふ?」
名状し難き人皮本は既に失われて久しい秘法の数々、驚くべき真実、目を覆うような儀式、それらが詰め込まれた世界に二つとない本である。もしも完全に解読したならばそれこそ世界を制するどころか一から作り替えることさえ可能にする力を与えるだろう。
「だめだ、頭痛くなる」
常人であれば文字を見た瞬間に発狂するか即死する文字列を見て頭痛で済む時点でルームの人外ぶりもなかなかに極まってきているのだが、特別な知恵を必要とする名状し難き人皮本の解読には至らなかった。そして本を閉じて元の場所に戻すとちょうど良い具合に腹も落ち着いていた。
「寝るかな、美味しい夢になれば良いけど」
ルームの発言より分かるとおり、苗床亭最後の一人の正体は夢魔である。ただし、ここにいる夢魔は吸精鬼ではなく夢喰獣である。
「いっつも夢を忘れているくらいだからきっと全部食べてくれていると思うんだけど。美味しいかは自信がないなあ、きっと甘くてふわふわした夢じゃなくて辛くて苦い夢だろうから」
夢喰獣が訪れる前のルームが見る夢はいつも決まって悪夢だった。忌まわしい記憶、追放と絶望の記憶が終わることなくフラッシュバックする無限地獄。故にルームの睡眠時間は長くとも一時間であった、今は夢喰獣がそれらを食べるためきっちり八時間強制的に眠らされているが。
「ふわぁ、眠くなってきた、ヒュープのご飯の時間だ」
目をくしくしとこすりながら図書館を出ようとするが、数々の本の中には意思を持ったものもある。その前で意識の隙を見せると言うことは自殺行為に他ならない。
「だぁめ、この子はヒューのなんだから」
ルームの意識の外で本からの干渉が握り潰された。夢を支配し食い尽くす夢喰獣の前で精神干渉を試みたところで無駄である。相手が悪いとはこういうことを言うのだ。夢喰獣の中でも最上位にあたる地獄夢喰いの位階であるヒュープは自らの餌に手出しなどさせるわけがなかった。
「ルームきゅんの悪夢はヒューだけのものなの。他の子には一欠片だってあげないんだから」
白金色のふわふわとした長い髪から捻れた角と大きな耳を覗かせたヒュープが舌舐めずりをする。まさしく捕食者の表情を覗かせ、食欲と情欲を満たす瞬間を今か今かと待っていた。
「おやすみなさい」
誰に聞かせるわけでもない挨拶をしてルームがベッドに潜り込んだ。すぐに意識は夢の中へ落ちる。
「じゅる……いただきまぁす」
ヒュープが夢の中へと潜った。




