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苗床亭の住人

「あー、ふらふらする」


 アンケの薬屋からようやく己の城である苗床亭に戻って来たルームには果たさなければならない仕事があった。それは苗床亭の住人の食事の用意である。


「よいしょっと、ふぅ。慣れてきたとはいえやっぱり重労働だよなあ」


 井戸より水桶いっぱいに水を汲み、その中に一滴己の血を垂らす。すると匂いを嗅ぎつけて来たのか捕食本能なのか茨がずるずると近づいてきた。普通の茨とは違う赤みがかった茨は鉄をも引き裂く強度を誇っている。そんなものが自然物であるはずもなく、これは苗床亭の住人の一人である暴君薔薇(タイラント・ローズ)のロサ・ロサの一部であった。


「たくさん飲んで良いからね」


 うねうねと動く茨に話かけるのはかなり正気を疑う光景ではあるが、それを見慣れた周りの住人達は特に気にするでもなく歩いていく。


「うわっとと、ちょっとちょっと、感謝の気持ちはありがたいんだけどその茨で頬擦りとかされるとズタズタになるから遠慮しとくよ」


 謝意を表すようにハート型になった茨が近づいてきたが慌ててルームは制止した。いくら常人とは言い難いルームであってもこの茨で擦られようものならばたちまち削りとられてしまうからである。


「しょんぼりしないで、感謝は受け取るってば」


 見るからにしおしおと元気を失った茨を慰めるように軽く叩く。するとさっきまでの元気のなさは嘘のように茨は活力を取り戻した。


「これをくれるの? ありがとう、大切に飾るね」


 茨より一輪の薔薇が咲き、受け取れと言うようにルームの手の上に落ちた。深みのある赤色と黒が混ざったような見事な薔薇は見ているだけで吸い込まれそうになる魔性を秘めていた。ちなみに暴君薔薇の完全な形の花が市場に出ようものならば貴族の家が2、3個傾くほどの値がつくのだが、結構ポンポンもらっているのでルームはそんなに価値のあるものだとは知らない。

 もっとも、暴君薔薇の寵愛の印でもある花を売ろうものならば瞬時に養分の仲間入りをすることになるのだが。


「全部飲んだね、おかわりは欲しい?」


 茨が左右に揺れる、ロサ・ロサの食事はこれで終わりということだった。


「うん、それじゃあまた明日」


 水桶をしまいながら次の準備へと取りかかる、苗床亭の住人はそれぞれが違うものを求めてくるが、次の相手はその中でも特異な相手である。第1に、何かを食べるという訳ではない、第2にそもそも物質という縛りを受けない、最後に、その相手は半透明である。


「ふっ、ふっ、これくらいかな」


 ルームはトレーニングというよりも、緩やかに身体を温めるような体操を行っていた。少しずつ強度を上げ体温を上げていく。何故このような事が必要になるかというと、次の相手であるヨツヤという怨霊ゴーストの主食が体温であるからに他ならない。もしアップを疎かにして食事を提供したならば深刻な体温低下によってルームは生死を彷徨うことになる。実際一度サボった時に死にかけてからはルームはこのアップを欠かしていない。


「あはぁ、美味しそうでありんすなあ」

「準備はできたのでどうぞ」

「あまりがっつくのも粋じゃあらんせん、まずはお手を拝借」


 極東にあると言われる島国出身らしいヨツヤの格好は着物である。死に装束らしい白い着物には赤い染みがついている。生前の衣装にそのようなものは付いていないはずであるのだが、怨みを晴らすために散々暴れ回った結果として血の染みが浮かび上がって来たとヨツヤはうそぶく。


「嗚呼、温かい」


 指先をゆるゆると絡めるヨツヤの表情は恍惚としている。怨霊たるヨツヤが生者の体温を貪る感覚が如何なるものかルームにうかがい知る事はできない。それでも嬉しそうに体温を奪うヨツヤの顔は美しいとルームは思っていた。


「この身体になって良かったのは身体の交わりよりも、ただ純粋に身体を重ねる心地よさを知れたことでありんすなあ。遊女をしていた頃はそんなことを思う余裕もありやせん」


 ゾクゾクと背筋に走るのは体温低下によるものか、遊女の手管によるものか。指先から少しずつ身体を重ね合わせていく感覚は恐ろしいような、おぞましいような、快いような。そのような感覚がない交ぜになったものである。


「まあ、命を奪う気持ちよさはそれに勝るのでありんすが」


 先ほどまでの段階を踏むような体温低下とは打って変わって、一気に身体が悪寒に襲われる。


「生かそか、殺そか、くるくる、狂狂くるくる、まわりゃんせ、旦那様の細首を、くるりと回してしまおうか、繰る繰る来る来るくるりらら、一息いきに回して、しまおうか」


 ルームとっては聞き覚えのないメロディの歌はいつも食事の際にヨツヤが歌うものである。毎回歌詞が変わる歌はいつも物騒であり、とても遊女が歌うものとは思えない。そして決まって歌う時のヨツヤの目は遠くを見つめている。


「ご馳走さんでした、今日も極上でありんした」

「はい……お粗末様……でした」


 すうっとヨツヤが身体から離れると、青ざめていたルームの顔色が少しだけ改善される。ほんのりと赤みが差したルームの頬をヨツヤが撫でる。壊れやすいもの、愛おしい者を触れるかのような酷く優しい手つきであった。


「いつも迷惑をおかけしなんす、これはお代でありんす」

「ありがとう、ございます」


 手渡されたのは人魂の如く燃える札であった、ヨツヤ曰くこれは形代であり、身代わりになる宝物。しかしルームは未だにこれを使ったことはなくその真偽は定かではない。もちろん霊的アイテムであるため物質を燃やすことはない。


「それじゃあ、おさればえ」


 ヨツヤが姿を消す、ちなみに去り際の言葉がさようならの意味を持つことをルームはまだ知らないためなんと返すべきか分かっていない。


「さて、と。次で最後かな」

 

 現状の苗床亭に居る客は後1人である。






















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