第96話 もう一つの決着
油断していた。
この子は、感情が高ぶった時に何をしでかすか、わからない部分があった。
今、僕は公衆の面前で、”姫賢者”として有名になったシャクヤから、抱きつかれて告白されてしまった。
顔が凍りつく僕と嫁さん、そして、まだ見物客として残っていた幾十人かの人々。
特に目撃した男性たちは、みんなのアイドル的な存在のシャクヤが公開告白をしてしまったため、ショックとともに僕を厳しく睨みはじめた。目撃した女性たちは、キャーキャーとテンション高く騒ぎ立てる。
死闘が終わって安心したところに想定外の事件が起こってしまった。
僕は、慌てて嫁さんの顔を見た。
嫉妬に渦巻く、いつもの表情をしているのか、と不安だったが、驚くほど冷静な目で、僕の目を見返してきた。
そうだ。今こそ好機なのだ。
実は、ベナレスへの逃避行の最中、僕たちは事前に相談していたのである。
「シャクヤ、今頃どうしているかな……僕たちが指名手配されたことを知ったら、絶対に動揺するだろうな……」
「あの子のことだから、蓮くんの顔を見たら、いきなり抱きついてきそうだよね」
「え……」
「ちょっと心配だなぁ……そのまま告白。なんてことにならなければいいんだけど……」
「百合ちゃん、そのことなんだけど、前にシャクヤが告りそうになったところで、会話を遮ったでしょ」
「うん」
「あれは、よくなかったよ。告白されるなら、されればよかった」
「え!どうして!?」
「だって、面と向かって告白されれば、こっちもキッチリ断れるじゃないか」
「あ……そうか」
「このまま、なあなあで済ませるよりは、むしろ告白されて、ケジメを付けた方がお互いのためだと思うんだよね」
「じゃあ、蓮くんのこと、信じてるからね。シャクヤちゃんに告られたら、しっかりお断りするんだよ」
「もちろんだよ。りょ!だ」
僕は嫁さんのモノマネまで交えながら、自信を持って返事をした。
そして、今、その場面が来たのだ。
こんな衆目に晒された状況なのは想定外だが、ここは妻を持つ身として、キッチリ話を付けなければならない。
僕は、告白して以降、黙ってしまったシャクヤの両肩を持ち、そっと体から離した。
「シャクヤ」
彼女の目を見て、しっかり断ろうとした。
ところが、シャクヤの方は、目を回したように虚ろな表情になっており、顔を耳まで真っ赤にして、のぼせ上がっていた。
「……シャクヤ、聞いてくれるかい?」
「も……も…………も………………」
「僕は――」
「申し訳ございませんでしたぁ!!!」
それだけ叫んで、もの凄いスピードで走り去ってしまうシャクヤ。
さすがレベル41だ。僕が走って追いつける速度ではない。というか、彼女の本気の走りを、こんな場面で初めて見せつけられるとは考えてもいなかった。
「あっ!ちょっと!シャクヤ!!」
気づけば夕暮れ時である。夕日に照らされたシャクヤは、薄暗い景色に溶け込むように消えてしまった。
僕は取り残され、横からジロッと睨みつける嫁さんと二人だけになってしまった。
「蓮くん……」
「い!いや!まさか逃げられるなんて、思いもしなかったから!」
「もう!しっかりしてよね!」
「百合ちゃんだって、今のは止められたでしょ」
「蓮くんが止めないのに、この場面で私が止めたら、シャクヤちゃんが、かわいそうでしょ」
「それもそうだな……」
シャクヤの肩を持つ嫁さんだったが、ここで口を尖らせて呟いた。
「って言っても、お嫁さんの目の前で、旦那に告白しちゃう女の子も、正直どうかと思うけどさぁ……」
「ここが日本なら、完全に修羅場だな……」
ところで、ふと我に返ると、周囲の人々が僕たちを見ながら、囁き合っていた。
「おい……今のはどうなったんだ?」
「わかんない……”姫賢者”が告白した後、走って行っちゃった」
「”ニセ勇者”って夫婦だったよな?」
「どうなるんだ?これ?」
「くそ!あんな美人の嫁さん連れながら、”姫賢者”もモノにしようってのか!」
気まずい。気まずすぎる。
戦いを見物された時は、高ぶる闘争心で気にならなかったが、公開告白を目撃されてしまった今の状況には、とてつもない気まずさと恥ずかしさが込み上げ、居たたまれなくなってきた。
「百合ちゃん、シャクヤの気配はわかる?」
「あっちの方」
「行こう。ここは気まずすぎる」
「うん」
人混みを掻き分けて、二人でシャクヤを追いかけた。
ホーソーンは帰還したが、もともとベナレスに滞在中だった騎士は残っている。ゆえに嫁さんは再び気配を消しながら急いだ。
結局、シャクヤは家に戻っていた。
「真面目なあの子らしいねぇ。どっか遠くへ逃げたわけじゃないんだ」
嫁さんが微笑している。
家に入ると、カメリアが心配そうに言ってきた。
「あっ!旦那様、奥様、お帰りなさいませ!先程、シャクヤお嬢様が帰って来られたんですが、何も言わずに走って部屋に入られまして、なにか、泣いているように見えたんですが……」
「ああ、心配しないで。大丈夫だ。じゃあ、百合ちゃん、僕一人で話をしてくるから」
「うん。お願いね」
僕は、一人でシャクヤの部屋の前に立った。
「シャクヤ。話があるんだ。開けてくれないか」
十数秒待ったが、返事がない。僕はもう一度言った。
「さっきのこと、ちゃんと話をしよう。このままでは、お互いに気まずいだろ?」
さらに十数秒待った。すると、ゆっくりと扉が開いた。
「あ……あの……レン様お一人でございましょうか……?」
シャクヤは顔を真っ赤にしたまま、僕と目を合わせずに聞いてきた。
「うん。僕だけだ。入ってもいいかな?」
「ど……どうぞ……」
か細い声で招き入れてくれるシャクヤ。
僕は、少し緊張しながら部屋に入ったが、扉を閉めた途端、シャクヤはハッキリとした声で叫んだ。
「さ!先程は大変に失礼を致しました!!」
かしこまっておじぎをするシャクヤに僕は優しく言った。
「うん。ちょっと驚いたけど、あれは君の本心てことでいいのかな」
「あ……あれは……その…………」
モジモジしつつも、シャクヤは意を決したように言った。
「……そうでございます。レン様が、わたくしのために戦ってくださった雄姿、そのお背中を拝見しているうちに、わたくし、胸に秘めた想いを打ち明けずにはいられませんでした。レン様のことを、わたくし、深く深く、お慕い申し上げております」
こうしてハッキリ言われると、一人の男として、とても嬉しく感じてしまう。実のところ、僕の人生において女性から告白されたのは、これが初めてなのだ。
嫁さんと付き合う時には、一応、僕の方から告白した。向こうから、かなりわかりやすくアプローチしてくれたことも助けとなったが、草食系の僕は死ぬような覚悟を持って告白したことを覚えている。
だからこそ、ここはシャクヤの想いを真正面から受け止めて、しっかり断ろうと僕も決意していた。
「ありがとう。シャクヤの気持ちは嬉しいよ。でも、それを受け入れることはできない。僕は、妻の百合華以外の女性を愛することはないんだ」
「はい……それも存じております」
「え?」
キッパリと断ったところに、予想外にキッパリと返事が返ってきた。
僕は、次に何を言うべきか、少しわからなくなってしまった。
「……あぁぁぁ、わかってくれてるんだ。そっか……」
「はい…………」
「………………」
沈黙の時間が訪れた。
これはまずい。
ラクティフローラの件もある。
こういう場合、どこか曖昧さを残してしまっては、いずれまた災いの種となるやもしれない。
「僕のいた世界ではね、夫と妻は、一対一なんだ。奥さんが何人もいる、この世界とは、全く考えが異なるんだよ」
僕は、しっかりと文化の違いを語ることにした。
「はい。それも以前にお姉様からお聞きしました」
「あ……そうなんだ」
「はい…………」
「………………」
再び沈黙した。
これは、どうしたらいいのだろうか。
よくよく考えれば、女性からの告白が初めてなのだから、それを断るのも生まれて初めてであった。嫁さんと結婚したお陰で、女性という存在に対し、免疫がついたと思っていたのだが、決して経験豊富になったわけではなかった。今、僕は、ついさっき命懸けで騎士と決闘したばかりだというのに、それ以上の緊張感で困惑してしまった。
「えっと……じゃあ、なんで僕に告白なんてしたのかな……」
言いながら後悔した。
これは、あえて聞くべきではなかったのではないか。
「そ……それは…………」
答えようとするシャクヤの顔は、今までの戸惑っていた様子から一変し、今度は燃えるような目で真剣に僕に迫ってきた。
「わたくしにとって、レン様を超える殿方は、金輪際、現れないであろうと確信しているからでございます!この気持ちは!消そうと思っても、消せるものではございません!!」
「え…………」
断ったはずなのに、再度告白されてしまった。
これはどうすればいいのだ。
「……で、でも、僕はそれを受け入れることはできないんだよ!」
複雑な心境だ。先刻、部隊長ホーソーンに対して、”話の通じないヤツ”と罵った僕だったが、今度はシャクヤから向けられる情熱に対し、何を言われようと全て跳ね除けなければいけないのだ。
「はい!存じております!ですから、わたくしの想いだけ、お伝え致しました!あとは、全てお忘れください!」
「……あ…………うん。それって、僕のことを諦めるってことじゃないのかな?」
「いいえ!わたくし、一生涯、レン様をお慕い申し上げます!」
「いやいやいやいやいや!!それはダメだよ!それ、結婚する相手に言うヤツ!!」
「ですが!この気持ちに嘘偽りは全くございません!!」
「だから!僕はそれを受け入れることはできないんだ!いや、できないんじゃなくて、するつもりが一切ないんだ!!」
「はい!ですから、わたくし、想い続けるだけでよいのでございます!!」
「え…………」
これは、いったいどうしたことなのだろうか。
告白を断っているはずなのだが、何度断っても、また告白される。
どんなにフっても、一生涯、好きだと言われてしまった。
こんなケース、考えたこともなかった。
誰か助けて。
「……いや、あのね、僕には百合ちゃんがいる。君が僕を諦めない、ってことになると、百合ちゃんだって、なんていうか、迷惑なんだよ。それはわかるよね?」
「もちろんでございます。わたくし、レン様とユリカお姉様のお邪魔をするつもりは毛頭ございません。ユリカお姉様は、わたくしがこの世で最も尊敬する女性でございます。ただ、お慕いするレン様とお姉様の、おそば近くに仕えさせていただければ、それだけで幸福なのでございます」
「えぇぇぇ…………」
なんだか混乱してきた。
嫁さんがいろいろ心配していたのは、これだったのだ。
この子は、本当に変わっている。
僕たちの単純な恋愛観で、推し量れるものではなかったのだ。
「ちょ……ちょっと確認しちゃうんだけどいいかな。ほんと申し訳ないことなんだけど、シャクヤが僕を”お慕いする”って言ってるのは、男としてだよね?」
「はい。もちろんでございます。この身を捧げたいくらい、大好きでございます」
「えっと……それで、百合ちゃんのことも”お慕いする”っていうのは……」
「ユリカお姉様のような、強くて凛々しくて包容力のある女性を、わたくしは存じ上げません。心から尊敬しております」
「そ……そうなんだ……で、僕は君を女性としては、絶対に受け入れないと言ってるんだけど……」
「構いません。わたくしの想いは、ずっと変わりませんので」
確信を込めて、キッパリと言い切るシャクヤに、僕は愕然とした。
これでOKとしたら、僕は押し負けたことになるのだろうか。
しかし、これ以上、僕一人に何ができる?
僕は、ハッキリ断ったのだ。しかも何度も。
それで話が終わらない以上、ここから先は夫婦の問題と考えてもよいのではなかろうか。
「……シャクヤがそこまで言うんだったら、百合ちゃんも交えて相談してもいいかな?」
「はい。それがよろしいかと思います」
なぜか笑顔で答えるシャクヤ。
もう、本当にこの子はわからない。
「実を言うと、あの子は耳がいいから、今のも全部聞えてると思うんだ。それでもいいかい?」
「はい」
「だってよ、百合ちゃん。どうせ聞いてるんだろ?こっちにおいで」
僕が独り言のように宙に向かってしゃべると、まもなく廊下から足音が聞え、扉が開いた。
そして、嫁さんが入ってきた。
「もう……ほんとに蓮くんてば…………」
半ば呆れながら僕とシャクヤを交互に見ている嫁さん。
今までの内容を全て聞き取っていた彼女は、ため息をつきながら、こう言った。
「これは、シャクヤちゃんの押し勝ちね。この子は、こういう子なの。だから、心配してたんだよ。相手に何人の愛人がいたところで、絶対に諦めない女の子なんだから」
「百合ちゃんは、それでいいの?」
「私だって、シャクヤちゃんのこと好きだもん。普通の子なら追い出してるとこだけど、この子はほんとにいい子なんだよ」
「それは僕も同じだよ。こんなに頼りになる仲間はいない」
ここまで僕たちが話すと、シャクヤが笑顔で喜びの声を上げた。
「まぁ!それは、とても嬉しいですわ!」
こちらが、どれだけ複雑な思いでいるのかも知らず、朗らかに笑う彼女を見ていると、なんだか悩んでいるのがバカらしくなってしまった。
「……はぁ…………シャクヤはこういう子なんだな……」
「そうなんだよ……」
夫婦そろって苦笑いした。
ただ、僕としては、シャクヤの人生を思うと、真面目に忠告はしておきたかった。
「でもねシャクヤ、いつか君にとって、僕よりも相応しい男がきっと現れるよ。世の中は広い。もっとすごい人はたくさんいる。僕はちょっと変わっているだけの普通の男さ」
すると、ここで初めてシャクヤがムッとした表情になった。
「どうしてレン様は、いつもそのようにおっしゃるのでございましょうか?あまり謙遜がすぎますと、かえって皮肉になるのでございますよ」
「それには激しく同意」
なぜか、嫁さんまでシャクヤの側に回った。
いや、今は僕に味方しろよ。
「それにね、もしかしたら、百合ちゃんが言ってるかもしれないけど、実は僕たち、この世界に来た時に若返ったんだ。僕たちの肉体は今、17歳になってるけど、実際は違う。本当の年齢は、35歳なんだよ」
「えっ!!!」
これには、シャクヤが飛び上がるほどに驚いた。どうやら、全く知らなかったようだ。
「蓮くん……それ、言っちゃうんだ……」
嫁さんが悲しそうな目で僕を見た。
ああ、なるほど。やはり女性たるもの、年齢のことは気にしていたのだ。17歳のまま、最後まで通そうとしていたのかもしれない。だとしたら、悪いことをしてしまった。
だが、これに驚いてくれれば、シャクヤも少しは僕を幻滅してくれるのではないだろうか。なにせ、実年齢で20歳も離れているのだ。この世界なら確実に、親子ほどの年の差と言えるだろう。
ところが、どうしたことだろうか。
僕の顔を見るシャクヤの目は、さらに輝きを増したように見えた。
「そ……そうだったのでございますね……どうりで、様々にお考えの回る方だと思っておりました」
「あ……あれ?シャクヤちゃん?35歳だよ?ここはドン引きするところじゃないの?」
「そうでございますか?貴族の娘の嫁ぎ先としましては、それほど珍しいことでもございませんが」
「えっ……そうなの?」
「むしろ、わたくし、年上の方がタイプでございましたので、やはり自分の目に狂いは無かったのだと、確信を深めたところでございます」
「あぁ……同じ年頃の男子が、みんな子どもに見えちゃう人なのね」
「はい。そのとおりでございます」
手強い。本当にこの子は手強い。
好感度を下げるつもりが、逆に上がってしまった。
僕が最終手段として出した切り札は空振りとなり、結果的には、嫁さんも35歳だという真実をバラして終わっただけとなった。ごめん。嫁さん。
「他には何か、秘密はございますか?」
明るい声でさらに質問してくるシャクヤが、妙にかわいい。
これは、僕の負けだ。
「いや……もうないよ。なんだか、今日は、いろいろありすぎた。みんな疲れてるだろうから、夕飯を食べて休もうか」
「はい!」
こんな人間関係があっていいのだろうか。日本では考えられない状況だが、今日のところはこれで話がついたことにしよう。
そして、僕はシャクヤの部屋を出ながら、今日一日の壮絶な出来事を振り返った。
「あぁ……騎士団を退けたのに、ギルド本部に報告しなかったなぁ。カンファーさん、心配してるだろうな……」
「明日、報告に行けばいいよ」
「そうだね」
嫁さんと会話しながら部屋を出たところで、シャクヤが廊下にまで響き渡る大きな声で叫んだ。
「あ!あの!申し遅れましたが!」
「「え……?」」
「先程は、わたくしと祖父の名誉をお守りくださり、大変にありがとうございました!!このご恩は終生、忘れは致しません!!」
僕と嫁さんは、二人で微笑んだ。
「「いいんだよ。さ、ご飯を食べよう」」




