第78話 二人の逃避行
僕と嫁さんは、コリウスの屋敷に置いてきたままだった荷物を取りに戻った。
案の定、既に騎士たちが屋敷の荷物を証拠品として押さえにやって来ていたが、嫁さんの隠密能力があれば、奪い返すのは簡単だった。
また、城下町全体で騎士が僕たちの捜索を開始していた。このような状況で宿に泊まれば、真っ先に発見されてしまうだろう。
嫁さんが誰もいない廃屋を見つけたので、僕たちはそこの一室で休むことにした。
日中は暑い地域であるが、砂漠気候の夜は冷えるものだ。薄い布団を見つけたが、これも埃まみれだった。嫁さんが上手に埃を落とし、二人で掛けて仮眠をとることにした。
「騎士団の人たち、動きが早いねぇ。もうあんなに配置されてるなんて驚いたよ」
「魔族がいるから警戒した方がいい、って進言したのは僕だったな……あれのせいで、騎士団がもともと警戒態勢を敷いていたんだと思う」
「あらら」
「考えてみれば、ここのところ、全てが裏目に出ている気がする……コリウスの前でモンスターの群れを追い払ったことも、あの男に勇者だと誤認させただけで、逆効果だった。ラクティに初めて会った時も、助けてあげたばかりに余計な好印象を持たれてしまった。なんて運が無いんだ……」
ベッドもない埃まみれの部屋で嘆きの言葉を連ねていると、なんだか心が萎えてきた。昨日までの優雅な旅路と生活が、嘘のように一変した。
隣で僕と一緒に小さくしゃがみこんでいる嫁さんを見ると、ますます気落ちしてくる。僕は、この子を守りたくて結婚したはずなのに、こんな事態になってしまったのだ。我ながら、情けない。
そんな僕の様子を見た嫁さんが、心配そうにフォローしてくれた。
「うーーん。でも、そういうことがなくても同じ結果になった気がするけどねぇ」
「……なんか、ごめん。昨日までの贅沢な暮らしから一転してしまったね」
「蓮くんが悪いわけじゃないでしょ?そんなに落ち込まないでよ」
「こんな状況に百合ちゃんを置いてることが申し訳なくて……」
「なんか、らしくないよ?どうしたの?」
「これから先のことを考えると、さすがに憂鬱になるんだよ。……国から追われるっていうのは、人が生きていくのに致命的なことだ」
「そだね……」
「ごめん。僕は本当に運が悪い」
「だからぁーー。蓮くんのせいじゃないでしょ?」
「だいたいね、僕は百合ちゃんと結婚できたことで、人生の全ての運を使い果たしたと思ってるんだよ」
「…………え?」
僕の言葉が意外だったのか、嫁さんがキョトンとした。
気落ちしてしまった影響なのだろうか、普段だったら絶対に言わないようなことを僕は口にしてしまった。そして、一度口にした以上、そのまま思いを吐き出してしまいたくなった。
「こんなかわいい人と結婚できるなんて、僕の人生では考えられなかった。百合ちゃんに会えて、付き合えて、結婚できたこと自体が、僕にとっては人生のゴールみたいなもんだったんだよ」
「…………!」
細い下弦の月からの光が、割れた窓から差し込むだけの薄暗い深夜のことだ。よく見えないが、嫁さんの顔が赤くなったように感じた。
「そ……そんなこと想ってくれてたの?」
「え?……うん」
心なしか、嫁さんの目が潤んでいるように見えた。
「……急にそんなこと言うから……私が困っちゃうじゃん」
「だから、ごめん。こんな運の無い僕に付いてくると、これからもロクなことにならないよ」
ところが、僕がこう言ったところで、嫁さんの顔つきが急に変わった。
「……はぁ?何言ってるの?」
「え?」
「勝手なこと言わないでよ!蓮くんの運が悪いわけないでしょ!」
「……え」
「それを言ったら、私だって、蓮くんに会えて、最高にラッキーって思ったよ!」
「…………」
「私はね、病気をした時に、本当に自分の運の無さを呪ったよ!なんで私なんだろう、って!他の人は元気でいるのに、って!でも、蓮くんに出会えて、それが全て意味のあることだって思えた。きっと私は健康なままだったら、全く違うタイプの別の人と結婚してた。病気のお陰で、私は蓮くんに出会えて、結婚できたんだよ!!」
「…………」
「運があるか、無いかなんて、後の結果で変わるんだよ!私は病気のことを今では感謝してる!こんな素敵な人に巡り合うために自分で自分に課した試練だったんだ、って!だから、私は蓮くんと結婚したことで、運を使い果たした、とは思わない。蓮くんと結婚して、不幸だと思ってた人生が、幸福な人生に変わったんだよ!」
あまりにも意外で、そして、心が洗われるような熱弁だった。
ウチの嫁さんが、これほど流暢に自分の考えを述べることはめったにない。今考えて話したのではなく、きっと普段からそう思っているからこそ、すらすらと言えたのだろう。
そう推測すると、僕の胸も熱くなってきた。
「百合ちゃん……」
「だからね!蓮くんに付いてきたことを不幸みたいに言わないでよ!!私は幸せだよ!!!蓮くんと結婚したことを後悔なんて、一度も…………!」
と、せっかく熱弁をふるっていた嫁さんだったが、ここで一旦、口ごもった。
「一度……も…………」
「…………」
「…………ごめん。何度かあった」
「ここで正直か!」
僕は元気にツッコむことができた。
「……ありがとう。百合ちゃん。僕、かなりネガティブになってたね。そもそも運のせいにしている時点で、僕らしくなかった」
「うん!そうだよ!」
「運が良いと思ったことが、後になって裏目に出ることもある。運が悪いと思ったことを、逆に幸運に変えることもできる。そういうことだね?」
「えっと……うん。たぶんそういうこと」
「考えてみれば、さっきフェーリスと出会ったのも幸運なのかもしれない。ラクティには会えなくなったけど、魔族との繋がりができた。これは貴重な情報源だ。僕はついてる!」
「……うんうん」
「やっぱり、百合ちゃんは『勇者』だ。君が世界最強になったワケがわかった気がする」
「……そう?」
「君と結婚できて、僕は幸せだ!!」
いつになく僕は興奮したことを口走ってしまい、その勢いで嫁さんの手をギュッと握りしめた。
「蓮くん……」
すると、嫁さんは目を瞑って、顔をこちらに近づけてきた。その顔を見て、一瞬、理性が飛びそうになったが、僕は冷静になって告げた。
「……いや、キスはやめとこう」
「えっ!やっぱりダメ?」
「”男女の交わり”が、どこまでのことを意味するのか、わからない以上、全てがリスクとなってしまう。今、百合ちゃんの力を失うわけにはいかない」
「うぅぅぅ……」
「また手を繋いで寝てあげるから」
「……わかった」
「すまないけど、今は百合ちゃんの力だけが頼りなんだ。僕一人で魔王を倒せるくらいになるまでは、お互い我慢するしか…………」
ここまで言って、僕はあることに気づいた。
「どうしたの?蓮くん?」
「そうか。魔王だ!それで、全て解決できるんだ!」
僕は、猫による情報網を警戒して、宝珠による筆談で嫁さんに考えを伝えた。
「……なるほどねぇ。ちょっと心配だけど、それなら全部解決できるね」
「フェーリスに会えたのは、やはり幸運だった。さっきの約束は、ただの時間稼ぎじゃない。起死回生の一手にできる!」
今後の方針が定まった僕たちは、安心して眠った。
そうして、夜が明けた。
異世界生活24日目。
僕と嫁さんは王都『マガダ』を脱出するため、街の中を移動した。
少しでも怪しまれないよう、日が昇りきり、人々が街を往来するようになってからだ。
僕は、フード付きの上着で顔を隠し、嫁さんは気配を絶って姿を消していた。
「僕たちの顔を知っている騎士はごくわずかだ。おそらく彼らは若い夫婦のハンターを探しているはず。だから、僕一人だけなら、怪しまれる可能性が低い」
という僕の推理のもと、こうした行動に出たのだ。ところが、一人で街の中にいると、逆に僕自身が嫁さんの存在を認識できず、不安になってきた。
「百合ちゃん、いるよね?」
すると、透明の嫁さんが手を握ってきた。
「こうすれば、私がいるって、わかるでしょ?」
「あ……あぁ、そうだな……」
妙に気恥ずかしくなってしまい、僕は握られた手の方向から顔を背けた。
「あれ?蓮くん、照れてるの?」
「いや……夕べのことを思い出すと恥ずかしくなって……」
「今さら何言ってんのぉーー」
「夕べのことは忘れてくれ」
「やぁーだよ。しっかり私の思い出に刻んだもん」
「ちくしょう……」
そう言っているうちに、僕たちはちょうど王立図書館の前まで来ていた。
僕は悔しい思いを口に出した。
「ここには、僕の欲しい情報がたくさん詰まっているんだろうな……今は何もできないことが本当に口惜しい……」
「シャクヤちゃんを連れて、いつか来ようよ。それまでにいろんな誤解を解かないとだけど」
「百合ちゃん、一つ確認しておきたいことがあるんだ。ちょっと頼まれてくれるかな?」
「え?」
僕は、嫁さんにあることを依頼し、王立図書館に一人で入ってもらった。
しばらくすると、戻ってきた彼女が透明の状態で僕の耳元で囁く。
「蓮くんの言ったとおりだったよ。”シャクヤ”なんて司書は勤めてないって。どういうことだろ?」
「やっぱりそうか。王女に会った時からおかしいと思ってたんだ。”シャクヤ”というのは、おそらく偽名だ」
「偽名?どうしてそんなことを?」
「それは、シャクヤ本人に聞けばわかることだよ」
「私、あの子は味方だと思ってるよ?」
「それは僕も同じだよ。きっと何か事情があるんだ」
最後の用事が済み、僕たちはいよいよ脱出するため、王都の端まで来た。
予期していたとおり、城下町から出るための門の前には、騎士が詰めかけていた。
「さて、どうやって門を通るかも問題だけど、王都を出た後の足も問題だ。砂漠と荒野が続くこの国土を旅するには、徒歩だけでは、かなりキツい……」
「私が蓮くんを担いで、走って行けば、問題ないんじゃない?」
「う……それは最終手段にしたいな……男として、それはあまりにも情けない」
「しょうがないなぁ……じゃあ、どうするの?」
「それを今、考えて…………ん?」
僕は、ある一団に目を向けた。
「百合ちゃん、あそこの人たち、見覚えない?」
「え?」
それは、門前で手続きを済ませている商人の集団と、それを護衛するハンターだった。そのハンターのうち、3人の顔に見覚えがあったのだ。
「あっ!あれ、ギルド本部で会った人たちだよ!財布を盗まれたって言ってた人と、その仲間!」
「もしかして、商人の護衛でここまで来ていたのか?ちょっと行ってみよう」
嫁さんの言うとおり、彼らはハンターギルド本部で悪態をついてきたハンターとその仲間だった。思い出してみると、あの時、彼らは商人護衛の依頼を見ていた気がする。
僕は彼らに近づき、声を掛けてみた。
「やあ、調子はどうだい?」
「ん?……あっ!お前はレンか!」
3人とも僕を覚えてくれていた。
彼らは、代わるがわる僕に質問してきた。
「あんた、こんなところでどうしたんだ?あのかわいい嫁さんは?」
「ちょっと別行動をしていてね。あんた達は?」
「俺たちは見てのとおり、護衛の任務中さ。一昨日、ここに到着して、昨日、雇い主が用事を済ませたから、今日からまたベナレス行きの旅路を護衛するのさ」
「へぇ。慌ただしいな」
「今は、どこもかしこも物入りだから、商売が捗るんだとよ。ところで、レンは何しに来たんだ?」
「ああ、僕は極秘の依頼があって、それが済んだところなんだ。これからベナレスに帰ろうと思ってたところなんだけど……」
「そうなのか。だが、残念だったな。レン。どうも、この国で何かあったみたいで、さっきから騎士団が門の前を固めているんだ。手続きには、かなり時間が掛かるらしい。おそらく旅人一人では、通してもらえないぞ」
「やっぱりそうなのか。すぐに通してくれないから、おかしいと思ってたんだよ」
「よかったら、俺たちと一緒に行くか?」
「え、いいのか?」
「その代わり、道中で何かあったら手伝ってくれ。報酬は無しだが、それでもいいなら、来てくれよ」
「是非とも行かせてくれ。僕も急いでたんだ」
こちらから願おうと思っていたところに向こうから提案してきてくれた。これはありがたい。しかも、彼らは彼らで、思いのほか喜んでいた。
「おいおいおい、ラッキーだな!シルバープレートをタダ働きさせようってか!」
「お互い、持ちつ持たれつなんだから、いいじゃねえか!」
「ガハハハハ!これは楽な旅になりそうだぜ!」
やがて、商人の手続きが完了し、一行は王都『マガダ』の門を出た。
僕もハンター3人の乗る荷馬車に同乗した。
騎士と何度かすれ違ったが、全く怪しまれることはなかった。やはり彼らは夫婦を探しているのだ。
「蓮くん、やっぱり私たち、運があるよ」
ずっと手を握っている嫁さんが、小さく耳元で囁いた。
「行きの待遇と比べると、帰りの落差がすごいけどな……」
「文句言わないの。それに私、一度、カケオチってのをしてみたかったんだぁ」
「それは結婚する前にやるヤツだよ……」
こうして、僕と嫁さんは、逆転の一手を掴むため、『ベナレス』を目指した。
次回から新章になります。
仲間と合流しながら逆転していく物語を書いていきたいと思っていますが、まだまだ苦難は続きます。




