第6話 異文化交流
僕たちが助けた男性、バーリーさんには、話をしながらリンゴもどき――もとい『マナ・アップル』をさらに2切れ渡し、食べてもらっていた。
これでまるごと1個分食べきったことになる。バーリーさんは完全に元気を取り戻したようで、既に立ち上がっている。
「まだありますよ?」
元気になったようなので、僕は『マナ・アップル』をさらに1個まるごと渡そうとした。
「いや、結構結構。『マナ・アップル』は『マナ』が凝縮した奇跡の果実だ。もったいない上に普通の人間が2個も食べたら、中毒を起こして死んじまうよ」
「え」
それを聞いて僕は固まった。
『マナ』と言うのは、おそらくこの世界の魔力のようなものだろう。
それは人間の魔法力を回復させるが、過剰に摂取すれば中毒症状を起こすという。言われてみれば自然なことだ。昨夜、満足感を持って1個で止めていなければ、僕自身もどうなっていたのだろうか。
そして、既にその時、何個も食べてしまった女性が僕のすぐ隣にいる。それでもピンピンしているのだから、きっと問題は無かったのだろう。もう驚かない。
半ば呆れ顔で横を見ると、嫁さんは僕に向かって”テヘペロッ”という顔をした。呆れるを通り越して若干ムカつく。この子は本当にどこまで人間離れしてしまったのだ。
「で、ですよねーー。ところで、バーリーさんは、あの山に何の用事で行こうとしていたんですか?」
非常識なことをしでかしたことになるので、慌てて話題を変えてみた。
「あぁ、それが……なんだったかなぁ……昨日、山から何か……うーん、思い出せんなぁ」
「まだ調子悪いんじゃない?」
嫁さんが心配する。
「いや、大丈夫さ。ちょっと頭が混乱してるだけだ。じきに思い出す」
気丈に振る舞うバーリーさん。
その様子を見て、僕はこれをチャンスと思った。
右手でピース、左手で三本指を立てる。
「バーリーさん、ちょっと確認しますね。僕の指は何本立っていますか?」
「うん?5本だな」
「今日は何日ですか?」
「昨日が1日だったんだから、今日は6月の2日だな」
狙いどおり、いい感じでこの世界の暦の数え方がわかった。
僕はさらに調子づいて質問する。
「では、1日は何時間ありますか?」
「なんだ?俺の意識がハッキリしているか確認しようってのか。大丈夫だよ、あんちゃん」
「念のためですよ。1日は何時間ですか?」
「1日は24時間だ。お天道さんを見るに、今は午前8時ってとこか?」
「では次に、1年は何日ありますか?」
「難しいこと聞くなぁ、あんちゃん。お月さんが12回、巡ったら1年だろうが。あぁ、13回の年もあるか」
「なるほど。では、今度の満月はいつになるか、わかりますか?」
「いやいや、あんちゃん!満月は15日に決まってるわ」
なるほど。そういうことか。
僕の中ではいろいろと納得できた。
横で見ている嫁さんは、ちんぷんかんぷんのようだが、あとで説明してあげればいいだろう。
「ですよねーー。では最後にこの国の名前はなんですか?」
「ここいら周辺はどこの国にも所属していねえ。『環聖峰中立地帯』だ」
最後の回答が一番驚いた。
”中立地帯”だって?
それでは、まるで戦争をしているみたいじゃないか。
”環聖峰”とも言った。
聖峰『グリドラクータ』を囲んだ中立地帯ということか。
「どうだい?俺ぁ大丈夫だろ?」
「え、ええ。もう全然平気ですね」
「よし、じゃあ村へ案内するよ」
元気を取り戻しているバーリーさんはすぐに出発しようとする。
どうも、せっかちな気質の人のようだ。
「おっと、そう言えば、その前にあんちゃん達、この『ブラック・サーペント』はどうする?」
「え、どうって?」
「これは、あんちゃん達が仕留めた獲物だ。こいつから取れる素材を売れば、高くつくぜ」
「あ、そうですね」
「だが、巨大すぎるのが問題だ。うちの若い衆を使って、あとで運ぶかい?少し報酬はいただくが」
「え、ええ。お願いします」
「すまないな。俺としては命の恩人だから無償でやりたいが、若い衆を使うとなれば、賃金を出さなきゃいかんからな」
とんでもない。あなたから聞ける情報は今の僕にとっては千金の値ですよ。
とは思うが、口に出しては言えない。
「私が運ぼうか?」
いいところで嫁さんが口を挟んできた。
確かに嫁さんなら、この黒蛇の巨体を運んでしまうかもしれない。
なんだかもう安々と想像できてしまうのが悔しいが。
「いやいや、いくら百合ちゃんでもさすがに無理だよぉーー」
僕は苦笑しながら、嫁さんの方に近寄り、彼女を後ろに下がらせて耳打ちした。
「百合ちゃん、今のところは、百合ちゃんの力は秘密にしておこう」
「え、そう?」
「うん、今までの話から考えても、百合ちゃんの力はこの世界でも常識外れなんだと思う」
「そっか……」
「もうしばらく様子を見たい。ね?」
「うーーん……りょ!」
少し不満げであったが、了解のポーズをしてくる嫁さん。納得してくれたようだ。
すぐにバーリーさんに返事をしなおす。
「じゃ、全てバーリーさんにお願いします」
「ガハハハハ。お金の相談をしたのか?まぁ、『ブラック・サーペント』は貴重な素材の宝庫だからな。無理もねえ。では牙を一本切り取って、持って帰ろう。仕留めた証拠を持参しないと人は動かせないからな」
「なるほど。百合ちゃん、牙だって」
「りょ!」
ここでまた了解のポーズをする嫁さん。
油断していた。
人前でそれはやって欲しくなかった。僕が恥ずかしい。
「ほぅ、ねえちゃんの方が剣士なんだな。珍しい」
バーリーさんが意外そうな反応をする。
この世界では女性が剣を持つのは珍しいのか。
嫁さんは黒蛇の口を開けて、その大きな牙を手際よく切り取った。
「見事な腕だ。こいつの牙を一撃で切断するとはねぇ」
すでに黒蛇を倒したことは認められているのだから、これくらいの力は認知されてもいいだろう。
しかし、ウチの嫁さんの桁違いの強さは、こんなものではない。だいたい彼女はこの世界に来て、おそらくまだ一度も本気を出していないのだ。それを知られたら、どんな反応をされるのか、あまりにも未知数である。
「これ、私が持ってていい?」
大きな牙はそのまま嫁さんが持ち運ぶことになった。なんだか嬉しそうだ。RPGでモンスターを倒した戦利品のように感じているのかもしれない。
「ねえちゃん、面白いヤツだな。それじゃ、行こう」
バーリーさんの案内で村に向かって出発した。
昨日にもまして快晴であった。全員服が濡れたままなのだが、日が昇ってからの暑さで全く気にはならない。むしろ暑さを和らげてくれているくらいだ。
僕は道中でさらに聞きたいことを尋ねた。
「あの黒蛇みたいなモンスターはこの辺によく出るんですか?」
「いや、この辺で『ブラック・サーペント』クラスのモンスターが出るのは、まれだな。俺もまさか、あんなのに遭遇するとは思ってなかったから、一人で来たんだ。ああいうのは、聖峰『グリドラクータ』からもう少し離れた地域にいるんだ」
「聖峰『グリドラクータ』には、モンスターが近寄らないと?」
「まぁ、そうだな。聖峰『グリドラクータ』にはドラゴンがいるからな。聖峰からは大量のマナが放出されている。その影響で、聖峰周辺の地域は強力なモンスターが数多く生息しているんだ。ただし、聖峰そのものはマナが濃すぎるのとドラゴンが住んでるせいで、モンスターは近寄ってこないのさ。俺たちはそれを利用して、聖峰『グリドラクータ』のふもとに村を作って住んでいるんだ」
「えっ」
後ろで聞いていた嫁さんが思わず声を上げた。おそらく昨日やっつけてしまったドラゴンのことを思い浮かべたのだろう。彼女の代わりに僕はすぐ質問した。
「ドラゴンに守られている村なんですね。そのドラゴンって何体くらいいるんですかね?」
「さあなぁ。実は俺も遭遇したことはないんだ。まぁ、1体や2体ってことはないだろうな。なんでも、人間みたいにドラゴンにも階級があるらしいと聞いたことがある」
「じゃあ、あの山はドラゴンにとっての国みたいなものなんですね」
「そうかもな。聖峰『グリドラクータ』については謎も多い。人類史上、未だ山頂まで登りきったことのあるヤツがいないくらいだ。一説によりゃあ、山頂には”神の竜”が住んでるって話だ」
――神の竜――
まさしくファンタジー世界の偉いヤツ、みたいなのが登場してきた。
この異世界から地球に帰ることを考えれば、いずれ関わることになるのだろうか。できれば、そんなものとは関わらずに簡単に帰れる道を探したいものだが。
そう考えていると、嫁さんが僕の背中をトントンとつついてきた。僕にだけ話があるようだ。少しバーリーさんから離れる。
「いやぁ、よかったよぉ。ドラゴンって、たくさんいるんだね」
「昨日のあいつのこと、気に病んだ?」
「うん。ドラゴンが村を守ってるなんて、知らなかったから」
「しょうがないよ。それに百合ちゃんはあいつを殺してないんだから、今頃は目が覚めて山に帰っているんじゃないかな」
「そだね」
「でもドラゴンは群れで生活しているみたいだから、ドラゴン達から恨まれているかもしれないけどね」
「うぅぅ……そしたら、全力で謝るっ」
どうやって謝る気かは知らないが、嫁さんは本気で言っているように見えた。
嫁さんと話をしているうちにバーリーさんが先行し、僕たちは後から付いていく形となった。念のために僕は途中の木に目印を付けながら歩いていた。
「さすが蓮くん、細かいね」
褒めてるのか呆れているのか、微妙な調子で言ってくる嫁さん。
「一応ね」
「そういえば、蓮くんの言うとおり、この世界って私たちの常識とは全然違うんだね」
「そうだね。どの辺でそう思った?」
「さっきバーリーさん、おかしなこと言ってたでしょ。1年はお月様が何回変わったら、とか。なんか変だよね。この世界のお月様って、どんな存在なんだろ?」
どうやら嫁さんは、僕とバーリーさんの会話から、この世界の”月”にファンタジー要素があると考えているようだ。
「あぁ、そのことか。あれでこの世界に月が存在することもわかったけど、月は普通の月だよ。夕べは新月だったから見えなかっただけなんだ」
「そうなの?」
「この世界はね、”太陰暦”で暦を数えているんだよ」
「え、なんて?」
「”太陽暦”ではなくて”太陰暦”ね」
「うん、わかんない」
「僕たちは1年を365日として数えているでしょ?それが”太陽暦”」
「うん」
「”太陽暦”では、カレンダーの月と夜空の月は、同じ周期にはならないよね?」
「満月とか新月ってこと?」
「そうそう」
「それは一緒にはならないよね。当たり前のことだよ」
「うん。それに対して、”太陰暦”っていうのは、月が新月になるたびにカレンダーの月が変わるんだよ」
「へぇーーー」
今回の説明はとてもうまく行ったらしい。
嫁さんの反応が上々だ。僕はさらに続ける。
「さっきバーリーさんは、昨日が6月1日だった、と言った。てことは夜空の月は?」
「ああ、6月になったばかりだから、新月になるんだ」
「そう。では、満月の十五夜は?」
「十五夜だから…15日?」
「うん」
「まんまじゃん」
「そう。まんま」
「お月様を見たい人にとっては便利だね」
「そうだね。そして、満月が15日なら、地球の月と、この世界の月は、周期が変わらないことになる。月の満ち欠けの周期は約29.5日だから、29日後か30日後に次の新月が来る。すると暦の上でも月が変わって、1日になる」
「ほうほう」
「で、12ヶ月で1年。たまに13ヶ月。って言ってたから、おそらく1年の周期もほとんど変わらないと思う」
「なんとなくわかったけど、その13ヶ月ってどういうこと?1年が13ヶ月って!なかなかの謎ワードだよ?」
「僕たちだって4年に1度、閏年があるでしょ」
「うん」
「地球の場合、1年の周期は365.242日。1年を365日で運用した場合、4年に1度の割合で1日足さないと、季節がだんだんズレていくよね」
「ああ、それで2月29日があるんだったね」
「では、”太陰暦”で同じことを考えてみよう。月の周期に合わせて12ヶ月を1年としてしまうと、1年がおよそ354日で終わってしまう」
「1年は365日だよ?そんなの毎年やってたら、季節がどんどんズレちゃうよ」
「そう。そこで、だいたい3年に1度くらいの割合で、1年を1ヶ月増やす必要が出てくるんだ」
「え、1ヶ月?1日じゃなくて1ヶ月?」
「そう。プラス1ヶ月」
「うっそ」
「うそじゃない」
「え、え、じゃあ何?たまに12月の次に13月が来たりするの?」
面白くなってきたのか、笑いながら聞いてくる嫁さん。
「だいたいそんなところかな。呼び方は、わからないけどね。昔の日本では、そのプラス1ヶ月のことを”閏月”って呼んでたんだ。それを1年の途中に挟んでくるので、例えば、五月の次に入れられた”閏月”は”閏五月”って言ったんだよ」
「へぇーーーへぇーーーーへぇーーーーーー」
昔、テレビでみたような手押しボタンを押す仕草をする嫁さん。
やめなさい。それやると歳がバレるよ。
「へぇ、13月かぁ……ぷぷっ!13月…………」
”13月”というワードがツボだったらしく、嫁さんはニコニコしながら、しばらく繰り返していた。今、説明したように日本では13月という言葉は無かったのだが。
「それより百合ちゃん、僕は今日ほど君のことを尊敬したことはないよ」
「え、なに?」
普段、言わないような褒め言葉を僕が口にしたことで、キョトンとする嫁さん。
しまった。機嫌の良い嫁さんを前にして、思わず本音を言ってしまった。
「あ、いや……」
「ねぇ、蓮くん?今、なんて言ったの?」
「いや…つまりだね……あんなに手際良くバーリーさんを助け出すとは思わなかった、というか……」
「そう?当たり前のことを普通にやっただけだよ?」
得意気ということもなく、嫁さんは自然と言ってのける。
僕は感心しながら答えた。
「そこがすごいんだよ。僕なんて、あの状況下では、バーリーさんがどんな状態でいるのかと、あれこれ想像してしまって、体が動かなかったんだ」
「え」
「つまり、ドロドロに溶かされていたり、とか、呑み込まれる際にズタズタにされていたり、とか、生きていたとしても、もしかしたらひどい有様になっているかも、ってね」
「…………」
嫁さんが急に黙り込んだので横を見ると、その顔がサーッと青ざめていた。どうやら僕の言った事柄に今になって気づいたようだ。
「ぜ……全然、考えてなかった……」
今さらながらに想像してしまったようで、顔面蒼白になる嫁さん。
「いや、バーリーさんは助かったんだし、なんとも無かったんだから、よかったんだよ。だから、僕は百合ちゃんのことを尊敬したんだ」
「私……蓮くんみたいにもっとよく考えて行動した方がいいね……」
「そんなことないよ。百合ちゃんはそのままでいい」
「……ほんと?」
「心配するのは僕の仕事だ。百合ちゃんは今までどおり、思ったとおりに行動すればいいよ」
「うん、ありがと」
安心して微笑む嫁さん。
今のは僕の本心だ。こんな嫁さんだからこそ守っていきたいと思う。
――そう。この時は素直にそう思った。
だが、僕はここで言った自分の言葉をもっと深く自覚すべきだったのだ。
そうすれば、この後に起こる悲劇を未然に防げたかもしれないのだ。
「おーーい、あれだよ。あんちゃん、ねえちゃん!あれが俺の村。『ガヤ村』だ!」
先行していたバーリーさんが呼びかけてきた。
向こう側に集落が見える。小さな集落だ。
人里が見えたことで安堵する一方、僕は自然と身構えた。
いったいどんな文化で、どんな人たちが暮らしているのだろうか。
いよいよ本格的な異世界生活が始まろうとしていた。