第314話 恐怖の館
大魔王クラスの力を持った『百獣の魔王』と計13名の”殺人鬼魔族”。
それらを地中深くに取り逃がした後、精霊神殿の南西にある、彼らが潜伏していたはずの館から、爆発が起こった。
仰天した僕たちは、慌ててそちらに向かった。
到着してみると、館は完全に破壊され、瓦礫の山となっており、そこには、黒ずんだ顔で髪と衣服がボロボロになっている可哀想な桜澤撫子と、埃だらけで茫然としている嫁さんが、それぞれ力なく座り込んでいた。
いったい何があったのかと心配し、僕はすぐに声を掛けた。
「ど、どうしたんだ百合ちゃん……」
「ごめん。蓮くん……私、パニクっちゃって…………」
動揺しながら彼女は桜澤撫子と共に状況を教えてくれた。
それは、『地の精霊神殿』の地下にある大規模術式が破壊された直後のこと。僕が連絡するよりも前に嫁さんたちは異変に気づいていた。
「えっ!?急に気配を感じ取れるようになった!ザワザワした感触が消えたわ!」
「よくわかんないけど、阻害してた2つの術式のうち、片方が無くなったみたいね!」
「ていうか、何この館っ!!!なんかものすごく気味悪い気配がいろいろ混ざりあって漏れ出て来るんだけど!」
「ここまで、おぞましい気配は私も感じたことないわね!」
そうして警戒しているところに僕が嫁さんに通話し、館に突入するよう指示を出したのだ。
「蓮くんから合図が来た!行くわよ、牡丹、撫子!」
「うん!」
「了解!」
牡丹と桜澤撫子を先導し、鍵がかかっていることなど関係なく、勢いよく扉をブチ開けて突入する嫁さん。
ところが、玄関に足を踏み入れた途端、彼女はギョッとした。
「ひぎぃえっ!!!」
館内は、蟲の大群がひしめいていたのだ。大規模術式の大部屋と同じように。
これに嫁さんが怯み、後退ると、追いついた桜澤撫子も青ざめた。
「うわっ!これはキツいわ!」
「ぼ、牡丹、アレ、全部追っ払ってくれる?」
「うん!だいじょうぶ!」
虫好きな牡丹は、蠢く蟲を見ても気にする素振りもなく、平然と重力魔法を使い、全ての蟲を館の奥の方へ落としてしまった。
「牡丹がいてくれて助かったぁーー。そのまま虫を重力で押さえつけててね。いい子いい子」
「えへへへぇーー」
改めて館に入り直した彼女たち。
まずは桜澤撫子が敵の気配を正確に捉えた。
「魔王の私は、地下の気配もよくわかる。とてつもないのがいるわ。大魔王クラスと複数の魔族。百合華ちゃん、お願いね。コレはたぶん私じゃ勝てない」
「任せなさい!」
そうして蟲のいない館内を調べると、ある部屋で、床に設置された扉が開いており、そこから地下へと向かう階段が見える。いつも使うために開けっ放しになっているのだ。
だが、それを見つけるまでの間に状況が変わっていた。
「あっ!!!地下のヤツが移動してる!土を掘って進んでるみたい!」
「えっ!じゃあ急がないと!」
桜澤撫子の報告に焦った嫁さんは、地下への階段を勇敢に降りて行った。宝珠の魔法でライトアップしながら進んだのだが、地下1階に来て、彼女は再び怯んだ。
「ひぐっ!!!」
あちこちに何かの動物と思われる得体の知れない死骸が多数転がっており、腐敗臭が充満していた。あとから降りて来た桜澤撫子も表情を歪め、ハンカチで鼻を覆った。
「うっ!ひどい異臭!!!地下室をさらに掘って、大きな空洞を造ってるわ。あの中でずっと生活してたのね……」
彼女の言うとおり、もともと館にあった地下室の床がさらに掘り抜かれ、洞窟のような空洞が出来上がっていた。
地下室の異様な空気もさることながら、その大穴の底から、吐き気を催す異臭が漂ってきているのである。
既に生理的な嫌悪感で足が止まっている二人だったが、それでも勇敢に大穴の下を覗き込もうとした。
ところが、穴の近くまで来た時点で、嫁さんと桜澤撫子は悲鳴を上げた。
「ぎゃあっ!!!何よコレ!粘っこい!気色悪い!」
「やだっ!ちょっと!もしかしてコレ、大きな蜘蛛の糸!?」
侵入者を捕らえるための罠なのか、そこには強い粘性のある白い糸が、太く束ねられて張り巡らされていたのだ。
「アラアラアラアラァーー。独り留守番を任されてみればァーー、まさかいきなり人間が現れるなんてェ……アタシの方が当たりクジ引いたかしらァ?」
「「へ…………」」
大穴の真上に位置する地下室の天井。そこに形成された大きな蜘蛛の巣から姿を見せたのは、体長2メートルを超える巨大な蜘蛛の人獣魔族。名を『アラネア』という。見た目にはわかりづらいが性別は女だ。
「くっ!!!蜘蛛ぉーーーー!?」
「ハイ。蜘蛛ですが、何か?」
嫁さんはもともと蜘蛛が苦手なのだが、それが自分以上の身長で、しかもしゃべりかけてきた事実に、息が止まるほど仰天した。彼女は狼狽して桜澤撫子の背中に隠れた。
「やだやだやだやだ!!無理無理無理無理無理!!!キモいよ怖いよ臭いよ暗いよキモいよぉーー!!!」
「お、落ち着いて!百合華ちゃん!こんなにでっかいと私もドン引きだけど、あの程度、私たちの敵じゃないから!」
必死に嫁さんを説得する桜澤撫子であるが、彼女の気配に気づいた蜘蛛女は、逆に目を丸くした。
「アラ?アナタ様はまさか……魔王サマでいらっしゃいますか?」
「そ、そうよ!だから奥に通しなさい!」
「ですが、アタクシィ、『百獣の魔王』サマから、ここを護るよう命じられておりましてェ……」
「その『百獣の魔王』と話があるのよ!さっさと道を開けなさい!」
「で、ではァ……これより皆様を追いかけェ、新たな魔王様のご来訪を知らせて参ります。少々、お待ちくださいィ」
基本的に魔族は魔王に対して従順である。蜘蛛女アラネアは素直に桜澤撫子の言葉を受け入れ、大穴の下に降り、さらにその奥にある『百獣の魔王』が掘り進んで行った地下通路に入った。
気持ち悪い相手と戦闘にならなくて済み、ホッとした桜澤撫子は、嫁さんを促した。
「ほら、百合華ちゃん!彼女を追いかければ、『百獣の魔王』に追いつけるわよ!既に地下を掘って逃げてしまったわ!急いで追わないと!」
「う……うん!」
「しっかりしてよね!レベル150!早く行くわ……よ…………」
嫁さんの手を取りながら大穴へ飛び込もうとする桜澤撫子だったが、その言葉は次第に弱弱しいものに変わった。
「あ……さすがにコレはヤバい……百合華ちゃんじゃ耐えられないかも…………」
大穴の下の様子を間近に見て、彼女ですらも怖気づいたのだ。
そこには、えげつない量の蟲が群生していた。何万匹、いや、何十万匹といるだろうか。小動物の死骸も多数見受けられるが、これだけの蟲が集まれば、捕食されるのは虫ではなく動物の方だった。
「……っ!!!!!」
それを見てしまった嫁さんは、絶句して固まった。
もはや失神寸前であり、涙目である。
「は…………は……は………………」
全身をガクガクと震わせながら、それでもなお、引き攣った笑みを浮かべて、なんとか自分を保とうとしている。
そこに1匹の普通の蜘蛛が天井から糸にぶら下がって降りて来た。ちょうどソレが嫁さんの鼻の先に止まった。
ピトッ……
「ひっ……!!!!」
この時、彼女の恐怖は最高潮に達した。
ドッゴォォーーン!!!
完全に無意識であった。
嫁さんは、自身の内側に眠るマナを爆発的に発散してしまい、それが激烈な衝撃波を発生させた。
ほんの一瞬。
ほんのわずかな、ちょっとチビってしまった程度の感情の爆発。
それが、凄まじい結果をもたらした。
地下1階から噴出した爆風が、地盤と建物を全て巻き込み、木っ端微塵に砕きながら、上空へと巻き上げてしまったのだ。
まるでガス爆発事故のような凄惨な光景だった。
すぐそばにいた桜澤撫子も、地上1階に留まっていた牡丹も、巻き添えを食らって上空へと吹き飛ばされた。
嫁さんは蟲に脅えて素早く地上に脱出し、牡丹は重力を操作できるので楽しそうに華麗に着地し、桜澤撫子は土砂と瓦礫の山に埋もれてからボロボロになって生還した。
それから少し経って、僕たちが合流したのだ。
呆然とする彼女たちから事情を聞いた後、まず桜澤撫子が泣きながら僕にしがみついてきた。
「白金くーーん!私、百合華ちゃんと一緒だといつもロクな目にあわないんだけどーー!」
「ごめん……まぁ、過去の行いもあるから、それでチャラってことで……」
「うぅーー、ひどいわよーー!私じゃなかったら死んでたわよーー!」
さすがに今回の桜澤撫子は不憫だと思う。彼女にとっては完全にとばっちりだ。
また、もう一人の被害者であるはずの我が娘、牡丹は、あちこちに飛んでいる虫を捕まえて楽しそうだった。
「パパーー!むしがいっぱーーい!」
「ははは……偉いぞーー、牡丹。もしかすると『百獣の魔王』と戦うのに一番向いてるのは、牡丹かもしれないな……」
皮肉なことだが、僕はそんな言葉を呟いた。無邪気な娘にこれほど安心感を覚えるのは初めてかもしれない。
一方、山吹月見とローズから、僕たちが遭遇した出来事を聞いていた嫁さんは、意気消沈して嘆いていた。
「ごめん……ホントごめん……。虫を操る魔王がいるなんて考えたこともなかった……私……ダメな子だ……」
そんな彼女を見て、山吹月見も桜澤撫子も歯がゆい気持ちで同情する。
「ライオンってカッコいいのにィーー、能力の使い方がキモいよねェーー。アレは女の子にはキツい相手だよォーー」
「私に至っては、知的生命体じゃないと認識をズラす能力が利かないから、虫や動物を操られると完全にお手上げなのよね……」
生物を操る能力を持った敵が、これほど精神的にダメージを与えてくるとは思わなかった。途方に暮れる日本人女性3人を前にして、呆れるのはローズだ。
「なんだなんだ。勇者と魔王が揃いも揃って、情けないぞ」
「今、一番頼りになる女性はローズだな……」
僕は”女剣侠”の豪胆さに感嘆した。彼女は今、ドレスのスカートを引き裂いて、ハンターの時と同じような妖艶で貫禄ある風格を見せている。そのローズは、瓦礫の山となった館の跡に目を向けて、腕を組みながら嘆息した。
「……にしても、だ。これまで最も頼りにしてきたユリカがこの調子では、『百獣の魔王』を任せるわけにはいかないな。もしも次に大暴走して、街ごと破壊されたら敵わない」
「う…………」
その言葉に嫁さんは、ぐうの音も出なかった。
今までも何度か危ない場面はあったが、彼女の内に眠る破滅的超絶パワーは、彼女の繊細なコントロールによって巧みに調整されてきた。それが精神的な要因でひとたび崩れると、周囲を崩壊へと巻き込む恐るべき無差別破壊兵器となってしまうのだ。
この虫嫌いの嫁さんの身に、もしも蟲の大群が押し寄せたら、いったいどんなパニックを起こしてくれるだろうか。考えるだけで身震いする。
彼女の力をこれほど不安に感じるのは初めてかもしれない。
「百合ちゃん、今回に限っては、サポートに回ってくれるかな。相手が悪すぎたよ」
「ごめん…………」
僕は意を決して嫁さんに後方支援をお願いした。まさか、この世界最強の勇者に、この最弱の僕が、戦力外通告をする日が来ようとは夢にも思わなかった。それを嫁さんも申し訳なさそうに素直に受け入れた。
これを見て、僕の後ろから皮肉な笑みを浮かべるのは桜澤撫子である。
「本当よねーー。百合華ちゃんが本気で暴走したら、世界なんて簡単に破滅しちゃいそうだもんねーー」
「ちょっと桜澤さん……」
僕がキリッと睨みつけると、彼女はペロッと舌を出した。
冗談でも度が過ぎると怒るぞ。と言いたい。というか冗談では済まないものを僕は薄っすら感じている。
レベル150という前代未聞のパワーは、僕がこれまで幾度も憂慮してきたように、ありとあらゆるモノを破壊できる理不尽すぎるエネルギーだ。ウチの嫁さんは、このかわいい顔と細い身体に、常人では計り知れない、とてつもない爆弾を抱えて生きているのだ。
――まさに破滅の力――
そんな言葉が一瞬、僕の脳裏をよぎった。
僕は慌ててそれを打ち消し、忘れるようにした。
ともあれ気がつけば、崩壊した館を見物しようと、野次馬が辺りを囲んでいる。一度、この場を離れようと考えたが、その前に僕には気になることがあり、それを咎めた。
「ところで……山吹さん、いつまで僕の服を掴んでるの。そろそろ大丈夫でしょ」
山吹月見は、『百獣の魔王』との戦闘以来、なぜか僕の服に手を伸ばして、そっと摘まんでいるのだ。
「え……だってェーー、ガネくんってばァ、弱いのにすっごく頼りになってェーー。テキパキ指示してくれてェーー。『百獣の魔王』を追っ払ってくれたのもガネくんなんだよォーー。なで子が夢中になる理由がわかったよォーー」
「いやいや、僕のピンチは山吹さんとローズが救ってくれたんじゃないか。そんなに買いかぶらないでよ」
「おい、ツキミ、あまりレンにくっつくと、あたしも怒るぞ」
「ちょっとツッキー、私の白金くんに何してんの」
「いや、君のじゃない。君に言う権利はない」
ローズも桜澤撫子も参戦し、よくわかないうちに僕の取り合いに発展した。僕もツッコみながら抵抗するのだが、山吹月見は僕から離れようとせず、意地になって、なんと抱きついてきた。
「やだやだァーー!ガネくんはァ、ワタシの神なんだからァーー!」
「ちょっ!山吹さん!」
「んなっ!何してんのよツッキー!私も怒るわよーー!」
「くそっ!ツキミ!あたしの力じゃ敵わない!」
待ってくれ。本当に待ってくれ。嫁さんの前で、こんなことを繰り広げたら、また癇癪を起こして周囲が吹き飛んでしまうかもしれないじゃないか。
僕はそう思って、青ざめた顔で嫁さんを見た。
「………………」
ところが、普段の彼女であれば考えられないことだが、目の前で僕が他の女性にくっつかれているにも関わらず、嫁さんは下を向いて黙り込んでいた。
「……あ、あれ?百合ちゃん?」
「グスッ……グスッ……みんな、ごめんね。月見ちゃんもローズさんも、蓮くんのこと、助けてくれて、ありがとね。私が不甲斐ない時に……」
「「えっ…………」」
これには、一同、言葉を失ってしまった。
彼女は号泣していたのだ。
世界最強の嫁さんが、皆の前で嗚咽するなど、今まで一度もなかった。
こんな姿は、家族の前でしか見せたことがない。
予想外すぎる彼女の反応に女性陣全員が慌て出し、気まずくなって、すぐに僕から離れた。僕は直ちに嫁さんに駆け寄り、ギュッと抱きしめた。
「百合ちゃん……百合ちゃん……いいんだよ。今までずっと君に頼りすぎてた。僕も仲間たちも強くなった。たまには、ゆっくり後方支援してよ」
優しく彼女を慰めるが、一方で、こんな言葉を自分が彼女に言えるようになったことが嬉しかったりもした。
「蓮くん……」
「それに、今にして思えば、僕も悪かった。『百獣の魔王』は半年近くもの間、地下に潜伏していた正体不明のヤツだった。どんな劣悪な環境に棲んでいるのか見当もつかない敵だった。そこを具体的に想像していなかったために、君に辛い思いをさせてしまったんだ……」
「うぅーーーー、私、強いのに強くないよぉーー!!!こんな自分が情けないよぉーー!!」
しばらくの間、嫁さんは僕の胸の中で泣いていた。虫捕りに飽きて戻って来た牡丹が、それを不思議そうに見つめていた。
彼女の理不尽で不安定なパワーにはもう頼らない。
僕は固く決意した。




