独白
私は人殺しだ。
私が殺したそいつを仮に『I』とする。
私はIが大嫌いだった。Iはデブでノロマでブスで頭が悪ければ要領も悪く、いつも人の顔色を気色悪く伺っている上に一人でいつも何事かをブツブツ呟いてるやつだった。気持ち悪い。世間で蛇蝎の如く嫌われている黒い虫とIを並べたら十人中十人がマシな方として虫を選ぶだろう。
Iを見たヤツらは皆Iのことを見下すか嘲笑するか嫌悪感を抱いた。言い方を変えれば、Iは自分に関わった人間全員を嫌いにさせる類まれな才能を持っていた。まぁ普通のやつだったら誰もそんな才能欲しくはないだろうけど。
Iはひとりぼっちだった。……至極当然のことであるが、Iと関わろうとする奇特な人間は学校にも近所にも一人だっていなかったし、動物すらIのことが嫌いなのか、犬はIに吠えて噛み付こうとし(近所でも評判の大人しい犬だった)、猫はIが近づくと全力で逃げ出した。Iはそんなヤツらに対して自分を恐れているから皆近寄らないんだなどと血迷ったことをほざいていたが、実際には辛く当られるのは辛いのか一人で泣いていたりもした。ざまあみろ。私はIのメソメソジメジメした性格も大嫌いだった。Iを構成している全てで私が嫌いでないところもないけれど。
そんなIでも多少同情することがあるとすれば、母親が過干渉気味のヒステリック持ちだったことだろうか。ちなみに父親はIに殆ど関わることがない。……母親はIとは似ても似つかないほど美人だったが、Iには歪んだ愛情をこれでもかというくらいに注いでいた。
Iの一から十までを徹底的に管理し、自分好みの趣味嗜好やら習い事やらを押し付ける。ただ、Iの能力はとても低かったので、Iはすぐに色々なことを止めた。
その度に母親がIに告げる。「先生が悪いのねお母さんが言ってあげる」告げる「あなたにあそこは合わなかったのね、あんな低レベルなところ」「あんな子とは関わっちゃダメよ、あなたに悪影響を与えちゃうわ」告げる告げる「お母さんはいつでもあなたの味方だから」告げる告げる告げる「あなたは何も悪くないの、お母さんに全部任せておけばいいのよ」告げる告げる告げる告げる「ちゃんとやりなさい、手を抜かないの!」る告げる告げる告げ「ダメダメダメダメそんなことしないで!」げる告げる告げる告げる告げる告げる告げ「お母さんはあなたのことをこんなに愛してるんだからお母さんの言うこと聞かなきゃダメでしょう?」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「あなたのことを分かってあげられる人はお母さん以外にいないの」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「どうしてわかってくれないの!?」告げる告げる告げる告げる告げる告げ「あなたにはお母さん以外必要ないわよね、そうよね?」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「あなたに関わるもの全てお母さんがちゃんと審査してあげる」告げる告げる告げる告げる告げる「……いらないでしょ、これはあなたに必要ないもの」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「お母さんは、あなただけがいればいいの」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「どこに行くの、ねえ」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「お母さんを置いていかないで」告げる告げる告げる告げる「お母さんだけが正しいの、世の中はあなたに悪いことばっかり」告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる告げる「一緒に」告げる、告げ、た。
「」
ぷらん、と揺れていた。
Iはひとりぼっちになった。
可哀想、可哀想、可哀想。可哀想で嘲笑が込み上げてくる。あーああ、さっさと死んでしまえよ。自業自得。拒まなければよかったのに。まあその選択がIを長く長く苦しめることになるのだけど。それだけは、喜んでおこう。
Iはいじめられっ子だった。殴られ、蹴られ、罵詈雑言を浴びせられ、汚水をかけられ持ち物は切り刻まれて閉じ込められて辱められて。典型的に、古典的に、思いつく限りの嫌なことばっかりばっかりばっかり。毎日が刺激的で、私は何度もIを殺しそうになった。Iは何度も泣いた。ざまあみろざまあみろ。死んでしまえ。
私がIがはっきりと出会ったのもそんな時。それまでも何度か関わってはいたけれど、きちんと会話をしたのはその時が初めて。Iと私はそっくりで、私はIのことが嫌いで、Iも私のことが嫌いで、Iは酷く澱んだ目をしていた。私にとってIは特別で、気に食わないけれど唯一。何処までも貶めたい。何処までも落としたい。転ばせて泥まみれにして全てを踏みにじって、Iを殺してやりたい。そんな存在だけど。
でもまだ殺せなかった。殺意だけは十分だったけど、Iはまだのうのうと生き永らえていた。
私はいつもいつもIのことをどう殺すか、それだけを考えていた。
「さっさと死んじまえよ」「……殺、せばいいよ」
「気色わりー喋り方すんな、キメェ」「……知ってる」
「必ずぶっ殺す。本当は事故かなんかで死んでしまえって感じだけどな、事故った相手がかわいそーだしよ」「……は、は。そうか、も」
「わかった、期限を決めよーぜ。十日後、それまでにお前が死んでなかったら」「……殺してく、れる」
その日からIの機嫌は良くなった。にこにこにこ。ブスで、気持ち悪い顔。
サンドバッグにされて顔中が腫れ上がって、体が少しも動けなくなっても。服を脱がされて芋虫を身体中に這わされても。盗みを働かされても。縛られて路上に放置されても。あらゆる人に嫌われて憎しみを向けられても、何処までも何処までも何処までも、Iは。
最期の日だった。最低で最悪で、最高な日だった。
星の綺麗な夜だった。空は見えなかったけれど。Iを殺すんだから、そんな日だったのだ。Iにとって分不相応でも、私がIを殺す、記念すべき日なのだから。
Iはズルズルと痛む体を引きずって歩く。殺されに行くために。静かな家の中、Iは台所へ。上手く動かない足が、椅子にぶつかって音を立てた。
がちゃん、がちゃん。棚を開ける。するすると抜けば、薄暗い空間に鈍い光がぴかぴかと反射している。
私は包丁を手に取ってIに向けた。狙いは首。ぎゅう……っと柄を握り締める。指先が、力を込めすぎたせいで白くなる。カタカタと震える先に、はっと笑いが漏れる。初めての殺人、こんなに嫌いな奴を殺すのに、こんなにも。
「……やるなら、一気に」
Iが、ぽつりと呟く。なんだそれ。なんだそれ、なんだそれなんだ、それ。
一気に頭に血が昇った。知ってる、知ってる知ってる知ってる。お前なんか、Iなんか、大嫌いだ、憎んでいる、恨んでいる、怨んでいる、疎んでいる、全て全て全て全て全て全て。他人任せの、お前なんか!!!
「お前なんか、生まれて来なければよかった。大嫌いだった、Iなんか」「……本当にね」
そうして、刃が。
『今朝、〇〇県在住の男子高校生、長谷山伊月さんが自宅内で死亡しているのが父親によって発見されました、死後二日程度が経過し、警察は自殺と見て、詳しい捜査を進めているようです──────────それでは、次のニュースです、』
ブツン。
読んでくださり、ありがとうございます。