さよなら、僕の大好きな人~ある竜騎士の物語~
竜騎士のウィルは、その勤めの最後の一日を、草原で過ごしていた。
その傍らには、相棒だった騎竜のキース。
1人と1匹は、静かな時を過ごしていた――。
ウィルは空を見上げていた。
傍らには、やや小振りの赤竜。
相棒のキースだ。
7年間、一緒にやってきた。
ウィルがピンチの時には、いつも助けてくれた。
「今日で最後だな」
ウィルは、キースに語り掛ける。
キースの頭を撫でると、キースは気持ち良さそうに目を閉じる。
「お前との7年間は楽しかった」
ウィルは、キースに微笑む。
キースは、答えるかのように、小さく「キィ」と鳴く。
ウィルは、再び、空に目をやる。
既に夜は深く、辺りは静まり返っている。
草原には、他に誰の姿も見当たらなかった。
王宮の傍らにある草原だ。
城壁の中にある為、ここまで魔物がやって来ることもない。
だから、普段は、皆の憩いの場になっていた。
だが、ウィルは、キースとここで過ごすのは初めてだった。
キースは、ウィルの方をじっと見つめている。
何かキースなりに感じていることがあるのかもしれない。
ウィルは、ただ黙って、空を見つめていた。
草原に、一陣の風が巻き起こる。
風が、ウィルの焦げ茶色の髪を、ふわりと巻き上げる。
キースと一緒に過ごすのも、今日が最後だ。
ウィルは、明日で正式に竜騎士を引退するのである。
王宮付きの竜騎士は激務であった。
こうして、草原でゆったりと過ごすような余裕は無かった。
だが、その危険に見合った報酬が得られ、
社会的地位と活躍に応じた栄誉も得られる。
思い返せば、良い仕事であった。
本来なら、騎竜は、任務が済んだら竜舎へ返される。
手懐けているとはいえ、竜なのだ。
万が一のことがあってはならない。
だが、ウィルは騎士隊長に直接掛け合い、今日一日だけ、
キースと共に1人と1匹で過ごす時間を認めてもらえたのだった。
キースは比較的、気性の穏やかな騎竜であった。
ウィルの命令なしに、勝手にブレスを吐いて、敵を殲滅することもなかった。
ウィルの指示した通りに、的確に動いてくれた。
智慧ある赤竜であり、ウィルの危機と判別すると、
自らの意思で、ウィルを安全地帯へと導いてくれた。
本来なら、生命の危機と思われるような局面でも、
キースの本能的で的確な判断で、危機を上手く逃れることが出来た。
ウィルは、目線をキースの方に向ける。
キースは、じっとウィルを見つめていた。
残念なのは、キースは人語を発することが出来ないことだ。
簡単な言葉であれば分かるが、命令以上のコミュニケーションは難しい。
ウィルは、キースを見て微笑むと、その尻尾を撫でてやった。
キースが「キィ」と鳴く。
どことなく、その鳴き声は、嬉しそうにも聞こえた。
…とその時、ウィルの頭の中に声が響いた。
『ウィル』
ウィルは、少し驚いたように、目を見開く。
そして、念の為に、辺りを見渡したが、周りには、確かに誰の姿も無かった。
『僕だよ、ウィル』
「もしかして…キース、お前なのか?」
『ウィル、びっくりした?
僕、人語を憶えたんだ』
キースは、そっと手を差し出し、キースの手に重ねる。
『ウィル、今まで、ありがとう。
僕も、本当に、楽しかった』
「キース…」
『ウィルで良かった。
本当は、僕』
キースは、少し間を空けて、続ける。
『ニンゲンを背中に乗せるの、ちょっと嫌だったんだ』
「キース…」
『でも、ウィルは、僕の想像とは違った。
いつも…僕に優しかった』
「お礼を言うのは、こっちの方だ、キース」
ウィルは、ポロポロと泣いていた。
「お前がいなければ、俺は…」
『ウィル。ありがとう』
キースは、尻尾をぶんぶんと振った。
そして「キィ」と泣いた。
夜明けが近付いていた。
キースと一緒にいられるのも、あと、少しだ。
ウィルは、空を見上げていた。
キースも、同じように空を見上げている。
ウィルは、時々、キースを撫でてやったが、
キースからは、もう返事は無かった。
代わりに、キースは、短く「キィ」と鳴く。
さて…そろそろ、お別れの時間だ。
ウィルは立ち上がった。
キースは動かない。
「キース…」
ウィルが指示を出そうとすると、キースは、
大きくその翼を広げた。
キースは、その態勢で、指示を待つ。
ウィルは…躊躇った。
最後の指示が出せなかった。
キースは、悟っているかのように、バサッと大きく翼を揺らす。
そして、じっとウィルを見つめて…
その大きな手を、ウィルの頭の上にポンッと置いた。
「どっちが飼い主なのか分からんな」
そう言って、ウィルは少し笑う。
キースは、その大きな手を動かして、ウィルの頭をナデナデした。
「キース、お別れだ」
そう言うと、ウィルは、竜舎の方を見やった。
キースは、その手をウィルの頭から離すと、バサバサッと翼を動かした。
『ウィル、さよなら』
キースの声が聞こえた気がした。
…とほぼ同時に、キースは飛び去っていた。
キースは振り向かなかった。
ウィルは、そんなキースを目で追う。
キースは、竜舎の方に向かって、飛んで行き…
やがて、その姿は見えなくなった。
ウィルは、立ち尽くしていた。
姿が見えなくなっても、ずっと竜舎の方を向いていた。
草原を再び、一陣の風が舞う。
風は、草原を吹き抜け、竜舎の方に向って流れて行った。
太陽が昇る。
その陽の光で、王宮が眩しく照らし出される。
ウィルは、小さく呟いた。
「ありがとな、キース」
そして、王宮を背に、歩き始めた。
朝日に照らされ、足元の草原が輝く。
再び、一陣の風が吹き抜ける。
王宮の方から「キィ」という鳴き声が聞こえた気がした。
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