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殺人記  作者: 巡ほたる
7/41

FILE2 虐殺 3

甚振り尽くして殺す殺人鬼の話。その三。

 棘館から電車で十分と少し、そこはある。

 大人と子供が交錯し、子供が大人を誘惑する、そんな街が。

 ――汚い。

 そう感じる。

 その汚さを心地よいと感じるほど、虐殺は腐っていない。

 怪しげな店が乱立する路の空気は居心地が悪い。すれ違った男女は片方がどこかの高校の制服を着ていた。

 こんなにも腐敗したように見える街は、それでもぎりぎり表社会なのだろう。片足を突っ込んでしまった哀れなお店もあるかもしれないが。

 ――哀れなのは、どちらなのか。

 全身をどっぷり裏社会で浸している虐殺と、片足だけ突っ込んでしまった名も知らない誰か。どちらももともとは、表社会の住人だったのに。

 同類である毒殺の言葉ではないが、それこそ『毒を食らわば皿まで』なのだろう。それともその言葉は、刺殺のものだったか。

 どうも判然としない。思考に靄がかかったような不快感が虐殺を包む。

「なあ、お嬢さん」

「うん?」

「お前さんに言っているんだよ、お嬢さん。きらびやかなナリしてどこ行くの」

「!」

 気付けば、目の前に、小さな体躯が行く道を阻んでいた。

 虐殺の目線の位置にやっと頭が来るほどの矮躯の、女。

 秋も終わりの肌寒い季節だが、冬には早い。しかし彼女は見ているだけで暑くなってしまいそうな厚着である。厚手の着物の上にさらに厚い羽織、首にはマフラーまで巻いている。

 被っている浅葱色の帽子を押さえながら、女はすっと虐殺を見据えた。

 瞬間、ぎょっとする。

 なにに驚いたのかは、わからないけれど。

 唐突に魂を掴まれたような感覚が虐殺を襲っただけだ。

「お嬢さん? ひょっとして耳が聞こえないのか?」

「……聞こえてるよ」

 やっとの思いで答えると、女は満足げに微笑んだ。

「そりゃ良かった。五感は使えるに越したことはないから」

「………………」

「なにか用事があるのか」

「ない……けど」

 目的があって住処を出てきたわけではない。

 強いて言うなら、誰かを殺そうと思っただけだ。腐った街の人間なら、誰が死のうと誰も困らないだろう?

「だったら道案内をしてほしいんだ。ここからそう遠くはないはずなのだが、おれにはこの地図がとんと理解できない。力を貸してはくれないか」

「……わかった」

 差し出された地図を受け取り、自然と視線はそれへと向かう。

 なんとも個性的な女性だが、そういった個性は裏社会に行ってしまえばむしろ普通の個性なのでちっとも不思議に思わなかった。

 自分のことを『おれ』と言っていることも、どこか古風な出で立ちも。

 思慮の浅い行動だ。その後に展開がどう転ぼうとも、知らない大人に道を訊ねられたら、それは不審者だと警戒すべきなのだから。

「は?」

 手渡された地図に落とした目をむいた。

 端的に言えば驚いた。

 その地図――いや、それは地図とも言えない、子供の落書きと同然だったのだ。

 理解などできるはずもない、画用紙にクレヨンで描いた落書き。

 女性はそれを地図だと言って虐殺に渡した。

「え、いや、これ……」

「ああ、その店に行きたいのだよ。しかしておれには土地勘がなくてね」

 薄い笑みを浮かべ、彼女はなおも落書きを地図だと言い張る。

「や、じゃなくて」

「おう? もしや案内してくれないのか」

 途端、不満げに眉を顰めた。

「一度は引き受けてくれたというのに、随分と無責任ではないか。程度が知れるな、お嬢さん。親に人には親切にせよという教育を賜らなかったのかね?」

「…………………」

 親は自らの手で殺している。

 もしかしたら遠い記憶の片隅に、そんな教育を受けたこともあるかもしれないけれど、今の虐殺には親の教育などあってなきがごとしだ。もちろん、彼女はそんなこと知るはずもない。知っていれば声をかけさえしないだろう。

「まあいいか。ならば別の者を頼るのみだ。すまんね、お嬢さん」

 彼女の枯色の瞳が、虐殺の瞳を捉えた。

 それは声がなくとも饒舌に、虐殺のことを罵っていた。

 虐殺の知らない言葉で、虐殺を蔑んでいた。

「…………っ!」

 なんなんだ今日は。

 謀殺に呆れられ、鷹姫に嘲られ、見ず知らずの女性に蔑まれる。

 ここまで自分がみじめになったのは初めてだ。

 なんという屈辱。

 赤面ものだ。

 生き恥だ。

 そんなものを、アタシが許すわけがない。

 そのとき虐殺の瞳に宿った光を、人はなんと呼ぶのだろうか。

 執念と呼ぶのか。あるいは意地と呼ぶのか。

 それとももしかしたら――覚悟と、呼ぶのかもしれない。


 ◆◆◆


 そんな心ひとつでどうにかできるような問題ではなかったのが現実だ。すでに虐殺を見限った女性を呼び止め説得するのと、やっと認めてもらい再び渡された子供がクレヨンで描いたような地図を解読するのに、時間はたっぷりかかった。

 気付けば十九時を回っている。

 お腹も空いたし、なにより疲労感がひどい。

 解読した地図の示す場所も、その場から歩いて行くには少々遠い。その事実がさらに疲労感を増幅させた。

「お嬢さんはさ、何歳なの」

 目的地へ歩く道程で、女性はそんなことを虐殺に訊ねた。

「十六歳だけど」

 対する虐殺は端的に答える。

「へえ、十六歳。もう祝言も挙げられるのだね」

「しゅうげん?」

「結婚のことだよ」

「……十六で結婚する人なんて、そうそういないけど」

「そういう時代になったね」

「なんだかおばあさんみたいな言い方をするんだな。その……そういう時代になる前を知ってる、みたいな」

「知ってるからな。お嬢さんくらいでたくさんの子宝に恵まれているおなごがいた時代を」

「なんだその冗談。ボケとしては少しつまらないけど」

「おや、辛辣だな」

 ほかにも。

「どうしてお嬢さんはそんな服を着ているのだね?」

 と、虐殺の服装を指摘した。

「似合っていたはずだよ――そうさな、二年ほど前なら」

 言われて、虐殺は呼吸が止まる心地を覚えた。

「身長と服の丈が合っていないね。袖もつんつるてんだ。首元が合わなくて苦しくないかね? お嬢さん、悪いことは言わないからその服とはお別れした方がいい」

 女性の声は穏やかだった。心無い的外れなことを言っているわけではない。しかし変に甘ったるく寄り添っているわけでもない。ただ――虐殺のことを、よく見ている。

「……初めて働いて貰ったお金で、買ったんだ」

「うん?」

「知り合いと一緒に選んで、きっと似合うって言われて、浮かれて買っちゃったんだ」

 一緒に選んだのは抉殺だ。殺人鬼クラブに入ってすぐに仲良くなった。だから買い物に付き合ってもらったのだ。

 二年前と数を引いても、抉殺は年齢的にも精神的にもすでに立派な大人の女性だった。振る舞いも考え方も、まだまだ中学生のガキだった虐殺が憧れを抱くには十分すぎるほど。

 そんな憧れの彼女に少しでも近付きたくて、彼女が選んでくれた大人っぽい服を、成長してキツくなってきた今でも着てしまう。

「大人みたいな恰好をすれば、手っ取り早く大人になれると思った。だから、今日もまた着ちゃった。大人と対等に関わるために、恰好だけでも大人になろうとした」

 どうしてさっき初めて会った女性にこんなことを話してしまうのだろう。

 そんな虐殺の心とは裏腹に、言葉は濁流となって口から零れる。

「早く大人になりたかった。なのになんでアタシはこんなに子供なんだろう……」

「………………」

 返事はない。背後を歩いていることはわかるが、それ以外はなにも感じない。

 呆れているのだろうか。笑っているのだろうか。

 その返事を待っているうちに、目的地に到着してしまった。

 しっとりとした上品な店。料亭と呼ぶのが相応しい風格。

 こんなところに、背後の女性はこんな間抜けな地図で来ようとしたのか。彼女は一体何者なんだ。

「あの、着いた――」

「振り向くな」

 その声で、振り返りかけた身体が強張る。

 重々しい、抗ってはいけないなにかを感じた。

 女性を見ようと傾いて中途で止まった視線に、手が映り込む。

 どこか色素の薄い、しなやかな手。

「振り向いてはいけない。そう、いい子だ。お嬢さんの財布には五万入っているのだから、食事くらいできる。そう、そのまま。誰かに話しかけれるまで、振り向いてはいけないよ。いいね?」

「…………アナタは」

「うん?」

「アナタは何者ですか……」

「おれかい。そうだな、おれは、『作家』とだけ、名乗っておこう」

「………………」

「じゃあね、お嬢さん。虐殺さん」

 その言葉を最後に、背後の気配は綺麗さっぱりなくなった。

 それ自体には驚かない。気配を消すことくらい虐殺も少しできる。裏社会に目を向ければそちらのほうが多いくらいだ。

 しかし彼女は言った。「虐殺さん」と。財布の中身を当てられたことよりも、虐殺を、殺人鬼クラブの虐殺と、疑うことなく見破った――!

 その事実が虐殺を驚愕させ、言葉は重みを持ち、結果、虐殺は彼女の言葉に従わざるを得ない状況へと運んだ。

「………………」

「……――――」

「――――――」

「あの」

 そんな風に、綺麗な声で話しかけられるまで、どれくらいかかっただろう。時間にして五分もなかったかもしれないが、虐殺には五百年も待ったような感覚だった。

「間違ってたらごめんなさい。でも、もし、そのお店でお食事をするようでしたら、ご一緒してもいいですか?」

 振り返るとそこには、虐殺と同い年くらいの、セーラー服の少女が立っていた。

 もしも運命の人が恋人だけでなく友人にも当てはまるのなら、その少女は、虐殺の運命の相手だった。


 ◆◆◆


「私は綾唄蓮華と申します」

 と、蓮華は行儀作法を心得た様子で頭を下げた。

「あ、アタシは……」

 虐殺と名乗るべきか、迷ってしまった。

 こんな、どう見ても一般人の少女が殺人鬼クラブを知っているわけがないし、知っていたとしても新手のギャグだと思われるだけだから特に問題はない。

 けれども、何故か、彼女にはその名前を名乗ってはいけないような気がした。

 自身の直感には従うたちなのだ。

「アタシは、斧崎ありす」

 いつぶりだろう、本名を口にしたのは。

「ありすさんですね。可愛らしいお名前です」

「蓮華さんこそ、なんだかすごく、似合ってる」

「あ、ありがとうございます。……ごめんなさい」

 蓮華はびくりと身体を震わせて、俯いてしまった。

 なにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか?

 しかし彼女が謝った理由は別だった。

「本当はこのお店に入るつもりはなかったのではありませんか? その、なんだかきょろきょろしてらっしゃるし……」

「あう」

 店に入るつもりがなかったのは事実だ。

 なにせこの店は、本物の料亭だったのだから。

 まさかの完全個室。床の間に飾られた生け花は素人目に見ても素晴らしいものだし、なにより部屋が広い。ここが料理を食べるためだけの部屋とは思えないほどだ。

 ほんとに財布の中の五万円で足りるのか。その倍のお値段になるんじゃないか。というかこういう店は一見様お断りが多いのではないか。完全予約制でもあるはずだ。そういえば蓮華を見たときの店員の様子が少しおかしかったなあ。もしや彼女は金持ちで、この店の常連なのでは。

 というところまで考えが巡ったところで、料理が運ばれてきた。

 季節を彩った和食の数々。目で味わう料理とはこのことか。どう考えても未成年女子がふたりきりで食べる料理じゃない。それとも金持ち界隈では当たり前のことなのか。

「……ふふ」

 蓮華が口元に手をあてて笑い声を漏らした。

「え?」

「あ、ご、ごめんなさい。ただ、嬉しくて」

「嬉しい?」

「はい、私、お友達と一緒に食事をしたことがなくって、つい……」

「友達……」

「あっ! ごめんなさい! 初対面で一緒にお食事をするだけでお友達だなんて……図々しいですね……ごめんなさい」

 おお、ひとつの台詞にふたつ「ごめんなさい」が入った。

 彼女は「ごめんなさい」が口癖らしい。

「いや、もう友達でいいんじゃないかな。一緒にご飯を食べるんだし」

「ありがとうございます……」

 蓮華が頬を赤らめていることは、彼女が俯いていてもよくわかった。

「……食べましょう?」

 再び顔をあげた蓮華は、微笑んで両手を合わせた。

「いただきます」

 行儀が良い。

 それはイコールにはならないが、育ちの良さを感じさせる。

「蓮華さん、は」

「蓮華と呼び捨てで構いませんよ。お友達なのですから」

「蓮華は、どうしてここに来たの?」

「夕ご飯を食べにですが」

 きょとんとした顔で首を傾げる。

「ひとりで?」

「はい」

 あくまでも穏やかに微笑みながら、蓮華は言葉を続けた。

「家族となんて、来られませんから」

「…………?」

 なんだか陰のある物言いだ。家族とうまくいっていないのだろうか。

 そういえば蓮璉家の御曹司である謀殺も、家族関係は上手くいっていないらしい。金持ちとはそういうものなのかもしれない。

「ありすさんは?」

「え?」

「ありすさんは、どうしてここにいらしたのですか?」

「…………えっと」

 あれ?

 アタシはどうしてここに来たんだっけ?

 どうしてこんな高級料亭の前に佇んでいたんだ?

「わかんない」

「あら」

 虐殺は、ここに来るまで共に歩いていた女性のことを、すっかり忘れてしまっていた。

 まるで最初から、ひとりでここに来たかのように。

「そういうこともありますよね。私も、ついぼーっとしちゃうことがあって、それでお義父様に怒られちゃうんです」

「ふうん?」

 今、なにか……。

 口元に手をあてて笑う蓮華を見て、気付く。

「指輪?」

 彼女の右手、その小指に、繊細なデザインの指輪がはまっていた。

 指に巻き付くようなデザインで、片側に蝶を象ったもの、もう片側に少し大きめの石が施されている。石の色は透明で、照明に反射してきらきらと輝いている。

「これですか?」

 右手を掲げて、蓮華は指輪を示した。

「学校の決まりで、外しちゃいけなくて」

「…………?」

 二年近く学校という施設から離れている虐殺には確かなことは言えないが、学校とはそういうアクセサリーの類は、むしろ外すようにと指導されるものではなかったか? そう記憶している。校則の緩い学校ならばそれくらい許すところもあるだろうが、着けることを義務付ける学校なんてあるのだろうか。

「それに、外したくないんです」

 蓮華は照れたようにはにかんだ。

「蓮凰ちゃん……お兄ちゃんと、お揃いだから」

「お兄さんがいるんだ」

「はい。でも、内緒ですよ」

 人差し指を立てて、「内緒」の仕種を取る。

 その動作のひとつひとつが、まるで洗練された芸術品のようだ。

「自慢の兄です。頭も良くって、かっこよくて、とっても優しいんです」

「お兄さんのこと、大好きなんだね」

「はい、もちろん」

 堂々と、いっそ誇らしげに、彼女は頷いた。

 この年頃で感じる男兄弟は、煩わしいと感じる子のほうが多いというのに。虐殺は兄どころか弟も姉妹さえもいないので、その感覚はわからないが。兄弟姉妹どころか、親だっていない。

 この手で、屠った。

 それについては後悔も反省も懺悔もない。

 殺したかったから殺した。それだけだ。

 けれど、その事実を蓮華に話したくないと虚飾する自分がいる。

「……ありすさんは、自由なのですね」

「え?」

「まるで物語のアリスのようです」

「それは……」

 罵倒か?

 しかしそんな風には見えない。

「気を悪くしてしまったのならごめんなさい。でも、アリスは、とても自由なんですよ」

「でも、アリスは……子供じゃないか」

 永遠の少女の象徴。

 それはアタシよりも遊殺の方が似合う。

 それにアタシは子供ではなく大人でいたい。

「どうして子供でいたくないんですか?」

 まるで邪気なく、蓮華が訊ねる。

「………………」

「どうして大人になりたいんですか?」

 蓮華が訊ねる。心地よい声音に促されて、虐殺の口から答えがこぼれた。

「周りが……大人ばかりだから」

 その答えは、いつも頭の片隅に存在して、だからこそ誰にも言えなかった本心。

「望んで踏み入った世界なのに、周りは大人ばかりで、早くそれに追いつきたかった。追いついて、並びたかった。そうしなきゃ隣に立つことさえ許されないから……。でも、恰好だけ大人になっても、口先だけ大人になっても、それは大人じゃなくて、結局は子供が背伸びをしているだけなんだって気付いて、虚しくなる」

 どうしてこんなことをさっき会ったばかりの少女に話してしまうのだろう。けれど言葉は止まらない。先ほどもこんなことがあったような既視感を覚えるが、そんな引っ掛かりはすぐに忘れてしまった。

「気持ちは幼いままで、自立もできていない。それなのに自分は大人なのだと、粋がって、一歩も進んじゃいない。それに気付いて、悲しくなる」

「………………」

 蓮華はなにも言わない。

 今はそれがありがたい。

 ただ微笑んで、黙って話を聞いてくれるだけで、こんなにも救われる。

「どうしてアタシは子供なんだろう。どうしてアタシは大人になれないんだろう。どうしてアタシは、二年前から立ち止まったままなんだろう……」

「………………」

 すっ、と。

 蓮華が席を立ち、虐殺のもとへ歩み寄り。

「………………」

 なにも言わないまま、虐殺をその胸へ抱き寄せた。

「……! …………、………………」

 温かい。

 人の体温の温かさなど忘れてしまっていたのに、とても懐かしく、切なく、幸福で。

 感情が激流となって、もう、わけがわからない。

「……あ。ああ、うぁ……、ああああ」

 虐殺――否、斧崎ありすは、友人の胸で、鬼らしからぬ様子で、人間らしく、泣きじゃくった。

 泣きじゃくりながら、思う。

 ――ああ、彼女こそ、本物の『大人』なのだ。


 ◆◆◆


「美味しかったですね、また来ましょうね、ありすさん」

「……うん」

 二時間ほど経って、やっとふたりは席を立った。二時間ずっと、語らい、笑いあった。

 そんな経験がいままで一度もしたことのない虐殺は、なんだか新鮮な気分に浸っている。

 ああ、この時間が永遠に続けばいいのに、と。

 らしくなく、思ってしまう。

 それともこの姿が本当で、殺人鬼としての姿が偽りなのだろうか。

 斧崎ありすが本物で、虐殺が偽物なのか。

 あの笑顔の殺人鬼だったら『虐殺』こそが本物なのだと力説してくれるだろうが、蓮華は――斧崎ありすの友人は、どちらを本物と言うだろう。

 斧崎ありすを受け入れてくれた大人の少女は、虐殺を見てどう思うだろう。

 怖がってしまうだろうか。

 蔑まれてしまうだろうか。

 嫌われてしまうだろうか。

 殺さなければ、いけないのだろうか。

「………………」

 それは。

 何故だかとっても。

「いやだなぁ……」

 先を歩く蓮華の、揺れるポニーテイルを眺めながら、呟いた。

「……って、あれ? 蓮華、会計は?」

「え? もう済ませましたよ」

「えっ」

 手際がいい。気付かなかった。

「なんで勝手に払っちゃうんだよ。アタシもお金出さないと……っ」

「そういうのはいいです。私が払いたいから払ったんですから」

「でも……っ」

「ではこうしましょう」

 乗り出しかけた虐殺の身体を、指先ひとつで制する蓮華。柔らかだが、抗えない強さを含んでいる。

「今度は、ありすさんのおすすめのお店に、私を連れて行ってください。そこで奢ってください。そうですね……甘いケーキが食べたいです」

 優しい、透けるような微笑。

 謀殺は「清らかな大人などいない」と断言したが、それは嘘なのだと直感した。

 だって、彼女はこんなにも清い。

 殺したくなくなるほど、清い。

 殺人鬼が人を殺したくないだなんて、滑稽話にもならないのに。

「……わかった。約束する」

「はい、指切りしましょう」

 差し出される小指に、虐殺も己の小指を絡めた。

「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます」

 綺麗な声で歌って、指を切る。

 約束は守らなければいけない。

「私、指切りなんて、お兄ちゃん以外としたの、初めてです」

「アタシも、最後に指切りしたのなんて、覚えてないよ」

 はしゃいだ、浮かれた足取りで店から出る。外の景色は真っ暗だった。二十一時を過ぎているので当然だが。

 肌寒い。虐殺も蓮華もスカートなので寒さがダイレクトに身体を襲う。

 今日はもう帰った方がよさそうだ。

 お互い同じことを考えたのか、特に言葉は交わさずとも、ふたりは揃って駅の方角へ足を向けた。

「――――――」

 けれど、虐殺は、一般人ではなく殺人鬼なのだ。

 いい話だけで終わるようなご都合主義の世界に生きていない。

 程度の差こそあれ、近しいものは、惹かれやすいのだから。

 街灯も人通りも少ない道へ差し掛かったとき、ふたりは気付いた。

 悪寒が走った、と言い換えてもいい。

 まずいな。

 と、虐殺は思った。

 気付いたときにはもう遅かったからだ。

 はしゃぎすぎて、そちらへの配慮が疎かになってしまったらしい。

 ――囲まれている。

 五――十――十五――いや、もっとだ。

 武器らしきものも所持しているらしい。足音が重い。顔は見えない。覆面やマスクをしている者もいるようだ。吐息がくぐもっている。

「ありすさん――」

 蓮華が震える声で囁いた。

 彼女も気付いたらしい。

「私を置いて、逃げてください」

「なんで」

 同じように小声で返事をする。

「彼らの目的は、私のはずです」

「なんで」

 若干苛立って、繰り返した。

「わからないじゃないか。アタシが目的かもしれない」

「だって私は――」

「いやだからな」

「え?」

「アタシは蓮華を置いて逃げるなんて、絶対にいやだから」

「絶対?」

 正面を向いていて見えない蓮華の顔が、諦めたように笑んだのがわかった。

「ありすさん、この世に絶対なんてありませんよ」

 諦観が音になってリズムに乗った声だ。綺麗で、清らかで、麗らかで、聞き心地のいい声だ。大人びて、大人で、子供らしくない声だ。

「だから、ありすさん、今逃げなかったら、私を置いて逃げなかったことを後悔します」

 子供に社会のルールを言い聞かせる母親のように、蓮華は語りかける。

 あくまで優しく、あくまで清く。

「しない」

 対する虐殺は、意地汚く、生き汚く、首を振った。聞き分けの悪い幼児のように、じだんだを踏む園児のように、子供のように、首を振った。

「逃げてください」

「逃げない」

「後悔しますよ」

「しない」

「殺されちゃいますよ」

「殺されない」

「なんでそんなこと言えるんですか」

「それは――」

 アタシが殺人鬼だから。

 とは、言えなかった。

 蓮華には良く見られたいという欲が、邪魔をした。

 口ごもった虐殺の様子を感じ取って、蓮華は「ほらね」と笑った。

「絶対なんてないでしょう? 後悔しますよ? 殺されますよ? だから、逃げてください。こんなことをいきなり言うのはおかしい、変だって思われちゃいますけど、私、ありすさんが好きなんです。大好きになっちゃったんです。だから死んでほしくないんです。ごめんなさい。自分勝手でごめんなさい。気持ち悪くてごめんなさい。でも、私、ありすさんに死んでほしくないんです。私が死んでも、ありすさんには生きててほしいんです。わかってください……ごめんなさい」

「なんで、謝るんだよ」

「ごめんなさい」

「謝るなよ」

「ごめんなさい」

「謝るなってば」

「ごめんなさい」

「諦めるなよ」

「ごめんなさい」

「やめろよ」

「ごめんなさい」

「だってアタシたち、まだ会って一日も経ってないじゃないか。なのになんでアタシごときのために命を捨てようとするんだよ」前に進もうとする蓮華の腕を、急いで掴む。「まだ友達になったばっかりじゃないか! アタシはアンタのことをもっと知りたいし、アタシのことを知ってほしい! 今は言えないアタシの秘密をこっそり教えたいし、恋の相談とかしてみたい! だから……っ、諦めるのをやめろよ!」

「……っ、ありすさん……っ」

「ねえ」

 と、そんな風に。

 虐殺と蓮華の会話に割って入ってきたのは、底冷えするような、女の声だった。

「くだらない茶番はそこまでにして、いい加減誘拐されてくれないかしら、蝶咲蓮華さん?」

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