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殺人記  作者: 巡ほたる
17/41

FILE4 遊殺 4

遊んで殺す殺人鬼の話。完結。

 扼殺はドアを三回ノックする。返事はなかった。

「遊殺、入るよ」

 鍵はかけられておらず、ドアはすんなり開いた。

「遊殺?」

 西洋のプリンセスの部屋かと見紛う部屋を進み、天蓋付きの寝台へ近付く。そこには、固く目を閉じた遊殺がぬいぐるみを抱きしめて眠っていた。

 泣き腫らした目が痛々しい。

 あの夫妻のなにが彼女をそこまで苛むのか。

「遊殺、大丈夫、きっとお前の心のつかえは排除されるからね」

 そういえば遊殺が眼帯を取っているところを、扼殺は初めて見た。

 自傷行為による傷は、包帯や絆創膏で治療途中のもの以外は隠すことなく晒しているのだが、眼帯だけは人前で取ることがなかった。

 どうしてなのか考えもしなかったが――興味もなかったが――さもありなん。

 固く閉じられている――どころではない。

 縫い合わされている。

 本来あるべき、瞼の、眼球による膨らみがない。いびつに落ち窪んでいる。

 もう二度と、日の目を見られない。

 ――これをあの夫妻がやったのか?

 だとしたら……。

「許せないね」

 遊殺の身になにがあったのかは知らない。

 今まで知ろうともしなかった。

 自分と絞殺よりも酷い目に遭った人間などいないはずだと過信していた。

 玉兎連邦の被害者は自分たちだけだと驕っていた。

 それがどうだ。

 遊殺の過去も十分壮絶だ。

 こんな幼気な、愛らしい少女の顔を傷つけるだなんて。

 本当に人間の所業か?

 金儲けのために幼い少女の瞳を奪うことが、孤児院を経営する人間のすることか。

 否。

 そんなわけがない。

 そうであるはずがない。

 そうであっていいはずがない。

「可愛らしい寝顔だね、遊殺」

 遊殺の顔にかかっている髪を指でよけ、頬を撫でた。

 すべすべしていて、もちもちしていて、ずっと触っていたくなる。

 この子は庇護すべき女の子だ。

「ふふ」

 くすぐったつもりはなかったが、遊殺がわずかにはにかんだ。

 そして、右目がぼんやりと開かれる。

「あれ、やくさつ?」

「そうだよ」

「やくさつ、やくさつ、やくさつ。うふふ」

 ベッドに自ら沈み込みながら、遊殺はこちらから背を向けていった。そしてもぞもぞと布団の中へと這っていく。

「どうしたんだ、ワタシはこっちだよ」

「うふふ、やくさつが、ここにいる。やくさつが、あたしとふたりきり」

「うん、そうだよ。ほら出ておいで」

 遊殺はしばらくそうしていると、突然上半身を起こして布団を跳ね除けた。

「ばぁ!」

「わぁっ!」

 そしてそのまま扼殺に飛びつく。

「わっ、ちょっと、遊殺」

「扼殺、扼殺。あたし、思い出した。思い出したよ」

「思い出した? なにを……」

 遊殺の邪気なき声に、殺意が混じっていることに、扼殺は気付く。ざわりと、警戒心が沸き立つ。

「あたしの左目、パパとママに取られたことを」

「えっ……?」

 扼殺の首にしがみついたまま、遊殺は静かに息を吐いた。

 やがて扼殺の身体から離れ、再び寝台へ横になる。

「遊殺?」

 努めて平静を装いつつ、寝台に腰掛ける。

 謀殺の言った通り、遊殺の瞳を奪ったのはあの夫妻――遊殺が『パパ』と『ママ』と呼ぶふたり――で間違いないだろう。

 今、遊殺が証言した通り。

「この目。パパとママが取ったの。パパとママが、お金のために、誰かに売っちゃったの。ねえ扼殺。あたし、パパとママがとっても怖い。きっと、パパとママはあたしを探してるよ」

「どうして?」

 絞殺の言葉が脳裏をよぎる。

 ――だって

 ――『庭にいた女の子は私たちのものだ』

 ――『今すぐ我々に返せ』

「あたしの目はとっても綺麗なの。だから、目が好きな人が欲しがるの。そういう人は、お金をいっぱいくれるの。あたしの目は、まだあるから――」

 最後まで言う前に、遊殺の瞳には涙が溜まり、溢れた。

 縫い合わされた瞳からも涙が流れている。眼球は取り除かれても、涙腺は無事だったらしい。

「……遊殺、おいで」

 怖かったろう。いや、今もなお、恐ろしいだろう。

 まだ幼いのに、瞳を奪われるだなんて。

 しかも信じていた育ての親に奪われたなんて。

 声をあげて涕泣する遊殺を抱きしめ、扼殺はほのかに殺意の炎を揺らめかせた。

「許せないよね、遊殺。ワタシもね、育ての親に酷い扱いをされていたんだよ。遊殺、だから、育ての親でも、酷いことをされたら恨んでいい。例え生みの親でも、子供に酷いことをしていいという法はないんだよ。存分に恨みなさい。恨んで、憎みなさい。大丈夫。自分に酷いことをした相手を憎んではいけないという法もないのだから」

 復讐してはいけないとか、赦してやるべきだとか、世間は言うけれど。

 そんな綺麗ごとで生きていけるほど。

 世界は優しくない。

 被害者が加害者を憎んではいけないなど、世迷い言もいいところだ。

 そしてそれは――扼殺たち殺人鬼が、殺した相手に恨まれることを当然と受け入れているということでもある。

「……うっ、うぅっ……ほんとう? うらんでいいの? にくんでいいの? きらいになってもいいの?」

「いいよ。恨んでも、憎んでも、嫌いになってもいい」

「ほんと?」

「本当」

 小さな頭を何度も撫でる。

「あのね、殺人鬼クラブのみんなは、その程度で遊殺を嫌ったりしないよ。怒ったり、叱ったりもしない」

「……扼殺も?」

「もちろん、ワタシも」

 遊殺の深い碧眼が扼殺を閉じ込める。

 扼殺が、彼女の青い宝石に包まれているかのように。

「あ……あのね、だったらね、扼殺、わがまま言っても、いい?」

「なんなりと。お姫様」

 泣いているような、笑っているような表情で、遊殺は禁じられたわがままを言った。

「あたし、パパとママを殺したい」


 ◆◆◆


「だってさ」

「おや、気付かれていましたか」

「バレバレ。立ち聞きなんて趣味が悪い」

「困りましたねぇ」

「どうしたの?」

「情報を引き出すために爪を幾枚か剥いでしまいまして」

「あらら」

「遊殺さんが遊べる分を少々損じてしまいましたね」

「まあ、謝っておやつでも譲れば許して貰えるんじゃない?」

「だといいのですが」

「掃除人組合の人は? やっぱり依頼はしないの?」

「ああ、それなのですが、遊殺さんと親しくしている掃除人がいることが判明しましてね」

「遊殺と親しい? そんな奴殺人鬼クラブ以外にいるの?」

「掃除人組合でも扱いあぐねている存在ですから、わざわざ始末する必要がないんです」

「へえ。誰なの?」

「チョーキー・ザ・ベッドルーム……さんです」

「……うげぇ、よりにもよってベッドルームかよ。それでそいつは遊殺と仲がいいのかよ」

「今日のお茶の時間に招待すれば遊殺さんも喜んでくれるでしょうね」

「遊殺も変なお友達がいるんだね」

「まあ、遊殺さんですから」

「……ワタシも大概嘘つきだけど、あんたも十分嘘つきだよ、謀殺さん」

「なんのことです?」

「リスクが大きいなんて言っても、どっちにしろあの夫妻は殺すつもりだったんでしょ?」

「何故そう思ったのか、伺っても?」

「ワタシたちを『なんでもあるなにもない部屋』から攫ったときも、リスクは大きかったはずだよ。今回なんてあのときに比べれば規模はまるで小さい。損得勘定の得意な謀殺さんがそこを違えるはずがない」

「ふむ、しかしそれでは理由が弱い」

「頭のいい謀殺さんが、外に遊殺の情報を迂闊に漏らすはずもない。しかしあの夫妻は迷わずこの屋敷に辿り着き、目当ての遊殺は見つかった。こう仮定しよう。謀殺さんはわざと遊殺の情報をチラつかせ、夫妻をここにおびき出した――殺すために」

「……八十点、と言ったところでしょうか」

「残りの二十点は?」

「一番大きな点数の問題で、サービス問題です。最初から、夫妻を殺すのは私ではなく、遊殺さんの予定でした」

「最初から遊殺を傷つけようと……?」

「そう気色ばむのはやめてください。ただ私は、遊殺さんに憂いなく殺人鬼であってほしかったのです」

「別にワタシはどうでもいいけど、絞殺には言わない方がいいよ。同胞に嫌われたくないでしょ」

「そうですねぇ……扼殺さんもですが、絞殺さんも十分嘘つきですがね」

「ふうん?」

「興味さえなさそうに振舞っていても、やはり絞殺さんも遊殺さんが心配だったようです」

 言って、西の方向の曲がり角を視線で示した。

 角の向こうから、絞殺のスニーカーが覗いていた。


 ◆◆◆


 地下室へ続く階段から、凄惨な悲鳴が絶えず漏れてくる。

 男のものと女のものであることがかろうじて判るが、時間が経つにつれて判別が曖昧になってくる。

 ――酷い死臭だ。

 思わず鼻に手をあてがい、眉を顰める惨殺。

 人の死ぬ臭いとはどうしてここまで醜悪なのか。

 美しく殺すのならばまだしも、遊殺の殺害はあまり美しくない。

 美しいものは好きだ。

 逆に、醜いものは嫌いだ。

 殺人鬼になったばかりで、右も左も分からぬ状態である自分は、もっと殺人鬼を知るべきだと考えた。考えた先に、ほかの殺人鬼の手腕をこの目で見て学ぶのが最も効率のいい方法だという結論に至る。

 結果、遊殺の殺害を間近で観劇することにした。しかし、あまりの醜さに耐えかねて出てきてしまった。

 どうして遊殺はあの醜悪に耐えられるのだろう。

 ――いや。

 ぼくが堪え性のないだけか。

 殺人鬼になったばかりで、神経が過敏になってしまっただけだろう。

 ならばいつかこの死臭にも慣れるはずだ。

 死臭さえも美しいと思う日が来るかもしれない。

 だったらその日を待てばいい。

 死臭を美しいと思える日を。

 死臭を美しいと思えたら、きっとあの人に近付けたことの証明のひとつになる。

 血の臭い。

 臓物の臭い。

 排泄物の臭い。

 悲鳴。

 嗚咽。

 混沌。

 混濁。

 醜悪だ。

 目を覆いたくなるくらい、醜い。

 鼻を塞ぎ、耳を塞ぎ、全身の五感をすべて排除しても、付きまとう。

 けれどあの人は。

 ぼくが憧れる、生まれて初めて美しいと思えたあの人は、きっとこの醜悪さえ美貌に変えて見せる。

 血も、臓物も、排泄物も、悲鳴も、嗚咽も、混沌も、混濁も、醜悪も。

 すべて呑み込んで覆い飾って、美しく彩ることだろう。

 ぼくはあの人の、そんな美しさに惹かれたのだ。

 しかし、遊殺の殺害方法はどうにも好きになれない。

 ――まだぼく自身が幼いだけかもしれないけれど。

 おそらく、遊殺と気が合う日が来ることはないだろう。

 それでいい。

 みんな違うのだから。

 美しく殺すのはぼくの領分で、遊んで殺すのが彼女の領分だ。

 幼子の遊戯に美しさなど邪魔でしかない。

 それでいい。それでいいのだ。


 ◆◆◆


 午後三時。

 屋敷のリビングルームに殺人鬼たちは顔を揃えて座っていた。

 大テーブルに並ぶのは、彩り豊かなケーキやお菓子。こどもの日に食べるちまきや柏餅。どれも味が最高のものであることは、食事する彼らの表情を見れば明らかだ。

 食器の触れ合う音は軽快で、持つ者の心象を表現している。

「美味しいですか、遊殺さん」

 大テーブルの誕生日席に座り、数多くのケーキを前にした遊殺は、謀殺の問いに満面の笑みで答えた。

「うん! 美味しいよ!」

「それはよかった」

 クリームや食べかすを頬につけ、幼くも恐ろしい殺人鬼はにっこりと。

「パパとママを殺したあとだから、特に美味しい」

 そしてまたケーキを口に運ぶ遊殺の背後には、血で描かれた十字架と、カーテンに有刺鉄線で遊び、飾り立てられた、それぞれ片目を失った人間の標本があった。

「随分遊んだね、遊殺?」

 にやにやしながら扼殺がハンカチで、遊殺のクリームや食べかすでべちゃべちゃの頬を拭う。

「うん、だって、久しぶりにパパとママと遊べたから」

「許してくれって言われなかった?」

「言われたよ」

 思いを巡らせるように目を閉じる。

 やがて隻眼を開いて、

「でも容赦なんてしなかったよ」

 幼く、妖しく、破顔した。

「だってあたしは、殺人鬼だもん」


 ◆◆◆


 遊殺という殺人鬼はどんな殺人鬼なのか、それは誰にもわからない。

 遊殺にしか、わからない。


FILE4 遊殺 完

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