第2話
毎朝、的場薫には日課がある。
「薫ちゃぁん、ちゃんと立っててくれないと困るよぉ」
薫は閉塞した呼吸器官に酸素を入れようとするが、首を締める手のひらの力には勝てず無様に喘ぐしか無かった。
そんな薫の腹部に、容赦の無い拳による一撃が入る。
思わず悲鳴を上げたくなる痛みだが、呼吸器官の閉塞と胃の内容物が邪魔をして変な音の空気が漏れるだけだった。
「ひひゃひゃっ! 今の聞いたか!?」
「情けねぇ野郎だなぁ、薫ちゃんはよぉ!」
凄まじい力で放り投げられ、壁にぶち当たる薫。ここでやっと息が吸い込めるようになったが、噎せかえるだけで上手く酸素を取り込めなかった。
「軍でインターンしてるからって、調子乗ってんじゃねぇよ!」
次いで繰り出された蹴りを避ける力も無く、無防備なみぞおちに靴の爪先が入った。
これにより、また息を吸うことが出来なくなった。
「おら! 立てよ“サンドバッグ”!」
「人間の分際で生意気なんだよ!」
主犯格の男子生徒二人が、薫の髪を乱暴に掴み無理やり立たせる。
そこを取り巻きが胴体目掛け拳を振り下ろす。
これが薫の日課、“人間サンドバッグ”である。
今の時代、人間は劣等種として見られる傾向があった。それは、新たな種族、人間の進化系とも言われる存在、『ハイヒューマン』の誕生に起因する。
『ハイヒューマン』とは特別な能力、例えばテレパシーやサイコキネシス等の超能力を持つ者の事を言う。頭脳、身体能力もずば抜けており、このように薫のようなただの人間など“サンドバッグ”にしてしまえる程だ。
『ハイヒューマン』がどのようにして生まれてくるのか、それはまだ研究段階で分からない。『ガンスリンガー』の両親の間に生まれた子供が『ハイヒューマン』と成りやすいという研究結果もあるが、ほとんど謎のままである。
人口比率で言えば、七対三とまだ『ハイヒューマン』は少ないが、その能力を研究する為に全国から『ハイヒューマン』を集めている学園があった。
それが『咲浪学園』と言って、薫も通う学園である。
話は逸れたが、では何故、薫が毎日“人間サンドバッグ”を演じているのか。
それは『咲浪学園』で数少ない普通の人間であるからである。先ほども述べた通り、普通の人間は下等種族と『ハイヒューマン』は見ている。故に何か気に入らなければ、人間に八つ当たりをするのだ。
こんな風に。
「…………ゲボッ!」
「おい兄貴、こいつ血吐きやがったぜ!」
「ったく、これだから人間は。脆すぎるんだよ」
薫をなぶり続ける二人の男子生徒、戸嶋兄弟は、まるで壊れたオモチャのように薫を扱う。
この学園で双子の戸嶋兄弟に逆らえる者は居ない。生徒であれ教師であれ、学園長ですら逆らうことなど出来ないだろう。
何故なら、戸嶋兄弟は個々に強力な能力を持っており、何より戸嶋兄弟の父親は戸嶋グループの会長を勤めており学園に多額の寄付をしている。そう言った分けで、薫は校舎裏とか体育倉庫とかではなく、普段授業を行う教室で血反吐を吐くまで暴行を受けていた。
「おい、凛子。こいつに治癒を掛けろ」
戸嶋兄が傍らで黙って見ていた女子生徒に指示を下す。すると、女子生徒が薫のもとへ寄って来て、手の平を翳した。瞬間、先程までの苦痛など消え去り、傷口が塞がっていくのが分かった。
彼女は三科凛子と言って、戸嶋兄の許嫁であり、治癒能力を持つ『ハイヒューマン』である。
三科凛子は絶世であり傾国の美少女と言っても過言では無いほどの美貌を持ち、スタイルもグラマラスで、頭脳明晰、スポーツ万能の完璧人である。
何故、戸嶋兄の許嫁なのかは、三科凛子の父親が経営する工業会社が戸嶋グループの傘下に入っているからだとか。本当のところは薫には分からない。
「よし、治ったな。じゃ、続きやろっか」
戸嶋弟が拳を握り締め、振り上げたその時、時間切れを示すチャイムが教室に鳴り響いた。そして「全員、席に着け」と担任の女教師が教室に入ってきた。
「チッ、時間切れか」
口惜しそうに舌打ちした戸嶋兄弟は、各々の席へ帰って行く。その他の取り巻きも同じである。
ただ一人、薫だけがその場に取り残された。
「的場、席に着け。いや、その前にその血を掃除しろ」
担任教師がこれである。
本当、救われない。
薫はまだ違和感の残る体を何とか立たせると、掃除用具を持って自分の血の片付けを始めた。
今日の日課はこれで終わりである。