2話 仕事仲間
満たされていく
そんな感覚がする。
温かさを持った何かが心臓のポンプによって体中を駆け巡る。
特に目と耳の辺りがポカポカとした熱を感じる。
しばらくするとその熱は今度は光へと姿を変え、闇が晴れていく。
そろそろか。
そう思うと同時に体が左右に大きく揺らされる。
俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。
「おはようさん。良い天気だね」
目の前には先ほどの赤髪の少女が目も真っ赤にしていた。
少女は意識を取り戻したことに一瞬安堵の表情を見せたが、
口をパクパクと動かしてまた悲しそうな顔を作る。
そうして俺の両手を覆う様に力強く握りしめ、頭を俺の手に擦りつけた。
「大丈夫、君の声はちゃあんと聞こえてるさ」
「えっ」
「君の綺麗な目も、声もちゃんと見えるし聞こえる」
「で、でも・・・どうしてっ・・・」
「そりゃあ俺が最強の回復魔法師だからさ。最強名乗るにゃあ自分の傷ぐらいは癒やせないとな!」
ニッと歯を見せて大きく笑って見せると再度しかしとびっきりの安堵の表情を浮かべ、
大粒の涙をボロボロと流した。
また一つ命を救えた。
この子は生きて、そして笑ってくれた。
これ以上に嬉しいことはない、回復魔法師冥利に尽きるとはこのことだ。
そのことが俺も嬉しくなり、少女の頭をくしゃくしゃに荒っぽく撫でる。
「どうだぁ?久々に見た世界の景色は?」
少女は汚れた服で涙を拭い、めい一杯笑う。
「最高・・・!」
「ああそうだとも。健全な肉体精神で見る世界は最高なんだ」
―生き物は失って初めて『健全』が全てに勝るかけがえの無いものと知り、
『健全』を取り戻したとき、真の自由を知る。健全とは自由なのだ。
これは偉大なる医師兼回復魔法師が残した名言であるが、たしかにそうだ。
と俺はタバコに火を付け最高の一服の悦に浸る。
「じゃ、達者でな。あとは好きに何でもすりゃあいい」
「えっあ、あの・・・・・・お金は・・・・・・?」
「金? 何の金だ?」
「治療費、とか」
「あー・・・・・・」
そういや今手持ちの金が無いんだった。
かといって彼女の様子からして払えるものもなさそうだ。
まずった、完全に後先考えて無かった。
このままじゃ関所で預けた馬の引き取り代金と隣町の入門税も払えない。
「君、名前は?」
「・・・・・・分かりません」
処女は頭の先の左右についた獣耳をしゅんとさせ、顔を俯けた。
別に名前が無いことは珍しいことじゃない。
親に捨てられたり、先立たれたり、奴隷だったりするとそういう子は多い。
ただ、ここまで大きく育って名前が無いというのはいささか珍しいことではあるが。
とはいえこんな不知らずな土地に少女を、それも獣魔を放置していくのも気が引ける。
せめて同じ種族も住む場所付近までは連れて行く必要もあるだろう。
「じゃあ君には荷物持ちでもしてもらおうか」
「え?」
「俺は街々を転々と移動するもんで如何せん荷物が多い。そこで君には君の仲間がいる辺りに着くまで荷物持ちをすることで全部チャラにしよう」
「私を仲間の居るところへ連れて行って貰えるんですか!?」
「世界は丸い。保障はしないが、移動していればいつかは辿り着く、かもしれない。別に途中下車して貰っても構わない。ただ、行く当てが無いならー・・・そうさな、期間限定で俺の元で仕事をしてくれないか?という意味だ、たぶん」
少女は顔を紅潮させ、首を大きく縦に振った。
しなびた獣耳にも血が通ったらしく、生き物のように激しく逆立つ。
「もちろん!もちろんです!何でもします!」
二つ返事の快諾の彼女になんとも言えぬ不安を感じる。
確かに俺は彼女にとって恩人なのかもしれないが、快諾過ぎる。
もし俺が悪人だったらなどと考えないのだろうか。
相手の弱みにつけ込こむ方法は昔からある手であり、
先ほどまで奴隷としての扱いを受けていたのに・・・不安だ。
彼女の忠誠心というか、疑わない善意が不安だ。
「お、おうそうか。じゃあとりあえず宿を探そうか」
「分かりました!」
こりゃあ仕事の道中に社会教育をしていかなきゃダメだな。
タバコを根元まで吸いきり、足で火元を消して宿探しへと向かった。
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獣魔の少女には羽織っていた薄手のコートを着せと耳を隠す帽子を被せ、大通りに出た。
バザールをやっていた通りとは別の通りで、こちらは幾分か空いていた。
バザールの方角を見ると、人々のざわめきやら旗やら祭りっぽい様子がする。
「パン屋はもう無理だな」
名残惜しみながら背を向け歩き始める。
赤髪の少女は人が怖いのか、
帽子でめいっぱい深く被りながら俺の裾をぎゅっと掴んで着いてくる。
宿を探して左右を散策していると酒場が多いのに気がついた。
水の補給場所や、馬借もある。
どうやらこの通りは観光客など、外の人間を対象にしているらしい。
ここなら宿がすぐ見つかりそうだなと、
ふと右の方を見ると赤い看板に「セヌール」と掘られた店を発見した。
「これは僥倖!こんなところに銀行があるとは!」
早速中に入り、平金貨3枚、円銀貨10枚、円銅貨100枚をおろし再び散策するとものの5分もしないうちに、
宿屋を見つけることが出来た。
1泊素泊まり円銀貨5枚であり、ちょっと値が張るなという感じだった。
が、案内された部屋は角部屋で二人が使う分には十分であり、
風呂も朝食付という値段に見合った部屋だった。
部屋に着くなり、荷物を置き少女を風呂へ誘導する。
「とりあえず君はお風呂に入ってくると良い、その間に俺は必要なものを揃えてくる」
「あ、私も行きます!」
「いやもう服脱いだならそのまま風呂入っててくれ」
「気にしないでください、私は平気です!」
「そこは気にしてくれるとオジサン助かるんだが」
なかなか食い下がらない少女をなんとか風呂場に押し込め、宿を出る。
近くの服屋で動きやすそうな服を見繕って貰い、
薄緑色の薄手の長袖と黒の長ズボン、下着、ベルト、バンダナ、フード付のコートを購入し宿に戻った。
自室のドアを開けると、少女も風呂場から出てきた。
俺と目が合うと嬉しそうにこちらにやってくる。
「あーはいはい風呂から上がったらまず体拭きましょうね」
なんか犬みたいな娘だな。
そんなことを考えながら清潔なタオルで頭をワシャワシャと拭き、体は自分で拭かせ服を着せた。
オジサンが買ってきた割にはよく似合ってるんじゃ無いか?
と自画自賛していたが、すぐに真理に気がついた。
可愛いちゃんは何着ても可愛い。
顔が整ってる分、奇抜で無い限り何でも着こなしてしまうのだ。
風呂上がりのせいで体が火照っている。
まるで―
あ。
「リンゴがあるんだが、食べるか?」
「・・・いえ、結構です」
そう笑って返したとたん、腹の虫がどこからか鳴き出した。
俺では無い、となると。
少女の方を見ると顔がリンゴになっていた。
よく熟れてる。
「あー、君は俺の仕事仲間だ、遠慮することはない。君一人養うなど造作も無いことだ」
「・・・・・・はい、いただきます」
と、最初は恥ずかしさのあまりか、慎ましくリンゴをお召しになっていた。
しかし空腹に耐えきれなかったらしく、20個ほどあったリンゴの半分近くをすぐに平らげた。
こりゃまた買い出しし直しだな。
「そういえば、君。いや、仕事仲間に名前が無いのは不便だな。なんて呼ばれたい?」
少女は手の甲で口を慌てて拭き、暫く難しい顔を作る。
そして苦笑いのような表情を浮かべた。
「私、頭良くないのでいいのが思いつかないですハハハ・・・・・・」
まぁたしかに、10年以上無かったものを急に付けろってのもアレか。
「じゃあ好きなものを名前にすりゃあいい」
「好きなもの、ですか」
「そうそう。なんかあるかー? 好きなもの」
「リンゴ!」
「どんだけリンゴ好きなんだよ」
ま、彼女が気に入ってるならそれでもいいけど。
「じゃあ改めてよろしくなリンゴ。俺の名前はスダチだ」
「あっ、よ、よろしくおねがいしますです、スダチ様!」
「様は辞めてくれ、そんな性分じゃない」
「はわわ・・・!じゃ、じゃあ・・・えーとえーと」
いや別にスダチさんとかでいいんだが。
「えーと、あっ!すっちー!」
「うん。スダチさんって呼んでくれ。この髭ずらと歳ですっちーはイタいだけだから」
この日、俺は獣魔の少女リンゴと仕事仲間になった。