奴隷と散歩
Q.完結したんじゃないの?
A.思った以上に反応良かったので……それにもともと日常を描くショートショートだから、終わりはないと言いますか……
Q.それでいいの?
A.本編と番外編に別けたので許して
トントントンと厨房から聞こえる規則正しい音、ヤカンから吹き出す蒸気があがる悲鳴のような音、そして涎が思わず出てしまうような食欲をそそる匂い。
見なくても我が家の奴隷(正確には奴隷でなくなったが)はテキパキと料理を作ってるのが分かった。
私は本を読む手を止めて、椿にバレないように厨房に忍び込む。
厨房に入るとさっきまで微かな香りだったものが、存分に感じられ私は思わず唾を飲み込んでしまった。
そんな空間で私は愛おしい彼女の姿を見つけた。
料理に集中しているのか、楽しそうに鼻歌を歌いながら作っている。しかし、時折手に持った包丁をタクトのように振り上げるのは、危ないからやめていただきたい。
私はタクトのような包丁に意識を向けながら近づいた。そして私は彼女の細い腰に腕を回した。
「んっ……。もう、主人様。包丁持っとるから危ないでありんす」
椿は驚くことも無く手を止めて言った。この反応は途中から気がついていたんだろう。気がついて待っていたのだろう。
本当にいじらしい。
「美味しそうな匂いがしたから、来ちゃった」
「なら、なんで抱きしめるん?」
「美味しそうだったから?」
私はそう言いながら椿の首に顔をくっつけてキスをする。
椿の体がピクリと震え、首が赤くなった。きっと顔も赤いだろう。
「美味しそう。って……はぁ、そんな意味じゃ」
ああ本当に可愛い摘み食いしてしまいそうだ。
理性がガラガラと崩れて行く。どうしよう椿が拒絶しないなら……。
「ダメ!」
椿が叫ぶと同時にスコンと音がした。
何事かと顔を上げるとまな板に包丁が突き刺さっていた。それも深々と。
「もう、主人様。今日はピクニックでありんしょ。そんな事したら行けんくなりんす」
プンプンという擬音が聞こえて来そうな膨れっ面で椿は言った。
私は本当に怒らせた事を反省しながらも、怒ってくれた事に距離感が縮まった事を確信し嬉しくなってしまう。
しかし、嬉しくってニヤニヤとしていると。
「もう、笑ってないで出て行ってくりゃれ」
と椿は振り返ると背中を押してくる。
「分かった。ごめんって。本当に何を作ってるか気になったの」
「秘密。楽しみにしてくんなまし」
そう言って私は厨房から追い出されてしまった。
ご主人様として少し情けない気もしなくはないけど……。
私はため息を吐いて書斎に足を運ぶ、椿も仕事をして構ってくれない。なら、私も仕事をしよう。
奴隷の時はお小遣いだったが、今は給金として処理しなくてはいけないのだ。
私が事務仕事をちょうど終えたところで書斎の扉がたたかれた。
私は壁に掛けられた時計をちらりと見る。時刻はお昼前といった時間。今から歩けばちょうどいい時間になりそうだった。
まさに良いタイミングだ。
「主人様。お弁当ができましたよ」
「うん。分かった行こうか」
私は机の上の書類を脇に片して行く。それを眺めている椿の瞳には好奇心が見え隠れしていた。
「気になる?」
「え? 少しだけ」
「ふふ、後で教えてあげる」
そう言うと椿はムッとした顔をした。厨房であっな事をなぞるような会話に気がついたのだろう。
私は意趣返しができた事に微笑む。
そして机の上を向い片付け終えて立ち上がった。
「さて出かけようか」
私は椿を連れて歩き始めた。
手を繋ごうかと彼女の手をちらりと見たが、その手にはお弁当を詰めた鞄が握られ、私の入る余地は無かった。
「手を繋ぎたかったでありんす?」
私の視線に目ざとく気が付いたのか、椿はそんな事を言う。
その一言で気が付いた。わざとやってる。
そもそも鬼の力を持つ彼女が鞄を両手で運ばなければいけないなど、あり得ないのだ。ならば、そうするのには理由がある。
駆け引きするような強かさを覚えたようだ。
「ええ、手を繋いで散歩したかったわ。でも、残念。椿は私の手より、鞄が大切だものね」
「いけず……」
予想外のカウンターに晒され唇を尖らせた。一度そうしてしまった程、今更片手で鞄を持つ事も出来ないのだろう。
私はまだまだ駆け引きの弱い椿を笑いながら言う。
「帰りは軽くなるだろうし、きっと手を繋げるわ」
瞬間、椿の顔がぱぁっと明るくなるが、すぐに私のニヤニヤした笑顔に気がつき顔を逸らしてしまう。
結局、私たちは手は繋がなかったものの、肌が触れ合うような距離感で散歩をした。
両手を塞いで抵抗できない椿の髪に綺麗な花を刺したり、草陰に隠れてる黒猫を見つけてちょっかいをかけたりした。
そんな事をして仲良く歩いている時間が幸せだった。
そんな幸せを噛みしめて一時間ほど歩いたところで、私たちは街から離れた小さな丘にやって来た。
私は歩き疲れた事もあり、服が汚れるのも気にせず地面に体を下ろした。
草と土の香り、それから心地いいそよ風に満足しながら椿を見上げる。
「ほら、椿もおいで」
そう言うと椿は逡巡の末、鞄を地面に下ろすと私の横に寝そべった。
「ねえ。手、繋ごうか」
「帰りの楽しみじゃなかったん?」
椿は意地悪にそう聞き返しながらも、すでに私の手に触れていた。
私はそれに応える様に指を絡ませてきゅっと手に力を入れた。
「少しだけ、こうしていましょ。お昼はそれからでもいいわ」
私がそう言うと、返事は返ってこなかったが、代わりに手を優しく握り返された。