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イリウスの空  作者: RUKA
第一章 おわりのはじまり
8/36

本当にまずいと思ったらとんずらするから

 半分消し炭と化し階段がなくなった建物の二階に入る。別に飛行の魔法が使えずとも、アスカには朝飯前であった。建物は割と頑丈な作りだったようで、人ひとりの体重くらいなら崩れることなく受け止める。

 隣の建物の屋根から飛び移って、三階の窓から侵入、中の適当な家具にロープを括りつけて再度窓から出ると、同じようにその下の部屋の窓から室内へと入る。忍び込むならともかく、見つかっても何の問題もないのなら彼に苦はなかった。地上で待つエレナには荷物と弓矢を取ってやったというのに微妙な表情をされたが。


「素直にお礼を言えない……」

「もらうなら言葉より現金だな」

「君、たまに人としてどうかと思うわ……」


 エレナの苦言にアスカはひとつ手を振っただけだった。

 テメの街はガルーダによって甚大な被害を受けた。死者や怪我人の数などアスカは知ろうと思わないが、決して少なくはないだろうことは破壊された街並みを見れば分かる。

 テメ国政府は緊急的に全経済活動を停止し、人員を医療と捜索に回している。当然船の便も止まっていて、こちらは暫くの間動く気配がない。

 アスカは基本的に無計画な旅しかしていないが、この先を決めかねていた。

 確かに燃えるテメを見て、エレナたちを助けに行きたいと思ったのは事実だ。しかし勇者だと言われたところで「魔王を倒さねば」と使命に燃えるかというと、そんなことは全くなかった。

 そもそも、「魔物に狙われやすいのが勇者である証拠」というのはあまりにも大雑把ではないか。ただ面倒くさい事態に着実に巻き込まれているだけのような気がする。

 ふとエレナを見やると、彼女は荷物の中を確認しているようだ。薬を作る道具に薬草、それから「あった」と声を上げたのは、小さな指輪だった。彼女はそれを己の右手にはめて大事そうに包み込んだ。


「高価なものか?」

「わっ!」


 後ろから肩越しに覗き込んだアスカにエレナは身体を跳ねさせた。それには構わず、彼は指輪を見てみる。確かに細やかな細工が施されていて美しくはあるが、特に高価な宝石がはめ込まれているわけでもなさそうだ。


「売れそうにない」

「……まあ、私もそう思うわ。母親の形見でね、金銭的な価値は特にないの」

「ふうん」


 アスカは大して興味なさそうに言って、エレナは「さて」と荷物を持った。


「病院に入れない人が結構いるみたいだから、私はそっちの治療を手伝うわ。薬の材料が少ないから、君はクールでも捕まえて採って来てくれる?あの子、簡単なものなら見分けられるから」

「は?何で俺が……」

「採って来て、く、れ、る?」


 拒否権などない。そう言いたげなエレナに反抗するのは骨が折れる。アスカは渋々頷いて、彼女から薬草のリストを受け取った。

 テメの街の大部分は石造りだし、エレナたちが港側へ誘導したから被害はある程度抑えられたはずではあるが、それでも、ガルーダの高温の炎は建物やその中を焼き払ってしまった。

 簡易テントの立ち並ぶ広場では、医療従事者ではなくても覚えのある者たちが集まって、国立病院に入りきらなかった怪我人たちを治療していた。

 アスカはあたりを見回しながらゆったりと広場を歩いた。明るい赤毛の少年魔導士は目立つはずなのだが、そもそもどのあたりにいるのかも分からないのでは探すのも一苦労だ。

 さて、どうしたものか。腰に手を当てて立ち止まったアスカの足に、軽い衝撃があった。見下ろすと、少年が尻餅をついている。それを認識して、彼はただでさえ動かすのが苦手な表情を完全に凍り付かせた。彼は、子供も苦手だった。


「……すまない、大丈夫か」

「うん」


 差し伸べた手を取り、少年が立ち上がる。煤に汚れた彼はきりりとした目つきをしていた。「お母さんを探さなきゃ」とアスカに言って、彼は再度駆け出していく。小さな背中を見送り、アスカは息をついた。


――君がいる、それだけで町一つ潰す理由になるのですよ


 あの妙な神官の言葉をそのまま信じるつもりはない。否、正確には信じたくない。「面倒くさい」彼はまたそう呟いた。


「あれ、アスカ。エレナと一緒じゃないのか?」


 声のした方を見ると、案の定長身で筋肉質の剣士が爽やかな笑顔を見せていた。しかし、普段と違うことがひとつ。


「……何やってんだ」

「いやあ、治療の邪魔になるから子供の面倒を見ているんだけどな」


 両腕に、少女がぶら下がっている。筋力トレーニングの重りか何かだろうか。見れば背中にも男の子がよじ登っているらしい。ザッシュは腕の立つ剣士だが、何とも微笑ましいというか、間抜けに見えた。


「ザッシュ、クルセルドを知らないか。エレナにあいつと一緒に薬草を採って来いと言われた」

「え、ああ、クールなら一人でどこか……。いや、やめておこう。俺が付き合うよ」


 ザッシュはそう言って抱えていた――否、ぶら下がっていた少女たちを降ろし、背中の少年にも降りるように言った。子供たちは遊び足りないのか唇を尖らせて文句を言っていたが、ザッシュがしゃがんで「また明日な」と言えば「仕方ないから勘弁してやる」とばかりに頷いて去って行った。


「……泣けば、いいのにな。子供なんだから」


 ぽつりと言ったのはザッシュではない。彼は発言者を見下ろして驚いていた。その視線に気づいてアスカも彼を見上げる。


「どうした」

「いや……、どこから指摘すべきか……」

「は?」

「君は本当にあのアスカか?俺たちの名前を普通に呼んでいるわ、他人を気にかけるわ……、別人か?」


 失礼な、と思ったアスカだが反論はしなかった。彼が彼らと意識的に距離を取っていたのは事実であるし、それをやめたのもまた事実であった。


「まあ、生き物は変化するものだからな。時たま、別人みたいに」

「撫でるな」


 小動物か子供にするがごとく頭を撫でまわしてくるザッシュから逃げたアスカはそっぽを向いた。しかしザッシュは気分を害した様子もなく「はは」と楽しそうに笑った。


「薬草だよな。で、どの辺に生えているものなんだ?」

「……さあ」

「とりあえずそれっぽいのが生えてそうな所に行ってみるか!」


 何を考えているのか、それとも考えていないのか。アスカはザッシュと連れ立って一度街の外へ出た。

 アスカに薬学の知識はないし、どうやらザッシュもそうであるらしい。しかし彼は街道からそれた草地に入ると「えーと」などとリストを眺め始めた。これでいいのか、いや、よくないだろう。


「おい。真面目に――」

「いいよ。エレナも期待していない」

「は?」

「考えてみろ、俺たちは旅人で、治療も復興もテメ国がすべきことだ。手を貸すことはしても薬の材料なんてテメの役人に頼めば用意してくれるさ。しかも、クールの薬草の知識ってあれだぞ。治療じゃなくて呪術用。危険」


 つまり特に意味のない仕事を押し付けられたということだろうか。アスカはふんふんと鼻歌を歌うザッシュの大きな背中を見てため息をつきその場に腰を下ろした。さわさわと、昨日の戦闘が嘘のように穏やかな風が吹き空は澄み渡っている。


「エレナは多分、君をクールの傍に行かせたかっただけだろう。あいつは、あれで一応、魔族だからな」

「……街を焼いた火を消し去れるだけの魔力を持った、か」

「そう、おっかないよなあ。ただの人間にしてみれば、さ」


 確かに、人間であるアスカが傍にいれば、クルセルドに対する恐怖心は僅かだとしても緩和できるだろう。エレナの考えたことは何となく理解できたアスカだが、ではなぜ今ザッシュと一緒に雑草にまみれているというのか。


「……これは、クールが絶対に逃げられない問題だ。生きている間何度だってわいてくる。いい加減自分一人で解決できるようになってもらわないと、俺も困るから」


 彼に似合わない厳しい言葉と声だった。

 ザッシュは、なんだかんだとエレナの我儘を聞いているし、クルセルドの悪態も聞き流す。少々抜けたところ――エレナの荷物を盗まれるなど――もあるが、二人にとって頼りがいのある兄のように、アスカには見えた。


「エレナもさ、昔からお転婆で。最近じゃあ魔王を倒すなんて言い始めて。自分の手に余るのは分かっているくせに、何とかしようとするんだから、俺を困らせるのが趣味なんだろうな」

「それを聞くのがあんたの趣味なんだろ」

「はは、まあ。けどこんな世の中だ。いつ俺が二人を守れなくなるとも知れないし」


 ザッシュはゆっくりとアスカを振り返った。「なあ、アスカ」剣士は青年を呼ぶ。力強くたくましい、腕の立つ剣士は何故か気味が悪いほどに儚く見えた。


「二人を頼む」

「……嫌だね、面倒くさい」


 アスカは答えて草の上に寝転がった。どくん、どくん、とアスカの心臓は大きく脈打つ。どうにも息苦しく、喉がカラカラに乾いた。ザッシュの普段と変わらない笑い声がした。「言うと思ったよ」と。アスカは横たえた身体を丸めて目を閉じた。



 予想通り、ただの雑草を手に戻るとエレナにこっぴどく叱られた。「君はお使いもできないの」ときたものだ。原因の大半はザッシュなのだが、彼は「思ったより怒ったな」と面白そうに笑っただけだった。


「で、クールは」


 腕を組み、眉を寄せて尋ねるエレナにザッシュとアスカは顔を見合わせた。さて、彼らはここまで件の少年の姿を見ていない、というか探す気がなかった。ザッシュは「うーん」と空を仰いでから、ぽん、と手を叩く。


「そろそろ腹が減って戻ってくるんじゃないか?」

「いや、いくらなんでも――」

「あー、腹減った!おいお前ら、飯食いに行こうぜ」


 エレナがザッシュの言葉に苦い顔をしていたところへ、クルセルドが飛びついた。肩を組まれたエレナは「何だ、どうした?」と不思議そうな少年を見つめて「何でもないわ」と笑ったのだった。

 テメの飲食店は軒並み閉店していて、食事は国かテメ所属の船団からの支給であった。旅人であるアスカやエレナたちの分は後回しである。列に並んで、パンとスープをもらい、広場の中央にある噴水に腰かけた。

 何の疑問もなく食事を始めたエレナたちと対照的に、アスカはじい、と食料を見つめている。乾いたパンをちぎったクルセルドは「何してんだ?」と尋ねた。


「……金を、払ってないんだが」

「緊急対応の配給だからな」

「何だそりゃ、盗賊の台詞かよ」


 ザッシュが当たり前のように答えて、クルセルドは馬鹿にしたように鼻で笑った。しかしながら、定住することもなければまともに働いて金を得たり納税したりしたこともないアスカには不思議なのだ。何の対価も払わず、盗んだわけでもないのに食料を手にしているという状況は。


「それだけテメがしっかりした国だってことよ。ガルーダなんかに襲われるとは思っていなかったでしょうから、天災対応だろうけどね」


 エレナは立ち並ぶテントを見やって言った。物資の統制および配給、人員の振り分けに、エレナたちのような協力者の受け入れ。すべて迅速かつ的確だ。「でも確かに」とエレナはパンを掲げた。


「働かざるもの食うべからず、よ。食べ終わったら君たちも手伝ってね。午前中みたいにふらふら遊んでるんじゃないわよ」

「いいえ、その必要はございませんよ、お嬢さん」


 す、と。エレナの顔に影がかかった。見下ろしてくる男を見返した彼女は、パンを置いた。口元に髭を蓄えた四、五十代の男である。「長官」とその後ろに並んでいる衛兵が呼んだ。


「間違いありません、昨夜ガルーダとの戦闘を行ったのは彼らです」


 男はうむ、と頷いた。その目はエレナの隣で俯いたクルセルドを一瞥し、「魔族、かね」と断定するように問いかけた。

 クルセルドの外見は、人間の少年と差がない。彼が「まさか」と答えればまた別の展開を見せたのだろうが、天才魔導士は逃げるということをしなかった。


「ああ……一応。だったら?」

「非礼を重々承知でお願いする。即刻テメ国から退去していただきたい」


 衛兵隊の隊長は言う。エレナたちが街へ入ってから、ガルーダがやってきた。テメを出た客船も襲われたという報告が朝一番で入ってきた。そして、クルセルドの強力な魔法を目撃した市民が大勢いる。魔法の水流が、街を炎ごと押し流すさまを。


「ガルーダは確かに攻撃に優れるが、山を荒らすかこちらが攻撃をするかしなければ手を出してこない。で、あれば何者かによって操られていたと考えられます」

「それが、俺だと」

「そう思う者がいる、という話です」

「なあ、おい。見事に状況証拠だけだな」


 口を挟んだのはアスカだ。右手で短剣を弄び、大して面白みのない無表情である。一見して悪党の類と分かる彼に、長官は軽く笑って見せた。


「その通りです。ですが、それで十分民の心は動くものだ。それに、本気で犯人捜しをされても困る。私たちは、面倒ごとを避けたいのですよ」


 ご理解を。男は言っていることは「国から出ていけ」だというのに、恭しく頭を下げて見せた。それを見て最初に立ち上がったのはクルセルド、続いてエレナとザッシュだった。アスカは衛兵たちをひと睨みして、しかしそれ以上は何もすることなく彼らの後に従った。

 テメの大街道、つまりは来た道を戻りつつ、アスカたちは無言であった。先頭を歩いているクルセルドも以前のようにキャンキャンと噛みついては来ない。天気はいいし、これがただの遠足だったならばどれだけよかっただろうか、とアスカはため息を吐いた。


「あー、気持ち悪いな、お前!」


 くるり、突然振り返ったクルセルドはアスカを指さしてそう言った。


「あ、俺はこいつらと関係ないんで、って次の船が出るまで色々ちょろまかしながらのらりくらり生きてるような奴だろ!俺を庇おうとしたり普通についてきたり、何だお前、誰だ!」


 本日二度目の「別人か」にアスカは額を押さえた。


「面倒くさい……」

「俺にしたらお前が一番面倒くさい!」

「あ、言った」

「クール、言っちゃったわ」


 こそこそと二人で話すエレナとザッシュへと視線を移動させれば、二人はわざとらしく「きゃあ」などと言った。苛立っては負けだ、とアスカは自分に言い聞かせることにした。そしてその様子を見たクルセルドは、ふん、と鼻を鳴らす。


「テメの対応は当然だ。というか彼らにしてみればそれが俺でなかった方が問題になるんだよ」

「は?」

「お前は馬鹿か?俺ほどの魔力を持った者なら、まあ、禁忌とされる闇属性の魔法を使えばガルーダを操れる。だが、その魔法は『存在が認識されている』という伝説級のものだ。魔法じゃないとなれば可能なのは?」

「魔王、か」

「そういうことだな。てことはつまり、狂った魔王が人間の国を襲撃したってことになる。ただ怯えているだけならいいが、国民に魔王に対する憎悪の感情が広がってみろ、政府としては面倒極まりない。魔族の子供一人を犯人にして追い出して済むなら万々歳だろうさ」

「……お前、それで納得できるのか」


 状況証拠だけで構成された理屈を受けて、「はいそうですか」と従う。初めて会った時、エレナとザッシュが置いて行ったと言って泣いていた少年はそんなに大人だろうか。

しかしアスカの想像とは裏腹に、クルセルドはいたって冷静に答えた。


「できる、できないじゃない、するんだよ」


 物心つく頃に両親を失い、そのあとは盗賊団に所属したものの、クルセルドの年齢のころにはすでに他者と積極的に関わろうとせず一人で旅をしていたアスカは、どちらかというと世間知らずの部類になろう。実際、エレナたちに出会うまで王の狂乱だの二千年前の聖魔戦争だの、ただのお伽話だと思っていたくらいだ。

 国と国、聖族と魔族、そして人間。その関係性など気に留めたこともなかった。そんな彼に「あのね、アスカ」と諭すように言ったのはエレナだ。


「私たちは魔王を倒そうとしているけれど、それは手段であって、目的とは少し違うの」

「目的?」

「そう、戦争を止めるために、魔王を倒すのよ」


 王が狂えば、その配下にある魔物や魔族が理性を失い狂暴化する。世界は荒れ、結果どうなるかと言えば、聖魔戦争の再発だ。


「戦争終結後も、表向きはともかく、魔族と聖族は決して仲がいいわけではないの。間に入った人間と経済のおかげで正面衝突を避けられていると考えたらいいわ」

「テメの対処は、人間に対して魔族からの被害を最小限に抑えると同時に聖族に戦争の口実を与えないことが目的だ。あいつら平和を謳う割に排他的だからな。まあ、その前のカカ山の封鎖は悪手だとは思うが」


 エレナとクルセルドの言葉を噛みしめたアスカは、ぽつりと答えた。


「色々面倒くさいことは分かった」

「おいエレナ、こいつやっぱり頭よくねえよ」

「……」

「大丈夫だアスカ、実は俺も今一つよく分からん」


 エレナが額を抑え、ザッシュがばしばしと背中を叩いてくる。アスカは「痛い」と逃げた。


「まあ、つまり魔族にも聖族にも互いを嫌っていて戦争したがる馬鹿がいるの。で、そいつらにとって魔王が狂うことは恰好の口実になる。現王を廃し、新しい王を立てる、これが一番、というか唯一の戦争を避ける道ってこと」

「その通りです」


 声は、背後からした。振り返った先にいた白衣の女はにこりと微笑んで「ごきげんよう」などと言う。みるみるうちにクルセルドの表情がこわばったが、その脇腹にはエレナの肘が入った。


「ミシェル。昨日はありがとう。ろくにお礼も言えなくてごめんなさい」

「いいえ、お気になさらず。私も仕事ですので」


 ミシェルは四人の前に立つと、法衣の裾を持ち上げて恭しく礼をした。


「改めまして、私は大神官レックス様にお仕えする者、ミシェルと申します。昨夜の一件より、勇者様ご一行とお見受けしました。これよりのち、あなた方の補佐に当たらせていただきます」


 丁寧な言葉であったが、それはアスカたちを驚かせるには充分であった。しかし彼らの中で声を上げたのはクルセルドのみだ。


「はあ?聖族が、何で俺たちに協力するんだよ」

「彼女がおっしゃる通り聖族も一枚岩ではないということです。聖王様、そしてレックス様は武力放棄を掲げ、戦争回避をお望みです。彼らは今頃、聖都でタカ派を抑えています」

「……つーか、勇者がどこにいる。まさかとは思うがこの馬鹿盗賊じゃねえだろうな!」

「証拠という証拠はございませんが、少なくともレックス様はそのようにお考えですし、私も同意いたします。むしろご本人様の方に心当たりがあるのでは?」


 馬鹿盗賊呼ばわりされたアスカは、じっとミシェルを見つめた。船にいた神官といい、聖族の一部がアスカを勇者とみている――もしくは仕立て上げようとしているのは確かだろう。そして、ミシェルはともかくあの男の方は本人曰く強力な魔法の使い手だという。


「勇者かどうかはおいておいても、女神の使いに背いて俺に利はないな」

「アスカ……」


 心配そうに呼んだエレナを見下ろし、アスカは小さく肩をすくめた。


「心配しなくても、本当にまずいと思ったらとんずらするから」

「するなよ。決めたら最後まで付き合えよ」


 噛みついたクルセルドを受け流し、少年の襟首は笑った剣士が掴んでいる。緊張感の見られない光景だが、エレナの表情は曇ったままだ。しかしやがて彼女は「分かった」と頷いてミシェルに手を差し出した。


「私はエレナ。よろしくね」

「はい。私は強化魔法と防御魔法が使えますので、戦闘で多少なりともお役に立てましょう。どうぞよしなに」

「助かるわ」

「いや、いやいやいや、ちょっと待て」


 しっかりと握手をした女性二人の間に割って入ったのはクルセルドだ。彼はミシェルを鋭く睨み、「絶対に嫌だ」と言った。


「アスカはなんだかんだと役立つこともあるからいいとしても、俺は聖族と協力なんてできないぞ」

「何で」


 ミシェルを指さし言い切ったクルセルドに尋ねたのはアスカだった。


「好き好んで面倒ごとに巻き込まれてくれようって言うんだぞ。それに、防御魔法があれば何かと助かるだろう」

「それは……」

「言っとくが俺は現時点で自分にとってより命の保証がある選択肢を取っただけで、行かざるを得ないからお前たちに付き合う。まずいと思えば逃げるし、防御や回復が使えるなら使う。お前がどう言おうと、俺がこいつを連れて行くからな」


 クルセルドに向かって言いながらも、アスカはミシェルを一瞥した。

 アスカが今までと同じように一人なら、彼は自ら魔王のもとへ向かおうとはしなかっただろう。しかし、アスカがいようがいまいがエレナたちは戦いを挑むのだろうし、聖族はミシェルを派遣しレックスがその強大な力をにおわせる発言をした。

 彼らはアスカだけでなくエレナたちも人質として、彼を脅迫しているに等しいのだ。ならば逆にある程度はその力で以て守ってくれて当然だろう。その意思を読み取ったのか、女は微笑んだままこくりと頷いた。


「っ……、勝手にしろ!」


 ふん、と鼻を鳴らし憤慨したクルセルドがさっさと歩きだし、苦笑気味のザッシュがそのあとを追って肩を組んだ。その様子を呆れたように見やるアスカには、何故かエレナから氷のように冷たい眼差しが向けられていた。


「……何だ?」

「べ、つ、に!」


 クルセルドとほぼ同じ動作でつん、とそっぽを向いたエレナもアスカたちに背中を向けて歩いて行ってしまった。

 何が彼女の機嫌を損ねたのか分からずアスカは首を傾げたが、その様子を見ていたミシェルが口に手を当てクスクスと笑っている。


「やきもちですよ。可愛らしいお姫様ですね」

「顔だけはな」

「あら、思ってもいないことを。アスカさんは嘘も得意ですのね。」


 ふと、女の声音が一段低められた。しかしその表情は先ほどと変わらず穏やかなものである。


「……あなたは船でレックス様にお会いしたはずですが。彼女たちに、街の近くにいたと言っていましたね」

「あいつらに余計な面倒を知らせてやる必要はない」


 それより、あれが大神官レックスとやらか。裏がありそうどころか確実にあるだろう飄々とした男の顔を思い出しつつ独り言ち、ゆったりと三人の背中を追うアスカを、ミシェルはただ笑って見ているだけだった。

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