二度とその名を名乗るな……!
ケットマルに着いたのは陽が落ちて空が暗くなった頃だった。つかつかと街に入って行ったアスカの後ろで、エレナたち三人が顔を見合わせた。
「何なんだ、あいつ」
「元々口数多くはないけど……、あれから一言も喋ってないよね」
「腹でも痛いんじゃないのか?」
ザッシュの言葉は無視して、エレナとクルセルドはアスカに目を戻した。やはり彼は街を見回しながら早足に歩いていた。
アスカが探しているのは武器や防具を扱っている店だ。今の心もとないにも程がある剣を買い替えておきたいのだ。
「ね、アスカ。先に宿をとろうよ。店もそろそろ閉まるし、動くのは明日からで……」
「あんたらはそうすればいい」
「……じゃあ、部屋取ってるから。待ってるから」
「必要ない。俺は宿には泊らない」
「アスカ」
「エレナ、もうそんな奴ほっとけよ。行こうぜ」
クルセルドに促され、エレナは何度か振り返りながら離れて行ったが、アスカの方が彼女を見ることは一度もなかった。
閉店間際の店に入ってきた青年を、店主はにこやかに迎えた。見回せば剣や槍、弓矢など様々な武器が並べてある。
「何をお求めで?」
「双剣を。できるだけ軽くて丈夫なのがいい」
それなら、と店主はいくつか集めて持ってきた。
「どれもお勧めだけど、特にこれなんかいいね。カカ山でとれる鉱物を使ってるから、切れ味も強度も抜群だ」
「カカ山の?このあたりで加工してるのか?」
「いや、あの山の鉱物は人間じゃ扱うのは難しいからな。反対側の魔族の町で作ってるんだ。ここは境目の町だから、魔王領製品も結構あるよ。この店以外にもリーコラン大陸じゃ珍しいものを扱ってるから明日にでも回ってみな」
魔族や聖族に比べて、人間は基本的な身体能力や魔力は遥かに劣っている。しかし経済観念には抜きんでたものがあり、商売のために、もともとはリーコラン大陸のみに居住していたものが他の大陸に渡っている。ビギンなどはその最古のものではないかとさえいわれていた。それは今でも変わらず、ケットマルでは魔族との経済交流があるようだ。
アスカは差し出されたものを手にとって、刃にその瞳を映した。成程、やや青みがかった金属はカカ山で採れる鉱石の特徴だ。
「悪いな、俺は魔法剣の類は得意じゃないんだ」
「魔力がなくても使えるよ?」
「……いや、普通のものでいい。それに俺にはその金額は高すぎる。旅をするのに苦労がなければいいから」
「そうかい、それじゃあこっちだな」
店主はアスカを値踏みするように見てから納得したらしい。手頃な値段の短剣を二振り用意した。
「そう言えば、街道で盗賊にあったぞ。そいつらこっちへ逃げたみたいだったが」
「ああ、大地の剣の奴らだろ?困ったもんだよ。うちの商人の護衛をしてくれるのはいいんだが、そうじゃない旅人や商人は襲っちまう。気さくじゃあるが乱暴なところもあるし、町長さんも頭抱えててな。まあ、大人しくしてりゃ狙われることは少ないだろうさ」
「そうか、気をつけよう」
アスカは新しい剣を受け取って代金を置き、店を後にした。
この町のどこかに盗賊団大地の剣のアジトがあるのは確かだ。そこにエレナの荷物があるかどうかなど、アスカにはどうでもよくなっていた。街の外に向かいつつポケットに突っこんだ右手で握りしめたのは、小さな鍵だった。
「おい!お前!」
「……」
振り向かなければ火の玉が襲いかかってくる。アスカは辟易しながら足を止め、走ってきた少年の方へと顔を向けた。クルセルドは僅かに肩で息をしながら、アスカを睨みつけた。
「何だ」
「何だじゃねえよ!エレナが例の何とかって盗賊団に捕まった!」
「……は?」
「捕まったって言うか、捕まりに行ったって言うか、ザッシュも一緒だから無事だろうけど。お前に知らせろって!」
「とりあえず落ち着け」
慌てふためいている少年に一言言って、アスカはため息をつく。本当に、面倒くさいことになったようである。
クルセルドの話によれば、宿に部屋を取ってすぐ、数人の男たちが武器を手にやってきたらしい。彼らはやはり大地の剣の一員で、仲間を打ちのめしたアスカを探していた。エレナとザッシュはこれで労せずアジトの場所が分かると、自ら人質になった。相手はやや困惑していたが、少女の存在は男を呼びだすには有利と思ったのだろう。連絡役にクルセルドを残して、エレナとザッシュを連れて行った。
「お前みたいなやつに関わらなきゃこんなことにはならなかったのに」
「それはそのままこっちの台詞だ」
呼び出されたのは敵のアジト。水のかれた古井戸を降りた先が地下室になっていた。そこをクルセルドとともに進みながら、アスカはこの状況に嫌気がさしていた。本当に、エレナと出会いさえしなければこんなことにはならなかった。他人と関わることも、小うるさい少年に絡まれることも、懐かしい名前に動揺することも。
「あ、アスカ!」
「おお、早いな」
冷たい石の壁に囲まれた中央、作戦会議に使うのであろう広々としたテーブルの前に座るエレナとザッシュは、人質と言うより客人と言った方がしっくりくるような待遇を受けていた。ぴんぴんしているどころか縄をうたれた様子もなく、飲み物と菓子まで出されている。
「ねえちょっとアスカ!やっぱり君関係者だったんじゃない!知り合いだって、この人が」
「まあ、お蔭で何事もなく荷物返してもらえたけどなー」
エレナの向かいに座っていた男が、振り返った。アスカより七、八歳程年上であろうか、頬の大きな傷跡が印象的だ。
「久しぶりだな、アスカ。お前、相変わらず女にもてるのかよ」
「あんたこそ、相変わらず馬鹿だな。盗んだ物返すか。普通」
「そりゃ、お前の今の仲間だからだって。そこまでお人好しじゃねえさ」
「俺は、あんたたちと別れてから仲間を持った覚えはないよ……、兄貴」
部屋中にどよめきが起きた。アスカは無表情のまま男を見つめ、相手は少しばかり嬉しげに目を細めた。
「血は繋がってねえよ」と、男――この盗賊団の頭であるヤマトが子分やエレナたちに言った。成程細身で身軽そうなアスカと、どちらかと言えばザッシュに近い体型で筋肉質のヤマトは顔立ちも似ていない。「じゃあ何で」とエレナはアスカに聞いたが、答えたのはヤマトだった。
「こいつはガキの頃うちに所属してたのさ。で、面倒見てたのが俺」
それこそ本当に兄弟のようだったと、ヤマトは言った。懐かしむように、だが少し、憂うように。一方アスカはやはり無表情を崩さない。感動の再会と言っていいはずなのに、部屋にはどこか張り詰めた緊張のようなものが漂っていた。
「それにしてもお前、やっぱり変わらないな。お頭の言いつけ守って、仲間は見捨てない。お嬢さんたちに来てもらったら、絶対にお前は助けに来ると思ってたよ」
「……そいつらは仲間じゃない。そもそも助けに来たつもりもない。俺は俺の用事を済ませに来ただけだ」
そう言ったアスカは、テーブルの上に先程までポケットに入っていた鍵を投げた。青みがかった銀色に輝くそれは、特殊な魔法のかけられたものである。どんな鍵穴にでもあうように金属と魔法が作用する、盗賊ならば誰もが欲しがる逸品だ。
「お前のために買ってやったのに」
「そんなものなくても、俺はもう殆どの鍵は自分で開けられる。だからそれを返しに来た」
じっとり。ヤマトは坐したままアスカを見つめた。アスカはその視線を受け流すかのように背中を向ける。
「これで、本当にさよならだ」
「待て」
低い声。それはヤマトのもので、アスカは足を止めた。緊張が、明確になる。
「言っただろう。この子たちに来てもらえばお前を誘えると思ったと。子分から若い男が俺の名前を聞きだしてきたと聞いた時点でお前だと思っていた」
「……怒っているか」
「いや、怒ってない。怒りなんてのは、とうの昔に通り越した」
頬の傷をひと撫でしたヤマトがゆっくりと席を立つ。そして抜き放った剣先をアスカに向けた。
「こんなことして何が変わるわけでもない。けど、俺はお前を殺さなけりゃ気が済まねえ」
「だろうな」
だが、とアスカは振り向きながら二振りの剣を抜いた。いきなり武器を手に対峙した二人を見て、エレナたち周囲にいた人間はざわめき立つ。
「野郎ども、手を出すなよ。これは俺とこいつの問題だ」
「ち、ちょっと待ちなさいよ!」
声を上げたのはエレナだ。わけが分からないと言いたげな表情で、訴える。
「何なのこの展開は!説明しなさいよ!」
「あんたの耳は飾りか。これは俺とヤマトの問題だ。あんたには関係ない。荷物は返してもらったんだろう。とっとと出て行け」
吐き捨てるように言ったアスカは小さく唇を動かしファストを唱えた。相手も同じように同じ魔法を使う。
「お前に戦い方を教えたのは俺だ」
「離れて何年経ってると思ってる」
刃が重なる。火花が散りそうなのは合わさった刃か、それとも二人の視線か。一度離れた二人は再び撃ち合う。前に出かけたエレナはザッシュに止められた。クルセルドとヤマトの仲間たちは口を開けて二人の戦いを眺めるばかりである。
徐々に、徐々に。冷静だったヤマトの目に怒りや憎しみと言った負の感情が滲みでてきた。アスカは、それを淡々と受け止める。いや、視線だけではない。アスカは自分からヤマトを斬りつけはしなかった。相手の攻撃を受け流すだけである。
「アスカ、お前……!」
「俺はお前を傷つける気はない。かといって殺されてやるつもりもない」
ヤマトはギリリと奥歯を噛みしめた。
「お前は、そうやって、あの時も……!」
「……」
ヤマトは剣を降ろす。アスカも一度、双剣をひいた。
「お前は間違ってなかった。『仲間を決して見捨てるな』って言いつけを守っただけだ。正しいんだ、けどよ、それでも……!」
「仕方ない。どんな理由をつけても、俺は、あの場から逃げたんだ。そして、生き残った。あんた一人残して、逃げた」
アスカは剣を握りしめ、目を閉じた。瞼の裏に映るのは炎の海。耳の奥に響くのは男たちの叫び声。
「結局俺は、ヤマトを見捨てた」
だから、と。アスカは再び目を開けた。
「あんたの気のすむまで付き合ってやる。けど、これが終わったら……、この盗賊団の看板、もらいうける」
「!」
「大地の剣は人を傷つけない。誰かを傷つけて物を奪うのはその信条に反する。二度とその名を名乗るな……!」
向けられた刃に、ヤマトは唇の片端を上げた。
「お前、ここに来た本当の目的はそれだろ。んっとに……、変わらねえな」
「……」
ヤマトは再び剣を掲げた。
「構わねえ。だがそれは、俺に勝てたらの話だ」
「!」
「腕の一本くらい、折って見せろよ!」
ヤマトが床を蹴る。アスカはそれを避け、今度は自分から攻撃を仕掛けた。斬りつけ、受け止め。お互いにそれを繰り返す。魔法で高められた運動速度。二人の動きをまともに目でとらえられているのはザッシュとクルセルドくらいだろう。
「二人ともなかなかやるなあ」
「ザッシュ!感心してないで止めてよ!クルセルドも、いつもみたいに魔法でどかっとやって!」
「でも俺達には関係ないんだろ?」
「つーか面倒くさそうだから首突っ込みたくねえ」
クルセルドは掌の上で作った小さな風の球を弄びながら、言った。エレナは口を引き結び、戦い続けるアスカを見やった。彼も、そして彼と戦うヤマトも、お互いとは別の何かを斬りはらうように剣を振っていた。
確かに二人の戦い方は武器こそ違うものの似通ったものがある。剣技に体術を織り交ぜている。そして、その、ヤマトの蹴りがアスカの手首を突いた。払い落される短剣。アスカは顔をしかめて飛び下がると、椅子をヤマトに向けて蹴り飛ばした。
「アスカの戦うところって、何度か見たけど」
「あ?」
クルセルドは怪訝そうにザッシュを見た。彼はいつものようにのほほんとした表情のまま、腕を組んでアスカを眺めていた。
「あの戦い方は、まあ、基本は教えてもらったんだろうが――でもそう言うより、どっちかって言うと生きるために身につけたものだろうな。だから、避けられる戦いは避ける。勝てない戦いは挑まない。とにかく生き抜くことに必死って感じだ」
「その割に仲間を当てにしないし夜でも平気で町の外に行くけどね」
エレナは不満げにその矛盾を指摘した。「変な奴だな」クルセルドが、呟いた。その呟きにかぶせるように、石の床に金属が落ちる音がした。今度はアスカの短剣がヤマトの剣を弾いたらしい。ひゅん、と短く風を切る音がして、男の喉元に短剣の切っ先が突き付けられた。
「……俺の勝ちだ、兄貴」
「もう仲間じゃないんだろ。その呼び方はやめろ」
「そうだった」
アスカは何事もなかったかのように剣をおさめ、ヤマトに背中を向けるとやはり名残惜しむような様子もなく歩きだした。慌ててエレナとクルセルドがその後を追う。
足音が遠ざかり、小さく息を吐いたヤマトに落ちていた彼の剣を渡したのはザッシュだった。
「ヤマト、って言ったっけ。荷物ありがとう」
「ああ、いいさ。金になりそうなもの殆どなかったし」
ヤマトは剣を受け取ると、それを鞘におさめた。そして「なあ」と出口へ向かうザッシュを呼びとめた。
「あいつ、頼んでいいか」
「俺にあんたの代わりは無理だよ」
長身の剣士はやはりにこりと笑って、そう言った。
※
宿屋の一階にある酒場で、アスカは頬杖をついて遠い目をしていた。理由は必要ないと言ったのに彼女がアスカの分まで部屋を取っていたことだ。彼女の頼みである荷物を取り戻すという任務は完了しているので解放してほしいのだが、強引に引き留められた。エレナとの口論は面倒くさいことになるのが分かり切っていたので諦めて従ったはいいが団体行動を強要されてアスカの機嫌はお世辞にもいいとは言えない。
仕事終わりの町の男たちも利用する場所だ。仲間同士楽しげに会話に興じている声がし、店内は賑やかである。エレナやザッシュ、クルセルドも例外ではなく、思い出話などに花を咲かせていた。「クルセルドに剣の才能は全くなかった」だの「ザッシュが村の娘から誘われてもボケて返した」だの、アスカには全く興味のない話である。
「そんなことより!いい加減お前は何者なのか話したらどうなんだ!」
突然、今の今までからかわれていたクルセルドに話を振られたアスカは眉を寄せる。
「だから、俺には語れるような素性は――」
「盗賊団の元仲間だっただろうが!言わなかったか?俺は嘘つかれるのが大嫌いなんだよ!」
「……」
少年魔導士は真っすぐにアスカを睨みつけていた。そしてアスカはその視線から逃げるように顔をそむけ、ため息をついた。面倒くさすぎる。
「無関係の人間の過去を気にする必要がどこにある」
アスカは席を立ち、酒場を出て二階の部屋に向かった。
ベッドに腰掛け、ヤマトに蹴られた手首を撫でる。そこには湿布と包帯が丁寧に巻かれていた。手当をしたのはエレナだ。殆ど流し込まれるように飲まされた薬のお蔭か、痛みもなくなっていた。どうやら彼女は薬の知識に精通しているらしい。矢尻に塗られている毒も彼女が作ったものだと、聞いてもいないのに教えてくれた。
「怪我人は放っておけない、か……」
世話焼きを通り越しておせっかいだ。エレナたちが寝静まったらこっそり出て行こうと決めて、アスカはベッドにごろりと寝転がった。少し休めば夜でも動ける。そう思ったのだが、それはノックによって見事に妨害された。
ドアの向こうの気配に敵意はない。寝たふりを決め込もうとしたが、最初こそ控えめだった音は次第に激しくなる。アスカはベッドから起きあがり、流石に苛立ちを隠さずにドアを開けた。
「何なんだあんたは」
「せっかくだし、話したいと思って」
エレナはにこりと笑うとアスカの許可も得ずに部屋へと踏み込んだ。アスカは彼女の腕を引くと、閉じたドアに押さえつけた。鼻先が触れそうなほど顔を近づけて、息をのんだ少女の碧眼を覗きこむ。
「話?夜に一人で男の部屋に来て、話で済むとでも?そんなことも分からないほどお子様じゃないだろう」
「あ、い、いや、私そういうつもりじゃ……!」
「つもりも何もあるか。この行動自体がそういう意味なんだよ」
男と二人旅などをしていたから感覚が麻痺してでもいるのだろうか。それとも、単純に馬鹿なのか。だがアスカには理由などどうでもいい。とにかく、顔を真っ赤にして視線を彷徨わせている少女が大人しく自分の部屋に帰ってくれればそれでよかった。だが。
「でもアスカはそんなことしないものね」
「……は?」
「だって、さっき盗賊団のアジトで言ってたわ。人を傷つけて奪うのは信条に反するんだって」
「いや待て。色々抜けてるし、問題が違うだろ」
話が面倒な方向に転がり出したことを読み取ったアスカは、深く息を吐いてエレナを解放した。彼女は何故か自慢げに「ほらね」と言ってベッドに腰を降ろした。アスカは苦虫をかみつぶしたような顔をして、椅子にもたれるように座った。
「話って、何だ。手短にしろ」
「あら、それは君次第よ。君のことを聞きに来たんだもの」
「……だから、もう無関係で二度と会うこともないだろう。聞いて何の意味がある」
「意味なんてないよ。知りたいだけ」
ふわりと、エレナは微笑んだ。やはりそうして笑っているだけなら可愛げがあるだろう。口さえ開かなければ。「ね?」と首を傾げる彼女をじっと半ば睨む勢いで見て、アスカは、諦めた。しつこく聞かれるのも無駄に体力と精神力を消耗するだけである。
「俺の何を知りたい」
「あ、話してくれるんだ。流石にもう一回駄目って言われたら諦めようと思ったけど」
「……」
アスカは天井を見上げ、背もたれに預ける体重を増やした。
「取り合えずざっくりな経歴でいいよ」
「何で上から目線なんだ……」
辟易しつつもアスカは適当な情報を与えてこのうるさい少女を満足させ追い払ってしまおうと、口を開く。
「五歳の頃、大地の剣に拾われて、そこから七年間所属していた。今はひとりだ」
「……本当にざっくりね」
他にどう言えというのか。不満を言いたいのはアスカの方である。しかしエレナは彼の心情などお構いなしなのか、質問を追加してきた。
「どうしてあの盗賊団を抜けたの?逃げたとか、見捨てたとか、あれってどういうこと?」
「何故そこまであんたに教えなきゃならない」
アスカの黒い瞳が怒気を孕んで光った。流石のエレナもこれには気付いたらしい。「ごめん」と呟くように言った。縮こまっている彼女を見やり、アスカは暫し逡巡したのち、ゆっくり、話しだした。
「キャンプを張っていた場所を、魔物に急襲されたんだ」
「え?」
「俺はまだ幼くて、当時の頭に逃げろと命令された。他の同年代の仲間と一緒に、ヤマトに連れられて逃げた。でも、途中で俺だけ大人たちの所に引き返した。まあ、無駄だったけどな」
テントは焼け落ち、父親のように慕っていた頭も、他の大人たちも、物言わぬ肉片となっていた。幸い既に魔物たちの姿はなかった。さながら地獄のような光景に恐怖し涙を流しながらヤマトたちの所へ戻ったはいいが、別れたその場所に、彼らは重なり合うように倒れていた。小さな呻き声が聞こえた。ヤマトの声だと思った。けれどアスカは、その場から走り去ってしまった。
ランプの炎が揺れ、アスカ達の顔にできた影もその形を変える。きらりと光を反射したのは、エレナの目元に浮かんだ涙だった。アスカはゆっくりと首を傾げる。
「なぜ泣いている」
「だって、その時アスカ、怖かっただろうなって思って」
「……」
エレナは細い指先で自分の涙をぬぐうと、アスカの名を呼んで微笑みを浮かべた。
「あのね、アスカ。私にアスカのことは分からないけど。想像することはできるのよ」
アスカは彼女に返事をすることもなく、視線を逸らした。背中の方がむずがゆい。どうにも落ち着かなくて、この少女には即刻この場から立ち去ってほしくなった。
「気が済んだならさっさと自分の部屋に戻れ」
ぶっきらぼうな言葉にエレナは肩をすくめて「はいはい」と立ち上がった。
「明日、荷物を整えたら出発するけど。テメまでは一緒に行くよね」
「いや、俺は一人で――」
「行くよね?」
にっこりと笑ったエレナに拒否を受け付ける意思はないとみて、アスカはひらりと手を振った。大きくうなずいた少女はそれでやっと部屋から出て行ったのであった。