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花女

 何か資料をお探しですか?

 ははあ、土着信仰の類。それも珍しいものと。

 ふむ、そうなると館長の出番ですかね。館長の家は元をたどれば豪族だったという話でしたからね。面白い話が聞けるかも知れません。ちょっと連絡をとってみますね。

 ――あ、館長ですか。私です。土着信仰について知りたいという方が……ええ、はい、はい、かしこまりました。そのようにご案内いたします。

 お待たせしました。本日は館長、所用のためこちらには戻られないそうです。ただ、明日の十三時から時間が取れるそうです。ご予約をいたしてよろしいでしょうか?

 よろしいですか。それでは、明日またこちらにお越しいただくということで。お待ちしております。


 いや、昨日は申し訳ありませんでした。今日も来館いただくとは、館長として感謝の念に堪えませんな。

 さて、珍しい話。物を書かれるというからには、並大抵な話では失礼というもの。

 そうですなあ、ではこの辺りに伝わる、「女」の話をいたしましょうか。

 土着信仰。「女」。とくれば、民俗学好きには垂涎のネタでしょう。

 あなたの顔を見る限り、及第、といったところですな。

 よござんす。お聞きくだされ。


 鎌倉時代。月に数回の定期市が全国で開かれるようになったころ。

 雑多なものが売られていた中、花を売る店があったとの話。

 当時、装飾の一部として珍重された花々を、おなごたちはこぞって買いつけた。

 しかし、売る女もまた美しい。笑顔を絶やさず、どのような客にも愛想がよかった。その腰は思わず手折ってしまいたくなるくらい、細くてくびれている。嫉妬が彼女を包んでも、決して彼女は変わらない。

 花売りは全国、どこにでも現れた。むろん、服も顔も違って別人であるようですが、きれいな花を売っていたということは、共通していたそうですな。中には、彼女を嫁にと考える者が現れる始末。

 

 ところが、不思議なことに、そのような邪な念が渦巻き始めると、花売りはその地域の市に、ぱたりと姿を現さなくなってしまうそうな。

 となり町の神社前の市で花を売っていると噂を聞き、若者たちが駆けつけても、着くころには、もぬけのから。影も形もありゃしない。

 男どもの白昼夢、と片づけるには、世話になった女たちが多すぎた。

 彼女の名を、家を、暮らしを知る者は、未だ一人と出てこない。不思議だ、不思議だと噂ばかりが勇んで歩いて、真実もろもろ闇の中。

 ですが、ある女の子――私の祖母の話では、私たちの遠い先祖にあたるそうですな――が、市以外で、偶然、花籠を持った花売りの女を見かけたのです。彼女は道を外れて、薄暗い森の中へと入っていく。

 少女が頭にさした花飾り。彼女から買ったものだった。意中の彼がよく似合うと、笑ってくれたものだった。

 だから、お礼がしたいと、ただその一心で、少女は彼女を追いかけた。

 地べたを駆けて、藪抜けて、獣道をかき分けて、少女は彼女に追いすがる。

 小川をぴょんと飛び越えて、走った走ったその先で。


 姿現す、花畑。

 赤、青、黄色と目に鮮やかな花たちが、蝶と戯れ、風と遊んでいたのです。

 彼女の姿は見当たらない。

 だけど、踏み出す少女の足元に転がる、草履、花籠、藍色に染まった彼女の小袖。

 ああ、そうかと少女はうなずきました。

 だから、彼女は笑ったのです。満面の笑みで皆の心を癒すために。たとえ、誰かが彼女を蔑んだとしても、決してそれを苦にせずに。

 だから、彼女は去ったのです。誰のものにもならず、皆の支えになるために。折れず、汚れず、汚されず。

 まだ見ぬ誰かの思いを届けるために。彼女たちは森の奥からやってきたのでしょう。


 いかがです? 我が家に伝わる伝承の一部です。

 おっと、まだお帰りになるのは早いですぞ。

 いつから女の話が一つだけだと、勘違いされていましたかな?

 我が家の伝承、まだ続きがあるのです。言ったでしょう、一部だと。

 ふふ、その驚く顔。それが見たかったのです。

 さあ、もう一度おかけなされ。行きますぞ。


 それから数百年の時がたち、戦国の世と相成りました。

 血と鉄が天下に満ち満ち、人々の悲鳴が天上にまで響いたと。

 森は切り開かれて、道となり、田んぼとなり、当然、花は踏みにじられて、明日への贄と成り果てた。

 様々な怨嗟が渦巻き、幽霊話が噂され始めた中、新しい話がその中に付け加えられたのです。

 まだ残っている森の中。夏のさなかに関わらず、冬から持ってきたような、枯れ木がある時、気をつけよ。その根元に草履と花籠。あるならなおさら気をつけよ。

 それは森が消える時。茂った緑はむしられて、新たな戦の糧となる。

 逃げよ逃げよ、地平の果てまで。血潮を吸わぬ大地まで。

 そのような「木枯らし女」の伝説が、女子供に語り継がれる一方で、戦はより混迷を極めていったのですな。


 そして、ある日。お城に仕える物見が、夜な夜な続ける不寝番。

 松明が照らすその先で、花籠抱えた女が一人。遠い森の中へと消えていく。どうにか説き伏せ戻らせようと、近くの兵士に声をかけ、彼は後を追っていったのです。

 それほど歩みは早くなかった。なのに、すでに後ろ姿は闇の中へと溶けていく。かすかに揺れる、彼女の輪郭を追って、彼が見たもの。

 それはうっそうと茂る森の中で、ただ一本。葉がすっかり抜け落ちた老木があったのです。周りに命を吸われたかのような木の根元に、赤い鼻緒の草履と、小さな花籠だけが置かれていた。

 噂話を知る男は驚きました。何せ、ここは城にとっての木材の宝庫。今度の城の普請のために大事にとってあった森なのです。それがすっかりなくなるなどと、一大事に違いない。

 城にとって返し、その旨を誰に伝えても、世迷い言をと笑われる。それでも男は気が気じゃなかった。

 梅雨になって、川があふれる。これは戦もしばらくないと、城の一同、気を抜いた。荒ぶる自然の嘲りが、敵ではなくて自分たちに、向いているとも露知らず。


 数日続いた大雨が、すっかりあがったその時に、悪夢は姿を現した。

 確かにあった、未来の宝。それらがごっそりなくなった。

 合わせて知るのは、付近の野武士。みなみな、姿を消したこと。

 脳に走った電撃に、武将の一人が使いを飛ばす。

 幾日続いた霧が晴れ、彼方に見えるは城の影。

 これこそ、墨俣一夜城。


 木下藤吉郎秀吉。のちの関白、豊臣秀吉が挙げた大手柄。これを機に織田信長公の本格的な美濃攻略と天下布武が始まることは、今更語るべくもないでしょう。

 花を散らされ、木枯らし女と恐れられようと、彼女たちは生きていた、ということですな。

 彼女たちはすでに気づいていたのかも知れません。

 

 戦乱の終わりが、始まったことに。

 そして、皆と自分たちが再び笑って、咲き誇ることができる時代。

 泰平の世が、すぐそこまで迫ってきていることに。



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