融けゆく碑
おはようございます、お客様。ベッドの寝心地はいかがでしたか……っと、お堅いことはここまで。
いやー、よく来たな、こーちゃん。仕事が忙しいって聞いていたから、わざわざ来て泊まってくれなくても良かったのに。
取材調査の旅? へえ、気持ちに余裕が出てきたってやつ? それとも、現実逃避かな? まあ、こーちゃんが元気でやってくれてるなら、何よりだよ。
じゃあ、こーちゃんが欲しがるネタを提供しないとな。もしかして、そのために泊まったのか?
ふっ、さすがはこーちゃん。ギブアンドテイクで成り立つ大人のやり取り、少しはものにしてきたみたいじゃねーの。
そうさな、じゃあここらへんの「夢」にまつわる話で行ってみるか。
ああ、寝てる時の夢な。人によっては起きている時の奴にも影響するが……、まあ、聞きねえ。
こーちゃん、今日起きるまでの間に、夢は見たか?
覚えていないか。人間って誰しも夢を見るらしいんだが、ほとんどは忘れてしまうものらしい。記憶に残っている夢だったら、それはよほど凄まじいインパクトがあったってことだぜ。こーちゃんも、いくつかあるんじゃねーのか?
昔から夢ってのは、色々な解釈があった。大抵が荒唐無稽。ひっちゃかめっちゃかで、時々、「ああ、これ夢だな」と思う時すら。
だが、まれに全てのつじつまが合って、恐ろしいくらいのリアリティを持った夢になることもある。バッと飛び起きて、ハアハア息切らしながら、「ゆ、夢か……」とつぶやく、あんな感じだな。
マンガやアニメの見すぎ? 身も蓋もないこと言うなよ、こーちゃん。
夢というものは、古来から何らかの兆しだという考えが広まっていた。詳しいことはフロイト大先生にお任せするとして、ここらで囁かれているのは、「氷の碑」という話だ。
これは、ずっと昔の予言者の爺さんに由来しているらしい。
まだ、あらゆる病が神や悪魔のせいだと言われていたくらい、昔のこと。天候から人の生死のタイミングまで、ぴったり言い当てる爺さんがいたのさ。
暗闇が支配する新月の夜。爺さんが朗々と語る、予言の数々。それはいつでも的確で、不気味ささえ感じるものだった。もし、爺さんが拝み屋じゃなかったら、どんな目に遭っていたか分かったものじゃない。
ある時、一人の若者が聞いたのさ。あんたには一体、どのような未来が見えているのだ、と。すると爺さんは首を横に振った。
未来が見えるのではない。夢の中で知ったことを話しているだけなのだと。
爺さんはある時から、同じ夢を見るようになる。それは自分の目の前に、分厚い氷の壁が突っ立っている夢さ。
向こう側さえ透けて見えるその壁には、刃物で切り付けたような溝がいくつもできていて、よく見るとそれは文字になっているんだと。自分はそれを覚えて、皆に話しているだけ。夢を見るのは決まって、新月の晩の前らしいんだ。
爺さんの予言のおかげで、人々は裕福な暮らしをしていたわけさ。
めでたし、めでたし。と締めたい。ところが、ぎっちょん。話には続きがある。
百発百中の予言で、たちまち爺さんは神の使いとして祭り上げられちまった。そうなるとどうなると思う? 家族から切り離され、爺さん用に特別にあつらえた部屋に入れられて、朝昼晩と最上級のおもてなし。
何せ、予言者どころか、神のメッセンジャーって意味の預言者にもなっちまった。すると、どうだ。人間らしい暮らしとは程遠い、神の暮らしを満喫することになる。
自分にかしづく者たちが、自分にとって煩わしいことを全て肩代わりしちまうんだ。誰だって一度は憧れる美味しいシチュエーションだろう?
爺さんが告げる予言はどんどんその量を増し、人々を喜ばせ続けたんだ。
だがな、ある時、爺さんは気づいた。
未来を記した「氷の碑」。これらがいつの間にか、夢を見ている爺さんの周りを取り囲んでいたのさ。
住む人が増えたせいなのか、爺さんに求められる予言もどかんと増えた。それでも期待に応え続けようとした爺さんは、まさに「夢中」だったんだな。
更に爺さんはもう一つ、恐ろしいことに気づいたんだ。
爺さんを囲い込んだ「氷の碑」の高さが、少しずつ高くなってきていたんだ。
初めは爺さんと同じくらいの高さだったはずなのに、今はもうてっぺんを見ることもできない。
予言はいつも碑の足元に書かれるから、上を見る必要はない。しかし、自分が読んだ部分は、どんどん上へと伸びていく。髪の毛みたいに確実にな。
どうなるかは、想像に難くない。
ほどなく、爺さんはこの世を去る。断末魔の悲鳴を聞きつけて、侍女たちが駆けつけるまで数分も経っていないというのに、爺さんの体はすっかり冷たく、重くなっていたんだ。
まるで、氷に押しつぶされちまったみたいにな。
どうだ、こーちゃん。夢からアイディアを得るってのは、物書きとして十分アリだと思う。だが、もしもそのアイディアが、「氷の碑」から得ているもんだと分かったら、どうする? そのアイディアにすがり続けるか?
こーちゃんなら、あの爺さんがどうすれば良かったのか、うすうす見当がついたんじゃねーか? こーちゃんはあの爺さんにないものを持っていると、俺は感じているぜ。何せここに来ているということが、答えさ。
動けよ、こーちゃん。体でも頭でもいい。動いて、熱を起こして見せろよ。そうすりゃ、「氷の碑」なんぞに頼る必要はねえ。
融かして、融かして、新しい場所に踏み出すんだ。年を食っても忘れんなよ!