自分から妻を捨てた男が、妻の価値に気づいたときには完全に手遅れだった話
ザイル公爵は愛人レイデリアと共に、リディア王妃主催の王宮で開かれた食事会に参加していた。
この食事会は格式が高く、マナーが完璧でないと、出席出来ない。
そのマナーもこのバーレ王国特有のマナーで、かなり難しいのだ。
ザイル公爵が愛人レイデリアを連れてこの食事会に参加したのは、レイデリアは長年の愛人で、元、伯爵家の令嬢であるからだ。
立ち居振る舞いはザイル公爵が愛人にしてから、磨きがかかるように仕込んで来た。
美しく完璧なレイデリア。
ザイル公爵は鼻が高かった。
妻のオーフェリアは連れてこなかった
彼女とは白い結婚。
オーフェリアの実家、ライド伯爵家を取り込む為に結んだ婚姻だ。
だから、オーフェリアを愛するなんて事はない。
オーフェリアはまだ年若い小娘だ。
自分には完璧な愛人レイデリアが傍にいる。
レイデリアは微笑んで、
「わたくしを連れて来て下さって嬉しいですわ。奥様は今頃、別邸で涙にくれていることでしょうね」
「ああ、政略で婚姻した妻、まだ18歳だぞ。王立学園を卒業したばかりの小娘。そんな小娘より、愛人のお前の方がよほどいい」
「嬉しいですわ」
レイデリアは28歳。
ザイル公爵は40歳。
長い金髪の甘い蜜のような魅力的なレイデリア。
それに比べて、あの貧相な小娘なんぞ、相手にもしたくはないわ。
ザイル公爵は鼻で笑い、用意されている席に優雅にレイデリアと共に着く。
他の貴族達も席に着くが、目の前に座った人物に驚いた。
自分の妻、オーフェリアだったからだ。
それも、銀の髪を大人っぽくアップにして、美しい男性に手を添えて貰い、優雅に席に着くオーフェリア。
ザイル公爵は叫んだ。
「何故?お前がこの食事会に???」
オーフェリアは微笑んで、
「王妃様に招待されたからですわ。でも、一人じゃ心細くて、付き添いを頼みましたの」
優雅にオーフェリアの隣に座った銀髪碧眼の男性は微笑んで、
「オルディウス・ブルドと申します。オーフェリアとは従兄に当たります。リディア王妃様にご招待を頂いたのですが、ザイル公爵閣下は他の方と出席すると、ぜひともこの食事会にオーフェリアが出席したいというものですから。今日は付き添いで」
「オルディウス兄様。今日はわたくしの我儘を聞いて下さり嬉しいですわ」
ザイル公爵は思わず見惚れた。
絵画のような美しい二人。
食事が運ばれてくる。
目の前の二人のマナーがまた、完璧だった。
自分の妻はこんなにも完璧な女性だったか?
結婚式でもろくに顔を見ず、小娘を妻に貰ったとて、ろくに相手にしたくないと思っていたザイル公爵。
初夜のベッドで、
「お前とは白い結婚だ。お前を愛することはない」
としっかりと白い結婚宣言をし、オーフェリアを別邸に押し込めていた。
目の前で食事をする妻があまりにも完璧で美しくて。
隣に愛人レイデリアがいることすら忘れてしまう程に。
レイデリアに足を蹴とばされた。
「公爵様。わたくしを見て下さいませ。奥様より、美しいでしょう」
「そりゃそうだが」
あの女に白い結婚を言い出すのではなかった。
それを初めて後悔した。
食後はリディア王妃秘蔵のワインが振舞われた。
立食パーティに変更されて、皆、話をしながらそれぞれテーブルに置かれたワインを楽しむ。
オーフェリアはオルディウスにエスコートされて、にこやかに秘蔵のワインの一つを楽しんでいた。
ザイル公爵はオーフェリアに近づいて、
「お前は私の妻のはずだ。それなのに、いかに従兄とはいえ、他の男とっ」
オーフェリアはザイル公爵を見上げて、
「従兄ですからかまいませんでしょう。貴方だって愛人を連れて出席しているのですから」
「しかしだな」
背を向けて、オルディウスと共に行ってしまうオーフェリア。
リディア王妃がオーフェリア達に話しかけていた。
親し気にリディア王妃と話すオーフェリア。
王妃様と親しいなんて知らないぞ。
他にも色々な貴族達がオーフェリア達に挨拶に訪れる。
たかが18歳の小娘がなんであんなに顔が広いんだ???
社交界デビューしたばかりのはずだ。
ザイル公爵はイラついた。
公爵家に戻ったら、白い結婚を取り消してやる。
あんなに大人っぽく美しい女性だとは思わなかった。
あれは私の妻だ妻。
妻なら妻らしく扱ってやらんとな。
レイデリアが不機嫌そうに、
「貴方、ずっとあの女を目で追っていたでしょう。あんな小娘、興味はないって言ったじゃない」
「小娘ではない。見ただろう。花開いた女性だ。女性」
さっそく別邸から本館へ迎え入れないとな。
レイデリアが煩いが、所詮、愛人。妻はあの女だ。あの女。
公爵家に帰ると、ザイル公爵は使用人に命じて、別邸のオーフェリアに本館に来るよう伝えた。
オーフェリアの返事は、
「別邸での暮らしが気に入っていますので、こちらで過ごしますわ」
はぁ?お前は妻だろう。妻。
ザイル公爵が迎えに行くと、いつの間に、やとったのか、ガタイのよい男性達にさえぎられた。
「奥様はお休みになっております」
「ですから、ここから先は通せません」
「お戻りを」
「夜も更けておりますので」
ザイル公爵は護衛達に向かって叫んだ。
「私はこの家の主人だ。主人。夫が妻を夜に訪ねて何が悪い」
二階のテラスからオーフェリアが顔を覗かせて、
「白い結婚を宣言されましたわ。三年経ったら離縁出来るはず。ですから、わたくしは
貴方と褥を共にするつもりはありません。お帰り下さい」
「お前は私の妻だろう?」
「貴方はわたくしの夫であるにも関わらず、愛人を本館に置いてわたくしを別邸に押し込めましたわ」
「この結婚は政略だ」
「政略ならば白い結婚でよいではありませんか。三年経てば、我が実家の伯爵家を貴方なら取り込めるでしょう。わたくしを離縁しても問題はないはず」
「小娘とばかにして悪かった。今宵、お前の美しさに気が付いたのだ」
「わたくしは貴方の素晴らしさが、まったくもって解りませんわ」
「でも、私はお前の夫だ。お前を抱く権利がある」
「でも、白い結婚を宣言しましたので、わたくしは宣言に従いますわ」
「撤回する」
「お断りします」
ザイル公爵は頭に来たので、護衛達を押しのけて押し通ろうとした。
レイデリアに背後から声をかけられた。
「やはりこの女の所へ来ていたのね。わたくしとは結婚してくれないのに、今更、妻を求めるってどうなの?わたくしはどうなるの?」
「お前の家は没落しているではないか。結婚しても旨味はまるでない。必要なのは、お前の身体だけだ」
レイデリアは悔し気にギリギリと歯を食いしばり、睨みつけた。
護衛騎士達に阻まれて、妻にも追い返されたので、本館に戻るザイル公爵。
明日、改めて、話し合いをして白い結婚を撤回してやる。
そう思った。
ザイル公爵には嫁いだ妹がいる。
彼女を呼び寄せて、何故、社交界でオーフェリアの顔が広いのか聞いてみた。
「お兄様ったら、ライド伯爵家のオーフェリアって、王立学園を首席で卒業した優秀な令嬢だって知らなかったのではなくて?王妃様もお気に入りで。王太子殿下も婚約者がいなければ、オーフェリアをできれば妻にと望んだ位。魅力的で今、社交界で注目の的ですわ。それなのに、お兄様ったら。お兄様の白い結婚宣言は今や有名ですわ。お兄様が愚かな男だということも。愛人を本館に住ませて、オーフェリアみたいな優秀な女性を別館においやったって。本当におバカなお兄様。恥ずかしいわ」
妹にめちゃくちゃ馬鹿にされた。
そんな優秀な女性だったのか?オーフェリア。
レイデリアも長年仕込んだだけ優秀だが、それの上を行くと言うのか。
だったら、尚更、白い結婚は撤回して、妻と愛人両方を愛して楽しく生活する。
それで良いではないか。
ザイル公爵が勝手な事を考えていて、再び話し合いを持とうとしたら断られた。
「白い結婚宣言は文書に致しましたわね。ですから、白い結婚を貫きたいと思います」
国王陛下から呼びつけられた。
「あのような優秀な素晴らしい女性を妻に貰っておきながら、愛人を大事にするお前の目の節穴さに皆、呆れておるぞ。愛人を連れて夜会には出席しないほうが良いと思うが」
えええええ?確かに愛人を連れて夜会に出席したら、今や、笑いものだ。
だが夜会が好きなザイル公爵。
別邸の入り口でオーフェリアに向かって叫んだ。
「公爵夫人として仕事をしろ。夜会にはお前を連れていくっ。これは私からの命令だ」
「公爵夫人の仕事はしなくていいと初夜のベッドでおっしゃいましたわ。レイデリアが代わりにやるからお前は別邸でおとなしく過ごせと。今更、言われても困ります。契約違反ですわ」
テラスからそう言われて、オーフェリアは取りつく隙も与えない。
レイデリアがザイル公爵に、
「夜会に行きたいわ。ドレスを新調したいの」
今までならホイホイ言う事を聞いてドレスを新調した。
でも、社交界でレイデリアを連れて言ったら笑いものになる。
「すまないが。結婚したからには妻を連れて行かないと」
「えええ?わたくしを連れて行って下さいませ。ザイル公爵様っ」
オーフェリアを見直した日から、レイデリアがしつこくなった。
しつこい女はうっとおしくて嫌いだ。
だからレイデリアに、
「お前は愛人だろう?だったらおとなしく私の言う事を聞いていればいいんだ」
「わたくしは貴方と結婚したかったのよ。それなのにっ」
「没落貴族と結婚してなんの旨味がある???お前は愛人がふさわしい女だ」
その後の事は覚えていない。
多分、レイデリアに刺されたのだろう。
愛しているわっーーと泣き叫ぶレイデリアの声が耳に残った気がした。
気が付いた時には子犬に生まれ変わっていた。
幼い子供が子犬である自分に向かって、小さな手で頭を撫でている。
子供の背後から見覚えのある女性が近づいて来て、声をかけてきた。
「可愛い子犬を貰えてよかったわね」
オーフェリアだ。
そして自分を撫でているのはオーフェリアの子供か。
「ははうえっ。この子犬。僕のものなの?」
「ええ、そうよ。貴方の子犬よ」
ああ、この女、こんな風に笑うんだ。
私はなんて愚かな事をしてしまったのだろう。
後悔してももう遅い。
子犬になってしまった自分にはもうどうすることも出来ないのだから。
「オルディウス兄様」
「オーフェリア。シャルル。子犬は気に入ったか?」
オーフェリアはにこやかに、
「有難うございます。可愛い子犬を」
「オルディウスおじさん。子犬ありがとうございます」
「よくお礼が言えたな。シャルル」
オルディウスという男がこちらを見て、口端を引き上げてニヤリと笑ったような気がした。
そんな馬鹿な。
この男、私が子犬になった事を知っている???
オーフェリアの夫であろう男がやって来た。
黒髪碧眼の、この男は……
「シャルル。きちっと面倒を見るんだぞ」
「ちちうえ。ちゃんと面倒を見ますっ」
きゃんきゃんきゃんっ。
ザイル元公爵は鳴くしかない。
オーフェリアの夫らしき男と、オルディウスが話をしている。
「レイデリアの処刑から早、二月経ったのか」
「ザイル公爵を刺殺した裁判が長引いたから、時間がかかった」
「それにしても、私の魔術は大成功だな」
思いだした。あの男は宮廷魔術師のバールだ。
バールの奴がオーフェリアと結婚しやがったのか?私の妻とっ???
バールと、オルディウスがこちらを見て、にやりと笑う。
あいつら、絶対に私が子犬だということを知っている。
いや、バール、お前が私の魂を???
バールは子犬である元ザイル公爵に向かって、
「この姿でオーフェリアの幸せを歯噛みして見ているがいい。子犬なら何も出来ないか。ちなみにお前はずっと子犬のままだ。その方がシャルルが可愛いと喜ぶからな。おっと粗相をするなよ。恥ずかしいぞ」
シャルルが首を傾げて聞いている。
意味が解らないのだろう。
オーフェリアが遠くから、
「お茶を用意させましたわ。テラスでお茶にしましょう」
シャルルが、
「ははうえっ。お菓子は?」
「用意してありますよ」
バールはオルディウスと共に立ち上がった。
目の前には犬のエサが皿によそってある。
そう、犬のエサ。
遠くのテラスから紅茶の良い香りがただよってきて、私だって菓子を食べたい。ケーキだって。
犬のエサは嫌だ。
今は、キャンキャンと鳴く事しか出来ない。
元ザイル公爵は後悔のあまりキャンキャンと鳴くのであった。




