第3話
そんなこんなで、私も今では立派な高校生である。
制服を着て、電車に揺られ、眠気と戦いながら授業を受け、帰り道にはコンビニで新作スイーツを物色する。聞けばどこにでもいる女子高生の生活だ。少なくとも表向きは。
……まあ、ここまで来るのに色々なことはあったが、今はこの世界で普通に暮らしていける程度には平穏な毎日と言えるだろう。
もっとも、その“平穏”が本物かどうかは怪しいものだが。
あれもこれも、あの「お店」と出会えたことが全ての転機だった。
あそこがなければ、私は今頃どうなっていたのか想像もつかない。王族の誇りだの、帰れない故郷だの、どうにもならない呪いだの。そういうものを一旦横に置いて、「今」を生きるという選択肢を教えてくれた場所だった。
……が、その話はまたいずれ。
今は目の前の現実の方が問題だ。
噂、である。
「おい、あれ西崎だろ」
「目合わせんなって。湘南の帝王だぞ」
「中学の時、海割ったらしいぜ」
……誰が海を割っただ。
いや、割ったけども。
割ったけどもだな、それは事故だ。しかも5メートルは的を外していた。人命には配慮している。あれを武勇伝にカウントするのは、どう考えてもおかしい。
「最強」だの「湘南の帝王」だの、勝手な異名をつけられては、廊下ですれ違うたびに道を空けられる。購買では私の前に誰も並ばない。体育館裏を通れば、不良らしき男子が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
……全く、意味が分からない。
私はこれまで誰かと殴り合いの喧嘩をしたこともないし、誰かを傷つけるようなこともした覚えはない。少なくとも“そのつもり”はない。
確かに中学時代、絡まれたことは何度かあった。だが私は話し合いで解決を試みた。どうしても分からない相手には、ほんの少しだけ“空気を揺らした”だけだ。ほんの少しだぞ?窓ガラスが三枚ほど割れたことがあったが、あれは老朽化だ。私のせいではない。たぶん。
だがカズはそれを「武勇伝」と呼ぶ。
「あれは伝説だよセラ。マジで。中学の不良グループが一夜で解散したんだぞ?」
解散したのは知らん。私は知らんぞ。
「だってお前、あの時“目”が光ってたし」
光ってない。
……いや、もしかすると光っていたかもしれないが、それは怒りであって魔力ではない。たぶん。
結果として、私は街の有名人になってしまったらしい。
恐れられるというのは、なかなか不便だ。
話しかけてくるのは物好きか、度胸試しの連中だけ。女子の友達はいるにはいるが、どこか一線を引かれている気がする。クラスの男子は遠巻きに見てくるか、やたら丁寧語になるかの二択だ。
「西崎さん、消しゴム落ちました」
“さん”はいらん。
私は王族だが、今は庶民だ。普通に話せ。
「……全く」
教えを元に、ただ真面目に生きてきたはずなのに。
弱き者は助ける。
悪を挫く。
人前で魔法は使わない。
感情で力を振るわない。
カエルとサリエルに叩き込まれた基本だ。
それなのにどうして、こうも“悪の親玉”みたいな扱いを受けるのだろう。
「セラ様」
鞄の中から小声がする。
「……なんだ」
「少々、覇気を抑えていただけますか。廊下の空気が震えております」
震えてない。
……いや、少し震えているかもしれない。
最近、感情と魔力の距離が近い気がする。呪いのせいか、それとも成長のせいか。小さな苛立ちが、微細な振動となって空気を揺らす。自覚がある分余計に厄介だ。
「お前がちゃんと管理しろ」
「それは本来、お嬢様ご自身の役目です」
うるさい。
そんなやり取りをしていると、前からケンシンが歩いてきた。
「西崎。廊下は静かに歩け」
何もしていない。
だがケンシンは疑いの目を向けてくる。まるで私が常に何かを企んでいるかのように。
「髪も相変わらず派手だな。染め直す気はないのか」
だからこれは地毛だと言っているだろう。
心の中で百回は繰り返した台詞を飲み込み、私は軽く会釈をした。
「校則は守っています」
そう、私は真面目だ。少なくとも努力はしている。
だが努力と評価はどうも比例しないらしい。
『最強のヤンキー』
その肩書きは、いつの間にか私の背中に貼り付いていた。
……本当に、どうしてこうなったのだろう。
ため息を吐きながら昇降口を出ると、夕方の風が頬を撫でた。空は橙色に染まり、どこか懐かしい匂いがする。
この匂いを嗅ぐと思い出す。
鉄板の上で弾ける音。
ソースの香ばしさ。
「いらっしゃい」という、あの人の声。
あのお店と出会ってから、私の世界は確実に変わった。
最強でも帝王でもない。
ただの“西崎セラ”として笑える場所。
あそこが、私の帰る場所になったのだ。
……もっとも、その頃の私はまだ知らなかった。
その店が私の未来を大きく左右することになるなんて。
そして、“平穏”が永遠ではないことも。
夕焼けの向こうで、どこか遠くの空気がわずかに揺れた気がした。
気のせいだと、思いたかった。




