第1話
昼休みが終わった後半のスパート。
時計の針が午後13時を回ったのを機に、机の上でうなだれていた私を起こす授業のチャイムが、
ジリリリリリリ
と響く。
眠たい頭を持ち上げてひらいた「歴史」の教科書。
「うるさいな」とため息をついたのを皮切りに、5限目の授業が始まった。
やれやれ
そう思いながら、何事もなく健全な高校生活を送っているように見えるが、勘違いしてはいけない。私は女子高校生でも、ましてや、学業を嗜む一般市民でもない。
私は、プリンセスだ。次期王妃たる立場の人間なのだ。本来なら今頃昼時のティータイムを嗜んでいるような身分であるはずなのに、なぜか他の市民と変わらぬ生活を送っている。朝から晩まで習いたくもない勉強に勤しんで、露出の激しいスカートを履き、登下校の道中にすれ違ったクラスの人たちと肩を並べて、
「おっす!」
とか訳の分からない挨拶を交わし合う日常を、送っている。だが、そんな軽いノリで、日々を過ごしている場合ではないはずなのだ。
私は、ブリュッセルという国に生まれた。まだ魔法が存在し、自然の豊かな場所に、何不自由のない裕福な王族の間に生まれ、明るい未来が待っていたはずだった。それがあろうことか、どっかの魔法使いのバカが私に“ある呪い”をかけたのがコトの発端だった。そのバカは戦争に負けた腹いせに、ある事ないこと言い放って、なんの罪も無い私に死の呪いをかけてしまったのだ。かけるだけかけて、まるでピンポンダッシュの如く姿を眩ませてしまった。
そのおかげで、私の日常がぶち壊された。
困った父君は国中の魔法使いを集めて、娘の呪いを解く方法はないかを模索したそうだ。そのうちの一人の魔法使いが、呪いを消すことはできないがと前置きした上で、私が生き長らえる方法を伝えた。…幸い私は生き長らえたが、おかげでこの有り様である。
召使いのカエルと使用人のサリエルが、私を守護するという役目を受け、この世界に同じく送り込まれた。教育を任されたカエルとサリエルは、初めて来たこの日本という国の生活様式や言葉を独学で勉強しながら、長い歳月を経て私に覚えさせることに従事してきた。そのおかげで私は日本人としての体裁を、ひとまずは習得することができた。
身分証も、一から作成した。
外国から移住したという定義で、日本国籍も取得できた。今はカエルとサリエルと一緒に、月5万の借アパート住まいをしている。
『カエル』は、魔法が使える(こちらの世界で魔法を使うことは自粛しているようだが)。そしてあらゆる言葉を理解できた。『サリエル』はただの人間だが、大変博識のある女性だ。稼ぎ口はサリエルで、カエルはペット兼ボディーガード的な存在である。2人と1匹で切磋琢磨しながら、なんとかここまでやってこれた。そういう意味では、私が今こうして平和な生活を送れていることは、何事にも変えがたい幸福なのかもしれない。
だが正直に言うと、「授業」なんてどうでもいい。私の生まれた国や、父君や母君のことを夜な夜なカエルに聴かされる度、故郷に帰りたいという気持ちが募る。私が呪いを受けたのは、生まれてからすぐのことだ。だから実際はブリュッセルという国がどういう世界だったかを思い出すことはできない。
生まれてすぐにこの日本に来た。だから魔法なんてものが本当に存在するのかも、疑うことはある。しかし、しかしだ。私だけがなぜ、カエルの言葉が分かるのだ?動物たちの声が聞こえる。この前は森で鹿と話した。鹿は私の言葉を理解できなかったみたいだが、私は動物の言葉を理解している。それは、カエルに教えてもらったおかげだ。
他の人にはわからないことが、私には分かるという点。髪の色が生まれつきピンクであり、左右の目の色が違うという点。呪いの副作用で時々悪夢を見てしまうこと。以上を踏まえて、私が魔法の国に生まれたということを少しずつ理解するようになっていった。
おい、西崎!ちゃんと聞いてるのか!
私の名前は元々、マリー・テレーズ・セラ12世妃という長たらしいものだ。こちらでは「西崎セラ」という名義に変更している。上の空で授業を受けている私を叱りつける先生の声が聞こえた。
「聞いてます」
歴史の先生の名字は上杉であるため、クラスの連中は皆上杉先生のことを「ケンシン」と呼ぶ。ケンシンは人一倍説教臭く、教室でも一際目立つ私のことをガラの悪いヤンキーだといまだに思っている。入学して、もうすぐ半年を迎えるというのに。
「お前、いつになったら髪の色を黒に染めるんだ」
うるさいぞ、ケンシン。私を誰だと思っている。この髪の色は母君譲りのものだ。私が、由緒正しきブリュッセル王国の次期王妃たる証明なのだ。ヤンキーなどではない。むしろ、そのもっとも反対側に位置する高貴な人間であることの証拠なのだぞ?時代が違えば、王族への不敬罪でその首を落とすことになっていたぞ。
そんなことはお構いなしにと、黒板の上に白い文字がズラズラ走り書きされ、「それでは次に」と授業が進む。慌ててノートにテスト範囲の要点を書く。人間が猿から進化したのには、いくつかの仮説があり…
とかなんとか。
ケンシン、ちょっと待ちなさい!!!!
「あの、すいません、ケン…、いや、先生。類人猿と中新世類人猿って、なにが具体的に違うんですか?」
なぜ、こんなことを勉強しなければいけないのか。鞄の中に忍び込ませているカエルを呼んで、チョコレート味のカロリーメイトを取ってもらう。お腹が空いて仕方がないのだ。昼食を取ったばかりとは言え、したくもないことを1日中するのは骨が折れる。6限目は「数学」らしい。計算が苦手な私にとって、この上なく苦痛な時間が始まるともなれば、甘いものを食べずにはいられない。
「セラ様、授業中にお菓子を食べてはなりませんぞ」
そんなことはわかっている。こちらの世界に来てからというもの、サリエルは私の母親代わりになっていた。しかし身分上は召使いであったから、いまだに私に対する態度が「母親代わり」とは言えないほどに献身的であった。が、それではダメだと、カエルは私に対して厳しい接し方をするのだ。次期王妃には王妃らしい格式の高い教養を身につけなければいけないと、うるさくて困っている。
「カエル、次期王妃とお前は言うが、私は元の世界には帰れないんだろ?」
サリエルはこの世界の書物を漁って、もう一度元の世界に戻れる方法はないか探し続けてきた。カエルもそうだ。学校がない日には街外れの森に行き、動物たちと会話して、ブリュッセルへと通じる道がないか訪ね歩いているらしかった。
しかしいつまで経っても成果はなく、それに仮に戻れたとして、私にかけられた呪いが解けたことにはならない。「生き延びる」というのはこの世界でであって、元の世界に於いてではない。それ故に、サリエルもカエルも頭を悩ませていた。
カエルは授業中だからと必要以上なことは喋らない。やれやれ、カエルのくせに真面目ときたものだから扱いが面倒くさい。カエルの方は私の面倒を見ているようだが、私ももういい歳なのだから、そろそろ子供扱いするのはやめてくれないだろうか?
この世界に来てもう13年目だ。一庶民として生活を送っている度、格式の高い生活とはどんなものかと夜な夜な想像を膨らませてきた。しかし実は私は、もう諦めかけているのだ。元の世界に戻りたい気持ちは当然あるが、元々、この世界で第二の人生を送ることが私の命を救う唯一の方法なんだろう?だったら、それに従うしかない。生活を送ってきたのも、長い時間を過ごしたのも、この世界だ。実際、帰りたいという気持ちがこうして芽生えているのは単なる現実逃避でしかない。学校がめんどくさいと思う日は、ため息混じりに祖国の景色を想像する。王室のソファで足を伸ばしながら、何も考えず寝転がっていたいと思うのだ。
そんなものは、生活をする上でなんの役にも立たないのだが。




