PART.22
文化祭という名の「戦争」が終わり、ようやく訪れた週末。 俺の胃袋と精神はボロボロだったが、それ以上に限界を迎えていたのが、俺の「筆箱」だった。
「……そりゃそうだよな。劇の練習中、美香に踏まれたり鞭で叩かれたりしたんだから……」
チャックが弾け、謎の凹みがついた筆箱を見つめ、俺は溜息をついた。これでは月曜日からの授業に支障が出る。俺は一人、近所の大型スーパーの文房具売り場へと足を運んだ。
だが、そこには「地獄の続き」が待っていた。
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「あ、誠也さん! 奇遇ですね!」
文房具コーナーの影から現れたのは、清楚な私服に身を包んだ美香。そして、その隣には、美香の服の裾をぎゅっと握りしめた、可愛らしい少女がいた。小学年高学年だろうか。
「(……げ、美香。なんでこんなところに……)」
「(……黙りなさい。今日は『お姉ちゃんモード』よ。余計なこと言ったら、あんたの新しい筆箱と一緒に、その不器用な指も粉砕してあげるから)」
美香は一瞬だけ、俺にしか見えない「狂犬」の眼光を向けたが、次の瞬間には、花のほころぶような慈愛の微笑みを隣の少女へ向けた。
「誠也さん、紹介するわね。私の大切な妹、結菜よ。結菜、この人はお姉ちゃんの学校のお友達の、黒峰誠也さん」
「……こんにちは。お姉ちゃんがお世話になってます」
結菜ちゃんは、恥ずかしそうにぺこりと頭を下げた。 その瞳は、濁りきった美香のそれとは正反対の、吸い込まれるほど純粋で澄んだものだった。
「……あ、ああ、こんにちは。お姉さんには、いつも……その、いろんな意味でお世話になってるよ」
「本当? お姉ちゃん、お家でも誠也さんの話、いーっぱいするんだよ! 『誠也は本当に手がかかる駄犬……じゃなくて、放っておけない人なんだから』って!」
「(……おい、今『駄犬』って言いかけたぞ、このガキ)」
俺が美香を睨みつけると、彼女は頬を微かに赤らめ(もちろん演技だ)、困ったように結菜の頭を撫でた。
「結菜、誠也さんが困ってしまうわ。……ごめんなさいね、誠也さん。この子、私が誠也さんのことをあまりに信頼しているから、少し勘違いしているみたいで」
「お姉ちゃん、誠也さんのこと大好きなんだよね! だって、お姉ちゃんがこんなにニコニコしてるの、誠也さんといる時だけだもん!」
結菜ちゃんの無邪気な一撃に、俺は硬直した。 美香が、家で俺の話を? しかも「ニコニコ」して? あの般若のような、あるいは冷徹なマシーンのような女が、妹の前でどんな顔をしているのか想像もつかない。
「結菜、あまり誠也さんをからかってはダメよ。……誠也さん、筆箱を買いに来たの? よかったら、結菜と一緒に選んであげて。この子、お姉ちゃんに似て少し『こだわり』が強いから」
「……ああ、まあ、いいけど」
それから三十分。俺は奇妙な時間を過ごすことになった。 結菜ちゃんが「これ、お姉ちゃんとお揃いだよ!」と持ってくるファンシーな筆箱を、美香が「素敵ね、結菜」と聖母のような顔で肯定する。
その合間、結菜ちゃんが少し離れた隙に、美香が俺の耳元に身を寄せた。
「(……いい、誠也。結菜は、私が『狂犬』だった頃のことを何も知らないわ。この子にとって、私は自慢の、優しくて完璧なお姉ちゃんなの。……もし1ミリでもその幻想を壊したら、あんたの人生を今日ここで『完結』させてあげる)」
「(……分かってるよ。俺だって、こんな天使みたいな子に、お前の『ドブ川本性』を教えるほど鬼じゃない)」
「(ふん、分かればよろしい。……ほら、結菜がこっちを見てるわよ。笑いなさい、この無愛想な管理人)」
美香は俺の脇腹を、結菜ちゃんから見えない角度で強烈に抓った。 「……イッ……! あはは、そうだね、結菜ちゃん。これ、いいと思うよ!」
俺は涙目で笑った。 美香の「完璧な聖女」の演技は、家の中でも、そしてこの小さな妹に対しても徹底されている。それは単なる保身ではなく、この無垢な妹を守るための、彼女なりの「歪な愛情」のようにも見えた。
「誠也さん! 今度、お家に遊びに来てね! お姉ちゃんと一緒に、美味しいクッキー焼いて待ってるから!」
帰り際、結菜ちゃんは満開の笑顔で手を振ってくれた。 俺は複雑な心境で手を振り返しながら、隣に立つ「最強の詐欺師」を盗み見た。
「……お前、大変だな。家でもその仮面、脱げないのかよ」
美香は結菜が見えなくなるまで手を振り続け、姿が消えた瞬間、スッと表情を消した。
「……別に。あの子の綺麗な世界を守るためなら、一生仮面を被り続けるくらい、なんてことないわ。……それより誠也。あんた、さっき結菜が言ったこと、変な風に誤解しないでちょうだい」
「……何がだよ」
「……『お家で私の話をいっぱいしてる』っていう、あの子の妄想よ。……私はただ、管理人の業務日誌を声に出して確認してただけなんだから」
「それを世間では『話してる』って言うんだよ。……まあ、クッキーは楽しみにしてるよ。毒が入ってなければな」
「……さあ、どうかしらね。あんたの胃袋に、特大の『呪い』を練り込んであげるわよ」
夕暮れのスーパーの駐車場。 毒を吐き合う俺たちの背後で、新しい筆箱を手にした結菜ちゃんの笑い声が、遠くで響いていた。 美香の「聖女」の仮面。その裏側にある、壊れそうなほど純粋な「守りたいもの」に、俺は少しだけ触れた気がした。
最後まで読んでくれてありがとうございます。ランクイン、本当にありがとうございます!感謝しかないです! ps 風邪引きました☆




