PART.19 聖域の構築と、再会のカウントダウン
あの日を境に、私は「私」を殺した。
鏡の前で、鋭い三白眼を隠すように睫毛を伏せ、口角を数ミリだけ上げる練習を繰り返す。荒っぽい言葉を辞書から削除し、代わりに「慈愛」や「謙虚」という名の毒を塗りたくった言葉を詰め込んだ。
髪を伸ばし、動作から無駄を削ぎ落とし、誰にでも平等に、けれど誰にも心を開かない微笑を振りまく。 効果は劇的だった。
「白雪さんって、本当に綺麗だよね……」 「まるで、雪の妖精みたいだ」
かつて私を「狂犬」と呼んで石を投げた連中が、今では私の歩く道に花を敷こうとしている。滑稽すぎて笑いが出そうになるのを、私は「聖女」の仮面の下で必死に押し殺した。
(……ねえ、見てる? 誠也。あんたが言った通り、外面だけは最高に磨き上げてあげたわよ)
広島の私立中学に行ったあんたには、私の噂なんて届かないかもしれない。 けれど、私は確信していた。 あんたは必ず、私の元に戻ってくる。 なぜなら、あんたを世界で一番深く理解し、その毒舌を誰よりも欲しているのは、この私なのだから。運命なんて生温い言葉じゃない。これは私が、あんたの人生に仕掛けた「逃げ場のない罠」。
そして、中学三年の春。 職員室の机の上に置かれた、一枚の転入届を盗み見た瞬間、私の心臓はかつてないほど激しく跳ねた。
『黒峰 誠也』
懐かしい名前。活字を見ただけで、私の鼻腔にあいつの、少しだけ埃っぽいような、落ち着く香りが蘇る。
「……うふふ。やっと、私の檻に入ってくれるのね」
私はその日、美容院へ行き、一番美しく見える角度で髪を整えた。 清楚なブラウスにアイロンをかけ、一点の曇りもない「白雪美香」を完成させる。
転校初日。 教室のドアが開き、緊張した面持ちで入ってきたあいつは、小学校の頃より少しだけ背が伸び、少しだけ大人びた顔をしていた。 けれど、その死んだ魚のような、どこか冷めた瞳は変わっていない。
「……黒峰誠也です。よろしくお願いします」
あいつの声が響いた瞬間、教室中の女子がざわついた。 けれど、あいつの視線は真っ直ぐに、窓際の特等席に座る私を捉えた。
あいつの目が、驚愕に大きく見開かれる。 「(……え? お前……美香……か?)」 声に出さない、その唇の動き。
私は立ち上がり、全校生徒を虜にした、最高純度の「聖女の微笑み」をあいつに向けた。
「お久しぶりです、黒峰くん。……また会えて、とっても嬉しいわ」
周囲からは「幼馴染との感動の再会」に見えたでしょうね。 でも、私の心の中は、ドブ川の底よりも真っ黒な歓喜で満たされていた。
(……捕まえた。もう二度と、この毒からは逃がしてあげないんだから)
あいつが広島でどんな女の子と知り合い、どんな生活をしていたかなんて、どうでもいい。 これからのあんたの時間は、全部私が買い取ってあげる。 たとえ、一生解けない呪いであっても。




