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YES ORE NO ~ 煌めく世界の選びかた ~  作者: 菊ノ
第一章 
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第5話 碑術

 鉱獣は、獣らしい威嚇をしなかった。

 喉を震わせるたびに響くのは、石が擦れるような鈍い音だけだ。


 四肢が地面を踏む。

 その足跡が、白く濁る。


 触れた場所から、鉱石が侵食されていく。


「触れたらヤバいね」


 アリンは冷静に観察をする。


 鉱獣は、こちらを見ていなかった。


 正確には、見ているという概念が残っていない。

 濁った眼は焦点を結ばず、ただ音と振動に反応しているだけだ。


 それでも、近づけば分かる。

 これは、危険な存在だ。


「……距離を取るわ」


 アリンの声は、静かだった。


「二人とも私の後ろに下がって」


 それは命令である。

 拒否できる余地はない。


 ーーだが。


「え……」


 リンレイが反射的に声を上げた。


「私も動けます。武器だってーー」


「だめ」


 アリンは振り返らない。

 だが、その言葉には強い圧があった。


「見習いが出る場面じゃないわ」


 リンレイは唇を噛む。

 悔しさと、焦りと、引き下がれない気持ちが混じった表情。


「……分かりました」


 悔しさを飲み込むような声だった。

 アシュアは何も言わず、すでに後退している。


 この場で、誰が“戦う側”かは明白であった。

 自分は戦力ではない。

 今出来る最善は、アリンの邪魔をしないこと。


 鉱獣が動く。


 重い体躯を揺らしながら、突進してくる。

 だが遅くはない。

 むしろ、人の想定より一段速い。


 アリンは迎え撃たない。


 横へ跳ぶ。

 地面を蹴る音が、乾いた。


 次の瞬間、アッシュは息を呑んだ。


 ――速い。


 ただ速いだけではない。

 無駄がなく、重心がぶれない。


 獣の爪が空を裂く。

 だが、そこにはもう誰もいない。


 アリンは背後へ回り込み、拳を叩き込む。


 鈍い衝撃音。

 肉と鉱石がぶつかる、不快な手応え。


 鉱獣がよろめく。

 だが倒れない。


 外皮の鉱石が、衝撃を吸収している。


「……硬い」


 リンレイが、思わず声を漏らす。


 アリンは退かない。

 距離を詰め、もう一撃。


 今度は脚。

 関節を狙った、正確な蹴り。


(凄い威力……本当に人間?)


 初めて見る、レンジャーと呼ばれる者の戦闘。

 何が起きているのか、彼女が特別なだけなのか。

 その答えに辿り着く為、思考は巡る。


 鉱獣の体勢が崩れる。

 その瞬間――地面が白く染まった。


 侵食が、広がる。


 アリンが、即座に距離を取る。


 アシュアは理解した。

 長引かせるほど、こちらが不利になるのだと。


 肉弾戦で削れる。

 だが、削り切る前に、周囲が侵される。


(あれに触ったら、多分ヤバい)


 直感である。


 アリンは、深く息を吸った。


 動きが変わる。


 さっきまでの“人の延長”の動きではない。

 身体の内側で、何かが巡っているような感覚。


 筋肉が軋み、空気が張り詰める。


「多分、()()ーーしてる……」


 それだけは分かった。




 次のアリンの一撃は、深く入った。


 鉱獣の体表に亀裂が走る。

 白い結晶が砕け、粉が舞った。


 それでも、まだ動く。


 鉱物が擦れる音が激しくなる。


 ――これでは足りない。


 アリンはそう判断した。


 ここで初めて、彼女は“それ”を使った。


「君たちに見せてあげるわ」


 ここで指導の体を取るアリン。

 そこには積み上げた経験から生まれる余裕が感じられる。


 アリンの内側を、何かが巡る。


「レンジャーの特権……碑術(ひじゅつ)をね」

 

 それは羽織る、という感覚だった。


『 転衣(ホルダーコート) 』


 内側で巡っていた何かが、体外で具現化する。


滑衣(スリップコート)


 空気が彼女の背に重なる。

 布のようで、布ではない。


 柔らかくはためく、外套である。


 その存在が顕れた瞬間、坑道の空気が変わる。


「……碑術?」


 アシュアの問いに、アリンが答えを出す暇はない。


 鉱獣の爪が再び振り下ろされる。

 だが、外套に触れた瞬間、力の向きが歪んだ。


 体制を崩すように、鉱獣がよろめく。


 衝撃が逃がされたのだ。


 その一瞬の隙を、見逃さない。

 アリンは踏み込み、外套が揺れる。


 次の一撃は、明らかに違った。


 衝撃が、内部へ通る。


 鉱獣の体内から、砕ける音がした。


 その瞬間――アシュアの脳裏に、教会での光景が重なる。


 老婆が使った、あの不思議な力。

 煌めく光の粒が、老婆の周囲に顕現したあの光景。


 そして、消失したあの瞬間。


 やり方は知らない。

 意味も分からない。


 だが、アリンが口にした碑術(ひじゅつ)という力。

 おそらく、それが答えであると直感した。


 アリンの最後の一撃で、鉱獣は崩れ落ちた。

 動きが止まり、侵食の広がりも止まる。


 ゴロゴロと体表の鉱石が剥がれ落ちる。

 肉と石が、血液であった濁った液体に塗れていた。


 こうして、処理は完了した。


 アリンの外套は解けるように霧散する。

 坑道に静けさが戻る。


「……終わった?」


 リンレイが慎重に言う。

 アリンは答えず、視線を奥へ向けていた。


「……いや」


 アシュアも、何となく気づく。

 静かすぎる、と。


 そして――先ほどとは、違う音が届く。

 石が擦れる音が、一つではない。

 闇の奥でいくつもの気配が蠢いている。


「もしかして……」


 リンレイの顔から血の気が引いた。

 アシュアはゆっくりと息を吸う。


「……一体だけ……じゃないみたいね」


 アリンの声が、低く落ちる。

 だが、そこに焦りはない。


 少しずつ、奥から伸びる重くるしい影。

 先ほどよりも激しく、不快な音を立てている。


 終わりではない。

 これは――始まりだ。


「大丈夫よ。任せなさい」


 アリンの神経は、既に闇の向こうを捉えていた。

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