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2-2 合意の証

 斬は静かに言った。

「我々はこの裁判で、彼の“声なき主張”をどう扱うかを問われている。お前たちが信じる契約とは、果たして言葉だけか? 外見だけか? それとも、意志の交換を内包する行為そのものか?」


 ヴェルネの目が、斬の言葉に微かに揺れた。

「……証拠がすべてとは思わぬが……」彼女は口を開いた。

「だが、その符号形式と記録、そして詩の補助が重なるならば——“制度”としての検討には足りる」


 斬はにやりと笑った。

「結論を出すのはまだ早い。だが、法廷の意義はここにある。声を持たぬ者の名誉を、制度が引き受ける。それが……法という名の希望だ」


 どよめきが広がる中、ヴェルネが静かに腕を組み、斬に問いかけた。

「その様式が一致しているとして……形式の一致は証拠になりうるのか?」


「形式の一致“だけ”では不十分だろうな。だが、そこに当人の行動が重なれば、話は変わる」

 斬は言い切った後、背後に立つティオを見た。彼は相変わらず何も言わない。ただ、目を大きく見開いて、斬を見つめていた。


「……ということで、証人を呼ぼう。契約成立の“行為”を見ていた者がいる」


 証言台に立つ少年の足が、震えていた。だが、その背中には覚悟があった。

「ぼ、ぼく、見たんです。あの妖精さん……喋らなかったけど、ちゃんと、言ってたんです。手とか、目とか、動きで」


 広場にざわめきが走った。村人たちは顔を見合わせ、誰かが「幻でも見てたんじゃないのか」と小声で囁いた。だが斬は、少年に一歩近づいてから、柔らかく問いかける。

「君の名前は?」


「ユルっていいます。あの、村の南の、鍛冶屋の息子です」


「いいぞ、ユル。さて、君が“言っていた”と感じたその瞬間を、できるだけ詳しく、教えてくれないか?」


 ユルは唇を噛んだまま、数秒の沈黙の後、小さく息を吐いた。

「……あの妖精さん、荷物を背負った時、運転手のシュフラさんに、ぐっと親指を立てて見せたんです。シュフラさんも、笑って、袋をぽんって叩いて」


「つまり、無言のやりとりで、意思疎通をしていたと?」


「はい。あと、あの妖精さん、道で倒れた時に、袋の中身を抱きかかえるようにして……それで、落とさなかったんです。あんな風に……ただの命令でやるとは、思えなくて……」


 ユルの声が震え、目元が赤くなる。彼の肩が、ほんの少し揺れた。

 斬はそれを見て、静かに頷いた。

「ありがとう、ユル。……君の言葉は、ただの証言ではない。制度が、“声なき意志”をどう受け止めるかを試す、試金石となる」


 斬はゆっくりと観衆の方へ向き直る。

「制度とは何か? それは、“声を持つ者だけのもの”ではない。むしろ、声を持たない者の意志をこそ、どう拾い、記録し、守るか。そこに制度の誠実さが試されるのだ」


 その瞬間だった。

 フィニアが、ふわりと風に乗るように歩み出た。小さな妖精の手に、詩文がきらりと光った。

「——証言、詩にします」フィニアが目を閉じ、広場の上に浮かぶ記録台に向かって、詠じる。


《声なき者が、運んだ荷物。

 彼の歩みは、契約の重さ。

 言葉はなかった。

 けれど、真実はあった。

 それは誰の目にも届かなかったが、

 一人の少年が、それを見ていた》


 風が、言葉を運ぶように舞い、詩の余韻が群衆の心に染み込んでいった。


「これが……記録?」

 誰かがつぶやいた。


 斬はそれに応じるように言う。

「そうだ。制度とは、声のある者のためのものではない。記録と証拠によって、声なき意志にも光を当てるためのものだ」


 ヴェルネが斬を見た。彼女の瞳には、かすかな躊躇と、それを押し殺すような硬さがあった。

「それで……“合意”と認定するのか?」


「行為による同意。ジェスチャーと応答。記録された詩文と、取引符号。それに、第三者による目撃証言。総合的に判断すれば、契約の成立可能性は極めて高い」

 斬の声音は、理性と情熱を同時に宿していた。


「……声がないからといって、意志がないとは限らない。それを立証するための制度でなければ、法は“剣”と変わらん」


 観衆の中から、ひとりの老人が唸るように言った。

「だがなぁ……言葉がなければ、誤解もする。契約ってのは、はっきりと口でやり取りすべきもんじゃねえのか」


 斬は、ふっと微笑んだ。

「同感だ。だがそれは、“理想”の話だ。制度とは、“理想だけでは守れない者”を守る盾でもある。……この世界には、“声を持たぬ者”も、“発語できぬ者”もいる。それらすべてを切り捨てるのか? それが制度と呼べるか?」


 老人は、黙った。


 こよみが、背後で小さく呟く。

「……あの子が、喋れない理由なんて、誰も知らないのに」


 ヴェルネが横目でこよみを見た。

「理由に関係なく、意志は存在すると? それを立証するのが……」


「そう、制度の仕事です」

 こよみは正面から答えた。


「彼は、声ではなく行動で意思を示した。記録官がそれを詩に、証人が証言に、そして法がそれを認めるなら——きっとそれは、制度の始まりです」

 こよみの言葉に、斬は一瞬だけ目を細めた。


 そして、静かに、観衆の方へ向き直る。

「我々が、今ここで証明しているのは、たった一人の妖精族の少年の“正しさ”ではない。“制度が声なき者を包み込めるか”という問いへの、初めての答えだ」


 空に浮かぶ魔導石板が、ほんの一瞬、白く光った。


 ティオは、その光をじっと見つめていた。彼の唇は相変わらず動かないが、その胸が、少しだけ膨らんで、すぐに静かに沈んでいく。それはまるで——息を、深く吸ったかのように。


◆◆◆


「お集まりの諸君。いま、明らかになったこの“禁印”の存在は──この裁判を、もはや村の事件では終わらせない」

 空気が張り詰めた。村長すら何も言えず、口を噤んだまま契約書を見つめている。


「この禁印は……かつて、王都の財務局で使用されていたが、制度改正と同時に“廃印”として破棄されたものと聞く」


 斬は語る。

「だが、そのはずの印が今、ティオの荷物に混ざってこの村に流れ着いた。誰が? なぜ? どうやって? 我々は、いま“制度のほころび”を目の当たりにしている」


「待て。た、ただの偶然ということは……」

 村の長が震える声を漏らした。


 斬はぴたりとその言葉を断ち切るように言った。

「偶然にしては、出来すぎている」


 彼は証拠品の入った箱から、小さな銀色の塊を取り出した。問題の禁印である。

 斬がそれを高く掲げると、光を反射して会場全体に鈍い輝きが拡がる。

「この印章を持っていた者が、たまたま妖精族で、たまたま言葉を持たず、たまたま契約を巡って詐欺の疑いをかけられ、そしてたまたま──この地で裁かれようとしていた」


 その声には、確信と苛立ち、そしてかすかな諦念が混じっていた。

「だが偶然は、重なれば必然となる。だからこそ我々は、いま問わねばならない。“この印がなぜここにあるのか”ではなく──“なぜ、このような事態が繰り返されるのか”を」


「……繰り返される?」

 こよみが、無意識に呟いた。


 斬はうなずく。

「我々がいま見ているのは、“声なき者”ティオの契約だけではない。彼の背後にある、この国の制度の影──つまり、“王国そのものの法の不整合”だ」


「制度の、影……」

 村人たちがどよめいた。だが斬の声は、揺るぎなく続く。


「この事件を軽んじれば、この国の誰が信用されなくなるか……それは、王であり、役所であり、記録そのものだ。だから我々は、ここで線を引く。“この件に向き合う制度こそが、この国の信頼に値する制度”だと示すのだ」


「でも……この件が本当に、王都と関係しているのなら……どうするつもりなんですか?」

 恐る恐る手を挙げたのは、村の薬師だった。初老の女性で、過去にティオに薬草の配達を頼んでいたという人物だ。


「王に逆らうつもりは、ありません。でも、王の名前を偽って悪用している者がいるとしたら……そんな者に私たちが、裁きを下す力があると?」


 斬の視線が、その問いを静かに受け止めた。

「ありません」

 場が凍った。


 だが、すぐに斬は続けた。

「我々は──王を裁くことは“まだ”しない。だが、“王に成りすました何者か”に対して、真実を問うことはできる。そして、それを制度の力で明らかにすることはできる」


「……それは、正義ですか?」

 その問いに、斬は一拍置いて応えた。


「いや、正義ではない。“誠実さ”だ」


 沈黙が広がる。

 フィニアが静かに記録の光を走らせた。そして詩のように呟く。


《声を持たぬ者が、

 訴えることもできず、

 記録されることもないならば──

 それは、この国の歴史に

 存在しなかったことになる》


 村人たちが息を呑んだ。

「でも彼は……『居た』んです。契約した。働いた。黙って運んで、信じて、そして今──裁かれている」

 その言葉に、ティオの肩が小さく震えた。彼の手が、ただの石のように握られていた契約印をきゅっと抱き締めた。


 斬はフィニアの詩を継ぐように、言葉を置く。

「制度とは、力ではない。支配でもない。無力な声を記録し、それを誰かが読み返す。その繰り返しこそが、社会という記録だ。だからこそ我々は──この事件を記録に残す」


 ティオの目が、初めて斬をまっすぐに見た。その沈黙は──確かな、合意の証だった。

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