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1-4 異邦の弁刃士、王都へ

 裁判が終わり、コルマール村に夜が訪れる。

 かつての決闘場は静まり返り、村人たちはぽつぽつと帰途についた。夕闇に沈んだ空には、星がひとつ、またひとつと瞬き始めていた。


「……やり遂げた、って顔してますね」

 こよみが斬に話しかけた。裁判後の余韻がまだ空気に残っている。


「やり遂げた? そんな甘い言葉は六法には載っていない」

 斬は手にしていた判例ノートを軽く振り、言った。口元には皮肉の笑み、だがその奥に宿るのは疲労と、ほんの少しの達成感。


 フィニアが隣に座っている。小さな身体を揺らしながら、記録の光素を撫でるように収めていく。

「風が、変わりました……言葉が裁いた記録は、風に乗って、みんなの心に吹き込みます」


「詩人だね、君は」

 斬はつぶやくが、その声はどこか優しい。


 だが、平穏は長く続かない。


「先ほどはありがとうございました。それで、あのう……アロン村長が……呼んでます」

 レイがミリアとサリアとログの4人で斬の元を訪れた。村の長老と数名の年長者たちが、村の集会所に斬たちを招いたのだった。


 囲炉裏の火音が響く集会所。


「掟を破り、話し合いで裁いた。それで納得していない者も、おる」

 アロン村長の言葉に、場が緊張する。


「……しかし、正しかったのはお主のやり方だとも思う」

 その曖昧な評価が、逆に村の迷いを映していた。


「次に争いが起きたとき、我々はまた、あの“法廷”を開くのか? それとも、掟に戻るのか?」

 その問いに、斬はすぐには答えなかった。


 かわりに、囲炉裏の炎を見つめながら言った。

「人は変われる。だが、制度がなければ、変わった人間すら戻る」


 こよみが静かに頷く。

「『制度』、ですね。ひとつの枠組みが、未来を縛るのではなく、未来を保証する……」


「だが、あの裁判の場は仮設だった。証言台もなければ、陪審もいない。記録官は……」


「います」


 フィニアがすっと手を挙げる。

「私が、記録します。風と光と、言葉の全てを。だから、続けましょう。法の場を」

 その声音は、小さくも、確かだった。


 村長たちは顔を見合わせた。


 そして──


「ならば、次の争いが起きたとき、再び頼もう。異邦の弁刃士殿」


 斬は目を細め、口角をわずかに上げた。


 村の広場の一角に、粗末ながらも温かみのある長机が並べられていた。

 木製の椅子には色とりどりの布が掛けられ、地元の村人たちが焼き上げたパンや、香草に漬けた獣肉のロースト、奇妙な紫色の根菜スープが湯気を立てている。


「今日のお礼と言ってはなんだが、弁刃士殿は何も食べておらんだろう?」


「これが……歓迎の料理?」

 こよみは、箸の代わりに手渡された木のフォークで、銀色の殻に包まれた小動物の丸焼きを突きながら、そっと斬に視線を送った。


「口に入れてみなければわからない。食とは文化の法だ、未知への裁定は一口から始まる」

 斬は平然と、トリとウサギの中間のような小動物の頭部をかぶりついた。


「うわあ……やっぱり先輩、変わってます……」


 こよみは苦笑しながらも、恐る恐る根菜スープをすくう。

「……あれ? 意外とおいしい……甘いのかと思ったら、ピリ辛?」


「コルル草の根よ。夜に掘ると辛味が強くなるんですって」

 隣でスープをすすっていたフィニアが、さらりと解説する。


「それにしても、お二人のおかげで村が救われてよかったですね。記録官としても貴重な事件でした!」


「うむ、正義とは勝者の記録に残る」

 斬は赤ワインのような液体を口に含みながら、どこか遠くを見るようにつぶやいた。


「……村長、この国の王都とやらには、国王がいるんだったな」


「そうだ。ヴァルクラッド王国の王都ゼルグラードには、エドリック国王陛下と貴族たちが集まっていて、たまに“布告の儀”を開き、法典を定めている。貴族ごとに領地法もあるからな、ちょっと混乱気味だが」


「王が法を掲げ、貴族が私法を持ち寄るか……ならば、俺が語る番だな」


 斬は椅子から立ち上がり、胸元の法の書をそっと叩いた。

「無秩序を正したければ、頂点に登って話すのが一番早い。王に会いに行くぞ」


「えっ、ちょ、急に王様に会うって……無理じゃないですか、先輩!」

 こよみが慌てて立ち上がる。


「そんな簡単に会えるわけ──」


「なに、王が会えぬというのなら、それは王の敗北だ。私は法廷の論理で、どんな玉座にも届く」


「先輩、それギャラ請求と同じくらいムチャな理論ですよ……」


「ゼルグラードへはパルミナの辺境を通って、グラデルンの渓谷を鉄道で超えるのだから……このコルマール村からは……かなり遠いぞ」

 村長のアロンが目を丸くして説明する。


「まあまあ、ゼルグラードは賑やかで楽しいところですし、私は記録もできますし、行きましょう!」

 フィニアはスプーンをくるくる回しながら楽しげに微笑んだ。


 夜空に星が瞬く頃、食卓に集った笑い声と香ばしい煙が、コルマール村にひとときの平穏をもたらしていた。


◆◆◆


 ──翌朝。


 幼い子どもたちがもの珍しさに質問を浴びせて来るのに対して、法条斬はしばらく言葉を揺らした。

「元々大声で言い合うことはないさ。悪いやつらがまず大声を出して、そして、誰かを打ち詰める。そんな演劇には、もう付き合わなくていい。今の私たちは、言葉と理由で、この世界を組み替える。そういう時代だ」


「せんせい、もっとお話しえてっ」


「もうすぐ勉強の時間だろう。その前に、お父さんやお母さんの家事を手伝ってあげなさい」


「私、思ったんです。現代世界の法律って決まり事を、この異世界で使えるのかなって……でも先輩、ちゃんと幼い子供たちにも、斧を持った大人たちにも等しく話が出来た。そこがやっぱりこの仕事好きなんだなぁって」


 こよみの朝日のような笑顔に、斬はもったいなくも顔を笑わせる。

「それを理解してる人間は、少ないぞ」


 斬たちはコルマール村の人々に見送られ、ヴァルクラッド王国の王都ゼルグラードへと向かった。

 静かな好天の朝。コルマール村にとっては昨日と違う清々しい朝なのだろうか。斬はフィニアの横に並び歩き始める。


「なあ、フィニア。ひとつ聞かせてくれ」


「はい?」


「なんで、記録詩官なんて仕事を選んだんだ? 君みたいな子が、戦場みたいな裁判に身を置くのは、楽じゃないだろう」


 フィニアは小首を傾げると、目を細めて火の揺らめきを見つめた。

「……もともと中立法国パルミナは詩的な法律を運用していますので。そこで私は記録詩を学ぶ法学の生徒なんです」

「詩は、消えませんから。言葉は流れますけど、詩にすれば残る。いつか、“声を持たなかった人”の証明になる気がしたんです」


 詩的な語り口で語られるその想いに、斬は静かに頷いた。

「いい志しだ。“証拠”も、“法”も、結局は“記録”の形で積み上げるものだ。君の言葉は、きっと未来を照らすだろう」


「……ふふふ。斬先生に褒めらると、ちょっと、うれしいです」

 頬を染めてフィニアが笑ったその瞬間。


「ちょ、ちょっと待ったあああああああっ!!」

 ふたりの会話に、こよみが飛び出して来た。頬をぷくっと膨らませている。


「な、なんですか、先輩!? いまの、“ほめ殺し”ってやつじゃないですか!? ていうか、何ですかその“君の言葉は未来を照らす”って……先輩も詩人ですか!?」


「……ああ、気にするな。自然と出ただけだ」


「だからその自然が問題なんですよ! なんでふたりきりで先に歩くの……っ!」

 こよみが詰め寄る横で、フィニアはにこにこと首をかしげた。


「こよみさん。どうして怒ってるんですか?」


「怒ってない! これは……警戒ですっ!」


 空に美しい鳴き声の鳥が数羽、斬たちと同じ方向へ飛んで行った。


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