訪問者は突然に
春の陽気が村に流れ込んだある日。
カイルは相変わらず研究小屋で何かを爆発させ、リナはその後始末に追われていた。
——そのとき。
村の門に、見慣れない影が一つ。
馬にまたがり、黒い外套を風にひるがえした青年が、ゆっくりと村に入ってきた。
その背には、大きな革のリュックと、どこか高級そうな魔導書がぶら下がっている。
門番の村人が慌てて駆け寄る。
「お、お客人!? どちらさまですかな……?」
青年は涼しげな目で村をぐるりと見回し、やや面倒くさそうに口を開いた。
「……この村に、魔法を使わずに便利道具を作る変人がいると聞いた。そいつに会いたい。」
門番が顔を見合わせる。
「ああ……カイルのことですな……」
青年は馬を降り、外套の裾を払って不敵に笑った。
「カイル……面白い男らしいじゃないか。」
——その頃。
研究小屋の前。
爆発音と鶏の鳴き声にまみれて飛び出してきたカイルとリナ。
「おい! 鶏がまた自動掃除機に乗ったぞ!!」
「だから言ったじゃないの! 鶏に車輪は無理だって!」
そこへ。
コツ、コツ……。
革靴の音が、爆発と喧騒の中を切り裂く。
カイルとリナが振り向くと、馬を繋いだ青年が、ゆったりと二人に近づいてきた。
「……よう、君がカイルだな?」
カイルは煤だらけの顔で、怪訝そうに眉を上げる。
「……誰だお前?」
青年は口の端を吊り上げ、すっと手を差し出した。
「俺の名はアレク・ヴァレンティア。
便利道具の噂を聞いて、君に興味が湧いてね。
——俺にも、その頭脳、少し貸してもらおうか。」
カイルとリナの、村だけの小さな冒険に。
外の世界の風が、初めて吹き込んだ瞬間だった。研究小屋の前。
カイルとアレクが、試作装置を前に火花を散らすように議論していた。
「だからこの回路じゃ熱が逃げるって言ってんだろ! お前の理論じゃ効率が悪い!」
「へぇ、じゃあ君の作ったコレは? 昨日爆発したんじゃなかったっけ?」
リナは二人の間を行ったり来たりしながら、冷や汗をかいている。
(……これ、仲良くなるのかな……?)
——その夜。
カイルの小屋の外で、リナとアレクが月明かりの下で小さく話していた。
「……ねえ、アレクさん。」
「ん?」
リナが真剣な目で問いかける。
「どうして……わざわざこんな村まで、カイルに会いに来たの?」
アレクは小さく笑って肩をすくめた。
「……君たちは知らないんだな。外の街で何が起きてるか。」
リナの眉が寄る。
「……何が起きてるの?」
アレクは少しだけ声を潜めた。
「——君たちの村のように、魔法を失って混乱してる場所は多い。だが……その混乱を逆手に取って、人々を支配しようとする連中がいる。」
「支配……?」
「人々が魔法の代わりに頼れるのは、新しい技術と……それを操る権力だけだ。
便利道具を作れるカイルは、やがて大きな力にとって利用価値のある存在になる。」
リナの胸がひやりと冷たくなる。
「まさか……カイルが……」
「俺は……利用するつもりはないさ。だが……守れるかどうかは君たち次第だ。」
アレクは、月明かりの中で真剣な瞳をリナに向ける。
「——この村は、外の陰謀に飲まれるかもしれない。
カイルの発明が、この世界を変えるならな。」
リナはぎゅっと胸元を握りしめた。
(……カイル……お願いだから……無理しないで……)
村の外の陰謀は、すぐそこまで忍び寄っていた。夜の研究小屋。
カイルは設計図を広げたまま、椅子に座り込んでいた。
その向かいで、アレクは窓から外を見やりながら、低い声で語り始めた。
「……なぁ、カイル。」
「んだよ、まだ理屈が気に入らねぇってのか?」
「いや……そうじゃない。」
アレクは背中越しに振り返り、その瞳をカイルに真っ直ぐ向けた。
「俺はお前に伝えに来たんだ。……この村の外で、何が進んでるかを。」
カイルの手が、設計図の上で止まる。
「……なんだよ、それ。」
アレクはゆっくりと言葉を選んだ。
「——魔法を失った人々は、便利さを渇望している。だが、その渇望を逆手に取って、権力を握ろうとする連中がいるんだ。」
「……権力?」
「魔法に代わる技術を独占し、管理し、売りつける。自分だけが『便利』を持っていれば、人は逆らえない。」
カイルは鼻で笑った。
「……くだらねぇな。そんなことおれには関係ねぇ。」
「いや、ある。」
アレクは一歩近づき、机を叩いた。
「お前の頭脳が、彼らにとって最大の宝だ。
このまま無防備に発明をばら撒けば、いずれお前自身が——奪われる。」
空気が張り詰める。
カイルの笑みが消えた。
「……奪われる、って……おれを誰かが攫うってか。」
「攫うか、殺すか、籠の鳥にするか……選ばせてはくれない。」
沈黙。
机の上で、カイルの拳がゆっくりと握りしめられた。
「……なあ、アレク。」
「なんだ。」
「おれは便利を作ることしかできねぇ。人を殴る剣も、魔法もない。」
視線を逸らさず、カイルは低く吐き出した。
「それでも……おれは誰の犬にもならねぇ。
おれの発明で、誰かが人を縛るなら——ぶっ壊してでも止めてやる。」
アレクの口元に、わずかな笑みが戻る。
「……いい目だ。」
小屋の外では、リナが息をひそめてその言葉を聞いていた。
(……カイル……)
カイルの決意は固まった。
しかし、その先には——いよいよ世界を巻き込む戦いの火種が待っていた。春の暖かさが戻った村。
一見すると穏やかな朝だった。
だが、村の外れ、古い小道の影で。
数人の黒装束の男たちが、低く言葉を交わしていた。
「……確認した。この村にいる発明家……カイルという名だ。」
「本当に……? あの程度の村に?」
「……ここにいるのが不思議なくらいだ。
それだけに、連れて帰れば我々の手柄だ。」
木陰に隠れたその目は、鋭い獣のようだった。
——同じころ。
村の広場では、リナが市場の手伝いをしていた。
人々の笑い声が心地よい。
(……最近は、少しだけみんな笑顔になってきたな……)
そう思った瞬間だった。
「……あれ?」
視界の端に、黒装束の一団が通り過ぎる。
どこか異様な雰囲気に、リナの背筋がざわりと粟立った。
すぐに市場を飛び出し、カイルの研究小屋へと駆け出す。
「カイルッ!」
小屋では、カイルとアレクが新しい浄水装置を組み立てていた。
「どうしたリナ、騒がしいな。」
「黒い……黒い服の人たちが……村に……!」
その瞬間、アレクの顔色が変わった。
「……もう来たか。」
カイルの眉間に青筋が浮かぶ。
「……外のクソ野郎どもか。」
アレクはすぐさま窓から外を覗き、低く言った。
「リナ、カイルを頼む。絶対に外へ出すな。」
「え……?」
「お前は装置だけ作ってりゃいい。護るのは俺がやる。」
言い終わるより早く、アレクは小屋の扉を蹴り開けて外へ飛び出した。
——外では、黒装束の男たちがゆっくりと村を包囲しようとしていた。
カイルは歯を食いしばり、震える手で机を叩く。
「……おれが……おれのせいで……!」
リナはカイルの手を取って、強く握りしめた。
「違う……カイルのせいじゃない……!
だから……必ず守る……私が……!」
カイルの発明が呼び寄せた闇。
小さな村が、嵐の渦中へと巻き込まれようとしていた——。