5.防衛本部宴襲撃事件.後半
___煙が手繰る。
その手に堕ちた、かつての英霊
綴る手に過ちは無い
全て手によって綴られる
同じ手に___。
『形骸化』
いつの間にか星が消え、月のみが灰色の空に微笑みを浮かべる。
その場は、異様に静まり返っていた。
掃討したと言えども、歪みが開いている限りマガ達は衰えを知らず雪崩れ続ける。いくら付近の霧を綺麗に拭い去ろうとも、影も形もなく綺麗さっぱり、とはいかないのだ。
「俺らが会議してる間に戦闘員が……にしては、誰もいないな」
難しい顔で荒れ果てた周囲を伺う甘音に、彼らも訝し気に頷く。いくら見まわそうが目を凝らそうが、まず障害物が取り除かれた見晴らしの良い戦場跡地に意味などない。そうでなくとも魔廻物の影響を受けて歪になった空間は、いわゆる超常現象が発生し放題のある種の無法地帯と化すのだ。
マガは黒い霧の形態をしており、そのカラダは『瘴気』そのものでもある。空間に対し多大な害を与え、具体的に言えば『法則を捻じ伏せる』ものだ。時間にしろ数にしろ、マガが一定以上とどまった場には一部の霧が本体から離れ瘴気が濃くなる。そしてそういう場は時間を失い、空間に欠落が生じ、重力からも切り離されるのだ。
ということで、彼らを取り巻く瓦礫の多くは幻想的に空中に浮遊していた。
はて、と夜行は時々不思議に思うことがある。この場は今現在、現実離れしている未知の領域だ。恐らく”幻想的”というのはそこから来るものなのだろうが、よく聞くのは未知を恐れ忌避するという論である。それは、単に己にとって危険かどうかによって決められるのかもしれないが、だとすればその大前提とした”未知”が意味を失くしてしまう。それは逆に言えば、意思の傲慢さが”未知”に溺れているという喜劇なのだ。何しろわからないものには憶測を立てるしかない。それが、知恵で生きてきた意思の唯一の手段だからだ。
しかし、手段は解決策ではない。故に、意思は八方塞がりの中あらかじめ『法則によって可能』とされたルートしか歩めないのだ。知恵は未知以上へ進めない。結局のところ、意思は未知に対抗する知見を一切持っていないのだ。
そんな風に感傷に浸るか物思いに沈むかしている夜行の横で、クオンが童顔に似合わなくとも冷静に状況を分析する。
「さっき楽刻が言った通り、作為的だよね。自然にしてはおかしな話だし、トランプからの情報を考慮すると……」
「鬼の可能性が非常に高いです」
気を遣ってでもなく言葉を濁したクオンに継ぎ、楽刻は無表情な青白い目を鋭く光らせて言った。
ぎょっとしたのは言うまでもないが、どうやら矛先は自分たちに向かないようだと踏んで首を縦に振る。
その時、僅かな違和感を感じ全員が上空を見上げる。赤い閃光が夜の大空を横断していた。
「流れ星……」
夜行の呟きに、ノイズは眉をひそめる。
「……今、曇ってへん?見えるか?…なんか、大きく…」
そして、目に映ったモノを認識し絶句した。肌が灼けるような熱風に襲われ、思わず顔を腕で覆う。月に青く照らされていた荒廃した大地が、ゆっくりと、しかし確実に__血のように赤く染めあげられてゆく。
「……燃えて!?」
ノイズがダガーを抜き楽刻が目に光を宿したその刹那、夢ツが音もなく前へ出た。二振りの半透明の刀が風を引き裂き、星よりも紅く炎を纏う。夜の帳を切り裂く『星』はもはや、災厄のように彼らへ急降下していた。
刀を構えたその瞬間、紅蓮の炎が爆ぜた。
獅子の咆哮のような風音が空間を裂き、凄まじい熱が押し寄せる。周囲を焼き尽くす勢いに髪が乱れ、眼前でフラッシュを焚かれたように白く視界を突き刺された。『星』が刀へ衝撃をぶつけた瞬間、世界が揺らいだ。風が爆ぜる。
その風圧は火傷で許されるようなものでなく、焼き射られるように、痛みそのもの。
それは恐らく、夢ツの炎ではなく『星』の纏う、天災の熱量。
金属の軋む音、限界一歩手前で何とかしのいでいるようにしか見えない。いや、実際そうだった。
___なんっちゅう圧や……ッ!!
体の芯やら関節やらが軋むのを感じつつ、全身に渾身の力を注ぎこむ。
平和ボケした身体には少々厳しいが、この狂気的な熱に耐えた上で全力を出せるのは、炎の使い手であり炎の宿主である夢ツしかいない。つまり、多少の無茶ぶりは仕方がない。
唐突に、ふっと赤さが褪せた。周囲が白く染まりだし、星から『赤』が消えてゆく、その次は。
……おーおー、どんだけやらせるんやお星さま?
内心の警鐘など既に越え盛大に舌打ちをかまし、現状引き出せる最大の炎を刃の交わる一点から噴き出す。その紅蓮で造り出した気流に炎を吹き、地面に対し垂直に、渦巻くような巨大な障壁を造り上げた。
__それは、炎そのものの砦。
炎の嵐は、限界を訴える様にギイギイと音を漏らしていた。この熱も圧も、後ろの連中にはかなり過酷だろう。が、なんとなくこの爆破寸前の『星』からは嫌な気配がし、それに構う余裕もなかった。
紅蓮の障壁が軋みながら絶叫する。その奥、純白に染まった『星』はもはや光の塊だった。赤を捨て、白へと昇華したその輝きは、神聖さすら魅せてくる。視界が焼かれるほどに、ただそこに“在る”だけで空間がひび割れるような明るさ。
まるで、それは破壊の本能で構成されているかのようで。
___一瞬、全ての音が静止した。耳鳴りが少しづつ近づく。
「逃げ」
刹那、天地が反転した。夢ツの警告の声すらも飲み込まれ、爆音を超えた白刃の閃光が星の炸裂を告げる。
昇華の開花、あまりに純粋が過ぎる破壊に炎が勢いを失いかけた。爆心から生じた衝撃が炎に畳み掛け、灼熱の炎も怒り狂ったように突如咲き乱れる。さながら炎の神が立ち上がるかのように障壁は城壁となり、勢いの主権を取り戻す。
明るい空間、光が光を上回って引き裂くような閃光を放ち、圧倒的な力同士が暴走の一途を辿った。
そう、もはや炎は夢ツの限界を超え、五大の尊厳を掲げ、死守し、目の前の偶像を排除しようとしていた。狂おしいほどに渦巻く熱量は、偉大な力の拮抗を結びつけ___……。
椿が堕ちる様に、あらゆる光は砕け散った。
徐々に夜が権力を取り戻す。
耳鳴りが酷く、焦げた空気に誰かの荒い息遣いが混ざる。真っ黒にざらりと煤に塗れた地面には点々と線香花火の色が残り、まるで今さっきの壮絶な”宴”の余韻を刻むかのようだった。
涼しい風が遠くへ駆け抜ける。月はまだ彼らへ優しく微笑み、光のベールを降ろしていた。その静かな光でなく、朝焼けのような過剰な残像が瞼の裏に焼き付いて離れない。
炎の威厳たる砦も、今は何も残すことなく身を引いていた。ただの光と熱でない。意思だった。激昂、高揚、傲慢、高潔、そして狂気的な自己愛の化身。
その大半を使い果たし、しかし夢ツは立っていた。
夜が空間を静寂に落とした。まるで彼らの混乱か憔悴ぶりに興味を示し見物しているかのように、雲の帳を断絶し星々が顔を魅せる。
新鮮な風がガラクタを動かし、炭になりかけた屋台の布をはためかせる。
「……大丈夫?」
甘音に熱風から庇われ、ほとんど抱きすくめられるようになっていた楽刻が、誰と言わず静かに口を開く。
「お前ら、火傷しとらんか?」
「俺は大丈夫……」
「おい夜行、無事かぁ~?」
「君が言うことじゃないよ……大丈夫さ」
「にしても、やっば…なんだったのアレ」
同じくノイズが庇っていたクオンも立ち上がり、あっけからん、へらりと笑む化物、夢ツに目をやる。彼でこの強大な力、なら夜行も凄まじい化け物なのだろう。
「夏賽サン、本当に何ともないんすか?アレで?」
「んぇ?なんや一級は心配性やねぇ、このとーりめちゃめちゃ元気よ~!」
にわかには信じがたい。事実なら恐怖すら覚えるが、これから先彼の逆鱗にだけは触れないようにしようと何人かは心から固く決意した。まぁ髪や着物が焦げたで済んだだけ万々歳である。
「そういえば、鬼は根性の生物と聞いたことがあるが…あながち間違いでもないようだ」
「おぉ~、ええこと言ってらっしゃるやん!せやでぇ、鬼は気合と胆力と力づくで大抵なんとかするもんや!あっは~!」
「それはごくごく少数派の血の気が多い奴の話だろ!俺らまで巻き込むな狐」
「え、ひどない!?俺今さっき命削ったんやけどっ…!」
「だーからッ!いっつもいっつも無理すんなつってんだろボケェ!冷や冷や越して心臓氷点下のこっちの身にもなれ!!」
「訳すと、助かったけど心配だから無理しないでということさ。このやり取りはいつものことだよ」
甘音の説教をくらう夢ツを夜行と楽刻は口角を上げて眺めている。驚いていた悪魔達に笑いながら説明をし、しかし真剣な目つきでさらに続ける。
「さて、やはり誰かが僕らを狙っているみたいだね」
「身の程知らずですね。トライアングルで裁判にかける余地すら無い」
「そりゃ同意だわ…つっても、その身の程知らずが何処かわっかんねーことにはな」
改めてあたりを見回すも、砂埃が勢いを加速したことしか変化はない。
と、突然夜行が視界から消える。
「……これは」
地面に点々と残っていた線香花火のような赤。てっきり飛び散った火花とでも思っていたのだが、かがんだ夜行の手を覗き込んでみると透明感のあるかけらが見えた。
「あ?それ宝石?」
驚いた甘音が付近を見渡し、同じ光を見つける。手に取って見てみると、それは確かに見覚えのあるものだった。
「ルビー…いやガーネットだね。宝石なら君達の能力にもあっただろう?ならやはり、鬼じゃないかい」
「そやねぇ、ならちょっと厄介やわ……パターンが多いんよ宝石は」
「それと、彼女たちは自尊心が非常に高く扱いが難しいんです。あそこまで力を引き出せるのは……かなり特異、と言いますか」
「へぇ、そうなんだ。属性ごとに違うんだね」
興味深そうにうなずくクオンに、甘音は宝石を凝視しながら補足する。
「そりゃちょっとばかり違うな。属性ごとで変わるというより、ソイツの能力と神々のお気に召したかどうかだよ。引き出せる力の大きさが本人の実力、精度と心身への負荷が神様方との結びつきであるわけで」
「神々は、この僕さえ遠く及ばない傲慢さと高潔さを持ち合わせているからね!所属したての子達を見ているとよくわかるよ」
「つまり、夜行さんのバージョンアップってことですね」
ただ恐ろしいのは、それに見合う実力を有しているということですと補足する。
「裁判は確かに要らんよな。そのまま処刑コースか」
「処刑、ね」
突然背後から聞こえた声に反射的に振り返る。
ゆらりと霧の中、黒い影が映った。いつの間にか警戒の雰囲気が漂い始め、足音と共に近づく影には鋭利な矛先が向けられていた。砂埃の奥から声が響く。
「処刑。お前達の遵守すべき道、絡繰り仕掛けの正義、一回性に基づく死刑。綯い交ぜられた台本にはどれも意味を成さない」
その鬼は水晶のように透明な太刀を片手に、端正な足取りでこちらへ歩んでいた。
「綴られたのは、崩壊はニヒリズムに起因するということ。自虐的な懺悔による提言を単なる台詞とし蔑ろにするか、選択肢と見るか」
ぐるん、と太刀を覆う赤い宝石は彼岸花のように輝いている。あの『星』と同じ、血のような色をしていた。
「形骸化した魂の巣窟、世界の蓋世……お前達の要望を兼ねる救済。それを___」
深い紫からこちらを真っ直ぐに見据える金色の瞳が覗く。肩には黒い狐の面がかかっている。背は高く、180㎝ほどに見えた。
「___灰神楽と呼ぶ」
しばらく歩いた後彼は立ち止まる。ぞっとするほどに白い肌、陶器のように月光を反射する無表情な顔。その目は何か気に食わないように曇っていた。
「……ケッタイな御託やねぇ、ほんでお前誰?こーんな有様じゃあ俺らを知らんとは言わんやろ」
そこら中に飛び散った瓦礫、崩れ半焼した屋台、無惨に砕けた楽器や壊れて火花を散らす機械。金銭的にかなり響くだけでなく、今日は宴だ。防衛本部どころかトライアングルに無関係の者ももちろんいるし、警備は厳重であったと言え苦情が来るのは火を見るより明らか。
協会を無断で避難先に指定したことを含め、先ほど夜行がクロヴンの提案を受け入れたのは正しかったようだ。人手不足も手伝って、多少のペナルティで済むだろう。
「そういえば……言ってなかったな。某は紫暮九炉、三千年前離脱した元特鬼」
各々武器を手に、顔を凍り付かせる。喉が麻痺し言葉にならない緊張感が背筋を這った。強張った視線が、感情を落としたような虚ろな瞳に注がれる。
わからなかった。それがどうマガの大量発生に繋がるのかも、何故彼がここにいるのかも、何故敵意を向けるのかも。
『喪失と英霊』
歯車が呟いた。
まるで深い深い海の底に、底がない海底に沈められたかのように心臓がひやっと凍り付く。
三千年前ということは、夜行の二代前の特鬼だ。一代前は『大厄災』の時に落命した。この遭遇はあまりに突然で、そして自分ではとても彼に適わないと直感で知った。その差は歴然だ。
日頃から、自信満々の夜行を目の敵にし嫉妬の視線を突き刺す者は少なからずいた。ソレを何とも思うことはなかったし、どうでもよかった。礼儀も品格も教養、技量、人望に頭脳も十二分に持ち合わせていることは自分でもよくわかっていたから、寧ろ彼ら自身に目を向けてあげられない彼らを哀れだとも、勿体無いとも思った。彼らは決して弱くはなかった。強くなりたいが為に己を追い詰め、責め立て、神経を擦り減らし高みへ這いあがってきた。その目に宿る魂の色は圧巻だった。
だが、それでは足りなかったのだ。彼らの向ける視線はせいぜい小石を投げつけるようなもので、それに比べるまでもなく紫暮の視線には鉛弾の威力がある。その瞳に、魂の色など綯いのに。
冷や汗が垂れる。
「……そうなるのも無理はないな。クロヴン、アンタは一度会ったことがあるだろう」
夜行から目を逸らし、心配の文字すら居所の悪そうな男に移す。彼は微動だにせず答えた。
「あぁ……あの青年かい。君の笑顔はまさに接客の鏡だったね。上辺の人当たりはとてもいいけれど、腹の内では毒蛇がとぐろを巻いている」
「アンタは相変わらずか……。まぁ、らしくて結構」
そう言うと、彼はその手の太刀を夜空に掲げた。青白い月そのものを透かした長い刀身はまるで、ダイアモンドのように繊細な輝きを放つ。今こそ赤黒く染まっていたガーネットが、色と形を徐々に失って砂になって風に流されていった。そして残光に成り代わるかのように、あるいは置き換えられるように濃厚な黄金が覗く。空間そのものがピシッと鋭い音を立て、一部の背景が立体的に剥がれた。朝焼けを吸い込んだかのような金色が完全に現れようとした時、彼らは迎撃態勢に入り、紫暮は口を開く。どこか冷たい口調で。
「さぁどうする。平和が続いて、腕が鈍ったなんてないだろうな」
その顔は逆光でよく見えなかったが、トパーズと同じ深く秘められた光が浮かび上がっている。
刹那、視界が閉ざされた。真っ暗だ。何も見えない。事態を理解する前には地面から激しい振動が伝わり、はるか上空からは雷鳴が轟く。臓物そのものを打ち振るわせられたかのような重い衝撃に、微かな眩暈を感じた。頭でも打ったのだろうか。その重低音とグロテスクな雷の咆哮がしばらく続き、やがて視界に見慣れた青白い光が射す。
頭上に煙が上がっていたが、それだけだった。クロヴンのトランプが何千何億と降り積もり、ドームのようにして八人を覆い隠していたのだ。紙片のように軽やかな無数のトランプが頭上を舞い蠢き、闇が崩れ、散らばり、最終的にクロヴンの手の中、一枚へと収束する。
「弱いね」
何も感じなかった。感情がこもっていない声、それが自分に向けられるような愚行は未来永劫忌避したい。
「千年以上の差は大きい。そのままじゃ、君は決して僕には勝てないよ」
「知ってるさ。アンタを本気で狙おうもんなら、姑息で卑怯かつ残忍な真似をする。ただ……」
その銃口が黄色く輝いたのを、夜行は野生動物のように敏感に感じ取る。
「現特鬼がどの程度かは興味がある」
次の瞬間、二人は刀身の光を残して消えた。
夜行は高く横に飛んだまさにその最中、はらりと白い刀で紫暮の深海のような刃を受ける。交差した刀身同士までもが睨み合い、互いを削り合っているようにも見えた。骨が軋むほどの凄まじい衝撃と重圧に地面に突き落とされ、しかし柄が悲鳴をあげるほどきつく握りしめる。大地に放射線状のヒビが入り、足元が少しづつめり込んでいく。
「サファイアだ。冷気がするか。一つ教えてやる、唐突な異常にはどこぞの狐のように対応しろ」
「ッ……!?」
その疑問の行く末なんて知らない。理解が追いつく前に反射的に紫暮の大きな刀を受け流し、飛散した火花と軽やかで甲高い金属音が空間を支配した。空中に浮いていた彼が羽のようにゆっくりと地面に降り立った瞬間、刀身から透明な光を覗かせる。海底の破片が夜行を襲い、ソレをそれこそ月のごとく光り輝く刀で正確に撃ち払った。石が尽きた頃には透明な光が目と鼻の先にあり、刀と刀の絶叫と風が空間を切り裂く。ギイィィッと刀が噛みつき、食い込む。
「これは、僕に対する宣戦布告かい?悪いけどね、僕だって生半可に特鬼になったわけじゃない」
「そう」
ただ一つ冷たい返事をし、その刀を再度冷気で包んでいく。先ほどの一撃で、それがこの身を蝕むまで少なくはない時間があるのはわかっていた。夜行は一度瞬きし、翡翠の宝石をその目に開花させる。
途端、周囲の瓦礫が龍のような螺旋状に連なって、紫暮へと矢のように衝突を目指す。
流石に凍らせたままだと危ういと判断したのか、紫暮は夜行と少し距離を取った。
「使役……。見たのは久しいな、精度も高い。確かに特鬼としては、十分だ」
「やっとわかったか!……いや、貴方は何をしに来たんだい?本当に」
少し呆れた顔で紫暮を見る。
何の予兆もなく奇襲し、おまけにマガを散々暴れさせた後意味不明の台詞を喋り続ける。何をしに来た、というより何がしたいのだ。そんな彼らの疑問を無視し、彼は夜行の瞳を真っ直ぐに射た。
「……お前は、迷ったらどうする。その位の器を満たす覚悟が、意味が、不死性に基づく現実への強要がわかるか?『無意味』だ」
「……無意味?」
「いつかは散る。いくら稀有な宝石も、相応の衝撃を加えれば砕ける。勿論生きている限り、できることはあるさ。宝石が何故美しいか?それは、大抵が希少だからだ。お前の仲間も同じだ。今はともかく、その結び切りは鎖となり、記憶の枷は外れない。奈落に叩き落され迷った時、その輝きは飛躍的に増幅し蜘蛛の糸ともなる。この矛盾が絆を形骸化し、最終的には離れてくのさ。『限りある死』、『駒としての殉職・殉死』、全てが虚無だ。歴史は繰り返される、心あるものは事実と私情、信念を綯い交ぜにし学ばないからな。なら、一体どうして意味がある?全ての儚い理想の為、そもそもを破綻させるのがお前達の辿る運命だ。自愛の尽きない自虐、エゴイズムの集大成が寄ってたかって身を滅ぼすのがお前らの願望で、閉ざされた未来だ。違うか?黒咲夜行特鬼」
白いキャンバスに色を塗り、そして自暴自棄に白いペンキで食い潰す。これほど虚しい『一回性』に起因する感傷はあるだろうか。その点で、彼の懸念か疑問か苛立ちは間違っていないのだろう。
不愉快気な顔、しかしその目は虚ろでこびり付いた違和感が蠅の羽音のように煩わしい。
「……人間は、愛を知ると脳が酔ってしまう。ソレは理性を狂わせる麻薬のようなものなんだろうね。罪悪感が行動を縛り付け、いつ消えてしまうかと喪失に繋ぎとめる。夢、その一言で尽きるなら。あなたの言う『エゴイズム』の系譜に綴られるだろう。けれど、僕らはヒトという歪な存在の枠に囚われている限り何も失ったとは思わない。核心を突いたから生じる『感覚』、それが僕らを直感的に結び付けているからさ。だから無意味であっても、無意義ではない。駒であろうとトライアングルの道具であろうと、この提言は直接的な接点を持つ者にしか解からない。常識を捻じ曲げ、感情を歪ませ、正邪を忘れた人外故の第七感だ」
夜行の答えを静かに聞くに連れて、彼は眉間の縦しわを深く刻んでいく。何かが気に食わないのか、苛立つというより悩ましい様子だった。
「それは単純なロマンチシズムだ。先ほども言った『自虐的な懺悔による提言』の典型的な例他ならない」
「僕には貴方の虚無思想が理解できないね。わざわざ説得を試みる議論をせずともさっさと殺せばいい、貴方にはそれが可能だ。そしてそれこそ『一回性』でもある。この矛盾、貴殿の説く虚無を『形骸化』させているのでは?」
「話を聞いていなかったか?『生きている限りできることはある』と言っ」
「貴殿は英霊だろう!」
魂の籠もっていない色、それはすなわち魂がその身に亡いと同意義なのだ。
妙な現実感がおかしい。何かが相反し、彼の理屈を蔑ろにしていた。彼が僅かに口角をあげたように見えたのは、ただの『願望』だろうか。
「……よく口が回るな、しかし某は議論は嫌いじゃない。その言葉、次まみえるまで憶えておけよ」
そして彼らに背を向け、刀身に夜行の刀とは似て非なる白い輝きを纏わせる。
刹那、妙にきらきらと煌めく霧が発生した。透明な刀に虹色に輝くダイアモンド、それが淡く消えてゆく。
逃げられてしまう___!
「待ちたまえ!!紫暮元特鬼!」
その声が、彼に届くことはなかった。風で揺らめいた影は瞬間的に掻き消え、幻想的な霧も妙にあっさりと引き下がる。
いくら夜目が効く人外と言えど霧では何も見えないので、仲間を傷つける可能性を懸念し誰も現場から動いてはいなかった。
綺麗さっぱり霧が晴れたところで、楽刻とクオンは顔を見合わせる。
「……やっぱいないね」
「うん…」
そんな二人の様子をやはり子供だな、と眺めつつ彼らは一息ついた。
「にしても、波乱万丈なもんやねぇ……てぇ~か狐の面でキャラ被り嫌やな今度斬ろ」
「夏賽さん」
終盤の台詞を聞かなかったふりをし、改めて『星』の件の礼をしようと話しかける。しっかり者のクオンよりはるかに高く、そのくせ細すぎる体躯が余計に得体の知れなさを増幅する。おずおずと声をかける小さな悪魔に、夢ツは柔和に笑った。
「あ……改めまして、先ほどは誠にありがとうございました。今回の協会無断避難先指定に関する責任については、撤回していただきますよう、協会へ本件を報告させていただきます」
その言葉に夢ツは笑顔のまま顔面を凍り付かせる。
なんやこの子供こわ、それに尽きた。
「そ、そんな……そんなかたっくるしぃせんでもええんよ?楽刻みたいに夢ツさんでもええんよ……!?」
「しかし、そんなこと目上の方に」
「ああああやめてやめてせめて丁寧語にしてくれぇ!ちょ甘音!俺の周りの最年少怖ぁい!」
「おーうよかったな」
「クオン、夢ツさんは尊敬語アレルギー。比喩だけど」
「え、そうなの?」
「夢ツは昔からそうだね。自分はいいのに使われると鳥肌が立つとか」
「クロヴ~ン余計な事言わんで?」
「ええやんけ、クオンは優秀過ぎて全然頼ってくれんのやから」
「えぇ以外。じょーずに利用してそう思てたわ」
「ちなみにそれは楽刻輸入だね!いつもものの見事に口を滑らせては録音され脅迫ネタが増えるのがオチだ」
「へぇそうなんすか!な、甘音もネタ掴まれんの?」
「いんや?全酒が俺の手元から消える。脅迫どころか一瞬で実行されるから、その分……マシなのか?」
「こわ。夢ツお前、楽刻にどんな教育しとんねん」
「な~んもしてへんわ!しいて言うなら戦闘技術と質問に答えるくらいやし」
「ノイズは暗殺教えてくれますよ。みんないないときは先生役してくれるし」
「暗殺て……正々堂々やれやノイズ」
「は?クオンが危険な目にあったら嫌やもん無理」
「クオンと楽刻~、関西組放っておいてこっち来い」
甘音の声に、小さな二人はてくてくと集合する。
可愛い。兄バカでなくとも思う。
疲れも手伝って関西組の心臓が危険にさらされるが、無視した。甘音とライベリーは先ほどまで二人で盛り上がっていたのだが、この二人が目に入るなり呼びつけたというわけだ。
「はい、コレやるよキッズども。分けて食えよ」
そう言って二人から渡されたのは、紙袋いっぱいのベビーカステラだった。甘い香りが紙袋の中から漂い、幼い二人はたちまち喜色満面になる。
「ベビーカステラ!どうしたの、これ」
「宴中盤で、運のいい屋台の主人が急用で自宅に戻ったんだよ。無料で提供されたから、ありがたく貰ったんだ」
「俺も同じく。でその袋詰めてプレゼントフォー・ユーってわけ」
「そうなんですか。……いいんですか?」
「おう安心しろ、これ以上甘味を口にするとあの世コースまっしぐらだからな」
「っつーこった!なんならツーショ撮ってやろうか?」
からかう調子のライベリーに、クオンはそっぽを向く。楽刻はその横で軽く目を逸らした。
「あんま子ども扱いしないで!カステラありがとうだけど!」
「全くです」
「そうだよ、僕より身長あるんだから」
「だよね!?だから甘音さんも悪ノリしないで……え?」
「「誰!?」」
「「ウル!?」」
そこには、灰色の髪のウルがにっこりと微笑んでいたのだった。
ちなみにカステラは原本じゃ『夢ツが礼を述べたクオンに、目線を合わせて飴を渡す』でした。こっからウルも生えてます。あと、夜行と紫暮の議論は原本では四行でした。
来週もお楽しみに~