17裏話.早朝の訪問者
冬といえば怖い話ですよね。(怖くない)
壱鬼の屋敷は、秋田県北部の山里近くにある。
のどかで自然豊富、ご近所さんとの付き合いも順調。広く晴れ晴れとした碧空に、きらきら輝く棚田。道端には猫が日向ぼっこをしており、近くには必ずお地蔵さんがいる。
それは早朝4時のこと。
鬼は人間と同じく毎日の睡眠が必要なので、四人は各寝室で静かに眠っていた。風の音さえしない穏やかな時間、ソレは突然鳴り響く。
コン コン コン
玄関のガラス戸を叩く音。
やけに落ち着いたリズムで、どこか不気味な響きを持つ。
眠りの浅い甘音はその音でふと目を覚ました。
「……」
コン コン コン
黙っていると、またノックが鳴る。先程と全く変わらないリズムで。
「すみませーん、朝早くに」
その瞬間、女の声がした。何処にでもいるような、30代くらいの女性だ。
この屋敷に返事をするものはいない。
しかし、怯える存在は居る。
「子供が転んでしまって、困ってるんですよ」
甘音は溜息を吐き、静かに起き上がった。去る気配が無いので動くしかない。
(さっむ……もう冬だなぁ、そろそろコタツ出すべきか……)
「すみませーん、少しだけでいいので」
(冷えると夜行も起きなくなるしな……めんどくせぇ。この家27歳児しかいねぇのか)
「すみませーん、開けてくれますか」
戸の音が響くと面倒なので廊下を幾つか迂回する。寝室から玄関までは少し遠いので、布団の温もりはすっかり拭い去られてしまった。
空はまだ暗く、廊下も闇に静まり返っている。開いた襖から部屋の中に、放置されたケトルが寂しげに佇んでいた。終わったら片付けておこうか。
(あ、そういや昨日鍋食いてぇとか言ってたな。最近してないし今日はそれでいいか、材料あったっけ)
「すみませーん、少しで大丈夫なので」
玄関に辿り着き、甘音は立ち止まる。ガラス戸の向こうには黒い影がぽつんと立っていた。
身長は甘音よりやや低い。が、あまりに輪郭がはっきりとしている。
普通、他所様の玄関にピッタリと張り付いてノックなどするだろうか。
第一訪問時間がおかしい。田舎なので散歩くらいはするだろうが、子供連れの母親がこの奇行などありえないのだ。
そして、この屋敷にはインターホンくらい付属している。人の文化を生半可に噛んだ結果がこの体たらくだ。
最近巷で騒がれていたのは、こいつの所業か。
返事をすれば招いたことになる。扉を開くなど論外だ。一応此方は鬼なので一介の怪異が鬼の家に突撃していることになるが、手練の可能性がある。
甘音は何処からとも無く、紫音に光る刀を抜き払う。
突如、戸が開いた。
ように見えた。
顔に三つ、虚ろな穴が空いている。口に見える部分は長く引き伸ばされており、何かを吸い込むような相貌をしていた。埴輪のようにも見えるその身体は白く、胴体もずんぐりむっくりしている。
「あ、何だ魂抜き屋か。生憎だが此処に人間はいねぇぞ」
甘音がそう言うと、その怪異は梟のように首を回転させた。しばらく回ると、甘音の方に虚ろな穴を向ける。
「……人間ですか?」
女の声。
知能はさほど高くないようだが、怪異の己を見て逃げない甘音に疑問を抱いたようだ。人間はいないというのも理解したはずだが、全く執拗いものだ。
「鬼だ。いい加減にしねぇと取って食うぞ」
ちなみに物好きな職員の中に、怪異料理を研究している者がいる。仕留めて受け渡せば、それは喜ぶことだろう。
怪異は呆然と甘音を凝視する。いくら魂抜き屋が珍しいとは言え、流石に飽きてきた彼は視覚的に消していた角を現す。艶やかな漆黒のそれは般若と似ており、甘音のクリーム色の髪によく映えていた。
途端、怪異は姿を消した。
戸は閉まらずに、閉じた扉が姿を現す。
元々開いてなどいない。そういう幻を相手と己に見せただけだ。
幻の内容は『扉を開ける』こと。鬼が使うそれは決して幻覚などではなく、一時的に現実を捻じ曲げる術を指す。
そして術者、いや能力者として頂点に立つのが甘音だった。
「よし、二度と来んなよ。見てくれが良いからって襲ってくんな。もっとチョロそうなとこ狙え」
そうボヤいて、甘音は寝室に引き返して行った。
「……あっ、ケトル」
怪異は恐怖を好む。通常であればこの屋敷は対象外所か忌避されるのだが、1人だけ『おばけ』を苦手とする者がいた。彼が来てからは、頻繁に訪問されるのだ。
(楽刻起きてるよな〜、クソしつこかったしなアイツ。マジで一生来んな)
台所でお湯を沸かせながらぼんやりと考えていると、ガツッと頭部に衝撃が入った。
「うぇッ。あ〜、角消し忘れてら……」
うっかり棚にぶつけたらしい。今度こそ角を消すと、甘音は頑固なケトルの蓋と格闘を始める。
防衛本部でも、角を顕現した状態で過ごしている鬼は稀だった。何故なら邪魔だからだ。
地味に重い、そこかしらに当たる、そして結構痛い。決め手は、角は特に意味を持たないということだ。つまりただ存在感デカい飾りということである。
鬼は天使や悪魔と比較すると、物理的な存在に近い。超自然とは縁が浅く、驚異的な身体能力でカバーしているようなものだ。それに加えての自然操作は、鬼をトライアングルの一角から除けない大きな理由である。
そして何より、数が多い。トライアングルの中でも防衛本部職員は、他の1,5倍ほどだ。
それを含めても、楽刻という幼い存在が壱鬼に就いてしまった。甘音にとっては未だ理解に苦しむ問題だ。
確かに、本部は保護施設ではない。使える者は全て使う、例えそれが幼子の命であってもだ。融通は利いても容赦が無い。
それ故に、夢ツという危険因子を野放しにしている。彼は本部そのものになど雀の涙ほどでさえ情がない。いざとなれば簡単に裏切るだろう。そんな彼を任務課壱鬼として置いているのだから、上も何考えてるか分かったものじゃない。
そして夜行。彼に関しては特筆すべき注意点も何も無い。ただ完璧な27歳児である。だが、彼の出身や経歴は一切不明となっていた。平和主義な性格から見ても、過去に何かしらあったのだろうが……。
そんなことを言いつつも、甘音から見れば皆等しくクソガキである。言うことは聞かないし朝は起きない、仕事はサボるわ殺すなと言えど殺すわ、目を離したらどっか行くわ、そのくせ口はいっちょ前に回るわ。
何だかんだ、大人しく着いてくる楽刻が一番いい子である。手厳しい毒舌を除いては。
楽刻は控えめで口数の少ない子だが、故に内容が濃い。苦情の一言一言がミサイルの勢いを伴う。
この前だって、輸血パックサボテンの話を懲りず喚いた夢ツに、あの子はなんと言ったか。
「徒労ですね。天然の輸血パックがそんじょそこら彷徨いてる中、わざわざご丁寧に詰め替えるのですか。何がしたいんですか?」
「え、あ……ほ、ほら!動かんし大人しなるやん〜?」
「貴方は血を流すことでしか死骸を作り出せないのでしょうか」
「うっ……あっは、ぐうの音も出ぇへんわぁ〜。ちょい夜行助けてくれへ〜ん?」
「君が音を上げる相手を僕が?あっはは!冗談は頭の中だけにしてくれたまえ!」
そうして見放された夢ツは、悲しそうにサボテンに花を咲かせていた。サボテンも輸血パックになどされずめでたしめでたしである。
「……鍋仕込むか」
そして何だかんだ彼らを甘やかしているのが甘音だった。
魂抜きとは!
仏壇やお墓に宿る故人やご先祖の魂を、僧侶の読経でぽーんっ!と抜き取り、「物」に戻すための儀式らしいです。そこから取って名付けました。
怪異としては都市部に分布しており、早朝にピンポンしてきます。返事すると侵入してきます。見つかると吸われます。Go to hellです。
ちなみに天使に品種改良された家畜種がおり、魂の保管庫として利用されているようです。人で言う大脳や小脳にあたる部分が破壊されており、ある種『植物人間状態』になっています。生存機能だけ生かされているわけですね。




