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Fake and Liar  作者: うるフェリ
長編シリーズ1:赤い学園編
44/50

27.綻びと迷子

「……おや、連絡がつかないね」

クロヴンは静かに呟き、ホテルの窓から静かに舞い降りた。

 __カツン


 カツン___……


 湿った地下水路内部で、固い靴音だけが響いていた。天井にぽつぽつと吊り下げられている白熱灯は意味を成さず、闇の輪郭を和らげる程度。ランタンでかろうじて先が見える具合にも関わらず、前を行く人間二人は足早だった。

 筒状の空間は無機質な石レンガで構成されており、所々苔生(こけむ)したり欠けたりしている。壁や天井、更には床まで藻のような苔植物が垂れ下がり、水滴を滴らせていた。

 全身の肌に温い湿気が纏わりつく。排水溝のような臭いが鼻腔の奥にしがみつくが、それも慣れてしまった。

 ……地上とは比較にならない程の荒廃ぶりだ。

 彼らの背中越しに向こうを見やれば、依然として細く窮屈な通路が続いている。その左手には淀んだ汚水が静かに揺蕩っていた。時々浮かび上がる泡が生物によるもので無いと分かっていても、注意が割かれてしまう。

 前方で揺れるランタンの暖かい光が、今では地獄への案内にも思える。そんな薄気味悪さがこの地下水道には張り詰めていた。

「__お前ら、何で付いて来た」

 シャイルの悩まし気な声がくぐもって響き、環境の調査に気を取られていたクオンは我に返って彼女を見る。こちらに振り向く様子もなく、ただルークに追随している。クオンは少し考え、前回の後悔を思い出しながら口を開いた。

「……双子の幽霊の件です。行方不明者の多さから長年監視が付いていたのですが、近年になって突然途絶えた要因の解明、調査命令がジャラの御父上から下されました。この学園への転校というのも単なる名目です」

「なるほど?道理でガキにしては神妙だと思ったが……目的は何だ」

 彼女は大して驚く様子もなく、あっさりと頷く。元々軍事職に就いていたシャイルには、クオンの適当かつ当たり障りのない回答など予想の範囲内にあったのだろう。半分は真実なのだから、クオンにも都合が良い。

「双子の件は問題ありませんでした」

 一呼吸置く。彼女は黙って続きを促した。

「……が、調査の結果、悪質な”何か”がこの学園で検知され急遽警戒態勢を敷いております。一時は平静状態だった双子の内ドロシーに何らかの異常が発現しているようなので、探索及び調査は余儀なくと思ってくだされば結構です。所詮貴方方には関係のないことですから」

「ターゲットの摘発か。調査とやらが済めば出て行くんだろうな」

「えぇ、勿論ですとも。こんな血腥い処に長々と滞在する理由もありませんし……何より、私としても兄上方の補佐がありますので」

 微かでも動向が掴めるだろうかと嘲笑気味に言ってみれば、舌打ちが返ってくる。背中で苛立ちを露わにする彼女に対し、クオンは尚も続けた。

「……私どもの仕事は、超常的な存在を捩じ伏せ管理し、一般市民の安全を確保すること。それに相違など無い筈ですね?」

 この台詞は、立ち位置によって警告か念押しかに変わるだろう。その為あまり感情的になられても困るのだが、彼女が軍を辞職した理由が少しわかった気もする。顔が見えないので機微は読み取れないが、あまり野暮なことは避けることに決めた。

「我々はこの学園に不利益を(もたら)す様な真似は致しませんので、そこはご安心ください。調査が終わり次第、仰られた通りすぐ立ち去りますよ」

 ウルの澄んだ深い声が空間に満ちると、自然と肩の力が抜けて緊張状態が僅かに緩む。姿さえ見ていなければ女の子の声にも聞こえるのだが、響きは不思議と男性的だ。かと言ってよく通るというわけでもないのだが。

「……もしくは、貴方達個人に都合が悪いことでも?」

 ウルは最後尾からそう問いかけ、「前々から要注意人物として取り扱っているものですから、真実を話してくださるとこちらとしても大変有難いのです」と抑揚のない声で付け加える。

 シャイルとルークの二人については、今夜__正しくは明朝__の会議で取り上げる予定だった。妙に乗り気なスタンス、準備の良さ、そして先程のようなはたから見れば無謀とも言える行動。

 彼女らは教職員である以上、生徒の保護を義務付けられるはずだ。それを蔑ろにするだけの意味など知る由も無い筈で、ルークの言った「アリスは餓鬼じゃないのか」という言葉はあまりに薄っぺらすぎる。情緒的なシャイルならともかく、彼ほどの慎重派が足並み揃えず乗り込んでいったことも、大きな違和感だった。単なる有識者とも思えない。

 昨夜一応ライベリーに尋ねてみたところ、「要注意案件」と言っていたので気に留めておく程度には警戒していた。だからこそ、迷いなく血の滴る闇の入り口に足を突っ込んだのは決め手だった。

 何らかの思惑がある。

 それもきっと、世間的に善しとされることでも無いだろう。

 長い沈黙を破ったのは、ルークの低いしゃがれた声。

「……アリスの、独り言……を…聞いた」

 クオンとウルが機関の気配をちらつかせたことに情報提供の意を示しているのか、それとも。

 揺れる黒い髪がランタンに照らされて、毛先がほんのりと栗色に輝いていた。彼が立ち止まると、カタッとランタンの留め具が音を立てる。

「……行方不明者が、アリスは……いない。違う…か?」

「いえ……我らの方でも確認されておりません。また、状況からドロシーに攫われたと仮定された人数、行方不明者数は一致しておりますが」

「……そうだろう」

 コチラに振り向いた彼の目は、噴水に広がるあの濃密な赤を脳裏に甦らせた。憂えたように一瞬目を細め、遠い向こうを見やる。

 水の滴る音が、闇の方に吸い込まれていった。

「……言った。……それは、引き留める……様に」


『連れて行かないで……』


『返してあげて……』


『ドロシー……私、此処にいるのに……!』


 胡散臭いと思ったが、元から双子を救うのが本当に目的だったとは。

「___なるほど、それで私どもに伏せていたのですね」

 ウルは緩慢に唇を吊り上げる。丸眼鏡の奥から覗く瞳は凝視するには居心地悪いようで、シャイルはやがてクオンとジャラを見比べた。

「此処にいるのに」ということは、ドロシーはアリスを求めて生者を漁っているのだろうか。どうもそれは彼女のイメージにそぐわない気もするのだが、今ドロシーは人間の原型すら保っていない。()()は人と分類するにはあまりにも悍ましい、人外らしい姿だった。それに、包丁を片手にアリスを追ったことからも可能性の域を優に越えている。

 ただ怨霊悪霊と言えど、人外種。意思疎通が可能な、知性ある者のはずなのだ。何故盲目にとっかえひっかえ襲っているのか、また被害者に何か要因があるのか……。

 そこまで考えて、クオンはふと気づいた。

 ドロシーの犠牲となった者の共通点すなわち”契機”となったのは、肝試しではなかったか?彼女が本当に自由に動き回れるのなら、今頃この学園は廃墟と化しているはずだ。寮で寝ている生徒、また大人には手を出していない。

 すると、子供であるという判断力や”死んだ”記憶は残っている___……?


 違う。


 それだけしか残されていないのか。

 ドロシーはなんらかの理由で、行動範囲に制限が設けられている。

 クオンは胸の奥が急に透けていくのを感じた。重い何かが削ぎ落とされ、やっと分かった。


 ___天使か……!


 あの白い髪、機械的な声、睫毛や瞳までもが異質に白く美しい生きたビスクドール。彼らがドロシーを操作し殺人を促して、神獣とやらに贄か何かで捧げているのだろう。アリスを見つけたい、その必死な願いを首輪にして。

 そして探す相手は到底見つけようのない、最も遠い寮の渡り廊下に拘束していた。

 アリスは動かないことこそ意味があったのだろう。彼女たちは互いの存在を感じているので、それがシャイルの言ったように”電波”的なものなら、下手に動くと察知される。遠いと微弱なのか、かろうじて感覚を拾うだけなのかもしれない。

 その瞬間、嫌な予感が胸を(よぎ)った。


 ___彼ら天使は報告と言っていた。


 都合の良い名目が消えた危険性に気づき、報告の為この地下水路へ来たのか。

 ……今更?

 報相連が習慣化されたトライアングルで知謀家と名高い天使が、そんな愚かしい真似をするだろうか。


「罠」


 ふと零れたウルの呟きの直後、通路にジャラリと鋭い金属音が響き渡る。耳を澄ませても反響が煩い。位置が特定できない。

 鎖の音。金属の擦れる音。一向に聞こえてこない靴音。


 シャイルの(くび)を捕らえる、太陽のように真っ白な鎖鎌の切っ先。



 △▼ △▼ △▼ △▼ △▼



「嘘……あり得ない!嘘でしょう……!?」

「……もう一度試そう。無理だったら__」

「やめて。そんな可能性聞きたくないわ」

 苛立ったように喚くマリンをその場しのぎでも宥めようとすると、それが契機となって冷静に切り返される。エリスは俯いたまま口も利かなくなってしまったので、ロンドは収拾のつかなさにすっかり参っていたのだ。

 原因は、現在進行形で対峙しているループの渡り廊下。

 先程から同じ道を繰り返しては、職員室のある棟の入り口で振出しに戻される。これが二回続くと恐ろしさよりも苛立ちが勝ち、やがて十回も繰り返すと思考に余裕が出てきた。何しろ、これだけ騒ぎ立てていて一向に見つかる気配がない。

 とは言え、毛並みを逆立たせる猫を彷彿とさせるマリンはともかく、エリスが心配だ。先程のオルゴールが余程怖かったのだろう、あれは普段恐怖を感じても驚きはしない、ロンドでさえ泣きそうになった。

 鼓膜が破れそうなほどの大音量だ。大人が駆けつけてこない理由など、わかっているはずなのに。

「……仕方ないよ。ここはもう、いつもの学園じゃない……多分、迷い込んだんだ。奇妙な処に」

 半ば正面突破に諦観の念を提示したロンドに、マリンは鋭い眼光を向けた。

「黙って。貴方、いつも結果だけを女々しくも立派に宣うだけで結局画餅に尽きるじゃない。泣き言はうんざりなのよ」

「それは……いや、うん。ごめん」

「謝る暇があるのね!ちょっと理不尽な事言うけどどうでもいいわ!口先だけなら幼児でも言えるのよ、別の通路を試すとかくらいの案は出てこないのかしら?」

「わかったよ、それなら……え?別の通路?」

 あまりの剣幕に気圧されていつつ、理不尽と自ら言ってしまうのはどうだろうかと真剣に考えかけたロンドが我に返る。月明かりのおかげで、マリンの得意げな表情はよく見えた。彼女は靴音を鳴らしてエリスの手を取ると、ロンドに背を向ける。

「行きましょ。ダメだったら、貴方の泣き言もちょっとだけ聞いてあげるわよ」

 その声が震えているのは、気のせいだろうか。

 ……どう、しよう。


 ___いや。そうだ。


 一瞬舌に広がった苦い味を呑み込み、ロンドは重苦しい考えを一度放棄する。今は戻ることが最優先だ。


 兄様、僕は貴方が羨ましかったのかもしれない。机上の空論がいつも、正しかった貴方が。

 でももういい。僕は貴方じゃない。貴方ほど聡明でないから、僕は自分の道を行くよ。

 部屋住みにはなりたくないからね。


 ロンドは歩き出し、そして二人の腕を掴んで引き留めた。焦りで力を入れ過ぎたせいか、マリンが顔をしかめるのを気にも留めず、力づくで引っ張って無言で引き返す。

 マリンが口を開こうとすると、大袈裟な仕草で後ろに視線をやった。


 悍ましい異形だった。


 右肩が欠けていて、血は止まっていても見るに堪えないほどの惨状だ。ふらつくような不気味な歩き方で、左手を縋るように持ち上げこちらに接近してきている。顔面はぽっかり抉れ、柘榴のように瑞々しい。

 首元から赤黒い染みが広がる服は、ロンドの纏うものと同じだった。

 まるで獣のような呻き声を漏らしながら、そして顔面から赤い液体を涎のように垂らす。足音も無い。

「……」

 マリンはポケットの中を漁り、目薬と手書きで表記された容器を取り出す。一体何をするつもりかと様子を見ていると、彼女は名残惜しそうな顔を一瞬で取り繕い、()生徒の斜め後ろに放り投げた。


 ___カラン


 その音で、異形はマネキンのように動きを止める。すぐさま背後へ振り向き、ざらついた唸り声と共に音のした方へ勢いよく走って行った。そのまま廊下の向こうへ消えて行くのを見届け、三人は脱力したようにその場にへたり込む。

「お、音に反応するのね……ドロシーとは逆だわ」

「あの服、ここの生徒だったんですよね……?ねぇ、行方不明者ってもしか……し、て。ねぇ、此処、何なんですか?私達、一体……一体……!」

 最早マリンの顔も見えないように、頭を掻き毟って掠れた悲鳴を上げる。その言葉に二人もいよいよ顔を青くした。この体をしつこく揺らす動悸があの醜悪な異形に聞こえやしないかと、冷や汗を滲ませて。

 行方不明者の牢?異形の世界?それとも、ドロシーに連れてこられた……?

 そんな根拠のない虚妄が次々と頭に浮かび、恐怖が増幅する。今まで、何人?

「……エリス、教えて欲しい事があるんだ」

 一瞬躊躇したものの、意を決してマリンに背中をさすってもらいながら慰められているエリスに声をかける。彼女は浅い息を高頻度で繰り返しながらも、ロンドを見上げた。

「……行方不明者は、統計何人だった?」

「え……あ、ぁ……ひゃく、20名…です……」

 つまり、この学園内には約120体の()()が徘徊している。今まで何事もなかったのが、つい今告げられた壮大な嘘のように思えた。

「そんなに……痛ましいわね。かと言って大人しく殺されるのはお断りよ、どうにか他の通路探しましょう。こうとなれば外でもいいわ、森の管理人ならきっと助けてくれるはず」

「ヘンリーさん?確かに、木曜は食堂に行かないし……ここからも近いかな?エリス、立てる?」

 森の管理人は猟銃を持っている。学園自体、深い森林の付近に設立されたもの。時には厄介なお客が侵入してくることもあった。

 未だ震えているエリスに手を差し出し、二人で何とか立たせる。彼女は究極のオカルト好きだが、今後は究極のトラウマとなってしまうだろう。

「ご、ごめんなさい。腰が抜けてしまって……」

「いいのよ。貴方繊細なんだから、男子共にチワワなんて揶揄られる図太い神経の持ち主に頼りなさい」

 琥珀のように綺麗な瞳を柔らかく細めると、彼女は力強い笑みを湛えた。



 △▼ △▼ △▼ △▼ △▼



「……マジか」

 ヘンリーを適当な木に吊った後、ライベリーは学園に戻りかけてふと違和感に気づく。悪魔の直感が危険信号を全力で打ち鳴らしていた。

 即座にスマホを取り出して電源をつけるも、なんと圏外。その文字に大きな焦りを覚える。

「異形の世界……!!天使か!クソッ!」

 最早形振(なりふ)り構っていられない。ライベリーは驚異的な速さで管理棟まで戻り、一っ跳びで屋根まで登り詰めた。サングラス越しに学園内を見渡し、額を押さえながら眉をひそめる。

 まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図。

「超うろついてんじゃねーか……おいおい嘘だろ、まさかこのタイミングで殺しちゃうとか。ないわー!」

 異形の世界に迷い込むにはいくつか条件がある。それが揃った状態で何かを”殺害”し、多少でも遺恨を向けられると……


 こうして、最悪な世界に招かれてしまう。


 しかし、ライベリーの場合意図的なものではないはずだ。誰かを取り込む際、偶然巻き込まれただけだろう。

 天使が動いたのか?ライベリーは屋根から飛び降りると、棟から()()の鍵を回収する。勿論、家の鍵など放置だ。

「つーか、クオンは?いやノマドいるだろうけどさァ……」

 もしかすると、同行していた人間に危険が及ぶかもしれない。そんなくだらない理由で死体が出て、警備が増やされれば面倒だ。ノイズほどのステルス能力は生憎持ち合わせていないし、今回みたいに派手に動けなくなる。それは短期間潜入にはあまりに不利な事態となる。

 初期の想定以上に深刻な事態になっていると思い知り、ライベリーは空を仰いだ。

「……悪魔にゃ星も味方しねえってよ、お月様」

 ツキは巡って来ねぇのになぁ、とぼやきながら学園内に踏み入る。噴水から繋がる廊下を徹底的に調べ、救出した後脱出すればいい。いなければもっと楽だ。今はいるかもわからない人間を守ることが最優先、フィルムなら後に弄ればいい話。

 グラサンのレンズよりも濃いネオンピンクが、ほんのりと光を帯びた。

「なぁ相棒、異形なんて相手にしたかねーよな。気持ち悪ィもん」

 右手をすっと伸ばせば、真っ白な塵が手の中に集合する。それはやがて大きな紙の断片となり、少しづつ大きな斧の形を成していった。正体不明の材質で造られた、自分よりも頭一つ、二つ分ある大斧。真っ白に輝いて月光を反射するそれは、さながら獣の銀の牙のようだった。

「まーうだうだ言っててもしゃーねぇわな。どうすっかな、取り敢えず職員室に続く廊下か?」

 柄を握り直し、ライベリーは地面を蹴った。

 影絵のように沈んだ外庭を抜け、吹き抜け廊下を横切り、目についた付近の木に飛び移る。枝を掴んで軽く跳べば、冷たい風が頬に吹き荒れて高い寮棟の屋上へ降り立った。

 素早く周囲を見回し方向を掴むと、地面に直線で突っ込んで異形を踏みつける。背中を地面に押し付けて頭部を断裁し、続いて背後から襲う異様に長い腕の先端の切っ先を受け止めた。くるっと刃の向きを変え、真紅の花弁のような血が散る。

「行方不明者何人だっけー、圏外とかセンスねぇわ。ログも見れねぇじゃん、やっぱトライアングルの配給物ってすげーな」

 ほとんどの通信阻害を突破するスマホ擬きが、今では惜しいものだ。何かあっては不味いので、全員クロヴンに預けてある。

「本館に繋がるとこってど___うお!?ちょ待って待って、アッチね!?おっけありがとう、まず異形から俺を守って!」

 ライベリーの疑問に反応したのか、斧がグイグイと左手に引っ張ろうとする。記憶を頼りに脳内に地図を構成し、マークを済ませると斧は通常業務に戻るどころか、ライベリーの手を離れてぐしゃっと異形を仕留めてきた。

 トライアングル武器は主人との繋がりが深いほど、自我が強くなる。一応この子もまだ穏やかな方だ。ノイズのダガーなんて、勝手に出てくることもある。ずっとニヤニヤしながら意味もなく研いでいる彼が元凶なのだが……。

「いやちげーわ、人間人間!ナイス斧!」

 いえーい、と大振りの刃とハイタッチを交わすと、武器と主人は中庭を走り去って行く。

 からっぷうが後を追うも、直ぐに冷えた空気の中に溶けてしまった。



 △▼ △▼ △▼ △▼ △▼



 三人は、真っ暗に沈んだ廊下を慎重に進んでいた。足音を立てないように、それぞれ警戒しながら。

 廊下の向こうは時々月に照らされて、そこから異形がライトアップされやしないかと肝を冷やしているのだ。時々物音がしては、息まで止めて無機質で冷たい廊下を隅々まで眺める。

 幼い彼らにとって、これが得も言われぬほど深い深い恐怖だということは理解に容易い。襲われれば高確率で死んでしまう。

「……」

「……」

「……」

 階段。三人は動きを止めた。


 ___嫌な臭いがする。


 甘ったるいような、あるいは生臭いような。肉が不自然に熟してしまったようだった。


 それは、天使のような大きな翼。しかしそれは純白でも、ましてや黒でさえも無い。

 指だ。異様に長い血の滲んだ指が折り重なって、翼のような形をしている。上半身は首がなく、黒い気泡がぶつぶつと湧いていた。腕や足も人形のように力なく揺れている。翼というよりか、それは昆虫類を思い出させるような……。


 目が合った気がした。


 唐突だった。このまま凝視していれば、あるいは。そんな一縷(いちる)の希望は薙ぎ払われ、異形は当たり前のようにカラダ全体をぶるりと震わせ、醜悪な濁声を張り上げて階段を転がるように降りてくる。


『ぅあ”ぃ”ぃ”ぃ”ぃ”い”ヒあ”ッあああ”あ”ぁ”ああぁ”ぁ!!!!!!!!!!!』


「ヒッ……!」

「逃げろ!!」

 マリンが小さな悲鳴を零すと、ロンドは我に返ってそう叫んだ。今更声を潜めても意味はない。エリスは喉が委縮してしまい、悲鳴を上げることもできずに無表情で階段を降りた。

 真の恐怖は、人間の思考を綺麗に掻っ攫う。最早何も考えず、ただ生きることを求めて走った。

 その目頭だけは熱く、動悸も激しい。

 走馬灯は死ぬ直前に見るのではないのか。生への未練が現実逃避の形となった結果ではないのか?

 やがて、徐々に現実が脳内に浸み込んでいった。そうか、今は到底逃げられない相手から逃げている。さっきの異形は緩慢だったが、今度は違う。あれだ、ゲームであるような上位互換というもの。

「まだ遠い!途中で撒こう、狭い廊下に入り込んで!!そこを右に!!」

 一番足が速いのはマリンだ。彼女にはエリスを引っ張ってもらって、自分は後ろから震える脚と肺を叱咤して地面を蹴る。

 しかし、その背後で翼が確かな振動と共に近づいてきていた。指が地面を叩く度に、地面に強い衝撃が走った。それが震える脚に伝わり、何度も膝を折りそうになる。

 複数の指が天井から壁、床を這いずって前へ進む。動きは無秩序だが、速度だけは異様に早かった。

 着いた、マリンが逸れて狭い通路に入り込むと同時に安堵が胸を掠める。しかし彼女は踵を返し、今度こそロンドは絶望を覚えた。

 また廊下を走った。通りすがりに見てみれば、女生徒だったであろう異形が、蛇のように顎を外してかっぴらいていた。天井付近から下顎へ、赤いものが糸を引く。

「またッ……」

 喉の痛みなど構っていられず、内膜が切り刻まれるような鋭さを気づかぬふりして息を吸う。冷たい空気は肺の中で一瞬にして沸騰し、体外へ排出された。

 徐々に近づいている。

「マリンッ……!!また、右!!次最後!」

 返事はない。ただ首を少し頷かせたのを見て、また走る。今や異形とロンドの差は迫真だった。後ろを向く余裕もない。その気配は徐々に濃くなり、いつ触れられるかと思うと体が凍り付きそうだった。

 恐らく10秒にも満たないだろうが、声を上げてから随分と走った気がする。マリンとエリスは僅かに嬉しそうな顔で首を通路に向けた。

 ああ、よかった___……


 ___マリンは、虚ろな顔をロンドに向けた。


「な……え……」

 走った。

 通りすがりに見ると、肉が廊下いっぱいに詰まっていた。目玉が大量にぎらついて、こちらを見た。

 いつまで走るのだろう。いや、いつまで走れるのか。

 もう終わりたい。普段の朝っぱらの持久走が功を奏して、かろうじて走り続けることができている。

 それでも、もうロンドは頭の中が真っ白でどうにもできなかった。この付近に狭い場所は、無い。


 結果がこうか。こうなってしまうのか。


 もういっそ、立ち止まって腹の底から嗤ってやろうか。


 それでも死ぬなんて大事をこの身に受けきれる気がせず、走る、走る、走る。

 ああああああああ。どこだ。どこかにないか、逃げられそうな所は。


その時、不意に振動が止む。

もう追いつかれたか、と悟って背後を見ると___……


異形が薄紫の煙に巻かれて、消えた。


「……はぁ?」

他に追手はいないかと確認する余裕もなく、ロンドはその場に崩れ落ちる。二人も気づいていたのか、全身で息をしながら床に倒れ込んだ。

しばらくは呼吸音だけが廊下に響いていた。一、二分ほどしてようやくエリスが声を上げる。

「あっ……それ、何、ですの……?」

ずるずると這って、ロンドの背後、異形が姿を途絶えた所にあった紙を拾う。三人で覗き込むと、どうやらそれは形代のようだった。人型に大きな目の模様が描かれている。紫の眼球に、薄い緑が逆三角形で描き込まれていた。

「……エリス、これ心当たりあるかしら」

「ない……」

みなして軽い酸欠状態になっているようで、頭が上手く働かない。ひとまず立ち上がり、窓の外を覗いた。

夜には星が散りばめられることもなく、月ばっかりがぽっかりと黒に穴を開けていた。綺麗だなぁと暢気な感想を心の中で述べながら、地上に目を移す。

中庭に降り注ぐ月光が照らし出したのは、向かいの建物から降ってきた人影。


「せんせ……」


名前は憶えている。あんなに綺麗な人の名前、忘れようがない。

「ライベリー先生!!先生!!」

何故斧を持っているのかなんて、今は都合よく捉えるしかなかった。所詮子供だから、もう終わりにしたいのだ。負荷のあまり潰れてしまいそうだったから。

必至の思いで、やっと見つけた守ってくれる人に叫び呼びかける。邪魔になり得る窓のロックを外し、涙で濡れている顔も構っていられずガタッと窓が開いたときには、その蛍光色の瞳と目が合った。


彼は笑ってくれた。


駆け寄って来ると、するりと窓から細身を出す。斧も器用に廊下に入らせ、安心したようにまた微笑み、三人の頭を撫でた。

「よく生きてたな!頑張ったな、マジでお前ら、無事で。よかった……」

徐々に柔らかくなる声に三人は笑って、まだ泣きながらも何とか状況を説明した。怒られるかもと思ったが、彼は真摯に話を聞いて、何一つ疑わずにゆっくりと頷く。

「俺らはこーいう気持ち悪ィバケモンども専門なのよ。クオンあたりもああ見えて、結構強いかんな?きっとアリスも助けてきてくれるって、素直じゃねぇだけだから!な!」

「せ、専門……?先生、アレ何?此処は何処なんですか?私達、帰れます……?」

せっかく泣き止んだところを、今にも泣きそうに訴えるエリスを慌てて慰めるライベリーを見ていると、二人は少し活力を取り戻すことができた。

「大丈夫よ!ここもちぃーっとばかりズレただけの世界で、すぐ戻れるからよ。それと、アイツらは”異形”。まんまのネーミングセンスだけどそれが正式名称なんだわ。超ハイパーな恨みとかが具現化して泥っ泥に憎悪塗れになったら、グローく異形化すんの……吐くなよ」

「吐きません。年頃の乙女に何てこと言うんです。エリス泣かせたら()巻きにしますわよ」

「年頃の乙女は簀巻きなんておっそろしいワード滑らせねぇの。ほらほら、帰ったら何か美味い菓子でも作ってやるよ。他に誰かいねぇな?」

三人は全力で頷き、そしてロンドは急速に血の気が引いていくのを感じる。気付いたときには、ライベリーの袖を引っ張っていた。



「……オトマーが」




皆様追いつくの早くないですか(ありがとうございます。感激の涙で海が創れそうです)

久しぶりの一万文字越えです。読み返す時を想像してにやけたり、愛する異形出てにやけたりしています。ちなみに異形の世界に迷い込む場面は、原本では一切ありませんでした。原本は世に出ているモノではないので、実質原作はこちらの小説になりますが……。

季節の変わり目、特に冬は危険です。どうぞ皆様、ご自愛くださいませ。




















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