11裏話.隠密調査2
「さぁーて、どうすっかなァ……」
そう欠伸をしながら呟き、睡魔に敗れる前に体を伸ばす。机の片隅にある故人のデジタル時計は0時と言い張っていた。
「あちゃぁ~、また睡眠日に近づいちゃった。どうすんのよ、俺死ぬじゃん時計クン」
そんなことを言われたって困るのは時計だろうに、ライベリーは意味もなく愚痴を呟き続けた。協会の任務からつかの間の解放を得ても、忙しない業務から解放されることはない。
何だったら先月も寝ていない。今月ジャラが来たとき三人は疲れたとか言って仮眠をとっていたが、その時も寝ていない。
何故なら、上の二人がサボった__曰く、興味がないだの面白くないだの__仕事をせっせと片付けていたのだ。
クオンに手伝ってもらうなんてできるはずがない。アレだってまだ育ち盛りの子供である。遠い昔、寝る子は育つと夜行が言っていたのを覚えている。そして子供ながらに、だからクロヴンはこんな大きいんだとか勘違いした覚えがある。
要するに、ライベリーは今とても疲れているのだ。
「__それにさぁ、ココのガキども元気過ぎるわけ。俺途中まではよかったけど、終盤中々解放されねぇで結局強面ツギハギ野郎の登場っつー大事件が発生しちまったんだよ。何がヤバいって、被害者あの偏見マブダチの方。アイツ変に人気者なってるから全員そっちに群がったのよ。はは、マジおもろー」
無表情で言われても時計はひしひしと慄くばかりだ。何しろ、自分を掴む手が決して優しいものではない。金属の集大成でありながら精密機械である自分を、妙な軋み音がするくらい強く掴むヤツなんていない。
時計は切実に恐怖を感じていた。
「…………」
不意にライベリーが黙ると、時計は不思議に思って彼を見つめる。その形のいい手がするりと離れ、机の中から黒い皮手袋を取り出した。
「……管理人、ちょっと脅してみるか。アレなら代替したところで変わんねぇだろ」
首吊りとかかなぁ~、なんて呟きながら彼は消える。誰一人いない職員室には、微かな香水の香りだけが残っていた。
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__そして、今に至る。
「ッ~~~!!!!!!」
目を剝き出しにして叫ぶ男の口を塞ぐ。悲鳴を聞いて駆けつけられたら堪ったもんじゃない。バタフライナイフをくるくると器用に片手で扱いながら、ややあって男の顎を掴む。
「うるせぇなァ……可愛い女の悲鳴なら聞きがいもあるけど、アンタみたいなオッサン興味ねーんだよなぁ。で?」
目の前で指を失い這いつくばっている男は、おおよそ三十代の東森林の管理人だ。生徒が森に入ったとか騒いで戸を叩けば飛んで出てきた。そのまま焦った素振りで森に駆け込み五分経過、こうして無様に拷問を受けている。
「し、知らないッ……!第一、俺みたいな端くれが校長の行方なんざ知る訳もねぇだろう!クソッ、いってぇえ……!」
ライベリーの手を振りほどき、彼はずるずると後退った。
勿論、この男がそんな最高機密__であろう___情報を握っているなど微塵も考えていない。ないことも無いだろうが、見込みはない。
『ドア・イン・ザ・フェイス』というやつだ。手始めに相手が拒むであろう大きな要求を提示し、その後に比較的現実味のある小さな要求をする。相手の罪悪感と譲歩したという心理を利用するのだが、今回は罪悪感と言うより恐怖を植え付けただけだ。
それでも、この男がトラウマを抱えて生きることはないだろう。知られたからには首を掻き切るしかないし、今夜派手に動くのはクオン達。もし天使がいるにしろ、そちらに注意が向くはずだ。
「おっけ、じゃあ裏校長の話は知ってる?生徒の間で囁かれてるらしいじゃん、アイツらも中々侮れねぇよなー」
今となっては昨日、生徒達に弄ばれていた時に話題になった裏校長。それは職員の間で度々耳にすることもあったので何気なく聞いてみたのだが、心優しそうな音楽教師は直ぐに話してくれた。
噂にしてはリアリティがある、事実にしてはファンタジーだと。そもそも校長はいない、名前だけで、裏校長が隠蔽やら何やらやっているのでは……そういう話だ。
しかし実際に校長である人間は存在しているし、かの偉大なる大先輩、歴史教師かつオトマー・アイゼンロートの叔母であるイゾルデ・イレルヴァントも与り知らぬということだ。
「う、らこう……?それは知らんがッ……っ、赤毛の女なら聞いたことが、ある……!」
「赤毛の女?何だソレ」
男は思ったより聡いようで、すぐに抵抗をやめて木に背中を預けた。息を荒く天を仰ぎ、諦めたように乾いた笑いを零す。
「……アンタ、どうせ俺を殺すつもりだろ。それは別にっ……いいさ、犯罪者の命なんて塵芥ほどの価値もない」
「へぇー、ちなみに何やらかしたんオッサン」
「オッサンはやめろ!……殺しだ。その報いが回って来たんだろう、ついで身分証の偽装と密輸、密入国くらいか」
いたた、と指を腹に当てて抱え込む。そら骨まで綺麗に切断したのだから、切れ味がいいことに感謝してほしいくらいだ。
ひとまず黙って次の言葉を待っていると、彼はしばらくして弱々しく言った。
「……赤毛の女ってのは、数年前から流れ始めた噂だ。何とも、夜な夜な足音と声が聞こえるんだとよ。そういうスピリチュアルな噂が多いもんだから欲張りなヤツも出てきて、遂には消灯時間を過ぎて肝試しなんて始めやがった。何十年前かに廃止された監督生の夜間見回りが、今は惜しいもんだ」
「あー、双子が死んだってやつか。鍵も新ピカになってるしなぁ、全部取っ換えちまえばいいのに」
何気なく思い当たることを口にすれば、途端彼は驚いたように顔を上げる。
「知ってんのか、兄ちゃん。流石拷問なんぞやるヤツの情報筋はわかんねぇな」
蒼白な顔で愉快気に笑う。この男は本当に、ココで命を絶つつもりだ。
森は暗い。月の美しい肌一片さえ無いのだから、全く寂しい夜だ。
「……でまぁ、四人の馬鹿な坊主どもの肝試しは見事失敗__いや、ある意味では大成功だろうな。その赤毛の女に襲われたんだっつーもんで、みっちりお叱りを受けた後停学と称した休日が与えられた。記憶が混濁してるようだ、妄言を吐き散らかしている、そんな感じのよくあるやつ」
ライベリーの目がネオンピンクに光るも、男は既に何も言う気はなさそうだった。そんな元気すら残されていないのかもしれない。
「その妄言とやらが、突然笑い声が聞こえた、背の高くて髪がクソ長い赤毛の女が暗い廊下の奥から向かってきたって。いやぁ、怖いねぇ……挙句の果てには走っても走っても廊下から抜け出せず距離は縮まるばかり、遂に女に捕まって失神だとよ。妙なのが、雑に布掛けられて廊下のド真ん中でぶっ倒れてたって話さ。案外バケモンか幽霊か知らんが、優しいもんなのかねぇ」
「布って、掛布団替わりってことか。超優しいじゃん、絶対良い母親じゃん生前」
少々興味が湧いて適当に話を合わせてみると、男は変に黙ってライベリーを見つめる。その目に力はなかったが、滅多な生き方をしてこないヤツの鈍い光があった。
「……お前、親いなかっただろ。解答が安直すぎるし、雑な答えにしろ目が興味津々だ」
「おー、よくわかったな。参考にさしてもらうわオッサン」
「だっからオッサンはやめろつってん___いッ……てぇッ‼クソが……っ!!!」
傷口が服に擦れたらしく、小さく呻く。脂汗がその頬に流れていた。
「赤毛の女ねぇ、んで声に関しては何か囁かれてんの?」
「あ、あぁ……『面白い』、『変ね』だとか、あとー……『ヤブ医者』って喚き声が度々、『人形の修理』とかそんなの。脈絡も何もねぇからお手上げー……っつー時に、妙に長い深紅の髪が数本見つかるようになったんだと。今まで気にしてなかっただけだろうがなぁ、実体があるとなりゃそら噂も盛り上がる。鼻たれ小僧どもの良い餌だ」
「髪の毛か。まだ見つかるっつーわけね」
「そうだ。相手も馬鹿じゃないらしい、隠してしまえば確証を強めるばかりだから、泳がしてんだろ……というかお前、こんなしょうもねぇ話でいいのか?俺の遺言くれぇもっとマシなもんにしてくれや」
「あー?じゃあ管理棟にあるおよそ利便性高い鍵どこしまってる?」
「物置全部に通用する鍵が俺の古ぼけた机の棚、渡り廊下の鍵が放置してるジャケットの上着。あとは食堂の鍵とロンドンにある俺の家の鍵だ、欲しいか?」
「絶対要らねぇ~、綺麗な姉ちゃん家のなら欲しかったわ。てか何で食堂の何か持ってんだよ」
「うるせぇな、たまに料理人たちと酒飲んでんだよ。合言葉を扉越しに山川ってか?」
「後ろで半笑いしてやるよ、ついで谷底にポイだ」
「最低だな、お前本性クソ野郎だろ。人は見かけによらんねぇ、サイコパス色男さんよ。煙草とか吸わねぇだろてめぇ」
「ダチが横で煙生成してんだけどな、服に匂い付くしやめてほしいんだけどよー……何か疲れちった」
「兄ちゃんも苦労性だなぁ、随分余裕ある人生のようで。俺なんかよりずっといっちょ前に殺人してやがる。今まで何人殺った?」
「さぁ?nプラス1ってとこか」
「……じゃ、まだまだ序の口か」
言った直後静かに笑う。ライベリーは静かに立ち上がり、火傷のある首元に手を当てた。
「……しょうもねぇ遺言なこった」
喉笛を掻き切り、血が流れ始めた患部を押さえて小さな声でブツブツと呟く。手を放してみれば、傷跡はすっかり綺麗に消えていた。任務課の者には必須の初歩的な技術だ。軽傷なら簡単に消すことができる。指にも同じように魔術を施し、続いて予め用意しておいた縄を手に握る。
「__……テメ―は母親に首を焼かれて、実の娘を殺して、現実から逃げて、子供と過ごして、悲壮感と後悔の底に沈んだ人間だよ。ヘンリー」
虐待されたが、虐待はしなかった。そのはずなのに、今こうして自殺したのだ。
やはり人間なんぞ、脆い命。結局そこまでかと見限って、ライベリーはロープの端を木の枝に引っ掛けた。
『お前、親いなかっただろ』
「__幼少の記憶すらねぇんだよな」
親なら多分、いるけれど。
余談ですが、作者は一時過ぎに寝て7時に起きるという阿呆な生活をしています。
眠いよ。(書き上げたの3時12分、本日出勤)




