14.The Devil in the School
赤い学園編、開幕
チュン、と外から射しこむ声と光。今は朝の五時、昨夜から二人は寮のベッドに横たわっていた。
つまり寝てはいないのだが、寝心地が悪いわけではない。寧ろいいのだが、月に一回以上の睡眠は二人からすると昼寝にも等しいのであって、ことに体質は体質だ。一応転校してきたことになっているので、少し大人しくしていた方がいいだろう。
この年頃を考えると、まだ周囲に馴染めないか打ち解けるかの二択だが、いずれにしろ初手はでしゃばる訳にもいかない。
さて、他の生徒が起きるまであと何分いや、何時間待てばよいものか……。
「おはよ―――!!」
「っ!?」
二段ベッドの上から、唐突に顔が生えてきた。薄い金髪に褪せた藍色の丸い瞳がよく似合う少年だ。クオンは任務中でもこれほど驚くことはない、と肝を冷やしつつむくりと起き上がる。背中に温かい温度がまだ残っていた。
「お……おはようロンド。朝早くから声出るね」
「アラームだからね!ね、ウルも起きてるでしょ?おはよー!」
それがどういう現状なのかはさておき、本人がいいのなら黙っておくべきだろう。彼の言った通り、先程の声で広い部屋の中から慌ただしく布擦れの音が響きだす。
「おはよう。昨日妙にニヤニヤしてる子がいたと思ったら……」
そう微笑を浮かべ灰色の髪を指で梳きながら、棚に置いてあった眼鏡をかける。眼鏡チェーンがついているのは、先日クオンがウルに提案したからだ。想像の倍は似合っていたのでそこから着火し、リストバンドや腕輪、果てはピアスまで話が発展したが、ウルのキャラではないので腕輪でブレーキがかかった。
「あ、そういやお前ら。昨日渡された書類……かなんか?提出したか?」
「え?明日じゃないの」
驚いて振り返ると、ベッドの上から更に声が降って来る。黒い髪が動いていたが、まだ起きるつもりはないのだろう。彼オトマー・アイゼンロートは、この学園屈指の不良と聞いている。問題児寮に放り込まれないのは、非常に知能が高く好成績だからだとか。
「いや、昨日。イゾルデさんとこ行けよ、バイオレット寮主任の」
「僕らグラスナビィじゃなかったっけ?」
棚から紙を取り出してみてみると、確かに日付は昨日だ。グラスナビィ主任に明後日だ~、とか言われたはずなのだが、一見というか全体的にだらしない人間だった。
「ヘンリック先生は駄目だ、堕落したおっさんだからなアレ」
「まだ37歳でしょ、十分若いと思うけど?」
「どこがだよ……」
オトマーはほとほと呆れたように溜息を吐く。不良と言うには真面な人格の持ち主ではないだろうか。
ウルは眼鏡の奥から上の段を視てみると、彼は読書中だったらしい。随分と早起きなようだ。
「クオンとウル、何処から転校してきたの?あんまり遠くないんだろ?」
欠伸をしながらカッターシャツのボタンを留めるロンドの声に、二人は振り返った。
ロンド・ホーソーン、グラスナビィ寮第4学年の男子生徒だ。学園と言うだけあって身分は伏せられているが、彼は楽天家の割にどことなく礼儀正しさを感じた。
「今まで教育機関には行ってないよ。兄弟がいるんだけど、アニキ達から教えてもらってた」
「転任した先生いるでしょう?薬学と体育の」
「昨日噂聞いたぞ。ライベリーさんとノイズさんだろ、苗字全員違うな」
上から降ってきた声にロンドも頷く。
「事情があるからね、アニキ達変な人だから」
「本来は何なの?ウルはトーグルだけどさ、クオン・アズリーじゃん」
「僕は家系図遠いからね。トーグルは親戚のひとつだよ」
眼鏡をかけなおすような仕草に二人は何か察したらしく、それ以上の追及はやめた。まぁ別に示唆したわけでもない。勝手な思い込みだ。
「オトマーはまた遅刻?そろそろ食堂に行って正しいルーティーン刻みつけようよ~」
「断る。お前らよりずっと早起きしてるし問題ない」
「えー!毎回そればっかじゃないか!」
ロンドは頬を膨らませていたが、他の生徒達はオトマー自体に関心が無いようだ。人の集まりにムラがある。付け込みやすいのはやはり、人数の少ないロンド達だろう。二人としては、まず孤立を避けたかった。
「いいじゃん、僕らの転校記念日ってことで!スコーン奢るから」
「いらねぇよ……!しつこいな、静かに読書もできない」
不満げな顔が上から覗く。三白眼に見下ろされるのは不思議な気分だが、彼はロンドがにやついているのを見るとまた溜息を吐いた。
「……食ったら帰る」
大体相関図は把握できた。まぁ朝はこのくらいだろう。
------食堂
午前五時に起床してから七時まで自由時間。朝食もこの時間に取るのだ。
「へぇ、普段図書館にいるんだ。通りで頭いいね」
「蔵書に関しては文句無しだな。料理もうまいし付近に森、環境も整ってる」
スープを飲みながらウルに応える。どうやら学園を、あくまで環境と見做しているようだ。
「大体、最近の児童は紙に興味がなさすぎる。直ぐに電子辞書だの漫画だの、活字が枯渇してんだ」
「図書館には小説系統が多い?」
「いんや?図鑑とかあるし、論文に写真集まである。問題集とか参考書は自習室に揃ってるし」
「図書館じゃないんだ。珍しいね」
クオンのイメージとしては学習参考書の棚が陳列されている、何の変哲もない図書館だった。話を聞く限りだいぶ広いようで、蔵書数も感心するほどだ。
「ロンドはいつも何してるの?」
「僕はみんなと会話してることが多いかな?喋るのは楽しいから!」
にこにこ笑ってサラダを口に運ぶ。銀に光るカトラリーを扱う所作が感心するほど美しいので、やはり貴族だろう。
「そういや二人共、まだ校内マップ覚えてないでしょ?こう広いと苦労するし……」
「流石経験者、重みがある台詞だな」
薄笑いを浮かべるオトマーにロンドはギクッとしつつ、隣に座っているクオンに身振り手振りで誤魔化そうと慌てていた。
「ま、まぁ!もう覚えてるし、よかったら放課後案内するよ。本当に広いからね、ここ」
「それは助かる!お願いするよ、でも確かに広いよねー」
「言っても小規模ではあるけど、敷地内に森があるレベルだしねぇ」
昨日は寮に直行だったから校内は見て回っていない。案内役を得られたのは僥倖だ。
三人と会話しつつクオンはふと思う。
(……ライベリーのご飯の方が美味しいな)
高級レストラン並みのクオリティの料理が作れる、彼の家庭料理と学食を比べるのは話が違ってくる。食堂も十分美味しいのだが、なにぶん量が圧倒的に多いのだ。それでこの味、香り、食感は賞賛に値する。
「凄いね、ここの料理めっちゃ美味しい」
「でしょー!食後のスコーンがもう、ほんっとに美味しくて美味しくて……」
「それだけ有料だけどな。お前ら、どうせなら食ってみればいいんじゃないか?確かに美味い」
「へぇ、そんなに?それは気になる……」
「ジャム切れてるね、新しいの貰ってくるよ」
そう言ってウルが立ち上がると、クオンも席を立つ。
「紅茶取って来る。何がいい?」
「アールグレイ」
「アップルティー!ありがとうクオン、ウル!」
軽く手を振ってその場を離れる。ウルの横まで駆けて行き、何食わぬ微笑をそのままに言った。
「どうする?まずは情報集めからだけど、今日中に大方調べたいよね」
「そうだね。じゃあゴーストから調べてみようか、長生きしてるのなら何か知ってるかも」
「教師組はどうするんだろ。とりあえずこっちの動向も伝えておく」
ウルは軽く頷いて、カウンターの方へ声をかける。クオンもドリンクバーに歩みより、ティーバッグをカップに入れた。
(……銀食器)
砂糖の瓶のみならず、ほとんどが電灯を反射し鈍く光っていた。防犯対策だろう。
どの道、毒を盛るのは得策では無さげだ。
朝七時から八時、運動時間だ。これでもかと芝生が青々と茂っているグラウンドで、生徒達が息を切らしながら走っている。置いて行かれては周回で追いつかれる子や、先頭を競い合って走る猛者の中で、クオンとウルはロンドを励ましながら中間を走っていた。
「はぁ、はぁっ……無理、も、疲れた!まって!」
「待たないよ!ほらほら頑張れ、あと二十分もないから!」
「まぁぁっってえええ……!!!!」
そして八時半から九時半、一限目が始まる。今日は数学からだ。
「でXとYの増加量を求め、定数に」
「先生!逆の場合はどうなるんですか!!」
「……えっ、逆?どういう逆?」
「すみません先生、ロンド君には僕らから教えておくので授業を再開してくださーい」
「あ、そう?じゃあこっちに代入して……」
そして二限目、薬学。教師は変装しているライベリーだ。言っても容姿に変装要素は一切ないが。
「パラケルススの言葉にもあるように、薬ってのは言ってしまえば『毒』なんだよ。その服用量で人体に有益か有害か分かれんの。本来の目的である作用、有害になり得る副作用ってあるっしょ?想定外の化学反応だったり免疫細胞の誤作動とかがソレ」
真面目に授業をしているが、その見目麗しい容姿のせいでほとんどの女子が上の空である。想定内だはあるが、やはりチャラい高身長かつ賢明な人は好かれやすいようだ。
「……ね、あの先生がお兄様?凄いね、とっても綺麗な人じゃないか」
目を瞬かせて二人とライベリーを見比べる。その顔は呆然としていて、少し面白かった。
「んー、僕らは見慣れちゃったからね。ちなみにあの人、虫めっちゃ嫌いだよ」
「悲鳴上げて逃げるの。だから夏は苦手なんだって!」
そんなことをこそこそ話していると、途端ライベリーから満面の笑みで指名される。クオンがさらりと御名答を繰り出し、彼は呆れた苦笑を漏らして肩を竦めた。
「おっけ、じゃあ__次の問題、エリス解けるかー?」
教室内を見回してみるが、誰も声を上げない。一人、深い緑の髪の女の子が後ろの机に突っ伏している白い髪を揺らしていた。
「ほら、エリス起きて……!!指名されてるわよ……!」
「ん~…………えっ!?あ、ご、ごめんなさい!えーっと何でしたっけ……!?」
「毒でないものはないって言った人の名前ね。わかるか?」
「あ、はい!パラケルスス、本名は テオフラストゥス・ホーエンハイムです」
詰まることなく、まるで時間を聞かれたように応える。あまりに当然という風に回答するものだから、クオンも少々驚いた。流石名門校だ。
「お、すげーなエリス!あとはちゃんと睡眠とりゃカンペキな!」
「わかりました!!」
満面の笑みで返事をする彼女の前で、深緑の髪の子だけが苦笑していた。
そうして時間は過ぎ、本日最後の授業六限目。ノイズの担当する、体育科である。勿論彼と目を合わせるどころか、顔すら見ようとする生徒はいなかった。顔のすぐ横の空気を見、上手いこと誤魔化している。
「朝見てて思ったけど、お前ら基礎体力が無いな。そのままやと万一んとき、一瞬で今は亡きジェーンかジョン・ドウと再会してまうで~」
そう言いながら、テニスボールを適当に生徒の中に放り込む。運の悪いことにそれをキャッチしたのは、やっと授業に出席したオトマーだった。彼はノイズの顔をちらと見やり、とても不愉快気に眉をひそめて前に出る。
「まぁ初日に持久走とかつまらんやろ。てことで、今日は鬼ごっことドッジ組み合わせてゲームや」
「器用なことしますね。どうするんすか」
「オトマー、それ適当なヤツに力いっぱいぶん投げろ。ナイフや思って、死ぬ気で当てに行け。でお前らは逃げな。当たった人数ごとにボールも増やしていくから、人数と個数揃ったら終わりや。ちなみに終わったら腕立て伏せ百回したやつから解散してええぞ~」
「だとよ、じゃお前ら頑張って逃げろ~」
半笑いのオトマーの声とノイズの衝撃的な台詞に、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。しかし彼はたった十秒とかからず、ものの見事にロンドにあててしまった。
「うわっ!?ちょっとオトマー、加減って知らないでしょ!!」
「せんせーに言えよ、オレはその通りに動いただけだぜ?」
挑発的な笑みにロンドは頬を膨らませ、ボールを拾い上げてオトマーに投げる。しかしそれは予想外の方向に飛び、エリスに当たってしまった。
「わっ!もー、誰ですか私に当てた人!一生終わりませんよ!!」
「あ、ラッキーじゃん。エリス運動神経マイナスだから絶対腕立て伏せないぞ」
「おしエリス、おれに当ててええぞ~!絶対当たらんクオンかウルにパスや!」
「えッ……は、はい!」
弱弱しくボールを投げると、それはノイズの足音にコロコロと転がって惜しいところで止まった。
「……エリス、頼むからせめて当ててくれや……」
苦笑いするノイズの前に転がるボールをクオンが拾い、そのまま至近距離でぶん投げる。いだっと言う声に続き生徒たちの顔が蒼白になったが、ノイズが強気に笑いながらボールを掴むと一気に緊張が解けた。
「おいクオンええ度胸しとるやんけ、皆!ターゲットウルとクオン、オトマー、ロンドの四人に変更や!獲物は早いもん勝ちやぞ、やってまえ!!」
そう言って放たれたボール達に、四人……いや正しくは三人が、一時間近く逃げ回ることになった。
ちなみに転倒しかけたエリスを5回以上救ったことにより、凶悪顔とツギハギかつ腕にタトゥーのヤバい人という汚名は返上され、ノイズは生徒に大人気になった。
(オトマーってレイトに似とるな……)
(そう?どこが)
(口調とキャラ。不良で優秀ってもうそれアイツやねん)
(極端だね~)
そしてホームルームが終わり、16時から放課後だ。
ロンドの提案で、まずは図書館にオトマーを探しに行こうという話になった。
「体育の時、僕まで標的になったしね!こういうときに借りは返さなくちゃ」
つまるところ嫌がらせである。
ノイズの言っていた「ジェーン、ジョン・ドウ」ですが、身元不明死体の呼び名です。ノイズなりの配慮ですね。
今週もお読みいただき、ありがとうございました!




